はんのき日記 PART2

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裁判員&死刑制度

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 まず憲法に定められた防御権に関連する条文を拾い上げると、次のようになります。

   ―――――――――

第三十二条【裁判を受ける権利】
何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

第三十三条【逮捕に対する保障】
何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

第三十四条【抑留・拘禁に対する保障】
何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

第三十五条【住居侵入・捜索・押収に対する保障】
1  何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2  捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

第三十六条【拷問及び残虐な刑罰の禁止】
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁止する。

第三十七条【刑事被告人の諸権利】
1  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2  刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3  刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

第三十八条【不利益な供述の強要禁止、自白の証拠能力】
1  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2  強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3  何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

第三十九条【刑罰法規の不遡及、二重刑罰の禁止】
 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

第四十条【刑事保障】
何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律(刑事補償法)の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

   ―――――――――

 憲法に関して素人である私は、これらの条文になじみがなかったというのが実感です。皆さんはどうでしょうか。
 しかしながら、冤罪を防ぐために大切なことばかり書かれているような気がします。逆にいえば、これらの権利が尊重されてこなかったために冤罪事件は起こっているといえます。また、そういう違法捜査が組織的に行われていることは取調室の全面的可視化に組織を挙げて反対していることでも明らかであります。ということは、冤罪事件の温床が警察組織に広くあまねく存在していることを暗示しており、外から見た印象は兎も角として、少なくとも被告側が犯行を否認している刑事事件については、裁判所は被告の防御権を尊重する立場から警察・検察サイドの取調べに対して違法性がなかったかをまず厳しくチェックできる機関でないとならないと言えます。そこに楔(くさび)を入れてこなかったこれまでの裁判所は冤罪事件を大量に生んできた可能性が否定できません。

 さて、では今年スタートした裁判員裁判で、市民が「参加」することにより冤罪が減少することになるのでしょうか。
1.裁判員は被告の防御権を護れるか?
 裁判員は裁判官・検察官・弁護士経験者や大学教授など専門家集団を排除しています。
 さらに裁判員は衆議院議員選挙権を持つ一般国民に対する義務による強制的参加であり、資格を問わないばかりか研修制度すら保障されていない中で、上記の防御権に関する憲法規定を十分理解して「参加」するシステムになっていません。

2.裁判員制度でほかに被告の防御権を守るシステムはあるか?
 裁判員裁判のときは公判前整理手続が必ず採用されることから、数多くの証拠や争点が省かれ、被告人の権利という視点で見ると、防御権を守るどころか、権利として捉えていない(!)ということが分かります。

 要するに、裁判員制度というのは全く冤罪を防ぐということに貢献しない制度であり、逆に冤罪を増やす制度であります。それではなぜ裁判員制度というものが導入される必要があったのかを考えてみましょう。

 私は、アメリカの対日要望に応えて、アメリカ資本の大掛かりな日本上陸で生ずるであろう国際的な紛争の大量発生に対処するためには、刑事裁判を長々とやっていたらそのような民事訴訟に関わりあうだけの人的資源が供給できないというのが今回の司法制度改革の本音であって、公判前整理手続さえ導入できればそれでよいと考えてはみたものの、それだけでは憲法違反の論点だけが目立つため、「市民の司法参加」という耳障りのよいスローガンでオブラートにつつみながら導入を図るという国家的戦略が描かれたのだと思います。そして、スローガンの演出上、とりあえずは裁判員なる制度を一度は敷いて、違憲訴訟や国民の反対の大合唱が始まったら裁判員制度だけ廃止するなり凍結するなりすればよいと当局は考えているのだろうと思います。それでわざわざ公判前整理手続だけは分離先行させて刑事訴訟法改正として処理したのだと思います。

 しかし、3年後の制度見直しの際に劇場型国会において裁判員法が廃止されたにせよ、公判前整理手続が幅を利かせている間は被告の権利は侵害されたままで、かりに全面的可視化が実現したとしても冤罪事件の根本的解決に程遠く、また憲法違反が堂々と行われたという前例として許すわけにはいきません。ご都合主義で基本的人権がブレることが欺瞞の最たるものです。

転載元転載元: よっしー道場

“参加させて支配する”
まさにこれだな、と感じました。
全国初の裁判員参加裁判となった東京地裁の裁判に対して、マスコミでは「わかりやすい裁判となった」という肯定的な評価ばかりが、案の定、目立ちました。
そして昨日からは、さいたま地裁で、2例目となる裁判員裁判が実施されています。

難解な言葉を改め、視覚に訴えるモニターなどを駆使し、裁判員にわかりやすい裁判を目指していることそれ自体を批判はしません。
しかし、「司法への市民参加」のそもそもの出発点は、こういうことではなかったはずです。
当初の目的から大きくかけ離れてしまったことを、まざまざと見せつけられている・・・いやはや・・。

たしかに先進国の中で日本だけが、裁判への市民参加が実現していないと言われてきました。
しかし、諸外国の市民参加である『陪審制』や『参審制』は、プロの裁判官による裁判が誤判やえん罪を繰り返してきたことへの批判・反省から取り入れられたものです。
そして、日本での市民参加も、当初はそういう目的だったはずです。
だから陪審制を前提に、市民参加の論議(模擬裁判も含めて)がされてきたのでした。

刑事裁判の主目的は、《無罪の発見》です。
「裁判員にとってのわかりやすさ・迅速さ」の陰で、《無罪の発見》が、おろそかにされる危険性が現実のものとなりました。
検察の求刑の「八掛け」と言われてきた判決も、今回それ以上に重いものとなりました。

裁判所にしてみれば、市民も一緒になって裁いたという結論が欲しいわけです。
裁判所(権力)への批判を封じ込め、(市民を)参加させて支配する巧妙なシステムです。

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いやはや〜ほんとに実施となってしまいました。
問題山積とされながら、何の修正もなしに見切り発車してしまうとは・・。
被告人が起訴内容を認めている殺人事件で、裁判員の内訳は女性5人・男性1人、4日間(たったの!!)の日程だそうです。
この制度、“市民参加”という何となく聞こえの良いキャッチフレーズばかりが前面に出ていて、本当のねらいが巧妙に隠されていますよね〜。
(本当のねらい・・・改憲の先取りに通じるものがあります。詳しくは後日記事にできれば・・)

それでもって、先日久しぶりに、新聞の切り抜きやら雑誌のコピーやらの資料を大掃除をしていたら、03年5月16日の朝日新聞が出てきました。
03年5月16日といえば、前日の15日に、有事法制関連法案が衆院を通過した日です。
衆院通過となって、小泉元首相が「してやったり」と、礼をしている写真が掲載されています。
私は、有事法制のことが気になって、たしかこの記事を取っておいたのですが、なんとその隣に、【「裁判員」原案への懸念】という記事が載っていたのです!
いや〜気が付きませんでした。
当時、裁判員制度のことなんて、まったくと言っていいほど知らなかったし、関心もありませんでした。
その記事には、「裁判員制度への日本新聞協会の見解」が載っています。
「制度設計にあたっては、「開かれた司法」の実現という観点から「表現の自由」「報道の自由」に十分配慮することを求める」
「裁判員等の秘密漏えい罪について、守秘義務が課せられる内容の範囲や期限をより明確にするように求める」・・・・など。

裁判員法が成立したのが、この1年後、04年5月21日。
私は当時、有事法制にばかり(そればかりではないと思うが)目を奪われていたんだなぁ〜と今になって痛感させられています。

先日は、知人の紹介により、弁護士さん(若手・女性)の話を聞く機会を持ちました。
テーマはもちろん裁判員制度についてです。
弁護士の立場から「一応これ、オフレコね」という率直な興味深い話をうかがうことができました。
しかし、弁護士になる人は相当頭が切れるというか、記憶力が優れているというか、人前でお話しするというのに、紙切れ一枚用意せず、メモも何もないまま、しゃべるしゃべる・・・途切れることなく・・(苦笑)。
ご自身が体験した話が多かったからとはいえ、さすが弁が立つな〜と感心しきり。
裁判の裏話や、検察の暴走ぶり、裁判員制度の問題点等、いろいろありましたが、いくつか印象に残ったことを以下に紹介します。

弁護士としての彼女がまず明言したことは、「自分は《被告人の権利》を守る立場」だということ。

・ひと頃と比べて今、一般の人の犯罪者への必罰感情・処罰感情がひどいことに危機感を抱く。
・何か大きな刑事事件が起きると、社会の正義派を気取るマスコミが、
 これでもかこれでもかと容疑者への憎悪を掻き立てる報道を繰り返す。
・裁判員制度に向けた模擬裁判を体験して、一般の人(裁判員)は、
 執行猶予をつけるのを嫌がる傾向があり、「すぐに牢屋に入ってもらわないと・・・」
 という場面が多くあった。
・「前科がない」「若者」「精神障害者」などは、今までだと判決の際、
 被告人に有利な条件だったが、今は逆となった。
・また被告人の身なり(服装等)によって、判決に差が出ることも実験からわかった。

そもそも裁判員制度は、安保のころに刑事弁護をやった弁護士から「刑事裁判がおかしい」という多くの声が上がり、弁護士が言い出したことだそうだ。
・日本の刑事司法の後進性については、これまでずっと指摘され続けているにもかかわらず、
 一向に改善されない。
・いわゆる人質司法・・・外国では身柄拘束は数時間から1日〜2日程度なのに、
 日本は20日以上拘束されるし、保釈率も外国に比べて格段に低い。
・やっていないと否認すると、「反省してない」として、逆に刑が重くなる・・・・などなど。

そして彼女が力説していたのは、いよいよ間近に迫る裁判員制度を前に、【裁判員としての正しい立ち位置】を認識すべきだということ。
・まず、『民法』は個人の権利侵害を回復するためのものだが、
 『刑法』は国家が個人を強制的に裁く制度である。
・刑事裁判は、圧倒的な力を持つ国家権力と個人との戦いである。
・刑法は国家が死刑まで執行できる権力を与えている。
・だからこそ、被告人の権利は大切となる。
・それはいかに凶悪犯罪の被告人であっても同じであり、「疑わしきは被告人の利益に」である。
・だから自分は被告人が国からの圧力に屈しないために、弁護する。
(よく凶悪犯罪の被告人の弁護につくと、「その弁護士はけしからん、悪者の味方をするのか?!」
 という世間からの批判が起きてしまうが、これは根本的な間違い!〜ex.光市母子殺害事件)
                       ・
                       ・
                       ・
・よって、裁判員は「国が国家権力を使って裁く」その【権力者側に属す】ということを認識すべきである。
・ついありがちなのが、「自分が被害者だったらどう思うか?」という被害者の立ち位置だが、そうではない。
・「強大な権力を行使する」ことの重みを認識したうえで、裁判員として慎重な判断をしなければならない。

★追記:この記事は、「もう一月前だし、いまさらじたばたしても開始されてしまうから、せめて裁判員としての心得を確認しよう」・・という主旨のものではありません。
私は一貫してこの制度には反対です。
ここは全くぶれていません(苦笑)。
ただ、この間の裁判員制度をめぐる世間の動きについては把握し切れていず、かなり勉強不足でどうしようもありませんが。
この弁護士さんももちろん反対の立場で頑張っている方です。
ご自身が模擬裁判を経験された立場から、一般の人が裁判員になるのは危険とおっしゃってました。
とくに立ち位置を認識せず裁判員を引き受ける危険性を強調してましたので、そのことを記事にしました。
市民参加という表看板のもと、実質は『国家権力の一翼を担う』ことになるという認識です。
市民はけっして権力者側に引き込まれてはいけないと思います。

元特捜検事で検察の裏側を知る田中氏の言葉のひとつひとつは、とても重い。
『国策捜査』(青木理著 金曜日)の第8章より、かいつまんで(と言ってもかなり長い)転載します。

            【「筋書きありき」の捜査 】

多くの人は特捜検察に「巨悪」を摘発する最強の捜査機関だという神話を抱いている。
だが、いうまでもなく検察といっても、体制の一角に組み込まれた行政機関にすぎない。
上層部に捜査現場を知らぬ官僚的な検事が蔓延れば、保身や政治的な打算によって捜査を容易に歪めて恥じることはない。

「・・・検察といえども行政官庁であり、体制側の一員にすぎない。だから組織を守るためには、永田町を意識せざるを得ない。たとえば、東京の特捜事件はほとんどが国会での質問事項になるから、捜査の本格着手前には幹部が事件の筋書きを描いて検察上層部や法務省に送らねばならない。この筋書きと実際の調査結果が途中で変われば、国会やメディアに突っつかれ、内部でも幹部の評価が落ちてしまう。だから現場の検事も筋書き通りの調書を取ることを強いられるし、どうしても無理やりに筋書きありきの捜査を押し通していくことになってしまう」(田中氏)

加えて、検察上層部に官僚的な検察エリートがはびこることが捜査の歪みを深めていく。
「(検察の)トップはほとんどの場合、現場を知らない検察エリートばかりです。東大を出て幹部へのレールが敷かれているような官僚検事は当然、現場検事とはまったく別の発想をするようになる。保身を第一に考え、組織と体制の安定を優先する・・・」(田中氏)

           【 供述なんてどうにでもなる 】

検察幹部の描く筋書き通りの事件をつくり上げるためには、被疑者や参考人から筋書き通りの供述を引き出さねばならない。
(田中氏)「供述なんてどうにでもなるんですよ。(被疑者を説得して)調書にサインさせるのが検事の仕事だから、正直、ありとあらゆる手を使う。被疑者を怒鳴り上げることもあれば、懐柔することもある。参考人ならば『お前も少し(拘置所に)入ってみるか』と脅したり、トリックみたいなことを使うことだってある。特に特捜の検事はそういうテクニックに長けている。特捜に捕まっても調べに応じないとか、(調書に)署名しないなんて、そんなことができるのは1000人に一人もいないんじゃないですか」

日本の司法制度も、こうした検察捜査を裏支えしている。たとえば、容疑を認めない限り保釈も認めない「人質司法」の悪弊についてはくり返し指摘してきたが、検察のターゲットとされた人々の何人かが保釈を望むあまりに「とりあえず容疑を認め、法廷で真実を訴えようと思った」と吐露している。
また、検事と被疑者という圧倒的力関係の下、密室での長時間の取り調べの過酷さに耐えかねて、事実と異なる調書にサインを強いられたと明かす被疑者も多い。たとえ身に覚えのない容疑を押しつけられても、起訴されれば99.9%以上が有罪になるという圧倒的事実を前に、保釈と執行猶予を狙った方が得策だとの打算から、検察の取り調べに屈するケースも後を絶たない。
KSD事件で検察捜査のターゲットとなった元参院議員の村上正邦氏が取り調べ経験をあらためてこう振り返った。
「私の事件も『先に筋書きありき』でつくられたと思っているが、何しろ初めての体験だから、(検事に)やられっぱなし、言われっぱなし。何度も怒鳴られ、時には『私と弁護士とどっちを信用するのか。私を信用しろ』などと迫ってくる。そのうち、検事の心証を少しでも良くしようという気持ちになってきたこともありましたよ」

(田中氏)「弁護士といっても、取り調べ中に会えるのは一日にわずかな時間で、無味乾燥な事件の話しかできない。ところが検事からは朝から晩まで連日取り調べを受け、さまざまな話をする。外と遮断された人間は、近くにいる人間にだんだんと情が移っていくものなんです。時には検事が自分の良き理解者のようにすら思えてくる。これも取り調べのテクニックなんですが、検事も自分のことを心配しているんだなぁと思うようにもなる。そのうち『検事に悪く思われないようにしようか』なんてね。中には、連日繰り返し検察の描く筋書きを検事から刷り込まれ、本当に自分もその通りだと錯覚していく被疑者すらいましたよ」

           【 司法制度の根本的見直しを 】

「いくら裁判で真実を訴えても、検事に調書を取られたら、それで終わりなんです。どんな弁護士でも覆すのは容易ではない。物証でもあれば別だが、供述なんてどうにでもなる。実際に冤罪となった事件でも、常に問題となるのは供述だけれど、それを裁判所も見破れない。これは日本の司法制度と法律が抱える最大の問題です」

「検事はどんな証拠だろうと集められるが、弁護士はそれができない。私も弁護士になった途端、検事時代は好き勝手にできたなぁって無力感を感じましたよ(苦笑)。検事の手元にある証拠だって、都合の悪い証拠は検察が隠して出さないでしょう。だから(刑事裁判において検察が起訴した事件の)99.9%が有罪になる。せめて検察が押収した証拠をオープンにすべきなんです」

            【 事件を潰す官僚検事 】

検察が「筋書きありき」の姿勢で事件をつくり上げ、容疑を認めない限り保釈も受けられず、法廷での訴えよりも検事による調書が圧倒的に重きを置かれるという刑事司法の現状は、あまりに救いがない。
しかし田中氏は、特捜検察が内包する病理は“もっと根深いところ”にある、と指摘する。
「(事件を)つくり上げて罪なき人に濡れ衣を着せるのはもちろん大問題だし、微罪で引っかけて逮捕するのにも問題はある。しかし、実はそれよりも『事件があるのにやらない』『肝心なヤツを見逃す』ということの方がよっぽど問題。目の前に事件があるのにやらない。政治家から言われるだけでなく(検察内部で)潰すんです。永田町の方ばかり気にかけているような人が検事総長や検事長になれば、現場から事件が上がってきても、みんな潰しにかかる。捜査に対する考え方が基本的に違う」

平和相互銀行事件は、「はじめに筋書きありき」の捜査に固執する検察上層部の意向で銀行経営陣の背任事件に矮小化され、背後にちらついた政界への捜査にはストップがかかり、結局は平和相銀を吸収合併した住友銀行だけを利するかのような結果で収束させられた。
福岡・苅田町町長の汚職事件もやはり、中央政界を視野に入れつつあった捜査が検察上層部の判断で無惨に握りつぶされた。
田中氏が独自に端緒を掘り起こし、数々の大物政治家の影が見えていた三菱重工転換社債事件も、真相はうやむやのまま捜査が頓挫させられた。高値での売り抜けが可能な転換社債を政治家にバラまいたとされる疑惑に本格捜査のメスが入れば、大型疑獄事件に発展するのは必至だったが、特捜部の捜査に横槍が入れられた。
田中氏は当時を振り返り、政界からの圧力に加えて、三菱重工の顧問弁護士に検事総長なども務めた大物検察OBが座っていたことなどが原因だったと推測する。

「そういうときに引かなければ特捜に長いこといられないし、引かないような検事は組織の中で上に行けない。検察エリートの発想は結局、検事ではなく官僚のそれなんですよ。検察幹部になるような連中は捜査の現場を知らず、ほとんどを法務省勤務で過ごす。だから時の権力者と同じような発想をし、“体制の安定”を専一に考える。国益に反すると思えば(捜査を)自制する。政界や財界の中枢を傷つけるような捜査は極端に嫌うんです」

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