|
私は子どもの頃から人一倍物覚えが悪く、高校時代にはクラスメートの名前をすべて覚える前に1年経ってしまいました。卒業後に会ったクラスメートの名前が出てこず、失礼してしまったほどです。
まず「1の段と各段の×1の項目は同じ数字だから覚える必要はない」。でもまだ50以上残っています。 絶望的な気分で九九の表を見ていたら、同じような数字が並んでいます。もしかしたら数字はひっくり返しても答えは同じ? ひとつひとつ確かめたらたしかにそうです。「2・9(ニク)を覚えれば9・2(クニ)を覚える必要はない」。これで一挙に半分近く減りました。 しかし、まだ多い。だったら「覚える代わりに計算しよう」。各段の覚えるべき最初の数字だけ覚えて後はひたすら足していくのです。5の段なら最初の5・5=25だけ覚えて、5・7は25+5+5=35と計算します。 こうして覚えなければならないのは2・2=4、3・3=9…9・9=81の8通りになりました。もし忘れたらそれも計算するのです。9+9+9…と。おかげで「覚えなければ」という重圧からは解放されました。 ただ、教師にあてられた時は大変です。「8・6は?」と聞かれたら、まずそれをひっくり返して6・8、次に6・6=36だからそれに6を足して42、また6を足して48、「48です」。これを思い出すふりをして必死に暗算するのです。 覚えていないのだから記憶違いはありません。そのかわり答えを出すまで時間がかかります。当時の通信簿には「行動がスローモー」と書かれています。 「伊藤先生、あなたの教え子はスローモーだったのではなく、毎回こんないそがしい作業をしていたのです」 |
七つの命
[ リスト | 詳細 ]
|
「もし誰かこれを聞いているなら…応えてほしい」。
ウィルスによって人類のほとんどが死滅した世界のニューヨークで、「たったひとり生き残った人間」としてロバート・ネビル(ウィル・スミス)は、3年間毎日生存者を捜すメッセージを放送し続けていた。 だが、ニューヨークにいるのはネビルだけではなかった。「ウィルス感染の犠牲者達、変異した者たちが暗闇に潜んでいるのだ」。映画では、人類を絶滅近くまで追い込んだウィルスは、ガンの治療手段として開発され驚異的な治癒率を示すが、やがて狂犬病のような症状を発症させて死亡させてしまう。生き残った感染者も紫外線(太陽)への耐性がなくなり、知能が低下して凶暴化し、他の人間を襲うようになると描かれている。 そうした中で、ネビルは「残された唯一の使命−免疫のある自分の血液から血清を作り、ウィルスで変異した人間を元に戻すこと−を果たすことに全身全霊を捧げ」ていた。 (引用、写真は映画公式サイトから) 吸血鬼は悪魔なのか映画の原作は、1954年に発表されたリチャード・マシスンの同名のSF小説。日本では1958年にハヤカワ書房から「吸血鬼」の題名で刊行された。私が中学生時代に読んで感銘を受けた小説の一つだ。今回が3度目の映画化である。原作のあらすじは次のようなもの。 人減を死亡させた後に吸血鬼として蘇らせるウィルスが蔓延して人類が滅びる中、ただ一人生き残ったネビルは、夜は自分の家のまわりに集まる吸血鬼たちの騒ぎと自分の孤独感に悩みながら、彼らの寝静まる昼にはその寝場所を見つけ出しては胸に杭を打ち込み、吸血鬼退治にいそしんでいた。 ある夜、ネビルの住居はついに吸血鬼たちの組織的な襲撃で破壊され、ネビルは彼らに引きづり出される。そして処刑されようとする時、ネビルは彼らの自分を見る目に恐怖があるのに気がつく。 自分は、吸血鬼という新たな人類が寝静まった頃に町を徘徊し、彼らを殺戮し続けていた殺人鬼「伝説の怪物(Legend)」なのだ。ネビルは、そのことにようやく思いいたるのだった。 吸血鬼と言えばドラキュラ伯爵が有名である。多くのホラー映画で彼は悪魔として描かれてきた。しかし、吸血行為を通して相手に永遠の生命を与える伯爵と、吸血鬼となった人々を殺し回るヴァン・ヘルシング教授と、どちらが悪魔なのか。吸血鬼には吸血鬼なりの人生と生活、喜びや悲しみがあるのではないだろうか。それを一方的に抹殺することは正義と言えるのだろうか。 原作は、人間の正常性とはなにかを考えさせ、独りよがりの正義に疑問を投げかける傑作である。 救済のための虐殺映画では、ネビルはナイトシーカーと呼ぶウィルス感染者を捕らえ、治療薬の人体実験の材料としている。研究室の壁には実験で死んだ数十人の犠牲者の写真が貼られているが、ネビルには罪の意識もためらいも感じられない。救済のための虐殺に疑問を持つこともない。ある日、ネビルは罠を使って女のナイトシーカーをとらえた。連れ去られようとする女を追って男がビルから飛び出してくるが、太陽に阻まれてしまう。女を実験室に連れ帰ったネビルは、男が知能低下で太陽の危険性も理解できなくなったと考え、「反対進化だ」とつぶやく。 しかし、男は女を守ろうとして飛び出したのだった。その日から男のネビルへの復讐が始まる。ネビルが使用したものと同じ罠を仕掛けてネビルを傷つけ、ネビルが唯一の友としていた犬にウィルスを感染させてしまう。ウィルス感染を確認すると、ネビルは感情を抑えて犬を殺す。ネビルにとって、ウィルス感染者は治療ができなければ抹殺するしかない存在なのだ。 人類救済の英雄やがてネビルの住居を発見したナイトシーカーたちは、男に率いられて襲いかかってくる。襲撃のまっただ中で治療薬を完成したネビルは、ナイトシーカーに向かって、「助けることができる。助けさせてくれ」と叫ぶが攻撃はとまらない。そこで、ネビルは襲撃直前に合流した二人の非感染者に治療薬を託して、襲撃者とともに自爆してしまう。かくして、ネビルは、命をかけて治療薬を完成し人類を救った「伝説の英雄(Legend)」となったのだ。 解放のための米国の戦争ネビルが体現している価値観は、現在の米国の価値観と存在そのものである。独裁政権からの解放のためと称してミサイルを住宅街に撃ち込み、爆弾を投下して、多くのイラク人民を虐殺した米国のイラク侵略戦争とその後の軍事支配は、ネビルの行う人体実験=治療のための殺人そのものだ。 米国的価値観のみが唯一の正常な存在のしかたと信じ、それ以外のあり方があるとは想像もできない米国とイラク駐留の米軍兵士にとって、周囲のイラク人民やイスラム教徒は、米国的価値観への治療・救済の対象であり、救済できなければ抹殺するしかないテロという名のウィルスの感染者である。そして、イラク・中東人民の闘いは、理性を失い救済者へ襲いかかるこの映画のナイトシーカーの行動そのものだ。映画のネビルに、「救済のため」に多くの仲間を殺されたナイトシーカーの怒りが最後まで理解できなかったのと同じく、米国と米軍兵士には踏みにじられたイラク・中東人民の怒りは理解できない。闇の中から襲いかかってくる理解不能の、理解する必要もない凶暴な怪物、それがナイトシーカーであり、イラク・中東人民なのだ。 怪物から英雄へ治療薬を託された二人が向かう壁に囲まれた生存者のコミュニティーは、異なる世界観の中で孤立し牙を剥く米国の姿であり、米国内にも存在する貧困と犯罪の海に浮かぶ富める者のゲートコミュニティである。原作から映画へ、怪物から英雄へと伝説がねじ曲げられてくる過程は、異なる他者への理解とみずからの正常性への反省を訴えた原作の時代から救済のための抹殺を賞賛する本映画の時代への移行である。 |
|
固い話だけでは疲れるので、このブログの名称になった「自由ネコ」の日常生活の写真もアップします。 寒がりで冬はストーブにへばりついています。この前、暖かい風が出て来ないので吹き出し愚痴に手を突っ込んだら、爪が引っかかって抜けなくなり、大騒ぎになりました。 |
|
ある日何気なく見た町の広報紙の記事。「舞坂町はとなり町・森見町と戦争を始めます。開戦日5月7日…」。
主人公北原修路は舞坂町に住む旅行会社勤務の平凡なサラリーマン。戦争が始まっても周囲はのんびりしたまま。ただ広報紙の戦死者数だけが増えていく。 開戦12日目、北原に舞坂町役場対森見町戦争推進室から電話が入る。「通勤途中で見聞したことを報告する特別偵察業務に従事を」。感情を一切表さず機械のように“戦争業務”を進める推進室の香西瑞希の要請を北原は渋々了承する。偵察しても戦争らしきものは何も見えない。注意されるのも細々したお役所手続きに従うことだけ。しかし、香西は報告が戦争に役立っていると言う。 開戦26日目、北原と香西に森見町への潜入偵察の指示が下る。業務分担表に基づいて新婚夫婦を装う二人も次第に心を通い合わせ始める。まわりの“平和な”日常風景。しかし、戦争は着実に迫まってくる。香西の弟が民兵に合格、北原の同僚が戦死する。そして、北原は潜入偵察が発覚し命がけで脱出しなければならなくなる。突然、殺すか殺されるか、戦争の凶暴性が北原に襲いかかる。 原作は2005年に発表された三崎亜記のデビュー作。地方の小さな町がとなり町と戦争を始めるという不条理な世界を描いたSF…のはずだった。 しかし、旅行社の宣伝にはまず「安心・安全」が謳われ、煙草を吸おうとした北原は路上喫煙で罰金をとられる。そして北原は住基ネットの検索で“徴用”される。描かれているのは、以前には考えられなかった監視・規制社会となった現実の姿だ。 現在、自衛隊はイラクで「輸送業務」という戦争を遂行し、“隣の国”に対する経済制裁という戦争も行われている。すでに日本は戦争を開始している。だが、そのことをどれだけの日本人が実感しているか。私もこの映画で初めて気がつかされた。 15年戦争は東京大空襲やヒロシマ・ナガサキで始まったわけではないが、それまで日本人の多くは、戦争を実感しないまま「戦争業務」を遂行していたのだろう。 そして、今の私たちも………。 戦争の中心にいながら戦争の牙が自分に襲いかかるまで戦争を自覚しない北原の姿は今の私たちだ。9・11の意味も、もう一度考え直させる映画である。 「となり町戦争」は現在全国で上映中。 「となり町戦争」公式サイト |
|
H・G・ウェルズの「宇宙戦争」が再び映画化された。舞台を英国から米国に移すなど若干の変更はあるが、原作の思想のほぼ忠実な映画化だ。 |







