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『国歌斉唱に見合う国だろうか』という投書が、朝日新聞の声欄(11.2.13付)に載っていました。
国家が国歌斉唱をやみくもに強制することに対し、異を唱えています。
以下、途中から転載。
「・・・優勝という快挙を遂げたサッカーのアジアカップ。試合前に流れた君が代を高揚し
た気分で聞いた人も多かったと思う。私自身もそうだった。対照的に様々な公式行事での
半強制的な君が代斉唱にはさめた気持ちにしかなれない。
かつて米国のケネディ大統領は「国のために自分が何をできるかを問うべきだ」
と国民に訴えた。確かに、国民には果たすべき義務があり、社会全体のために尽くすこと
も必要だ。しかし、その前提には義務や奉仕も惜しくない国家であることが必要だ。
今の日本はそんな国だろうか。
国家目標も将来の展望もなく漂流する政治。グローバル化と株主の利益ばかり優先し、
雇用確保や社会への利益還元を怠る企業。それでも多くの庶民は義務を果たし、
社会生活を営んでいる。その努力に報いる国ならば、その国家も強制など必要とせずに
歌われるはずだ。斉唱に応じない教師を処分する通達が必要なのは、国家が国民の支持を
得ていない証しと、指導者は認識してほしい」
今さら言うまでもなく、私もこの声の主と同様に強制には反対です。
青空を背にしてはためく万国旗の中の「日の丸」には、それほど抵抗ありませんが、
儀式での「日の丸」や「君が代」には“権力”の臭いがぷんぷんし、
天の邪鬼の私には、耐えられません。
ましてや「日の丸」「君が代」の歴史的背景を少なからず知ってしまった以上、
「国旗・国歌なのだから、敬えよ」と言われても、ちょっと・・。
・・・というか、国家権力によって国歌・国旗を強制された時点でアウトです。
権力者への盲従など、まっぴらです。
ちなみに「国旗及び国歌に関する法律」(略して国旗国歌法)は、1999年8月13日に、
公布・施行されました。その内容は・・・
第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。 ・・・だけです。
さて、私は以前から何度も公言(?)している通り、愛国心に満ちあふれた人間なんです。
でも儀式などでの「日の丸」「君が代」は、(愛情の対象にはなりえない)governmentや stateへの、
『帰属心・忠誠心を涵養するのための道具立て』になってしまっています。
(『国を愛するあなたへ』http://blogs.yahoo.co.jp/ff6988m/archive/2007/03/03 参照)
次の文章も「次の戦争を準備するための道具」としての「日の丸」には異を唱えています。
「復帰闘争を闘っているとき、本土の人たちから支援の寄せ書きをいくつもいただいた。
この中には「日の丸」に書かれたものがある。
それでときどき、「日の丸」をどう思うか、聞かれます。
戦後、伊江島で最初に「日の丸」をあげたのは、わしらでないかと思いますね。
米軍に土地をとられたとき、わしらはすぐ闘いの中で「日の丸」をあげることにした。
当時、米軍は「日の丸」をあげてはいけないと命令しておりましたが、わしらは、
ここは日本である、何も米軍の命令を受けて「日の丸」を上げ下げすることはない、
沖縄でアメリカの国旗を掲げる方がおかしいと心の中で叫んでいたのであります。
平和憲法の日本に復帰するのだという思いで「日の丸」を掲げていたのです。
ですから、あのとき「日の丸」は、平和の「日の丸」だったわけ。
だが、いまの「日の丸」は次の戦争を準備するための道具になっておると、
わしはみております。「君が代」もそうですね。
最近、沖縄では、「日の丸」「君が代」が問題になっていて、復帰前は「日の丸」を
あげていたのに、いま反対するのはなにごとかなどという人たちがおりますが、
悪い日本の象徴になっているのだから当然であります」
(「命こそ宝〜沖縄反戦の心〜」阿波根昌鴻著 岩波新書 1992年より)
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私も「君が代」「日の丸」の強制には断固反対です。特に「君が代」は。私はサッカーが大好きで相当専門家だと自負していますが、試合前の「君が代」のときはチャンネルを変えます。自分は歌いたくありません。たぶん一生歌わないでしょう。
2011/2/15(火) 午後 3:52
masaoさん、こんにちは。
私も一生〜歌わないと思います。
馬を力ずくで水辺に連れて行くことはできても、無理やり水を飲ませることはできません。
2011/2/15(火) 午後 9:38 [ どんぐり ]