はんのき日記 PART2

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語ろう憲法

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立憲主義の一番大切なポイントは、「国民の権利・自由を保障すること」です。
そして、そのために「権力者を拘束すること」です。
たとえどんなに素晴らしい人柄の人物が、権力者になったとしても、です。
人間の心とは弱いもので、いったん権力を握ったら、暴走しないとは限りません。
権力者(国家の支配者など)に対して、権力無き者が「暴走しないで!調子に乗らないで!」と命令しているのが、立憲主義に基づく憲法です。
《弱者の人権の保障》と《強者の権力の制限》は、ワンセットです。

「人は生まれながらにして、生命・財産を侵されず、自由に平等に生きる権利がある」
これは、ジョン・ロック(イギリス1632〜1704)の言葉です。
いわゆる“基本的人権”の発見です。
この「権利がある」としたことがすごいのです。
「・・・・自由に平等に生きる」で終わっていたら、それはただの哲学にすぎなかったのです。
「権利がある」としたことで、権利を求める相手が、具体的に明らかにされていき、動き出します。
自然科学の世界で、まだよくわからなかった自然法則を初めて見つけた時、『発見』と言います。
数学界ではゼロの発見、物理学界では重力の発見など・・・そして社会学界で人権の発見。
数々の発見がある中で、この発見は、確実に人々の幸せに貢献します。
原子力やバイオテクノロジーなどの『発見』は、はたしてどうなのでしょう?
人々を幸せにしているでしょうか?
基本的人権は、人類最高の発見です。
そしてこれを取り入れた憲法は、人類最高の発明品です。
この意味で、「明治憲法」は、とんでもない代物でした。
「憲法」とは名ばかりで、全権力は天皇のもので、人権の入る余地は、全くなかったのですから・・・。

少々話がそれました。
もし、権力者をきつく縛る現憲法を、国民を縛る憲法に、少しでも変えようと言うのであれば、残念ながら、それは憲法改悪と言わざるを得ません。



   

そもそも憲法とは、弱者を強者の権力から守るための道具です。
近代憲法の歴史をひもとけば明らかなように、憲法とは国民一人一人の人権や自由を守るために生まれたものです。
ヨーロッパでは、かつて強大な権力を持つ国王や領主たちに、人々が支配され、日々の生活から職業・結婚・宗教などに至るまで、がんじがらめに縛られてきました。
そして市民革命を経て、“立憲主義”という考えが生まれました。
権力を持つ強者が暴走して、権力を持たない弱者をいじめないように、前もって憲法でその権力の範囲を制限しておく、つまり権力者の行為を、すべて憲法に基づかせるという考えです。
権力者は、憲法という枠内でしか、その権力を行使できないというわけです。
これが、“立憲主義”であり、憲法の存在する意味です。

憲法の精神は、『弱きを助け、強きを挫く』です。
憲法は、権力者(たとえば国家の支配者)に向かって、発せられています。
国民に向かってではありません。
憲法を守らなくてはいけないのは権力者です。
そのことが憲法第99条にはっきりと書かれています。
第99条に書かれている方々、つまり「天皇または摂政および国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」は、残念ながらかつて悪行を為したブラックリストの方々です。
彼らが、再び暴走することのないように、きつくきつく縛りをかけています。
ですから、今どちらかというと権力者側から要求されている改憲への動きは、とっても!!危険!と言わ
ざるを得ません。
彼らにとって、現憲法は縛りがきつすぎるのでしょう。
なんてたって、“国権の発動たる戦争”が認められていないのですから・・・。
縛りをゆるめて、もっと自由にのびのびとやりたいのかなー?
日本国憲法は、たしかに権力者にとっては、居心地の悪い代物です。
 
ところで権力を持たない弱者には、権利が必要です。
ですから憲法には、たくさんの“国民の権利”が書いてあります。
ああ、それなのに「今の憲法は、権利ばかりで義務が少なすぎる」と、自民党の議員さんたちは、よく批判します。
憲法は、【権利だらけ】だからこそ、憲法となりうるのに・・・。

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憲法を変えようという話を耳にする度に思うのは、憲法が変わってて今より暮らしやすくなるのかなあ、ということ。
一人一人が自分らしく生きていける社会、ほんとの意味で豊かさを実感できる社会、そんな世の中に一歩でも近づくのなら、こんなにうれしくめでたいことはありません。
社会の良し悪しを見極めるバロメーターとして、子どもたちの伸びやかな笑顔、社会的弱者(病人、身障者、高齢者など)が大事にされている、マイノリティものびのび発言できる(多様性、寛容性)、などが考えられます。
さて、改憲の方向はどうなのでしょう。
その前に・・・
そもそも誰のための改憲なのでしょう? 
新聞などの世論調査で、今関心があることは?という設問で、たいていトップにあげられるのは、年金、介護、仕事などです。
憲法改正に関心があるというのは、まず見かけたことがありません。
ほとんどの人は、改憲への切実な願いを持っていないようです。
事実、私の身近でも、そういう話題は出てきません。
それでも「改憲ムードは高まっている」と政治家は言い、改憲への段取りは着々と進められています。
自民党も「新憲法草案」(改憲案ではない!!)を昨年発表しました。
「とにかく改憲」「何が何でも改憲」と声高に叫ぶ人たちは、どちらかというと日本の政治・経済の支配層に多いようです。
改憲への動きは、まず国民の多くの声に突き動かされて!!初めて進められるべきものです。
それは、憲法の本質から考えて当たり前のことです。

個の自立とは?

常々気になっていたことを今日は整理したいと思います。
『個人主義』と『利己主義』は違うということです。
よく混同されて使われがちですが・・・。
個人主義は、大勢に流されない個です。
100人の集まりで、たとえ99人が賛成しても、自分が納得できない時は、たった一人でも異を唱えられる個です。
周囲の人たちも、その人を異端視しません。
個人主義というと個の中に閉じこもると、イメージされがちですが、全く逆です。
社会に開かれています。
社会的存在としての個という自覚・意思があり、社会と自分の関係に関心を持ちます。
個人として尊重されることのすばらしさをわかっているので、他者の人権も大切にします。
ですから、よく混同して批判される利己主義、自己中心主義、わがままとは、全く違います。
ヨーロッパの系譜となる近代憲法そして日本国憲法の根本精神は、言うまでもなく、個人の尊重(個人主義、個の自立)です。
「今の憲法は、個人の事ばかり主張しすぎる」という批判を、時々耳にしますが、批判され、是正されるべきは、他者の迷惑も省みず、私利私欲に走る利己主義であり、はたまた個に埋没して他者の存在に関知しない自己中心主義だと思います。
 ・・・などとついつい偉そうなことを述べてしまいました。
定住して、村落共同体で暮らしてきた日本人にとって、個の自立はまだまだこれからなのかもしれません。
でも「その場の空気を読む」ことばかりに気を使うのは、虚しいし息苦しいです。

ところで【事大主義】という言葉の意味を調べてみました。
「しっかりした主義・意見を持たないで、ただ勢力の強大なものに従って、自分の存在を保持する主義」(広辞林)とありました。
たとえば、世の中の根本を問う憲法改正問題について、あまり関心がなく、反対でもないし賛成でもない。
反対の主張、または賛成の主張に耳を傾けることもしない。
もし「改正」されればそれに従うし、もしそのままであれば、それに従う。
とにかく「正統」と決定したことに、寄り添い、しがみつき、大勢に身を委ねて生きていきます。

憲法改正論議が、政界レベルでは着々と進んでいますが、一般の人々にとってはどうなのでしょう?
少なくとも私の身近では、そういう話題は、出てきません。
今進められている改正論議、何か順序が逆のような気がして・・・。

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