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水天宮裏の待合叶家の主婦語りて云ふ。
「今春軍部の人の勧めにより北京に料理屋兼旅館を開くつもりにて一個月あまり彼地に往き、帰り来
りて売春婦三百四十人を募集せしが、妙齢の女来らず、且又北京にて陸軍将校の遊び所をつくるに
は、女の前借金を算入せず、家賃其他の費用のみにて少くも二万円を要す。軍部にては一万円位は
融通してやるから是非とも若き士官を相手にする女を募集せよといわれたけれど、北支の気候余り
に悪しき故辞退したり。北京にて旅館風の女郎屋を開くため、軍部の役人の周旋にて家屋を見に行
きしところは、旧二十九軍将校の宿泊せし家なりし由」
主婦は猶売春婦を送る事につき、軍部と内地警察署との聯絡その他の事をかたりそ。
世の中は不思議なり。
軍人政府はやがて内地全国の舞踏場を閉鎖すべしと言ひながら戦地には盛に娼婦を送り出さんとす。
軍人輩のなすことほど勝手次第なるはなし。
(岩波版『荷風全集』第22巻より)
※ 永井荷風は、明治から昭和にかけての小説家。
彼が42年間にわたって(1917年9月16日〜1959年4月29日)書いた日記が、『断腸亭日乗』。
その昭和13年8月8日の日記が、これである。
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