自由ネコ通信

冤罪乱発の警察から強制捜査権を剥奪し、職業裁判官から市民の手に刑事裁判権を取り戻そう。予審制度と陪審制度の復活を求めます

爪とぎ板

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 3月17日の鳩山首相と亀井静香・国民新党代表の会談で、首相が選択的夫婦別姓制度導入のための民法改正案提出を示唆したことから、夫婦別姓の可否についての議論が高まっています。
 東京ではジャーナリストの桜井よしこさんなどの呼びかけによって、「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民大会」が開かれ、報道によれば亀井代表はそこで「秋の臨時国会でこの法案が成立しないためにも死力を尽くしてがんばり抜く」と述べたそうです。その理由について、亀井代表は4月5日の参院予算委委員会で「家庭のあり方に大変な悪影響を与える」と述べました。産經新聞も社説で「夫婦別姓は家族崩壊をもたらす」と主張しています。
 選択的夫婦別姓制度に反対する人びとは、主観的には「家族の絆」を守っていると考えているようですが、彼・彼女たちが考えている「家族の絆」とは、夫と妻の姓が異なるだけで動揺するような、人為的に強制されなければ存在すらできない不自然かつ人間性に反するものなのです。「家族の絆」と言えば聞こえがよいですが、彼・彼女たちにとって家族や家とは人をその意志に反して閉じ込める檻であり、法という暴力的手段によってかろうじて維持されなければならない非人間的なもののようです。
 私は家族の絆とはそうした人為的強制手段なしには維持できないような愚劣なものとは思いません。家族という血縁と生活の共同性によって生まれる人と人の間の強固な信頼と愛情の関係でしょう。単に夫と妻の姓という対外的名称が異なるだけで揺らぐようなものではないと考えます。実際、夫と妻の姓の名称が異なる文化をもつ国は多数存在しますが、そうした国で家族の絆が日本より弱いという事実があるのでしょうか。日本においても、市民のほとんどが姓を使用し始めてからまだ百年強にしかなりません。それ以前に家族の絆は弱かったとでも言いたいのでしょうか。
 まさに彼・彼女らの反対論は、世界的に存在する現実にも歴史的事実にも反する虚構と詭弁にすぎません。だから、彼・彼女らの反対論は「大変な悪影響」だとか「家族崩壊」などとおどろおどろしい言葉を連ねながら、具体的な内容についてはあげることができないのです。

主体的市民の登場への恐怖

 反対論と賛成論の対立軸は、夫と妻の姓が同じ方が家族の絆の維持に有効かどうかではありません。同姓を国家が強制することの可否が問題なのです。ここでは、学校生徒への制服強制論と同じ詭弁と嘘が使われています。制服強制推進論者は、学生服などが学生らしいとか服装に気を使わないですむなどと、学生服などの有用性に議論をすり替えます。学生服が望ましければ単に学生服を着れば良いだけです。それを制服として強制する理由にならないし、その必要もありません。同じく夫婦同姓が家族の絆を強めると考えるなら結婚の際して同姓を選択すれば良いだけで、それを法で強制する理由になりません。市民の大多数が夫婦同姓が家族の絆維持のために必要かつ有用と考えるなら、選択的夫婦別姓制度が導入されても結婚に際して同姓になる習慣・文化は続くでしょう。
 反対論者が実際に恐れていることは、選択制になることによって多くの市民が家族とは何か、姓とは何か、家族の絆と現行の家制度との関係はいかにあるべきか、主体的に考えることで、家制度が市民を支配し、奴隷化する手段として機能しなくなることです。主体的に考える市民とは、社会的不正や不当な権力行使に批判的な市民であり、不正の改革を目指す市民です。支配のヒエラルヒー(階層)に安住する人びとにとって、そうした批判的、改革的市民の登場は自らのアイデンティーティーを崩壊させる危機です。「家族崩壊」などという仰々しい言葉にはそうした恐怖がにじみ出ています。
 人びととくに女性を家というオリに閉じ込められた奴隷とし続けるか、民主主義の基盤である主体的に考え行動する市民とするか、このテーマでも対立軸はそこにあります。
 スノーボード男子ハーフパイプ代表としてバンクーバーオリンピックに出場する国母和宏選手が、公式スーツのネクタイを緩めてシャツをズボンの外に出していたことに難癖を付けられ、それに動揺した全日本スキー連盟が一時国母選手の競技参加を禁止しようとした騒動があった。
 結局、選手団長の橋本聖子氏が間に入り、国母選手が謝罪の記者会見を開き、開会式に欠席することで反省の姿勢を示したとして、協議参加だけは認めた。
 オリンピック憲章の根本原則には次のような一文がある。
「3、オリンピズムの…目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある」
 人がどのような服装をどのように着るかはその人間の個性の表出であり、人格表現活動そのものである。
 残念ながら、人権を重視するとされる現行憲法下の戦後教育においては、こうした個人の尊厳を抹殺し、憲法が保障するとされる人権など存在しないことを暴力によって児童・生徒に叩き込むことが目的とされ、日常的に行われてきた。その手段として使われてきたのがスポーツだ。
 制服と坊主頭は刑務所や強制収容所の特徴だ。だから日本の多くの学校で制服と坊主頭が強制されてきたことは、学校が抑圧のための強制収容所に他ならないことを示している。そして抑圧の手段とされた多くのスポーツにおいても「体育会系」という言葉が示すように同様であった。
 「権利ばかり主張する」と称して、自分の権利を守ろうとすること自体を敵視し、憎悪するというのは私の接してきた多くの教師に共通する姿勢である。そうした抑圧と圧政に対する70年代の組織的反乱を東大安田講堂の攻防など機動隊の導入で抹殺し、その後の非組織的反乱を「校内暴力」と称して警察の暴力によって圧殺してきた教育界は、もはや自らの抑圧者としての姿勢を隠していない。そして「制服の乱れ」こそ、教育界・スポーツ界を牛耳る抑圧者に過去の反乱を思い出させる悪夢である。
 そうした教育とスポーツの延長上に今回の騒動があった。
 オリンピック憲章が掲げる「肉体と意志と知性の資質を高揚させ、均衡のとれた全人」「文化や教育とスポーツを一体」「手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重」とは、日本の教育・スポーツ界では、児童・生徒の奴隷化であり、ただメダルを獲得することで「国威発揚」の便利な道具となることの強制でしかない。
 本人の意思はどうだろうと、国母選手の服装の中にそうした抑圧への抵抗の姿勢を見て、教育・スポーツ界を牛耳る抑圧者達は震え上がった。それが参加禁止まで叫んだ全日本スキー連盟の激烈な反応の背景にある事情だ。
 そして、橋本氏は、国母選手に「記者会見での謝罪」という踏み絵を踏ませることで抑圧者の恐怖心をなだめ、国母和宏選手を従順なメダル獲得の道具として利用することを決めた。だから、競技参加を認めたことは、国母選手の服装・個性の表出に対する容認でも譲歩でもない。
 抑圧者の支配がまだ確立していない新しいスポーツが次々に登場している。そうした新スポーツの世界でも抑圧者の支配を許すのか否か、その攻防が進んでいる。ネクタイをきちんと締め、シャツをズボンの中に入れなければ行うことも許されないハーフパイプにどんな魅力があるのだろうか。奴隷となってまでオリンピックに参加することにどんな意味があるのか。
 声を上げよう。

 民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体の土地購入をめぐって、東京地検特捜部は1月15日、団体の会計事務担当だった民主党衆院議員、石川知裕氏と後任の会計責任者だった池田光智氏を、続いて16日、公設第一秘書の大久保隆規氏を政治資金規正法違反(不記載)容疑で逮捕した。そして東京地裁は16日、3人の10日間の勾留を認めた。
 容疑となった事実が実際にあったかどうかは最終的に裁判で認定されるべきものだが、問題は石川議員らがこれまで任意の事情聴取に応じていたにもかかわらず、検察の望むとおりの供述を行わなかったことを理由に検察が逮捕に踏み切ったことだ。
 日本国憲法38条は、「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と規定し、政府が黙秘権を侵害することを禁止している。また、34条には「正當な理由がなければ、拘禁されず」と規定し、それを受けて刑訴法は勾留できる理由を、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある場合」で、かつ「定まった住居がない場合」または「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」、「逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき」のいずれかがあるときに限定している。
 現職国会議員が、住所不定や逃亡するはずはない。証拠隠滅についても、すでに検察は「「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」があると主張しているのだから基本的な証拠はすでに確保しているはずだし、隠滅すべき証拠があることを把握しているなら直ちに押収すれば良い。つまり、“もしかしたら新たな証拠があるかもしれない”程度のあやふやな口実で、検察は逮捕と勾留を請求し、裁判所は検察の言いなりで逮捕状、勾留状を出したということだ。
 結局、逮捕・勾留の実際の目的は、逮捕・勾留のショックと長時間の拷問的取調べによって3人から検察が望む供述を強制するところにある。それと同時に、人権感覚を失って久しいマスコミを「逮捕」によって動員し、裁判が始まる前に有罪という世論操作を行うことにある。すでに、小沢幹事長の責任だとか、辞任すべきだという主張がまき散らされている。
 戦後一貫して憲法の人権規定をねじ曲げ踏みにじってきた最高裁を頂点とする職業裁判官によって生みだされた、もはや現職国会議員といえども拷問と自白強要から自由ではないという現実が、再び示されている。検察という一行政機関が、政治の流れを自由に操作する現実でもある。
 残念ながら、「政治腐敗」批判を理由にこうした検察・裁判所の暴挙を歓迎する人びともいる。しかし、政治腐敗は投票権行使という市民自身の行動で正されるべきだ。みずからが行うべき責任を他者にゆだねるものは、他者の奴隷となるしかない。
 私は、自民党政権時代からとりわけ現職国会議員の恣意的な逮捕に反対してきた。たとえ、私と政治的意見が異なろうと議員選挙として現れた市民の意思を、一行政機関が恣意的に踏みにじるというのは、民主主義・人民主権の否定と破壊だからだ。
 民主主義の絶対的基礎である武装した市民が存在しないという、日本の戦後民主主義の致命的弱点が、このような形で現れている。職業裁判官=三宅坂官僚の手からあらゆる裁判権を剥奪し、検察・警察=治安官僚から強制捜査権を剥奪することしか、日本の民主主義再建の道はない。裁判員制度の次の課題は、徹底した陪審員制の全面導入と予審制度の復活にある。

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 9日の報道によると橋下徹大阪府知事がメールで苦言を送った女性職員に怒り、8日付で厳重注意処分としました。
 報道をもとに整理すると次のような経過があったようです。
 10月1日に橋本知事が全職員に対して次のようなメールを送りました。
 利水からの撤退によって府の損失が386億円に上った紀の川大堰(和歌山県)をめぐり、議会で原因を淡々と説明するだけだった府幹部について「何事もなかったかのよう。給料が保障される組織は恐ろしい」と。
 2日昼、このメールに対して職員の一人が「責任は(投資を)決断した人にある。こんな感覚の人が知事である方が恐ろしい」「愚痴はご自身のブログ等で行ってください。メールを読む時間×全職員の時間を無駄にしていることを自覚してください」と返信した。
 2日夜、橋本知事が「「上司に対する物言いを考えること。トップとして厳重に注意します。言い分があるなら知事室に来るように」と返信
 同夜、職員も「公務をどけてでもお邪魔します」と返信した。
 8日、橋本知事はこの職員と上司を厳重注意処分とすることを公表し、報道陣に対して「上司に対する物言いとして非常識。民間ならあり得ない」と怒りをぶちまけた。
 弁護士として周りから「先生」と持ち上げられ、今度は知事として持ち上げられ続けてきた橋下徹氏が「お山の大将」感覚に染まってしまっているのは責められないこととは思います。しかし、知事とは市民の代理人にすぎません。代理人がみずからに委託された権限をみずからの権力や能力と錯覚しているなら、その点は厳しく批判しておく必要があるでしょう。

橋本知事の「上司」としての自覚のなさ

 紀の川大堰を推進してきたのは歴代の大阪府知事ではなかったではないでしょうか。橋本知事がその方針に反対であるならその方針を撤回し、方針撤回の悪影響を可能な限り減らすのが知事としての橋本氏の責任です。
 部下は、方針がいかなるものであろうと上司が最終責任を取るからこそ、上司を信じてその指揮の下に働くことができるのです。ところが橋本知事はそうしたみずからの責任を引き受けようとせず、「何事もなかったかのよう」と一方的に部下を非難し責任転嫁しました。
 そのうえ、「給料が保障される組織は恐ろしい」などと「上司」の最も根本的義務さえ否定しました。いま、不況の中で中小企業の経営者は社員の給料を保障するために必死になっています。そのためにみずからの給料をあきらめ、あるいは自宅などを担保に借金をしてでも、ともかく給料だけは払わなければとがんばっています。橋本知事は、税金によってそうした苦労から解放されているにもかかわらず、「給料の保障」などは俺の責任ではないと居直ったのです。
 そうした橋本知事の無責任さに危機感を持った職員が「「責任は(投資を)決断した人にある」と指摘し、愚痴(責任転嫁)をしている暇があったら方針変更の対策を考えるべきだと苦言を送ったのは当然でしょう。
 そうした耳に痛い苦言に謙虚に耳を傾けられるかどうかに、最高責任者としての度量が試されます。しかし、橋本知事にそうした度量はありませんでした。

再反論できなかった橋本知事

 職員の苦言に橋本知事はみずからの発言の正しさを再度主張することすらできませんでした。ただ「上司」という肩書きで発言を抑えようとしました。「知事室に来い」と虚勢を張って脅してみせたものの、自分の無内容さ、無責任を見透かされて「公務をどけてでもお邪魔します」と反撃されると、橋本知事が逃げ込めるのは処分権という権力行使しかありませんでした。
 直接会って議論したら、自分の主張の理不尽さや誤りが全面的に暴露され、自分が裸の王様であることが明らかになってしまう。そうした恐怖が、橋本知事を処分に走らせたのです。
 私が大学に入った頃、学生運動の中でいろいろな党派の学生と論争しました。論争はしばしばゲバルトに発展しましたが、そこには一つのパターンがありました。論破され主張を続けられなかった側が先に手を出すということです。今回の橋本知事と職員の論争もまさにそうしたパターンを経過したようです。

「ゴマをすってほしい」

 橋本知事は職員からの意見を求めていたとのことです。普通、意見を求めるということは苦言や反論を求めるということでしょう。しかし、橋本知事の場合は違いました。「知事は立派だ」「知事は正しい」というごますりだけを求めていたようです。
 タレントとして利用するために、橋本氏を持ち上げ、舞い上がらせてしまったマスメディアの責任もあるでしょう。暗愚な君主がみずからの王国をどこへ連れて行ってしまうか、歴史には多くの実例があります。大阪府をそうした歴史の繰り返しとさせないために、市民からの批判だけでなく、マスメディアからの批判も必要です。
 8月の毎日新聞「記者の目」欄に、「■殺人の公訴時効廃止 法改正の前に/刑罰バランスも議論を/真の被害者救済に」と題する石川淳一記者署名の記事(→記事)が載った。
 刑事手続きを論じながら被疑者・被告人の存在にまったく言及しない異様な内容だ。石川記者は、犯罪被害者救済にテーマを絞っただけと言うかもしれない。しかし、こうした主張の多くは言及しない部分に本質がある。暗黙の前提とすることで批判を避け、市民がそれを受け入れれば結論は当然のもの思わされてしまう。この記事の問題点も、被疑者・被告人を無視し、刑事手続きを犯罪被害者救済という視点から論じる点にある。

国家の不当な刑罰権行使から市民を守る近代刑事手続き

 刑事手続き(刑事裁判)は、国家の刑罰権発動と不当で過酷なその行使から市民を守るせめぎあいの中で形成されてきた。とくにフランス大革命以降の市民社会の形成は、刑罰権規制を市民の人権として確立し、刑事裁判をその実現の場とした。犯罪立証を一方的に訴追者の義務とし、合理的疑いの余地のないほど立証されないかぎり刑罰を科すことを禁じた「無罪推定の原則」はその中心に位置する原則である。
 そうした国家と市民(被疑者・被告人)との関係にたつかぎり、刑事手続きに犯罪被害者が主体として存在する余地はないし、存在させてはならない。

被害者への同情利用し「無罪推定」原則を否定

 刑事手続き(刑事裁判)での犯罪被害者の救済を語ることは、「被害者」の導入で、国家と市民という刑事手続きの対峙構造を犯罪被害者と犯罪加害者という対峙構造にねじ曲げることである。
 それは、被疑者・被告人を最初から加害者・犯罪者と決めつけることだ。
 「無罪推定の原則」では、国家による市民の訴追をひとまず「根拠のない言いがかり」と考える。だから国家(検察官)は、それに「根拠がある」ことを刑事裁判で立証する義務が課せられる。
 犯罪被害者が国家と同様の立場で刑事裁判に参加すれば、犯罪被害者にも自らが被害者であることを立証する一方的な義務が生じることになる。しかし、豊富な人的・経済的資源や強制力を持つ国家と同様の義務を一市民にすぎない被害者に求めることはあまりに過酷だ。
 そこで被害者に対する市民の同情を逆手に取ってその義務の緩和を求め、実際には国家の立証義務や「無罪推定」原則を否定するのが被害者参加論の手口だ。
 犯罪被害者の肩書きを利用して刑事手続きの反動化を求める「宙の会」が無罪推定の原則を敵視し、認めないと公言しているのは決して偶然ではない。

国家の存在を隠蔽することで人権原則を追放

 同時に、対峙構造の転換は刑罰権発動の主体としての国家の存在を隠蔽することにほかならない。そして国家が隠蔽されれば市民から国家への強制という人権概念の余地はなくなる。結局、無罪推定の原則だけでなく、刑事手続きからあらゆる人権原則を追放することになる。
 結論的に言って、犯罪被害者救済という視点で刑事手続きを語ることは、刑事手続きを市民を守る人権保障手続きではなく、「秩序を守る」ための国家による無制限の刑罰権発動である魔女裁判化、お白州裁判化を求めることなのだ。
 そうした人権否定を隠すために「犯罪被害者の人権」という詭弁が乱発される。石川記者が「遺族の悲痛な叫び」とか「悲惨な殺人事件の遺族」などと情緒的で非理性的言葉をならべたてるのも同様だ。

国家の隠蔽で時効の存在理由否定

 刑事手続きの存在理由から刑罰権規制という考え方を否定すれば、その一部である公訴時効つまり刑罰権発動の時間的制限も必要なくなる。
 実際、石川記者は時効について被害者に「あきらめ」を強制するものと語らせる以外何も語らない。犯罪者をより効率的に断罪して社会秩序を守ることが刑事手続きの目的と考えているらしい石川記者にとって時効は妨害物にすぎない。だから時効は廃止すべきで、遡及適用も賛成となる。「刑罰バランス」と言っても、バランスを取るべき対象は重大事件の被害者とそれ以外の被害者にすぎない。重大事件だけでなく、あらゆる事件の時効の廃止が石川記者の主張のようだ。
 突然、被疑者・被告人とされて家族と切り離され、自由を奪われ、拷問まがいの取調べと無実を立証しない限り有罪とされてしまう刑事裁判に引き出される市民の悲惨さについては想像も言及もしない。石川記者にとって、「犯罪者」はただ非難し、抹殺すべき存在にすぎないのだろう。

時効廃止が生み出す人権侵害

 時効は、刑事訴追に時間的制限を課して国家に「言いがかり」の正当性の立証機会も与えないことで、市民を過酷な刑罰権行使から守ることにその本質的存在理由がある。何年以後の訴追が過酷か原理的基準がある訳ではないが、市民ですら20年たてば損害賠償請求権の行使を制限されるのだから、まして国家がそれ以上の期間訴追権行使を許されるというのは市民主権の原則を否定するものだ。
 時効廃止は何を生み出すのか。
 第1に、被疑者・被告人の防御権行使が非常に困難になる。
 市民が無実を立証しない限り有罪という刑事裁判の現実がある。しかし、数十年も前に何をしていたか思い出したり立証するのは不可能だろう。アリバイ主張は根絶される。しかも、その間に証人が死亡すればその供述調書が無条件で証拠とされ、反対尋問の機会も剥奪される。
 第2に、えん罪被害者などが賠償を求めることもほぼ不可能となる。
 刑事手続き継続中は違法捜査を根拠に民事裁判を訴えることができないという判例がある。「犯人」が捕まらない限り、えん罪や違法捜査の被害者が国家賠償を請求することはできないということだ。
 第3に、捜査資料が永久に隠蔽され、市民の捜査批判を不可能にする。
 外交機密ですら一定期間後に公開され市民の批判を受ける。しかし継続中の捜査上の秘密を口実に捜査資料は永久に公開されず、市民に批判の機会は与えられない。まさに市民の監視から自由な秘密警察の登場だ。

市民間の分断と敵意あおる被害者救済論

 この記事に貫かれているのは、被害者の対極に据えた被疑者・被告人を無条件で抹殺すべき犯罪者とする敵意である。「社会秩序を守る」「被害者や遺族の苦しみは癒えない」「突然家族を失った悔しさ悲しみ」「市民の応報感情」……情緒的言葉がまき散らされる。石川記者にとって、犯罪とは市民による規範からの逸脱ではなく、「犯罪者」という特別の人間集団による社会秩序の意図的な破壊なのだろう。その背景に、富める者、特権者と化したマスコミ人のそれ以外の市民への敵意と恐怖を感じざるをえない。
 石川記者にとって国家は犯罪者から自分を守る保護者だ。だから、自分の役割もジャーナリストとしての権力批判と監視ではなく、マスコミ人として権力者にいかに役立つかでしかないのだろう。
 かつて、社会秩序が動揺した時代に市民の怒りを支配者からそらすために多くの市民が魔女として一方的に断罪された。日本でも朝鮮人など少数派に対する差別と敵意があおられてきた。
 いま、社会の支配構造が再び揺らぎ、市民の怨嗟の声が高まる中で、マスコミが先頭に立って「犯罪者」を生け贄の羊にして敵意をあおり、その抹殺を煽動することで権力者を救済する。石川記者が主観的にどう考えようとこの記事の内容はまさにそういうものだ。毎日新聞は社会部名で同様の内容の書籍「時効廃止論」を刊行しているから、それは記者個人ではなく、毎日新聞全体の意志と見るべきだろう。全国新聞が、ついに市民の間に分断と敵意をあおり始めたようだ。私たちはこのことを軽視してはならない。

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