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大河ドラマ『天地人』も今日で終わりました。直江兼続とは、一生を愛と義を持って、 上杉家のために、全てを尽くした一生でしたね。最後の紅葉を前にして......のシーン、 そして景勝とのお役御免になるときの洞窟での最後の対面、感動的でした。ふたりは、まさに 戦友。戦国時代という動乱の時代を共に、歯を食いしばってさまざまな困難にも立ち向かい、 行きぬいてきました。 兼続は最後に禅林文庫(私立図書館みたいなもの?)を設営しました。多分家康より直々にもらい受け た本をもとに、開いたものだと思われますが。今の米沢市の林泉寺にあったとされているとのこと。 米沢は、この夏天地人紀行と称して旅行しました。一番上の写真はその林泉寺に行ったときの 写真です。兼続とその妻お船のお墓もあります。 ところで信長は、当時日本において数少ない世界を見据えた武将でした。特にその当時日本には、 大宮暦、三島暦、京暦、南都暦など実にさまざまな暦があり、いまだ統一されていませんでした。 信長は、そのことを憂いており、是が非でも何とかせなばと考えておりました。場所によって、日 はおろか、月までが違う。これでは、日本の頂点に立ってまつりごとを行う信長にとって、いつ合戦を 開始するかなどの重要なことを決めるうえで、暦の統一は捨て置けない最重要課題であると考えて いたのです。彼の元にやってくる宣教師などからその頃ヨーロッパでは、一つの統一した暦を 使っていることを聞き及んでいたのです。しかし暦の事を朝廷のその時の陰陽師に持ちかけても、 答えは、なしのつぶて。 いくら信長が進歩的な考えを持っていても、法華宗の僧侶を追放したり、石山本願寺と戦うなどして、 朝廷、また広く民衆からもまた家臣からも恐れらていました。信長の考えたことを理解し、支持していた 人は『信長公記』を執筆していた太田信定などのごく少数の側近だけだったのでしょうねえ? もし、これが兼続だったら少しは、理解していたかなあなんて考えたりして。信長は結局のところそ の破天荒さについていけない人が多かったのではないかと思うのですが、本能寺の変で家臣に裏切られ、 殺されてしまいます。悲しことです。 その点謙信は、世界をみつめていたかどうかは別として、神のごとく崇めらていましたが、何よりも他 国を侵略しない、民を慈しみ、地場産業の復興にも目を向けていました。義を貫きとおし、その義 の精神は、有能な家臣たちを育成して、後世にてきちんと受け継がれていきました。 どらかがよいという判断はさまざまあるかと思いますのでその件は控えるとして、謙信がもうちょっと 永らえていたならば、帝を助け奉る謙信のこと、朝廷も、謙信がもし信長みたいな進歩的な考え方を持 っていたなら、耳を傾けていたかもしれません。なんて全くの妄想です。 今年は、大河ドラマ『天地人』を通して義のあり方を考えさせられた1年でした。 私と一緒に考えてくださり御、意見を交換して頂いた方々ありがとうございました。 2枚目の写真は、寺町鞍馬口付近にある天寧寺です。額縁門といってこの入口の門から比叡山を借景 にしてまるで一枚の絵のように景色が見えるのでこう呼ばれているようです。 この寺に兼続も寄進をしたそうです。 比叡山を借景にして作られた庭を持つお寺は、京都には、私が知るところでは、この他に2つありま す。
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