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資本論を経験科学の書として読むこと

 現在、私を含めたほとんどの労働者は、より長時間のよりキツイ労働と増えない賃金、失業の恐怖の中でかろうじて生活を続けています。労働者たちがなぜそうした境遇にあるのか、何が問題か、解決の道はどこにあるのか、それを明らかにしようとしてカール・マルクスが書いたのが『資本論』です。資本論は、経験科学である経済学の論理と手法を用いて資本主義社会をその経済的基礎を中心に分析し、労働者が働けば働くほど貧困と失業が増える構造や資本主義経済が周期的に恐慌を生み出す理由を明らかにしました。
 マルクスが到達した結論は主要に次の三つです。
一つは、資本主義社会では、人間が必要とする富はほとんどすべてが商品として存在しており、労働力も一つの商品であること。
二つ目は、商品がその価値(生産に必要な社会的平均的労働時間)を基準として交換されるという資本主義社会の経済法則(価値法則)そのものが、労働者の貧困化を生み出しだしていること。
三つ目は、労働者の飢餓を生み出しているのは封建時代までのような生産の過小ではなく過剰な生産であり、資本主義社会は周期的に過剰となった生産力を破壊せざるをえないこと。
そしてこの三つの結論から、マルクスは労働者が貧困と飢餓から解放されるためには、商品を基礎とする資本主義的な生産のやり方そのものを変えるしかないと結論し、変えることを訴えました。

資本主義経済が周期的に不可避に生み出す恐慌と世界戦争

 労働者の一人当たりの生産が増えれば余分となった労働者は解雇され、残った労働者の賃金も実質的に低下する。これは現場労働者には自明な事実ですが、マルクスが資本論で解明するまで多くの知識人には理解もできないことでした。
 また、労働者自身も含む生産能力の破壊は、マルクスの時代には周期的恐慌として、現実のものとなっています。
 なお、銀行のような金融資本の台頭と独占資本の拡大の時代である20世紀以降には恐慌による破壊では足らず、世界規模の戦争がその役割を果たすようになります。今、資本主義経済は3回目の世界戦争を開始しようとしています。この世界規模の帝国主義戦争の必然性を明らかにしたのはレーニンの「帝国主義論」ですので、そうした時代に、資本論の次に「帝国主義論」の読破に挑戦するのもよいでしょう。
 現在でも資本家や多くの知識人は、恐慌が経済政策の失敗の結果であるとか、戦争の原因を資本主義経済以外に求めて、避けることが可能であるかのように考え、主張しています。しかし、幻想では現実を変えることはできません。だからこそ今、あらためて「資本論」を読んでみる必要があるのではないでしょうか。

「資本論」を経験科学の書として読むこと

 「資本論を何度も読んで、理解している」と考える人もいるでしょう。でも、読んでいるのは実は資本論の解説書なのかもしれません。あるいは、資本論を経済学的分析の書ではなく、聖書のような歴史を超越した真理の書として読んではいませんか。
 「資本論」に対してはいくつかの誤解があるようです。
 最大のものは、「資本論」が将来の「共産主義社会」の到来を明らかにした予言の書だという誤解です。「資本論」は資本主義社会の歴史的限界性、つまり資本主義社会が永遠には続かないことを明らかにしました。しかし、その次ぎに来る社会についてはほとんど述べていませんし、人間が何もしなくても資本主義社会が自動的に崩壊すると考えているわけでもありません。マルクスは、貧困と飢餓をなくすためには資本主義社会の解体が必要なことを理解すれば、人間とくに労働者は必ずそれを実現するだろうという人間・労働者への信頼から、それを実現しようと訴えているのです。
 「資本論」自身も完成された体系の書というわけではなく、少なくない矛盾や誤りすら含む完成途上のものです。だから、あたかも聖書を読むようにその一言半句のすべてが「真理」を述べたものととらえるなら、宗教的泥沼の中で「資本論」の理解からはるかに離れてしまうことになります。その結果は、マルクスの明らかにした結論と正反対の主張にたどりついてしまいます。
 例えば的場昭弘神奈川大経済学部教授が『超訳『資本論』』の中で述べている、
「資本主義社会は、…商品のなかにすべての謎がある。その謎とは、等価交換に見せながら、その実、そうではないある特殊な商品…つまり労働力商品の存在」(同書「はしがき」p.4)
がそれです。
 マルクス自身が明らかにした重要な結論の一つがすでに述べたように、「労働力という商品の価値つまりその生産に必要な労働時間とその労働力を使用して生み出される価値つまりその労働者の労働時間とはまったく別のもの」だから「労働力商品が価値どおりに交換されても搾取、したがって貧困はなくならない」ということです。決して「等価交換に見せながら、そうではない」ということではありません。
 なお、人類史の初期から、前者あたる時間つまり人が一日生きるための生活手段を作るのに必要な時間は、後者にあたる時間つまり人が一日に生み出す生活手段についやす時間よりつねに短かく、その差が生み出す余剰を誰がどのように支配するかをめぐって様々な階級社会が生み出され階級闘争が行われてきた、と考えるのが、マルクスの歴史観・唯物史観です。
(続く)
 
 私の世代は、放射性物質とは何か、義務教育の中で基本的に教えられてきました。そこでこの記事でも、読む方に基本的知識があることを前提に記事を書いてきました。
 ところが、中学の教科書に放射線についての記述があったのは1980年度までだったようです。それ以降に義務教育を受けた方は、放射能や放射線、放射性物質について、まったく教えられていません。市民に何も知らせず、原子力学者など「専門家」が無内容かつ歪んだ「安全」神話を振りまいてきた結果が、福島原発の事故だったわけです。
そこでごく基本的な事実についてみておきましょう。

分子と原子、核と放射能

 私たちの周りにあるほとんどすべての物質は、どんどん細かく分けてそれ以上分けると物質の性質が変わってしまうという最小の粒が集まってできています。分子と呼ばれます。それをさらを分けると原子と呼ばれる限られた種類の小さな粒になります。その原子がいろいろな形で結びついたのが分子です。例えば、水のほとんどは水素原子二つと酸素原子一つが結びついた水分子の集まりです。
 原子もまたさらに分けることができます。原子の重さ(正確には質量)のほとんどはその中心付近に詰まっていて原子核と呼ばれるプラスの電気を持った固まりとなり、その周りを電子というマイナスの電気を持った粒が取り巻いています。
 原子核は、基本的にプラスの電気を持った陽子と呼ばれる粒と、プラスでもマイナスでもない中性の粒・中性子の集まりです。プラスとプラスの粒子は反発します。それをひとまとめに安定させておくためにその反発力を超える力が働いていますが、それでもプラスの粒が増えれば増えるほど、いわば緩衝材的な中性の粒がより多くの割合で必要になります。例えば、ほとんどの水素原子の原子核は陽子1つだけ、ほとんどの酸素の原子核では陽子8つ、中性子8つですが、原発に使われるウラン235の原子核は陽子92個、中性子が143個です。

核分裂、連鎖反応

 構成する陽子と中性子の数が多くなったり、陽子と中性子の割合が不適当だと原子核は同じ状態で安定して存在できません。そこで原子核は、分裂して安定した原子核に変わろうとします。その際、小さい原子核の方が核をまとめておくために必要な力は少なくてすむのでその差をエネルギーとして出したり、あまった中性子などを放出したりします。この放出エネルギーを利用したのが、原爆であり、原発です。原爆をゆっくり爆発させることでそのエネルギーを無理矢理人間が利用可能なレベルまで低くしているのが原発ですから、それが爆発した際の被害に本質的違いはありません。
 ウラン235の原子核の場合、中性子が1個飛び込んで陽子92個、中性子が144個の割合になると不安定さが一挙に高まって一瞬でより小さい複数の原子核に分裂します。
 例えば、陽子39個中性子56個(イットリウム)と陽子53個中性子86個(ヨウ素)の原子核に分裂した場合、中性子2個が余りますから、それが放出されます。この中性子が再び別のウラン235原子核を分裂させ、新たな中性子を放出させます。放出される中性子の数は1回目の分裂の2個が10回目には1024、20回目には104万以上と急速に増加し、それにともなって核分裂の数と放出するエネルギーも急速に増大します。これを連鎖反応と呼びます。結果は原爆という巨大な爆発です。

連鎖反応制御の本質的不安定性・困難性

 原発の場合、時間あたりの核分裂の数を一定レベルにとどめるため、一つの核分裂で放出される中性子によって新たに分裂する原子核の数を一つにしなければなりません。そのため余分な中性子を別のもので吸収しなければなりません。原発の制御棒などの役割です。
 ウラン235の核分裂によって放出される中性子の数は2つとは限りません。それを正確に数え、1つのみを残すというのは非常に困難な作業です。例えば100個に1個の中性子を取り逃がした場合、10回目では1割増えるにすぎませんが、1000回目では2万倍を超えます。核分裂は1秒間に1億回のレベルでおこりますから、1万分の1秒後には1の下にゼロが40個以上並ぶ膨大な数になってしまいます。こうした綱渡りの上に維持されている原発ですから、少しでも制御ミスや不能が生じた場合、重大な事故になるのは当然なのです。

放射線の危険性

 核分裂によって新たに生まれたり、安定していた原子核に中性子が吸収されるなどして生まれた、不安定な原子核による物質が放射性物質です。放射性物質は安定した原子核に変わっていく過程でエネルギーを光の粒や電子、陽子と中性子の固まりなどの形で放出します。これが放射線とか放射能です。
 放射線は、人間の細胞に衝突した際にそのエネルギーで細胞を破壊します。その意味では、拳銃の弾と同じ質量・エネルギー兵器の一種と言えるでしょう。拳銃で撃たれれば、拳銃の口径や弾の重さで被害の大きさは変わるにしても被害ゼロということがありえないように、放射線についてもどれほどレベルが低くても被害ゼロということはありえません。
 放射線の危険性とは、放射性物質という目に見えないガンマンによって放射線という弾丸で撃たれる危険性なのです。
= この記事を掲載しようとした直前、牛肉の放射性物質汚染問題が表面化しました。進行中の事件について論評する場合、ミスリードや過度の煽動になってしまう危険性を考慮しなければなりません。とくにこの記事では、分かりやすさを優先するため、学術的正確さを犠牲にしてたとえ話を多用しているので、その可能性は無視できません。そのため、掲載間隔をあけました。ご了承ください =

 発射された弾丸(放射線)より乱射を続けるガンマン(放射性物質)の方がはるかに人に危害を加える可能性が高く危険です。そこでこのガンマンの性格・性質について検討していくことは、放射能そのものについて検討する以上に大切でしょう。

管理・統制不可能な放射性物質の性質

 この放射性物質というガンマンには次のような性質があります。
 第一は、人間は誰もこのガンマンの乱射(放射線の放出)を止めることはできないということです。
 したがって、危険を避けようとすれば、ガンマンを壁の中に閉じ込めるか、人間の方が逃げるしかありません。
 第二に、ガンマンに撃たれるとそれまで乱射していなかった物質がガンマンとなりしばしば乱射を始めてしまいます。そのため、ガンマンを閉じ込めようとすることは新たなガンマンを生み出してしまう結果になってしまいます。
 これが、原発が大量のガンマン(汚染物質)を生み出してしまう原因です。福島原発の周囲に散乱する高濃度に汚染したガレキは、単に放射性物質が付着しているだけではなく、ガレキ自体が放射線を放出するようになったものが少なくないというところに深刻さがあります。
 第三に、ほかのガンマンに1発撃たれるとそれ以上の数、例えば2発撃つという性質を持つガンマンがいます。その結果、西部劇の中で酒場の片隅で始まった殴り合いがあっという間に酒場全体に広がるように、一人のガンマンが発射した弾丸をきっかけにその場にいる無数のガンマンすべてが乱射を始めてしまいます。連鎖反応と言われる現象です。
 この性質を利用したのが原子爆弾です。原子力発電の場合も原理は変わりません。ただ違うのは、原発の場合、ガンマンが乱射する弾丸を途中で遮ることで、発射される弾丸の数を常に一定範囲に抑えることができるとしていることです。確かに原理的には不可能ではありません。重心さえ正確にあわせれば、針の先にパチンコ玉を乗せてバランスをとることが原理的には可能なのと同じです。しかし、針の先のパチンコ玉がいったん少しでもバランスを崩すと転げ落ちてしまうように、原発の場合もいったんバランスを崩して暴走を始めると一挙に行き着くところまでいってしまいます。これが福島原発事故で起きたことです。
 そしてすべての原発がそうした可能性をもっています。原発とはすべての条件が想定内に収まり、一瞬の隙なく正確な操作が続くかぎりで初めて維持される不安定で脆弱なシステムなのです。そうしたシステムが現実には破綻を避けられないのは、多くの原発がしばしば運転停止に陥っていることにも示されています。これまではパチンコ玉は運転停止の方向で転がり落ちてくれました。しかし、福島原発では暴走の方向で転がり落ちてしまったのです。

ガンマン(放射性物質)からは逃げるしかない

 福島原発では、現在も大量のガンマン(放射性物質)が生産され、空中、水中、地中に放出され続けています。水素爆発のときのように一挙に遠距離まで広がるわけではないにしても、じわじわと広がり続けています。水素爆発を防ぐために注入されている窒素ガスは放射能に汚染されたガスとなって原発の隙間から大気中に流れ出しています。循環型の冷却システムが稼働し始めたといってもすべての冷却水がそれでまかなえているわけではありません。冷却のために新たに注入された水は汚染水となって地中や海中に流れ出しています。
 ではこうした大量の放射性物質から自分たちを守るために私たちは何ができるでしょうか。
 目の前に銃を乱射するガンマンが立ち塞がって、それを止めることができない時、自分の身を守るために私たちは何ができ、何をするでしょうか。ほとんどの人はガンマンから逃げるだけでしょう。
 放射性物質というガンマンに対処する手段もただ逃げること、放射性物質から距離を置くことしかありません。福島原発から1キロでも10キロでも離れることです。もちろん、放射性物質は風向きなどの要因によって飛散し、必ずしも距離に比例するわけではありません。しかし、すべての地点に対して放射能レベルを測定することは不可能ですから、距離を一つの判断基準とするしかありません。
 食物についても同じです。福島原発の近くで栽培されたり飼育されたものは、汚染の可能性が高いと考えるべきです。もちろん、測定・検査されて汚染レベルが明らかになっているものはそれを判断基準とすればいいのですが、すべての食物についての検査が不可能なことも考慮しなければなりません。
 マスコミは「風評被害」などと、そうした食物の汚染に対する危惧には根拠がないかのように語ります。しかし、汚染牛肉の流通は、マスコミのそうした「安全」主張こそが根拠のない虚構であることを示しています。

リスクと価値判断による選択

 放射性物資というガンマンの乱射から身を守るためには逃げるしかないとしても、それは逃げるべきだとか逃げる方がいいということを意味しません。
 なぜなら、第一に、逃げるという行為自体が新たなリスクや被害を生み出しかねないからです。
 例えば、水が放射能で汚染されているとしても、それしか手に入らないのであれば飲むしかありませんし、飲んだ方がいいでしょう。水を飲まないで脱水症状となり健康を害するリスクと飲むことによる何年か後のガンにかかるリスクとどちらを選択するかということです。
 現在福島原発が広げている放射能汚染に関しては、常にこのような二つのリスクの間の一人一人が決断すべき選択になります。だから、無意味な安全神話にごまかされることなく、それぞれのリスク・危険・被害をより正確に把握する必要があるのです。
 第二に、人は時にリスクを冒すことを選択することも不合理ではないからです。
 例えば、福島県など被災地の復興を支援するために、原発の近くにいってボランティアをしたり、福島県やその周辺の農産物や畜産物、水産物をあえて選択することも可能でしょう。その場合も、根拠のない「安全」幻想からではなく、あえてリスクを冒していることを理解した上での選択であるべきです。そのためにも、放射性物質の危険性についての正確な理解が必要です。

ガンマン(放射性物質)から逃げ切ることはできない

 当初は、放射性物質というガンマンから逃げることも可能でしょう。しかし、放射性物質は長いものは数千〜数十万年にわたって存在し続け、その間世界中に広がり続けます。
 「高濃度の放射性物質を海中に放出しても海水で薄まるから問題ない」とうそぶいた原子力安全・保安院の審議官がいましたが、薄まったからといってなくなるわけではありません。戦後の核実験や1986年に発生したチェルノブイリの原発事故で放出された放射性物質が最終的に全世界的な環境放射能の増加として現れているように、福島原発から放出されている放射性物質も最終的には全世界に広がり、人びとに健康被害を与えます。これから逃れられる場所はありません。
 福島からどれほど離れようと、ガンマンはいつか必ずあなたのところに到達します。
 これ以上放射性物質というガンマンを生み出さないために核兵器と原発を廃棄するか、自分が撃たれるまで現実から目を背け続けるか、それは一人一人の選択です。

「原発が安い」理由

「安い電力」求め原発再稼働に突き進む政府・経済団体

 海江田経済産業相は、6月7日の第9回新成長戦略実現会議で「仮に全てを火力発電で代替するとして試算すると、今年度は約1.4兆円の燃料コスト増(震災を受けた東北、東京電力の増加分を含むと計約2.4兆円)。それ以降1年間全て停止すると仮定すれば1年間で3兆円超増加。化石燃料輸入増による国富流出及び国民負担増につながる」との試算を発表しました。この会議で発表された「エネルギー政策見直しの基本的視点」と題する報告書は、「エネルギー政策の基本理念である3E(安定供給、経済性、環境適合性)の重要性は不変だが、加えてS(安全性確保)が大前提であることを再認識する必要」と述べています。
 安全より「安定供給、経済性、環境適合性」を優先する姿勢が福島原発事故を発生させたという現実を無視し、事故により高まった市民の原発に対する不安や危惧・反対を抑えつけるため今後は「安全」を口にするが、これまでの路線は変えない「不変だ」と居直る海江田経済産業相と経済産業省・経済界の思想と路線を示す報告書です。
 経済界では、米倉・日本経団連会長が6月20日に記者会見して、「政府は全力を挙げて…説得に努めるべき」と政府の責任で原発再稼働を進めるよう要求しました。経団連は7月に発表したエネルギー政策に関する提言でも、原発について「引き続き着実に推進」と主張しています。経済同友会も7月の夏期セミナーで発表した「東北アピール」で、「エネルギー安定供給のために原発は必要」と明記し、「(定期検査で安全が確認されれば)順次再稼働を目指すべきだ」と要求しました。
 原発の稼働率の低さや原発1カ所の事故で東電が「計画的停電」などと言い出さなければならない現実をみれば、原発が電力の安定供給源というウソは明白です。
 そして放射性物質の大量放出で水も食料も安心してとれない現実は、原発が環境保護に有効というウソも明らかにしています。
 結局、政府や経済団体が原発に固執する理由は、より安い電力を求めるということなのです。

発電コスト「3兆円増加」のウソ

 では、原子力による発電は本当に「安い」のか、いくつかの数字をみてみましょう。
 2010年版のエネルギー白書によると、
発電コストは原発が5〜6円/kWh、
LNGによる火力発電が7〜8円/kWh
とされています。また、2010年版電力調査統計によると、
2010年度の原子力発電所の発電実績は288,230,480,000kWh
です。したがって、原発の発電していた電力をLNG火力発電で生産するばあい、政府統計をひとまず信じて
発電コストの差を2円/kWh
とすると、
コスト増加額は576,460,960,000円、
つまり6000億円弱にしかなりません。
 「基本視点」は「1年間で」としていますから数値はランニングコストについてのはずで、「新たな火力発電所の建設費などを含めて」などという理屈は通りません。
 「エネルギー政策見直しの基本的視点」は3兆円という金額の根拠について明らかにしていませんのでまったくの誤りと断言することはできませんが、原発再稼働に向けた世論操作のための意図的な過大数字であることは間違いないでしょう。しかも、福島事故によって政府が形だけでも進めると言わざるをえなかった安全対策のコストを付け加えれば、発電コストは火力と原発で逆転する可能性が大いにあります。

安全コストを市民に押し付ける「コスト増加」論

 安全にはコスト・費用が必要です。火災からの安全のために、今年一般家庭でも火災報知器の設置が義務づけられましたから、一つ数千円の報知器を購入した家も多いでしょう。これも安全のためのコストです。
 福島事故の再発防止のために新たな安全措置がどれだけ必要か、そのためのコストはどれくらいになるか、結論も出ていない段階で政府がコスト増加額を云々するのは、政府が原発の安全対策のために資金を投入しようとは、真剣に考えていないことを示しています。
 例えば、火薬類取締法施行規則では火薬類の保管庫と市街地や学校などの間に数百メートルの間隔をあけることが義務づけられています。だとすれば、原発と市街地などとの間に10〜30キロの間隔をあけることを義務づけることも考えられるし、福島事故後の避難地域設定を考えれば必要なことでしょう。それだけの地域を電力会社が確保するとすればどれだけ膨大な費用がかかるのか、これまでの原発政策ではまさにそうした安全のためのコストを支出しないことで「安い」原発を維持してきたのです。
 その結果が、福島事故でした。安全に関するコストは、支払いを拒否したとしても事故などの形でいつか必ず支払わなければならなくなります。福島原発周辺の市民や放射能におびえる日本の多くの市民が、まさに今そのつけを払わされているのです。 
 政府や企業が発電コストの「安さ」を理由に原発再稼働に突き進むかぎり、第二・第三の福島事故は避けられません。しかし、それでもかまわないというのが再稼働推進派の考えです。そのつけを払わされるのは、いざとなったら国外に脱出する企業などではなく、原発周辺の市民であり、日本に住み続けざるをえない日本の市民だからです。自分の懐が痛まなければ、市民がどれだけ命と生活を差し出すことになろうとかまわない、これが原発再稼働の思想です。
 市民の命と生活を犠牲にし、市民に安全コストを押し付けることで、企業などにとっての「安い」電気を確保しようとする原発再稼働路線のウソにだまされないことが必要です。
 
 3月11日の福島原発事故直後からマスコミに登場した原子力学者のほとんどは、パニックを防ぐなどと称して、事故を軽く軽く描きあげようとしてきました。しかし、次第に明らかになった事故の状況は、そうした学者の想定よりはるかに深刻なものでした。
 考えられないとされたメルトダウンが実際には事故直後に発生し、溶けた核燃料は圧力容器を突き抜けて流出していました。また水素爆発などによって大量の放射性物質が数百キロの範囲にまき散らされ、現在も炉心の核燃料と外界とを隔てる壁は存在しない状態で、大量の放射性物質が外界に放出され続けています。
 そして、福島原発事故の解決のめどすらまったく立っていないにもかかわらず、再び同じような原子力学者や政治家たちがマスコミに登場し、電力不足解消を口実に停止中の原発を再稼働させるために奔走しています。彼らの「安全だ」という主張は、福島事故を軽く描きあげたのと同じ、嘘とまでは言えないまでも詭弁とすり替えに満ちたものです。
 原子力学そのものが主要に“原爆や原発のための学問”なのでしょう。だからそうした学問に従事する学者がそれらを擁護したくなるのは当然なのかもしれません。必要なのは、私たちがそうした学者たちの発言を、原発擁護のバイアスがかかった主張として厳しく検証していくことです。
 私は原子力について本格的に学んだことはない素人ですが、公表された事実を論理的に結びつけるだけでかなりのことを解明することが可能です。ですから、厳密な意味では正確といえない部分もあるでしょうが、福島原発事故の現状や原発再稼働の安全/危険性を判断するためのより正確なイメージをつかむために、しろうとの分かる範囲で資料・論理を提示していこうと思います。

1、 放射線はどこから危険なのか

 マスコミ報道などで、「国の安全基準である年間累積放射線量20ミリシーベルト以下だから安全」とか「20ミリシーベルト以上だから危険」とか語られます。しかし、原発作業員の安全基準は年間50ミリシーベルトとされているだけでなく、緊急時には100ミリシーベルト、福島事故の作業員に至っては政府は250ミリシーベルトに引き上げました。原発事故対策の作業員は放射線に対する耐性が一般市民より10倍以上もあるとでもいうのでしょうか。
 “安全基準以下なら安全”という考え方そのものが一つの詭弁なのです。

 放射線のこれ以下なら安全という境界はない

 放射線を発する物質は、物質を構成する原子核(陽子と中性子からなる固まり)が分裂して二つ以上の固まりになる時、一部の物質やエネルギーを外に向けて出します。それが人間の細胞やDNAに衝突するとそれを破壊し、癌などの原因となるわけです。目に見えない小さなガンマンが銃を乱射しているというような感じでしょうか。
 さて、数千人が集まる新宿駅前広場で銃を乱射する人物がいたとします。銃に入っている弾はせいぜい10発前後でしょうから広場にいる人間の大部分に弾が当たることはありません。そうするとこの銃の乱射を私たちは安全と判断すべきでしょうか。たった1発でも危険と考えるのではないでしょうか。
 放射線にこれ以下なら安全という安全と危険の境目はありません。危険か、もっと危険か、とてつもなく危険かという危険性のレベルがあるだけです。
 ところが、この弾のあたる確率の低さを理由に「安全」と言い張るのが、原発推進派学者の第1の詭弁です。

 「自然放射線レベルだから安全」という詭弁

 ところで、実はこのガンマンはどこにでも存在します。「自然放射能」と呼ばれます。それを避けることはできません。だから私たちはそれを「避けられない危険」として受け入れざるをえません。また、飛行機に乗ったり、レントゲン検査を受けると、より大きな放射線を受けることになります。当然、危険性は高まりますが、旅行や治療のメリットと比較して私たちはその危険を容認します。私たちが日常的に交通事故に遭う危険に直面しながらも、車を放棄しない論理と同じです。
 こうした事実を利用して「自然放射線と同じレベルだから、旅行やレントゲンで受けるレベルだから安全」と言い張る学者もいます。
 しかし、すでに銃を乱射するガンマンが一人いるから、もう一人二人増えても同じだと言えるでしょうか。1+1=1ではありません。しかも、福島事故の放射線を受けることに、それを容認すべきどのようなメリットがあるのでしょうか。
 そこをすり替えて、「同じだ」「受け入れるべき」と言い張るのが原発推進派学者の第2の詭弁です。

 「放射線の危険は容認するしかない」のか

 さて、実際に福島事故などで放射性物質がまき散らされると、その危険性を避けるための対策が必要になります。
 砂漠の真ん中に銃を乱射するガンマンがいれば、多くの人は砂漠を迂回するでしょう。しかし、短時間で砂漠の反対側に行かなければならない飛脚や商人は、弾のあたらない可能性にかけてガンマンの脇をすり抜けようとするかもしれません。これが「安全基準」と称するものがいくつもある理由です。
 安全だからではなく、必要だから、避けるデメリットが大きいからここまでは危険を受け入れろというのが「安全基準」の本当の意味なのです。

 そしてこの放射線を避けるデメリットを過大に描き上げ、「だから危険を容認するしかない、安全と思い込むしかない」というのが、原発推進派学者の第3の詭弁です。
 「原発なしでは電力が不足する」と東京電力やその後用学者がマスコミを巻き込んで展開している節電キャンペーンはその典型です。発電手段は原発だけではありません。不足するというのは電力会社の一方的予想にすぎません。仮に短期的には不足したとしても、それは原発停止・廃止が原因ではなく、発電手段を原発に偏重してきた政策的誤りが原因です。長期的な原発の必要性を示すものではありません。
 原発の発電コストの安さなるものを主張する学者などもいますが、その安さは安全無視の安全コスト削減が原因です。安全を無視すれば水力でも火力でももっと安く発電することは可能です。(この点については後でもう一度取り上げる予定です)

                    (続く)
 

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