はんのき日記 PART2

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愛国心って何?

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   これは断言できる。
   僕は日本一の愛国者だ。
   いや、世界一の愛国者だ。
   なんせ、愛国運動を四十年間もやってきた。
   国歌「君が代」は五千回以上も歌った。
   国旗「日の丸」も同じくらい揚げた。
   部屋の壁にも「日の丸」を貼っていたし、街宣はいつも「日の丸」の下でやってきた。
   靖国神社には五百回も参拝した。
   「教育勅語」も暗誦した。
   これ以上の愛国者はいないだろう。
   「愛国者コンテスト」があったら軽く優勝できる。

・・という書き出しで始まる『愛国者は信用できるか』(鈴木邦男著 講談社現代新書)は、面白い!

“日本一の愛国者”鈴木邦男氏の数々の提言をこの本から紹介します。
(今また、なにやら「愛国心」論争が首をもたげてきましたので)

●明治維新前には「藩」がすべてで、そこが「くに」だった。
だから「愛国」という言葉はない。
「愛」という言葉は、キリスト教から入ってきたのだ。
ともかく、「愛国」「愛国心」「愛国者」は明治以降に翻訳され、つくられた言葉だ。

●(三島由紀夫の言葉を引用して)
〈日本人の情緒的表現の最高のものは「恋」であって、「愛」ではない。
もしキリスト教的な愛であるなら、その愛は無限定無条件でなければならない。
従って、「人類愛」といふのなら多少筋が通るが、「愛国心」といふのは筋が通らない。
なぜなら愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである〉

●「愛」は無限定無条件なはずなのに、「愛国心」は自分の国しか愛さない。
それどころか、他国とは敵対する、戦争もする。
自国の中でも、ちょっと考えが違うと、「非国民!」「売国奴!」「反日分子!」と
言って糾弾し、切り捨てる。どこにも「愛」はない。

●「愛」という普遍的な装いをしながら、実は、対立・憎悪を煽る時に一番よく使われる。
今だって、「中国、韓国になめられるな!」「北朝鮮をやっつけろ!」と叫ぶ人々が多い・・

●アメリカのように世界中から人々が集まって人工的につくった国ならば、
常に国家を意識し、国旗・国歌を中心にまとまる必要があるのだろう。
愛国心も必要だ。
しかし、日本の場合は、二千年以上も国家を意識しないできた。
明治維新以降、「西洋に追いつき追い越せ」で、急遽、近代国家をつくったのだ。
憲法をつくり、国旗・国歌をつくり、愛国心を教えた。

●日本への愛なんていらない。ひたすら恋していればいい。
(三島は)そう言うのだ。愛は表に出るし、強制する。
見返りを求める。ところが恋は一方的だ。秘めた心情だ。
一生口に出さない恋もある。胸の奥深くしまっておく恋心だ。
日本人も、そうした恋心を日本に持てばいい。

●「愛国」と「憂国」の違いが分かった。
・・・・三島由紀夫は愛国は嫌いだったのだ。
三島の好きなのは憂国だったし、・・・・自決するのは皆、憂国の故だ。
愛国で自決する人はいない。
愛国は、戦争のように強制された死になる。
・・・愛国は保守的であり、憂国は革新的である。

●・・・憂国は暴発的な決起に結びつき、危険な連鎖のように見える。
愛国は現状維持的で平和のように映る。
しかし、一概にそうは言えない。
憂国は、時に暴力的になり、暴発し、連鎖する。
しかし、あくまでも個々人の自発的な意志に任されている。・・・
その点、愛国は一見平和的だが、暴発すれば国民全体を巻き込む。・・・
憂国は部分的で短期的だが、愛国は全体的で長期的だ。
「憂国の士」はそれほどいない。
しかし、「愛国」は全員が強制される。
「愛国心を持つのは当然だ」「国民の常識だ」と言われる。
戦争の時は特に顕著だ。
その全体の流れに対し消極的な人間は、「非国民!」「売国奴!」と言って袋叩きにされる。
つまり、愛国心は、そうでない人間を排除し、罵倒するために使われることが多い。
これは危険なことだ。「憂国」よりも「愛国」の方が何百倍も凶暴だし、残忍だ。

●愛国心は国民一人一人が、心の中に持っていればいい。
口に出して言ったら嘘になる。
また他人を批判する道具になるし、凶器になりやすい。
だから、胸の中に秘めておくか、どうしても言う必要がある時は、小声でそっと言ったらいい。

『国歌斉唱に見合う国だろうか』という投書が、朝日新聞の声欄(11.2.13付)に載っていました。
国家が国歌斉唱をやみくもに強制することに対し、異を唱えています。
以下、途中から転載。

  「・・・優勝という快挙を遂げたサッカーのアジアカップ。試合前に流れた君が代を高揚し
   た気分で聞いた人も多かったと思う。私自身もそうだった。対照的に様々な公式行事での
   半強制的な君が代斉唱にはさめた気持ちにしかなれない。
   かつて米国のケネディ大統領は「国のために自分が何をできるかを問うべきだ」
   と国民に訴えた。確かに、国民には果たすべき義務があり、社会全体のために尽くすこと
   も必要だ。しかし、その前提には義務や奉仕も惜しくない国家であることが必要だ。
   今の日本はそんな国だろうか。
   国家目標も将来の展望もなく漂流する政治。グローバル化と株主の利益ばかり優先し、
   雇用確保や社会への利益還元を怠る企業。それでも多くの庶民は義務を果たし、
   社会生活を営んでいる。その努力に報いる国ならば、その国家も強制など必要とせずに
   歌われるはずだ。斉唱に応じない教師を処分する通達が必要なのは、国家が国民の支持を
   得ていない証しと、指導者は認識してほしい」

今さら言うまでもなく、私もこの声の主と同様に強制には反対です。
青空を背にしてはためく万国旗の中の「日の丸」には、それほど抵抗ありませんが、
儀式での「日の丸」や「君が代」には“権力”の臭いがぷんぷんし、
天の邪鬼の私には、耐えられません。
ましてや「日の丸」「君が代」の歴史的背景を少なからず知ってしまった以上、
「国旗・国歌なのだから、敬えよ」と言われても、ちょっと・・。
・・・というか、国家権力によって国歌・国旗を強制された時点でアウトです。
権力者への盲従など、まっぴらです。

ちなみに「国旗及び国歌に関する法律」(略して国旗国歌法)は、1999年8月13日に、
公布・施行されました。その内容は・・・
      第1条 国旗は、日章旗とする。
      第2条 国歌は、君が代とする。     ・・・だけです。


さて、私は以前から何度も公言(?)している通り、愛国心に満ちあふれた人間なんです。
でも儀式などでの「日の丸」「君が代」は、(愛情の対象にはなりえない)governmentや stateへの、
『帰属心・忠誠心を涵養するのための道具立て』になってしまっています。
(『国を愛するあなたへ』http://blogs.yahoo.co.jp/ff6988m/archive/2007/03/03 参照)


次の文章も「次の戦争を準備するための道具」としての「日の丸」には異を唱えています。

  「復帰闘争を闘っているとき、本土の人たちから支援の寄せ書きをいくつもいただいた。
   この中には「日の丸」に書かれたものがある。
   それでときどき、「日の丸」をどう思うか、聞かれます。
   戦後、伊江島で最初に「日の丸」をあげたのは、わしらでないかと思いますね。
   米軍に土地をとられたとき、わしらはすぐ闘いの中で「日の丸」をあげることにした。
   当時、米軍は「日の丸」をあげてはいけないと命令しておりましたが、わしらは、
   ここは日本である、何も米軍の命令を受けて「日の丸」を上げ下げすることはない、
   沖縄でアメリカの国旗を掲げる方がおかしいと心の中で叫んでいたのであります。
   平和憲法の日本に復帰するのだという思いで「日の丸」を掲げていたのです。
   ですから、あのとき「日の丸」は、平和の「日の丸」だったわけ。
   だが、いまの「日の丸」は次の戦争を準備するための道具になっておると、
   わしはみております。「君が代」もそうですね。
   最近、沖縄では、「日の丸」「君が代」が問題になっていて、復帰前は「日の丸」を
   あげていたのに、いま反対するのはなにごとかなどという人たちがおりますが、
   悪い日本の象徴になっているのだから当然であります」
     (「命こそ宝〜沖縄反戦の心〜」阿波根昌鴻著 岩波新書 1992年より)

私は、今まで「国」という言葉を、その中身をあいまいにしたまま、なんとなく使ってきてしまいました。
それで、英語を手がかりに、とりあえず以下の4つに「国」の中身を整理したわけです。(2/22、語ろう憲法【5】より)。

  government,state・・・国家権力、統治(権)、政治、政府、内閣、統治のシステム
  nation・・・・・・・・ひとまとまりの政治的統一体、国民、国家(とくに近代以降)
  country・・・・・・・故郷、祖国、いなか、人々(家族)
  land・・・・・・・・・国土(日本列島)、自然環境

ここで確認しますが、「国を愛する」といった時の「国」とは何でしょう?
それは、landであり、 countryであり、 nationなのだと思います。
governmentや stateは、愛情の対象にはなりえません。
つまり、たとえば政府与党の政策を愛する(愛さない)、小泉首相を愛する(愛さない)とは、普通言わないわけで・・・。
政府与党の政策を支持する(支持しない)、小泉首相を支持する(支持しない)と、私たちは普通言っていますよね(もちろん小泉首相を愛してもいいわけで・・人それぞれですから)。
そして、もし政府のやっていることに、納得がいかない時は、異議申し立てをするのは当然です。
極めつけは、国のやっていることにどうしても納得がいかないで、「国」を相手どって裁判を起こす人もいることです。
モチ!彼らに、国を愛しているかどうかを問うなんて・・・ナンセンス!!

さて「日の丸」「君が代」のことなんですけど・・・やっぱり・・・
(愛情の対象にはなりえない)governmentや stateへの、『帰属心・忠誠心を涵養するのための道具立て』だと思います。
とくに学校現場(卒業式や入学式など)における「日の丸」「君が代」(バックに天皇がちらつく)は、効果的な道具立てです。
だから、国家権力の出先機関である教育委員会の先生方は、国旗・国歌としての「日の丸」「君が代」をなんとしても強制したいわけで・・・愛国心にかこつけて・・・・。

転載元転載元: はんのき日記 PART2

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「おかあさんを愛しなさい。さもなければ、おやつ抜きですよ!!」などと、罰則付きで、子どもに愛情を迫る母親がいるでしょうか?
もしいるとしたら、この母親は、子どもを愛しているんでしょうか?
そして・・・「国を愛しなさい。さもなければ、罰を与えるぞ!!」と国民に迫る国家って何なんでしょう?

これから卒業シーズン。
「日の丸、君が代」をめぐって、心ある教師にはつらい日々です。
とくに東京都教育委員会の現場の教師への仕打ちは、人の心を抉(えぐ)る行為であり、あまりにも惨い、惨すぎます!!
たとえば、「君が代」を歌う歌わないについて、次の4パターンが考えられます。
   1,歌いたいから歌う
   2,歌いたくないけど歌う
   3,歌いたいけれど歌わない
   4,歌いたくないから歌わない
「君が代」を歌う1と2の人は、愛国心があると見なされ、歌わない3と4の人は、愛国心がないと見なされる・・・(苦笑)。
まさか、3という人はいないだろ?と思いますか?
世間は広いです、いろんな人がいます。
あっと驚く天の邪鬼(あまのじゃく)がいたって、おかしくありません。
日の丸柄のトランクスをはいていても、「人前で日の丸に礼するのなんて、ダサイぜ!プイ!!」というひねくれ者がいないとは限りません。

好き、きらい、愛する、愛さないといった人の心は、ほんとうに人それぞれです。
愛する中身もいろいろだし、愛情表現も千差万別です。
「日の丸」に礼をしないから、「君が代」を歌わないから、愛国心に欠ける、罰則だ!!だなんて・・・ナンセンスです。
厳かな式の雰囲気を乱す?というのなら、そんなカチコチの式の中身を変えればいいのです。
誰もが暖かい気持ちになれる、お祝いの式にすればいいのになあ・・。
教育委員会の皆さん、もっと肩の力を抜いて、現場の先生方を温かく見守ってくださいな。 

転載元転載元: はんのき日記 PART2

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              〜転載です!!〜

東京都教育委員会の「日の丸・君が代」強制を違憲とする東京地裁判決に対して、東京都と都教委は、東京高裁に控訴しました。
私たちは、下記のような緊急要請を都教委に出すことにしました。
これについて、賛同を募っています。
ぜひ、多くの方が賛同くださるよう、お願いします。
賛同は、下記のどちらかのアドレスに【10月3日22時までに】お願いします。

               《転送・転載大歓迎です。》

2006年9月30日
各 位

東京都教育委員会に対する緊急要請への賛同のお願い
                        
突然のお願いをさせていただきます。私たちはこのたび、東京都教育委員会に対し、後掲のような緊急要請を行うことにしました。
この要請にご賛同いただける方は、お名前、所属を添えて、次のいずれかへE・メールでお知らせ下さるよう、お願いいたします。
賛同署名の期限は10月3日(火)22時とさせていただきます。
  shomei@zendaikyo.or.jp
  kinkyushomei@yahoo.co.jp

ご賛同いただけます場合は次のアドレスまで、下記aaaaaからzzzzz行をコピー貼り付けして必要事項を記入返信ください。機械的に読み取ります。
なお肩書きは、所属、居住市区、ご職業など何でも、またなくても結構です。
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
1氏名:         
2ふりがな:     
3肩書き:
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz


呼びかけ人

石田米子(岡山大学名誉教授)
大西 広(全国大学高専教職員組合委員長)
勝野正章(東京大学教員)
小森陽一(東京大学教員)
近藤義臣(群馬大学教員)
斎藤貴男(ジャーナリスト)
酒井はるみ(茨城大学教員)
志水紀代子(追手門学院大学教員)
醍醐 聰(東京大学教員)
俵 義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)
浪本勝年(立正大学教員)
成嶋隆(新潟大学教員)
早川弘道(早稲田大学教員)
堀尾輝久(東京大学名誉教授)


2006年10月●日

東京都教育委員会 御中  

東京地裁判決(9月21日)を踏まえた緊急の要請書

 東京地方裁判所(難波孝一裁判長)は、2006年9月21日、東京都立高校などの教職員らが、東京都教育委員会を相手取った訴訟で、国旗掲揚の際の起立や国歌斉唱の義務がないことを認め、東京都教育委員会の通達や校長の命令に従わなかったことを理由に教職員を懲戒処分をしてはならない、という主旨の判決を言い渡しました。
 この判決は、憲法第19条と教育基本法第10条に基づく、二つの重要な法的判断を行っています。
 一つは憲法19条に基づく判断で、判決は、「起立したくない教職員、斉唱したくない教職員、ピアノ伴奏したくない教職員に対し、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることは、いわば少数者の思想良心の自由を侵害し、行過ぎた措置である」と判示しました。
つまり、東京都教育委員会の「10.23通達」とそれに基づく校長による職務命令、そして懲戒処分という、行政が行なってきた一連の行為は、思想・良心の自由を保障した憲法19条に違反すると明確に判断したわけです。
 もう一つは、教育基本法第10条に基づく判断です。
判決は、国旗・国歌は国民に対し強制するのではなく、自然のうちに国民の間に定着させるというのが国旗・国歌法の趣旨であると判断しました。
そのうえで判決は、最高裁学力テスト判決で示された憲法・教育基本法解釈に従って、「10.23通達」に始まる東京都教育行政による、逸脱を許さない国旗・国歌強制施策は教育基本法10条に違反する(不当な支配」に該当する)と認定しました。
 ところが、東京都と都教育委員会は9月29日、この東京地裁判決の受け入れを拒み、東京高裁に控訴しました。
これに先立ち、石原慎太郎東京都知事は9月22日の記者会見で、「当然控訴します」と開き直り、控訴の理由として、「通達に従って、指導要領で指示されていることを先生が行わない限り、それは義務を怠ったことになるから」「処分を受けて当たり前」と発言しました。
 しかし、判決はそもそも東京都教育委員会の通達も、それに基づく校長の職務命令も違憲・違法と判断したわけですから、教職員にはそれらに従う義務がないことは明らかです。
この意味で石原都知事の発言は完全に論理破綻をしています。
私たちは東京都と都教育委員会がこのように正当な理由を示せないまま行った控訴に抗議し、すみやかに東京地裁判決に従うよう、強く求めるものです。

以上のことをふまえ、私たちは東京都教育委員会に対し次の3点を要請します。
1)今回の東京地裁判決に基づき、「10・23通達」をはじめ、国旗・国歌強制をめぐる、すべての通達とそれに基づくすべての職務命令をただちに撤回すること。
2)前記の諸通達と職務命令に違反したとしてなされた、すべての懲戒処分を取り消すこと。
3)今回の東京地裁判決の重みを真摯に受け止め、教員の思想・良心の自由を保障し、児童・生徒とともにのびのび学べる教育環境づくりを進めること。    
  
以 上

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