はんのき日記 PART2

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語ろう憲法

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ここへきて中曽根康弘の鼻息が荒くなり、また、マスコミがこれをもてはやしているうちに、平和憲法“改正”論が勢いを得てきたように思います。現に、中曽根康弘は先日の「新しい憲法をつくる国民大会」でも「解釈で逃げてきたため、憲法は品の悪いインチキ憲法になっている」と発言しています。「インチキ憲法に“なって”いる」とは自動詞表現ですが、「インチキ憲法に“した”」当事者は誰だったのでしょうか。また、何のため「解釈で逃げる」必要があったのでしょうか。このあたりで、中曽根康弘の思考回路を探ってみて、それが安倍晋三の「戦後レジーム脱却論」とどのようにつながっているのか、系譜を辿ってみる必要がありそうです。

中曽根の「押し付け憲法論」遠吠え

中曽根康弘は、「憲法改正の歌」なる歌を作って、その中で「占領軍は命令す。若しこの憲法用いずば天皇の地位請け合わず。涙をのんで“国民”は国の前途を憂いつつ、マック憲法迎えたり」として、「押し付け憲法論」を“遠吠え”していたそうです。ここで、“遠吠え”と表現したのは、この歌を作った当時(1956年)の中曽根康弘が衆議院議員になってから日が浅いこともあって、時の政局にこの「押し付け憲法論」が影響を及ぼすことができなかったことが明瞭だからです。

中曽根における“国民”と“非国民”

しかし、中曽根康弘が「憲法改正の歌」の中で“国民”という言葉を使っていることに注目する必要があります。これは、中曽根康弘が、自らと同じように、“涙をのんで「押し付け憲法」を受け容れた人達”だけを“国民”として見ている証拠です。誇り高き大日本帝国の海軍少佐であった中曽根康弘にとっては、「敗戦」だけが“慙愧”なのであり、「戦争」そのものに懲り懲りとしていて、戦争放棄を謳う平和憲法を有り難く「押し頂いた」人達は“非国民”でしかなかったのです。いずれにしても、「職業軍人」の一人であったことが、中曽根康弘の“国民”観の背景にあることは確かなようです。

戦争音痴のエリート職業軍人

「職業軍人」は本来、自ら進んで「命をささげて天皇陛下と国を守ります」という契約をしたエリートたちですから、召集令状を突きつけられ泣く泣く戦地に赴き銃を持たされた召集兵とは立場が違います。まして、中曽根康弘の場合は、軍を後方で支援する主計担当の少佐でしたから、敵軍から浴びせられる銃砲の矢面に立って怯えたことも、敵兵に対して銃の引き金を引いて戦争の名の元に合理化された人殺しをした経験もないわけです。戦場は、「殺すか殺されるか」の世界です。無事戦地から帰還できた人達にとっても、目の前で殺された仲間の無残な姿や、自ら銃砲で敵兵を殺した記憶は重くトラウマとして残っているはずです。しかし、実際に戦場で血を流したり流させたりした経験のないエリート職業軍人殿には、このような戦争の悲惨さが身に沁みて分かっていないのです。

“非国民”の厭戦感

靖国神社の“英霊”として祀られている戦死者はまだしも、米軍の原爆投下や空襲によって亡くなった人々をはじめとして、自らは銃を取ってもいないのに尊い命を奪われた戦争の犠牲者がたくさんいます。徴兵を拒否したばかりに“非国民”呼ばわれされ、家族もろとも非業の死を遂げた人々もいます。また、戦後の極度の物資・医療品不足の中で病に倒れ死に至った多くの人々も、“英霊”とは程遠い惨めな戦争の犠牲者と言えましょう。このような戦争の辛酸さを目の当たりにしてきた私たち“非国民”(中曽根流の)が、戦争に懲り懲りとしていて、戦争放棄を謳う平和憲法を「押し頂いた」という事実があったということは若い皆さんにも分かっていただけるのではないかと思います。

憲法の“解釈で逃げた”背景

しかし、中曽根康弘が思っていた“非国民”が実は「国民」のうちの大多数だったのです。中曽根康弘は、総理大臣になって、「押し付け憲法論」を“遠吠え”などする必要がなく堂々と発言できる立場になったはずです。また、アメリカの姿勢も平和憲法制定の時と大きく変わっていて中曽根康弘作「憲法改正の歌」の中の「若しこの憲法用いずば天皇の地位請け合わず」という事態ではとっくになくなっていました。要するに、平和憲法護憲派が大多数を占める「国民」の前で「押し付け憲法論」を唱えるのは得策にあらずと、“風見鶏”中曽根は判断したのでしょう。中曽根康弘らが率いてきた自民党政権は、「平和憲法に違反しない」と釈明しながら、“解釈で逃げて”、「戦力なき軍隊」の名のもとに警察予備隊を創設せざるを得なかったのです。そして、これが自衛隊に発展してきたのですから、歴代の総理大臣のスタンスは「平和憲法に違反しない」路線できたはずなのです。

「できちゃった結婚論」以前の小泉改憲論

平和憲法の改憲を首相として初めて公言したのは小泉純一郎でした。これは「自衛隊という実質的な軍隊が存在する現実(既成事実)に憲法が適合していない」という「できちゃった結婚論」と同等の幼稚な論理によるものでした。いや、自衛隊の場合は「できちゃったベイビー」のような愛すべきものではなくて、意図的に「つくっちゃった軍隊」なのですから、小泉改憲論は単なる開き直りの論議に過ぎません。しかし、いずれにしても、これでは「平和憲法に違反しない」と称しながら自民党政権が平和憲法の違反をして既成事実を積み上げてきたことを自ら認めているようなものなのですが、これに対して「国民」から強い反論が出ることがありませんでした。「できちゃった結婚」に寛容な若い「国民」の皆さんが、「できちゃった」自衛隊に同情しておられるせいなのでしょうか。本当は「つくられちゃった」ものなのに。

小泉純一郎増長させたボケ「国民」

しかし、問題の多くは、戦争の悲惨さを目の当たりにしてきたはずの65歳以上の「国民」が精神的にボケ、企業戦士として日本経済を支えてきた団塊の世代の「国民」が政治ボケになってしまったところにあるのだと思います。「郵政民営化法案反対論者=改革反対論者」などとするデタラメな小泉カイカク論に他愛もなくだまされて一昨年の9・11総選挙で圧倒的な支持を与えてしまったボケた「国民」が小泉純一郎を増長させ、臆面もなく「できちゃった結婚論」同然の平和憲法改憲論を口にするようにさせてしまったのでしょう。“風見鶏”中曽根康弘が、倉にしまっておいた「憲法改正の歌」を取り出してきて、今更のように「押し付け憲法論」をぶっているのもこれと軌を一にするものです。

「改革」と「改正」の甘言

“狐”目の小泉純一郎は、虎(アメリカ)の威を借る“狐”の立場にまで日本の「国家の品格」を下げ、郵政民営化などという本来の「改革」に値しない些事だけ成し遂げて、“狐”のようなはしこさで、さっさと引き上げていってしまいました。安倍晋三は、年金、消費税、官公庁機構などの本格的な改革課題を手付かずのままで引き継ぐ形になりました。数々の政官界をめぐる不祥事が発していることが、とりもなおさず、何の「改革」も実行されておらず、小泉純一郎が「ぶっこわす」と豪語していた自民党の体質も変わっていないことの何よりの証拠です。これには、さすがのボケた「国民」も怒って、安倍晋三は支持率を下げるところとなりました。しかし、「私の内閣として憲法“改正”を目指す」と鼻息を荒げていることについては、ボケ「国民」が怒りを表明することもなく、今やマスコミにも「平和憲法“改正”論」と価値判断を交えた表現をする傾向が目立ってきました。当時のマスコミ論調に踊らされて、「改革」の何たるかを吟味することもなく小泉純一郎に圧倒的な支持を与えたボケ「国民」が、今再び「改正」の何たるかを判断することなく安倍晋三の「改正」を支持させられようとしているように思えてなりません。

(以下 Part2へ)

転載元転載元: 浮世風呂愚

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講演会、無事終了!

私が世話人をしている地域「九条の会」の主催で、講演会をやりました!
事前のチラシ配布にも力を入れましたが、講師が著名な方だったこともあり、当日は大盛況!
60人定員の部屋なのに、100人以上の人たちが集まり、途中で隣の部屋から椅子を運び込びました。

当日の司会を担当した私は、久しぶりに緊張しました!
講師のA氏の気迫もさることながら、参加者ひとり一人の真剣なまなざしもびしびしと・・・(講演が終わり質問タイムで、前に立ったとき、参加者の熱気に圧された・・ヘラヘラしている私が司会とは・・・なんという場違いな・・苦笑・・)。
著書も多数あり、テレビにも時々出演されている著名な講師のお名前は、ここではとりあえず伏せておきますが、熱気溢れる充実した講演会となり(大きな粗相もしないで)、ほ〜〜〜っと!しました。

時間が経つのも忘れるほど中身の濃い講演内容を、すべてここでお伝えすることは、とうてい無理なので、いくつか印象に残ったことを紹介します。


            〜憲法「改正」の本当のねらい〜

● 戦後21人の首相の中で、はじめて「改憲」を明言したのが安倍さんであり、他の歴代の首相は、政権につくとき必ず「改憲しません」と公約してきたわけで、その意味で安倍政権は“画期的”と言える。

● いわゆる改憲派がよく主張する「9条を『改正』しないと、日本の安全は保障できないゾ!」については、はたして「北朝鮮や中国が攻めてくるのか?」を冷静に把握すべきだ。
たとえば北朝鮮は、たしかに軍事主義の国だけれども、国力(生産力)は、日本の260分の1規模に過ぎないちっぽけな国。
沖縄県よりも生産力が小さな国。
財政規模で見ると足立区(2100億円)とほぼ同じで、もし、その全部を軍事費に投入しても、日本をどうこうしようとするのは、無理な話!少し想像力を働かせればすぐわかること。
それよりも、北朝鮮が何よりも恐れているのは、アメリカの先制攻撃。
1952年の朝鮮戦争の時、アメリカが核を使うのをためらった唯一の理由は、米兵と朝鮮兵などがごちゃ混ぜになっていたからにすぎない。
北朝鮮がやぶれかぶれで“暴発”するとしたら、その唯一の理由は、先制攻撃を受けたとき。
日本がアメリカの先制攻撃に加担したときこそ、“暴発”のあおりを受けるだろう。
「先制攻撃への加担」こそ、今の9条のままだとできないこと。
改憲派は、9条を変えてアメリカと共に先制攻撃に参加したいと考えている。
しかし、北朝鮮を潰すことが、東アジアの平和につながるはずがない。
また、中国の軍事費はどんどん増えているが、インフレのために、とくに人件費が増額されている。
中国はたしかに大国だが、その軍は防衛力中心であり、日本を攻め入る理由もない。

● 9条改憲で、アジアのリーダーになれない、リーダーシップは確実に減退する。
  9条改憲で、かえって、アジアとりわけ東アジア諸国に警戒感を与えることに。

● 憲法は古くなったというけれど、「改正」しなくてはいけないときとは、世の中が大きく方向転換するときだけ。
新しい人権を入れるべきというが、環境権や知る権利など、憲法を変えないと保障できないというのはおかしい(むしろ憲法はそれを積極的に勧めている)。
自民党がその気になれば!!1日でできること!(その実現を邪魔をしてきたのは自民党自身なわけで)

● 「日本の自衛隊は、ボーイスカウトだ」と苛立ちをあらわにするラムズフェルド発言。
「集団的自衛権の行使が禁止されているのは困る」とアーミテージ発言。

● 憲法「改正」の本当のねらいは、海外で戦争できる軍隊づくり(自衛隊の海外での武力行使へ)。  
憲法が「改正」されたら、日本は戦争のできる国になる。

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リベラル21( http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-43.html)より転載します。 


          和泉通信 森 史朗  07-5-13 (転送・転載可)          
 
《「憲法施行60周年、生かそう憲法、守ろう9条、2007年5・3憲法集会」に参加しました》
 先の国会での教育基本法「改正」に続き、今国会でも、憲法9条「改正」を目指す改憲手続法、米軍基地再編特措法、イラク派兵特措法の延長、教育関連三法「改正」等が強行されようとしています。とかく無力感に流されそうな情勢でもありますが、当日の日比谷公会堂は開場間もなく収容可能人員2千人を越え、4千人の参加者は場外のオーロラビジョンでスピーチを聴くという盛況でした。集会終了後銀座、日本橋方面にパレード(デモ行進)をしました。
 集会では、植野妙実子中央大学教授、浅井基文広島市立大学広島平和研究所所長、福島みずほ社民党党首、志位和夫共産党委員長からのスピーチがありましたが、私には浅井基文氏のスピーチが特に印象深く残りました。以下に要旨をご紹介しますが、全文が浅井氏のHPに掲載されていますので是非お読み下さい。
 http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2007/index.html

        2007年5・3憲法集会での浅井基文広島平和研究所所長スピーチの要旨
           ・・・護憲運動の今日的到達点と今後の課題を鋭く提起・・・

(・・・ということで、「9条改憲派の二つの危険な狙い」が語られていますが、ここでは一つだけ転載します。とても参考になりました。どんぐり弁)


     〜“力によらない”平和観に立った「戦争しない国」から、“力による”平和観の「戦争する国」へ 〜

9条改憲の狙いの一つは、“力によらない”平和観に立った「戦争しない国」という国家としてのあり方を、“力による”平和観のチャンピオンであるアメリカの言うとおりになる「戦争する国」に変えることです。
小泉・安倍政治の下で、在日米軍再編計画、日米軍事一体化、日本全土の米軍基地化が強行されてきました。
しかしアメリカは、日米同盟が米英同盟並みに機能すること、つまり、アメリカの指揮の下で、日本の軍隊が世界各地で戦争することを要求しています。
そのためには、第9条はどうしても邪魔なのです。
この問題は、「集団的自衛権を行使することの是非」という形で議論されておりますが、国連憲章で認める自衛権とは、他国から攻撃があった場合に「反撃する権利」と厳しく限定されています。
しかし、イラク戦争で明らかなように、アメリカが主に考えているのは、他国から仕掛けられて応戦する自衛戦争ではなく、他国に襲いかかる先制攻撃の侵略戦争です。
これは、国際法違反で、禁じられています。
その違法な戦争でアメリカに攻撃された国家が、アメリカに反撃することは、正に国連憲章で認められている自衛権の行使であります。
自衛権を行使して反撃してくる相手を、日本がアメリカと一緒になってさらに殴り返すということは、集団的自衛権の行使でも何でもありません。
ちなみに、自民党が2005年に発表した新憲法草案第9条の2では、自衛軍の保持を定めた上で、「自衛軍は、…国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動…を行うことができる」とする規定をおいています。
どこにも集団的自衛権という言葉を使っていません。
この点で、民主党の立場は、基本的に自民党と同じです。
2004年の「『創憲』に向けた憲法提言『中間報告』」では、「国連安保理もしくは国連総会の決議による正統性を有する集団安全保障活動には、これに関与できることを明確にし、地球規模の脅威と国際人権保障のために、日本が責任をもってその役割を果たすことを鮮明にする」と言っています。

★第9条改憲の是非をめぐる本質は、集団的自衛権行使云々の次元の問題ではありません。
問題の本質は、アメリカを中心とする国際的な軍事行動に、日本が「国際協調」「国連安保理もしくは国連総会の決議による正統性を有する集団安全保障活動」であるとして、参加することの是非なのです。
私は皆さんに、正確なアメリカ観を持つだけではなく、正確な国連観を養うこともお願いしたいと思います。
少なくとも、「国連は正義の味方」「国連がやることはすべて正しい」という類の単純なきめこみは持たないことです。
日本国憲法と国連憲章の間では、拠って立つ平和観において根本的な違いがあります。
第二次世界大戦において、日独伊の全体主義陣営の侵略戦争を受けて立った、いわば被害者である連合国は、そういうときの軍事的備えをしておく必要性があるとし、国連憲章で“力による”平和観をとったのです。
しかし、侵略戦争における加害者だった日本は、その過去を反省し、二度と加害者の立場に立たないことを国際的に約束する“力によらない”平和観の第9条を設けたのです。
「国際協調の軍事行動はいい」、「国連に対する協力の武力行使ならいい」、等といった安易な議論に屈し、改憲派の主張を受け入れてしまうならば、私たちは再び歴史の過ちを繰り返すことになります。
“力によらない”平和観の第9条を堅持することこそが、国際社会の日本に対する信頼を確かなものにするのです。

                    〜以上、転載でした〜

第9条改憲の是非をめぐる本質は、『アメリカを中心とする国際的な軍事行動に、日本が「国際協調」「国連安保理もしくは国連総会の決議による正統性を有する集団安全保障活動」であるとして、参加することの是非』だということ。
そして、“集団的自衛権”ではなく、実質は“集団的侵略権”だということ!!!

憲法は、「法律の一つ」または「法律の親分」・・などと誤解していないでしょうか。
憲法と法律は、違います。
その違いを、以下4点にまとめてみました。

 1. ベクトルが違う
一般の法律の多くは、人々に何らかの規制を加えるときのルールです。法律はそのベクトルが、人々に向かっていて、人々が守らなければいけないものです。
しかし、憲法は、ベクトルがまったく正反対で、国民が国家に課す義務、国民の人権保障のために国家権力に縛りをかけるものです。権力を持たない市民は、弱い立場です。弱者にとって、憲法は、自分の身を守る道具です。もし、憲法違反の政治が行われているときには、「憲法を守れ」と人々は声をあげなければいけません。憲法を守らなければいけないのは、国家権力者です。

 2. 憲法は恒久的な価値を示す
法律は、その時々の国際情勢や社会・経済状況によって、随時作られたり、変えられたりするものです。
しかし、憲法は、時代に流されない、どちらかというと恒久的な価値を示すものです。

 3. 現実と理想
法律は、現実とかけ離れていると意味がありませんから、現実に密着しています。
しかし、憲法は、理想を掲げるものです。もし理想と現実が食い違ってしまった場合は、現実のほうを理想に近づけるように、努力しなければなりません。現実に合わせて、理想を引き下げてしまうのは、政治の怠慢です。人々が政治の怠慢を許すならば、行く行くは自らの首を絞めることになるでしょう。
★憲法12条「この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」を忘れてはいけません。

 4. 憲法は世界に開かれている
法律は、一般的には国内の(閉じた)ルールです。
しかし、日本国憲法は、世界に開かれた、世界に向かって発せられた法典です。
とくに★第9条は、外に開かれています。「日本はもう2度と戦争はしません。どうぞ安心して仲良くおつきあいください。」と、かつて日本が侵略してしまったアジア太平洋諸国に向かって発しています。ですから9条論議は、日本国内の議論だけでなく、「周りのアジア対日本」という視点も避けてはいけません。

憲法は、国民のためのものです。
ましてや、「国家の最高権力者」の安倍さんのものではありません。
こんな当たり前のことも、今までおろそかに考えてきたのかもしれません。

2007年5月14日、国民投票法が成立しました。
憲法「改正」の手続きを定めたこの法律作りに最も熱心だったのが、こともあろうに、安倍さんです。
(どう考えても、国民レベルで、「なんとしても国民投票法作って!」という雰囲気ではなかった・・)
権力者自らが、率先して“自らを縛る憲法”の「改正」を言い出すことは、憲法の趣旨に反します。

もう一度言いますが、憲法は国民のためのものです。
これからは発議(憲法改正案の提案)に向けて、国会内では憲法審査会が動き出します。
改憲のツールである国民投票法が作られた以上、憲法を、私たち国民がより使いやすいものに「改正」させなければなりません。
まちがっても、権力者が使いやすいように「改正」することにならないよう、注意深く「改正案」の中身を見極めなければなりません。
安倍さん自身が何度も言っているように、「改正案」において、3つの基本原理(国民主権・平和主義・基本的人権の尊重)は、微塵とも揺らぐことはないはずです。
しかし、万が一、「改正案」の中身が、ほんの少しでも、この基本原理に反したり、「権力者にとって都合のよいもの」になりそうであれば、私たち国民は、絶対に発議を認めてはなりません。

それにしても、私たちは憲法のこと、知らなすぎていないでしょうか?
「憲法は国民のためのもの」という当然のことも忘れてしまっているとしたら、国民投票なんて、実施しようがありません。

さあ、今日から、憲法学習をスタートしましょう!!


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