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 「横浪黒潮ライン」は、高知県土佐市から須崎市へと続くリアス式海岸の「横浪半島」を縦走する高知県道47号の愛称。

 元々、観光用の有料道路として建設されたため、沿道には、北の浦ノ内湾と南の太平洋を望む美しい海岸風景が続きます。(現在は、県道として無料開放)

 延長は18.8kmで、途中に海を望む展望台がある他、四国八十八ヶ所巡り(お遍路)の「青龍寺」が沿道にあります。

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高知城(高知県)

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 高知県高知市にある「高知城」の写真です。

 この城は、初代土佐藩主であり、2006年のNHK大河ドラマ「巧名が辻」にも登場した「山内一豊(やまうちかずとよ」によって建てられたもの。(ただし、完成したのは第二代藩主・山内忠義の頃)

 幸いにも太平洋戦争の空襲の難を逃れ、天守閣や御殿、追手門などが現存する数少ない貴重な城で、国の重要文化財に指定されています。
 (ちなみに、江戸時代以前に建てられた天守閣が現存している城は、全国で12箇所しかありません)

 城内には、「山内一豊像」(4枚目の写真)が建てられている他、高知県ゆかりの「板垣退助像」(2枚目の写真の右下)も建てられています。

 この城は、夜のライトアップが綺麗だそうなのですが、残念ながら私は見る機会がありませんでした。
 
 ちなみに、スタジオジブリのアニメ作品「海がきこえる」に、この城が登場しています。

 山内一豊については、私の「徒歩の旅(中山道)」で関ヶ原を歩いた時に、関ヶ原合戦時の陣跡のそばを通りました。興味がおありの方は、下記の記事も参照してみてください。

 中山道・その19(関ヶ原町→大垣市)
 (↑記事タイトルをクリックするとリンクが開きます)


 個人的な話で恐縮ですが、今回の高知県訪問は、急逝した友人のお参りが目的でした。

 私が足腰のリハビリで歩いた「徒歩の旅(中山道)」と、今回の高知県訪問が「山内一豊」でつながったのも、何か不思議な縁を感じます。
(今回、高知県に来るまで、高知城が山内一豊ゆかりとは全く知りませんでした)


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 高知県高知市にある「はりまや橋」と「土佐電」の風景です。

 はりまや橋は、「よさこい節」の歌で有名な場所。

 髪のないはずの僧侶が髪飾りを買い、周りの人はそれを不自然に思ったが、実は僧侶が恋人の為に髪飾りを買ったものだったという逸話を歌ったもの。

 いろいろな替え歌があるそうなのですが、代表的な歌詞は、
 『土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい 』だそうです。


 土佐電は、正式名称を「土佐電気鉄道」といい、地元では「土電」の愛称で親しまれている路面電車です。

 他の都市の路面電車の例にもれず、利用客の減少が厳しいそうですが、日本各地や海外のカラフルな車両を走らせるなど存続には意欲的で、高知市の街並みに色を添えて、街を行きかう人々の目を楽しませてくれます。


 余談ですが、スタジオジブリのアニメ作品「海が聞こえる」の舞台が高知市であり、この「はりまや橋」周辺の繁華街や高知城などが作品中に登場しています。

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 高知県を代表する観光名所の一つである、高知市の「桂浜」の写真です。

 1枚目の写真の通り、ここには有名な「坂本竜馬」の銅像が太平洋を望むようにして立っています。
 
 写真をよく見るとわかりますが、この像の彼は「革靴」を履いています。身長はこの時代では並外れて長身で、約180cmだったそうです。


 坂本竜馬は、ご存知の通り、幕藩体制の日本を、統一近代国家へ成長させた立役者です。

 誤解のないように記しておくと、彼は政治権力そのものには直接携わっておらず、西欧列強に植民地化されないために、幕藩体制で「幕府」や「藩」がどうだといっていた時代に、「日本国」という統一近代国家の樹立の必要性を、脱藩して在野で調整・説得に周ったのみです。

 そして「船中八作」という、大政奉還の建白案を披露したことが、彼の功績とされています。
 (一介の浪士が考え出した救国案を、時の最高権力者(徳川将軍)が受け入れたこと自体、歴史上の奇跡ですが...)

 徳川慶喜の大政奉還後も、彼は新体制の政治権力に入らず、不審に思った西郷隆盛が理由を説いただしたところ、有名な『役人は性に合わん。世界の海援隊でもやらんかな』というセリフを吐いたそうです。

 明治維新という、命がけの大仕事を成し遂げたのに、地位も名誉も報酬も欲せず、自分の大好きな海を舞台に、日本国の次のステップとして、西欧に対抗できる貿易立国化を目指し、自らがその旗振り役を演じたいと考えた彼の思いが、「世界の海援隊でもやらんかな」という言葉に集約されているような気がします。

 そんな常に時代の先を見ていた坂本竜馬ですが、ちょうど33歳の誕生日の夜に刺客に襲われ、若い命を散らすことになります。

 竜馬を襲った刺客の犯人は、140年近くたった現在も定かでないそうです。

 余談ですが、「坂本竜馬」とその妻の「お竜」は、日本で初めて現代風の新婚旅行をしたカップルだそうです。
(新婚旅行先は鹿児島で、10日間ほど山歩きや釣りなどを二人で楽しんで、心和むひとときを過ごしたとのこと。ちなみに二人は当時では非常に珍しい恋愛結婚。)


...この風景写真は、坂本竜馬のように、自分の夢を貫いて若くして散った、高知県出身だった私の親友に捧げます。

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 この4日間は、妻子とともに東海の自宅から関西の実家へ帰省しました。
 (歩いた距離は、4日間ほぼ毎日、約3km

 この時期に帰省をした理由として、年末年始の混雑の移動を避けたかったこともありましたが、最大の目的は、心不全で急逝した親友のお参りに行くことでした。
 (親友は、大学時代の卒業研究の研究室が同じで、私と妻が卒論を共にした仲間でした)

 急逝した親友の出身地は四国の高知県。

 東海の自宅から関西の実家で1泊し、子どもらの面倒と長距離運転の負担軽減のため、私の両親にも同行してもらって高知県へ向かいました。



 友人は大学卒業後、社会人として勤めつつ自分で学費を貯め、寝る間も遊ぶ間も惜しんで専門学校に通って勉強し、難関の専門職の資格を取りました。
 
 そして専門職として働き出した直後の心不全による急逝でした...



 妻と共に友人のお母様にお会いしましたが、最初、私も妻もどうお声をかけたらよいのかわからなくて、涙を流すことしかできませんでした。

 友人は、絵に描いたような一本気で男気のある土佐人だったので、奇しくも近い年齢で亡くなった坂本竜馬の人生とダブって見えてしかたがなかったです。
 
 ただ坂本竜馬と同様、友人は「自分のやりたいことを貫き通し、それを努力して成しとげたので、短かったけれど、人一倍『満足感のある太くでっかい』人生を謳歌したのではないか」と、友人のお母様と最後に話しました。



 ご家族の方をはじめ、私たち周りの者は、彼が亡くなったことに対して、未だに現実感がなく、あまりにも辛く悲しい思いです。

 しかし彼自身は、自分の生き方の選択に対して「満足と誇り」を強く持っていたので、「己の生涯に悔いはなかった」であろうと思っています。



 とは言え、とても惜しい人を亡くしたという思いは、どうにもやるせないです。

 誰に対しても分け隔てない態度で接し、自身に対してもひたむきで真っ直ぐだった彼は、本当に「誰からにも愛され、尊敬される人物」でした。

 彼のような人物は、今後、社会的にも大いに活躍したであろうことから、30代半ばでの天寿の全うは、あまりにも短かすぎる気がします。



 彼が亡くなられた事実を変えることはできませんが、私と妻ができる、せめてもの事として、彼の「人柄や生き方」から学んだことを、自分たち自身の今後の人生に生かさせていきたいと思っています。

 私ができる、せいいっぱいの追悼の意として、彼が生まれ育った「高知県」をはじめとする四国地方の心象に残った風景写真を、後日載せてみたいと思います。
(この記事の冒頭写真は、高知県の桂浜に立つ「坂本竜馬像」です)

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