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昨晩の「江」を見ていて、森達也の以下の話を思い出しました。
(主演の上野樹里がどうしても、のだめががんばって神妙に真面目に演じているといった感じで、
他の役者さんたちに混じって浮いているのが気になる。我が夫は、のだめのファンだったので、その分、江の役のわざとらしさが気に入らないとぶーぶー言っている。でも昨晩ののだめは、じゃなかった上野樹里は、ちょいとましになってきたように思う。今日の本題はこれとは違う。以下から本題)
昨晩のどの場面で、森さんの話を思い出したかと言いますと・・・
織田信長の残虐とも言える数々の殺戮に対し、妹のお市はずっと不信感を抱いていましたが、
「天下統一し、天下泰平のための平和のための戦」だという兄信長の思い(善意)を知り、
お市は、兄と‘和解’するという場面です。
自らの支配欲(私利私欲)のためではなく、世の中の人々の平和のために、
戦しているという・・・
森:イラク戦争が始まる直前、実は僕は、最終的にブッシュはイラクへの
侵攻を思いとどまるだろうと思っていました。
だって、どう考えても大儀がない。
大量破壊兵器が存在していたかどうかの議論以前に、
これは誰もが忘れかけているようだけど、あの時点でイラクは明確に
ホールドアップしていましたから。
とりあえずは両手を挙げて恭順の意を表している相手に、
武器を隠し持っているかもしれないという理由で発砲などできません。
当たり前のことです。ところが空爆は始まった。
この瞬間、僕も姜さんと同様に、これは石油利権や軍産複合体の既得権益、
あるいはネオコンの野望などのレベルじゃないと確信しました・・・
これらの要素は潤滑油です。駆動力は別にある。
善意です。
正義と言い換えてもいい。
本気でイラクの市民を圧政から救い出すつもりで、ブッシュは空爆を始めた。
だから強い。まさしくミッションです。ちょっとやそっとじゃ揺るがない。
これは『戦争の世紀を超えて〜その場所で語られるべき戦争の記憶がある〜』(集英社文庫)
という姜尚中と森達也の対談本の一節です。
対談ものというと、何となく読みやすくて気軽に読めるというイメージがありますが、
この2人の対談本は、ずっしりと重い!(もちろん中身ですが〜)
2人の口から次々と飛び出す言葉の一つひとつに、ぐっと考えさせられてしまい・・・
実はこの本、昨年12月から読み始めたのに、まだ読み終わらないのです。
ページをめくるたびに、鋭い問題提起が待ち受けています。
たとえば目次のタイトルをいくつかあげると・・・
*善良な村人が殺戮者になるとき
*虐殺のメカニズム
*誰の心にも巣くう異物感情
*背中合わせの人権と非人権
*オウムに潜む究極の善意
もう一カ所、森さんの話。
森:強引な麻原死刑確定も含めて、オウム事件の理由や構造を
ほとんど理解しないままに断罪し排除したことで、
この国の危機管理意識が暴走しやすくなっていることは確かです。
このときに実感したのは、善意と敵意は表裏であるということです。
簡単に転化する。善意が集団化したときの怖さをあらためて実感しました。
悪意は後ろめたさが働くから簡単に暴走はしないけれど、
善意は摩擦係数が低くて自己陶酔しやすいから簡単に暴走する。
これは善意溢れるオウムの信者たちが、
あれほどに凶悪な事件を起こした構造とも重複します。
あるいはほとんどの戦争や虐殺の構造ともリンクする。
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