はんのき日記 PART2

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裁判員&死刑制度

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今まさに必読書とも言えるこの一冊、読みがいありますョ。
私は、裁判員制度学習のための参考としてこの本を読みました。
村上正邦、三井環、鈴木宗男、村岡兼造、上杉光弘、尾崎光郎、安田好弘、田中森一、西山太吉、中山信一、神林広恵、細野祐二、佐藤優、秋山賢三らの実例の一つひとつに、重い問題提起がされています。
検察と裁判所が一体化していることだけでも由々しき日本の刑事司法の現状ですが、さらにマスコミまでもが・・・!
以下は、この本の終わりに近い箇所(226ページ〜)からの転載です。


                 メディアの惨状
          〜“検察の太鼓持ち”報道に終始するマスコミ〜

「メディアは当局のリークなら裏を取らずに書きまくる。当局が(情報を)流せばたいていの人は『正しい』と認識し、事件がつくられていってしまう」(衆院議員の鈴木宗男氏)

「マスコミは捜査機関のリークなら真実だと思って書き飛ばす。とくに大手マスコミがダメだ。(検察の)協力が得られなくなることを恐れ、某大手新聞などは(検察の)裏金問題を絶対に書かない。私は日本に本当のマスコミなんてないと思っています」(元大阪高検公安部長の三井環氏)

「司法記者の多くは不当な取り調べによる事件歪曲や裁判の問題を熟知している。知っていながら報道しないんです。(有罪率)99.9%という予定調和の中にメディアも安住し、健全な批判精神を忘れているのではないでしょうか」(公認会計士の細野祐二氏)

「司法の問題点をめぐっては、検察と裁判所がもたれ合っているのではないかと言われるけれど、実はメディアももたれ合っているのが現実じゃないのだろうか」(鈴木宗男氏を囲んでのワークショップに参加した作家の宮崎学氏)

・・・・大手メディアに長く籍を置いて警察や検察の周辺で取材活動を続けてきた私自身、こうしたメディア批判に耳を傾けながら、自らの振る舞いを思い返さざるを得なかった。検察や警察がいったん大型事件の捜査に着手すれば、その尻馬に乗って狂乱報道を繰り広げ、洪水のごとき大量の記事やニュースを垂れ流して世論を煽り、一方で検察や警察の捜査などに懐疑を抱いても多くの場合は封印してしまう・・・
新聞・テレビを筆頭とするメディアの批判能力は、刑事司法と同様、確実に劣化の一途をたどっている。中でも検察・警察といった捜査機関に対する批判は、大手メディアに属する記者たちにとって実に難儀な所作になっている。
その最大の理由の一つが、大手メディアにとって検察や警察が「最大の情報源」になっているからだ。
検察・警察の捜査や刑事司法が病んでいるのは明らかであり、その実相へと果敢に斬り込んでいくことがメディアとジャーナリズムに課せられた重要な役割であることなど言うまでもない。
権力機構に対する批判機能の欠如したメディアなどメディアの名に値せず、とりわけ日本の刑事司法システムにおいて強大な権限を有している検察機構に対しては、メディアが最大限に監視の目を注ぎ込むべきなのだ。
・・・記者クラブの問題やメディアの横並び体質など、・・・だが問題は結局のところ、メディアに関わる人々の「立ち位置」の問題に行き着く。検察や警察といった捜査当局の側にべったりと寄り添い、その尻馬に乗るかのような姿勢で事件を報じるのか。それとも、捜査当局のチェックこそメディアの第一義的な役割であることを肝に銘じ、刑事司法の不合理や捜査の不正義を果敢に摘出していくのか。

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裁判所職員とのQ&A

Q1.昨年11月下旬に送付されたという裁判員候補者への調査票ですが、その際の封書の表書きは最高裁判所となっているのに、中身の文書は各地方裁判所となっています。これ自体おかしいのですが、調査票の返信用封筒はどこ宛となっているのですか?
A.返信先は、最高裁が民間委託している業者です。
 (繊細な個人情報のつまったものが民間委託されるという。情報漏れの心配はないのだろうか、心配)

Q2.なぜ、罰則だらけなのですか?それは刑事罰?行政罰?もし刑事罰となった場合、いわゆる「前科者」ということになってしまうのですか?
A.罰金や懲役の場合は刑事罰となり、過料の場合は行政罰となります。

Q3.人を裁くことに抵抗のある人や、この制度そのものに反対の考えを持つ人が、抽選により裁判員候補者に選ばれ、意に反して裁判員になってしまった場合、その人がどこかの場面で罰則に抵触する行為をして「前科者」になってしまったら、それはやはり自己責任ということになるのですか?それとも、そもそも抽選に当たってしまったことが、運のツキだったと考えるべきでしょうか?
A.普通に参加していただければ罰を受けることはないはずです。罪を犯す人がいないという前提でやっています。
 (‘普通に参加’の意味が不明。たとえば宣誓の場面で「法令に従って、公平誠実に職務を行うことを誓う」なんて宣誓できません。証拠の全面開示もなされないまま公平誠実になどできっこありませんから。でも宣誓しないと10万円以下の過料です)

Q4.現行の刑事裁判では、検察が入手した証拠が全面開示されません。もし、被告人に有利な証拠が存在するとしても検察が隠せば終わりです。また取り調べの全面可視化もできていません。一部可視化では検察側に有利に活用され、逆効果です。これでは公正な裁判などできませんが?最近、証拠開示請求権ができたそうですが、その法律上の手続きを見ると非常に条件が厳しく、実際に活用されるのか疑問です。
A.検察は、もし無罪につながる証拠がある場合は起訴しません。
 (この言葉を信じたいが・・・)

Q5.「権利か?義務か?」もし義務ならば、憲法のどこにあたるのですか?
A.義務となります。憲法には位置づけられません。司法権という権利があるから義務があります。法律上の義務です。
 (‘権利から出発する義務’ということでしょうか)

Q6.裁判員を引き受けたことで、職場などから不当な不利益な扱いはされないとあります(裁判員法第100条)が、それでも、もしされてしまったときはどうなりますか?自分の損失を国が補償する制度になっているのですか?
A.もしそのような扱いをされたときは、ご自分で労働基準局などに訴えてください。
  (つまり自力で解決しなさいということです)

Q7.評議で意見がまとまらないときは、多数決になるそうですが、棄権はできますか?
A.できません。裁判員の仕事は「意見を述べること」ですので。
(多数決とはあるルールを決めるときに用いられる手法の一つに過ぎません。「基本的人権」に関わる事柄に対し多数決で決めるのは、憲法第13条「個人の尊重」と相容れまん。ましてや『多数決で死刑を決める』など、他の国で例があるのでしょうか)

Q8.あとから真犯人が判明するなどして、自分の関わった裁判がえん罪や誤判だったとき、裁判員の責任は問われますか?もし問われないとしても精神的なトラウマになるのでは?
A.裁判員が関わるのは、第一審のみです。第一審だけでいいのです。えん罪だったとしても、責任は問われないです。
 (これは“お為ごかし”です。「第一審だけでいい」というのは、逆に言うと「第一審はチャラにされる」ということです。なぜなら第一審が無罪となった場合、必ず検察は有罪にしたいがために控訴するでしょう。せっかく裁判員が一生懸命やった結果、無罪になったとしても、検察控訴による控訴審(第二審)で有罪にひっくり返るでしょう。もちろん第一審で有罪となった場合、被告人が控訴しても控訴審で無罪にひっくり返すことは非常に困難です。陪審制のように検察控訴を禁止し、第一審で判決を確定すべきです。もし禁止としないならば、控訴審も裁判員参加とすべきです)

Q9.なぜ守秘義務があるのですか?どこまでなら話してよいのですか?
A.裁判員の身の安全を守るため、マスコミなどのターゲットにさせないないために、不特定多数に対してはだめです。またあとから裁判員になった人が、自分が言ったことも公表されてしまうと考えるので、誰が何を言ったと言わなければよいです。また個人のプライバシーに関わることもダメです。自分自身が言ったことは話してもよいです。家族や身近な人になら話してよいです。
 (これも“お為ごかし”です。「裁判員のためですよ」と装いながら、実は、この制度の実態を知らされると困るのではないでしょうか。市民参加によって司法を民主的にコントロール・監視すべきであり、守秘義務などもってのほかです。それこそ自己責任・自己判断によって、話したい人は話せばよいし、体験談を本にして出版したい人は、すればよいのです。少なくとも評議の多数決の内訳は、公開すべきです)

Q10.なぜ重い犯罪にしたのですか?
A.軽い犯罪まで含めると、数が多すぎて消化しきれないため。テレビやニュースで皆さんの関心が高いものに絞ろうということになりました。
Q.(つづき)そうすると、よくテレビなどで『容疑者=犯人』という雰囲気で報道されていますが、裁判員は感情やイメージに左右され、えん罪がより増えていくのではないですか?
A.感情論で結論が出るようにはならないはずです。
 (この説明はもう少し詳しくあったかもしれませんが、忘れました)

Q11.公判前整理手続きは、傍聴可にするとか、すべて録画してそのプロセスを公開すべきではないですか?
A.マスコミを介して知られていくのではないか、また調書が出るので知ろうと思えばわかるのではないでしょうか。法律では「公開してはならない」とはなっていないので、今後、公開へとなっていくのではないでしょうか。裁判長は証拠のやりとりには立ち会い、手続きを進行させるが、個々の証拠の中身は見ません。
 (この手続きに1〜2か月かかるそうですが、具体的にどう進めるのでしょうか、ぜひ知りたいところです)

裁判所職員との学習会

ようやく実現した裁判所職員との学習会。
スタート目前の裁判員制度について、様々な疑問や不安を率直に投げかけました。
‘針のむしろ’状態にしてしまっては、せっかく足を運んで下さった職員にやはり失礼にあたるので、最低限のマナー(?)をわきまえての和やかな(??)学習会でした。
とはいえ、結論から言いますと、この学習会によってますます疑問は深まりました。

職員はまず、この制度の目的から説明に入りましたが、その前置きでこう言いました。
「現行の裁判に問題点はありませんが」
・・・いやはや、これが前提にきますか!?
そして目的は、国民の意見を取り入れたい、市民の一般常識・感覚を大切にしたい、長い目で見ての法意識の醸成という教育的意味がある・・・などでした。

私たちがいろいろ質問する中で、職員がこう答えました。
「『この法律は正しい』という前提で、裁判所は一生懸命やっていますので、“運用上”の説明は出来ますが、この法律の善し悪しについてはお答えしかねます」(なるほど、そういえばそうかな)
「この制度は“失敗”なのかと思います」(“失敗”という言葉をたしかに使いました!)
「この制度を一番反対していたのは、裁判所です」(それは自らの権限を市民に奪われたくないからでしょう。だから主導権を確保できる制度にもっていったのです)               つづく

世界初!死刑のある国での裁判員制度導入がいよいよ現実味を増してきました。
あらためて、死刑制度のことを考えなければと思います。
以下の記事は、去年の7月18日の記事の再掲です。



私は死刑制度には反対です。
なぜなら、人が人を裁くことに間違いがないとは言えないからです。
とくに昨今の冤罪の多さは,ますます裁判そのものへの不信感を強めます。
・・・などという理由は、まだまだ甘かった・・。

以下の週刊金曜日の記事を読んで、いよいよ死刑反対の意を強く固めました。
たとえ一人たりとも殺していなくても、「内乱罪」(政府をひっくり返したり、国家の安全を危うくした者を罰する法律)によって、死刑になりうるとは(!!)・・・恥ずかしながらこの歳まで知りませんでした。
「自分は絶対に人殺しなどの凶悪犯罪を犯さないから、死刑とは無縁。」などと呑気なことを言ってられません。  
“死刑の真の機能”は、そんな甘いものではない・・・。

               〜以下、転載〜

「・・・それにしても、かねて私が不思議でならないのは、『死刑』と『戦争』という二大国家悪をめぐり、とりわけ日本では、戦争には当然のごとく反対する人びとが、こと死刑については、雑ぱくな容認論を平然と口にし得ることなのです。」

「殺人が悪しきことであるなら、その加害者といえども、人為的に生命が奪われてよいはずなど、絶対にありません。しかも逃れようもなく周到に、死ぬことのみが『正義』であるとして。」

「むろん冤罪の可能性は常にあり、そしてまさに近代天皇制国家完成の策動としての空前のフレームアップ(政治的でっちあげ)たる『大逆事件』の例を引くまでもなく、国家が民衆を謀殺圧殺する具としてこそ、“死刑の真の機能”は存します。」

「仮に1名の死者も発生せずとも『死刑』が科せられ得【内乱罪】等の規定も明記されている現行刑法下、問題をいわゆる“凶悪犯罪”にのみ局限し、ひたすら「遺族の処罰感情」の処遇を挟んで重ねられる昨今の死刑論議の狭さ、低さに、私はこの国の特異な精神風土を見る思いがするのです。」

「私が死刑に反対するのは、・・・人命が法手続きとして断たれるという残忍と頽廃とを容認し難いためであり、国家が民の命を合法性を装って奪うという暴虐を阻止したいため・・・」

                 〜以上、転載〜 
        (週刊金曜日2008.5.16 702号「死刑制度という絶対悪、国家悪」より)


【大逆事件】:1910年、明治天皇暗殺計画を立てたということで、幸徳秋水ら12人が死刑、12人が無期懲役、数百人が逮捕された。この事件は社会主義者を一網打尽にするためのフレームアップだった。

【内乱罪】:刑法第77条。(未遂、予備も罰せられる)
  法文〜「国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法に定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者は、内乱の罪とし、次の区別に従って処断する。
     一 首謀者は、死刑又は無期禁錮に処する。
     二 謀議に参与し、又は群集を指揮した者は無期又は三年以上の禁錮に処し、
       その他諸般の職務に従事した者は一年以上十年以下の禁錮に処する。」

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今年の5月21日から‘何の修正もしないまま’始めてしまおうという裁判員制度。
もうすぐです。

しかし未だに、裁判員制度に対して、アメリカ映画「12人の怒れる男」をイメージしている人が多いようです。
先日も新聞の投書にありましたが、「映画を見て感動したから、裁判員制度もいいのでは」と思い込んでいました。
「12人の怒れる男」で描かれているのは、陪審制です!
日本がスタートさせるのは参審制です。
日本の最高裁は、以前の記事で記したように、一貫して陪審制に反対してきました。
なぜなら、あの映画のように市民が主体的に本気で司法に参加されては困るからです。

最高裁は、真の市民参加には大反対なのです!
あくまでも“市民参加風”の裁判でいきたいのです。
裁判所は主導権を市民に渡すつもりはさらさらありません。
だからプロの裁判官が主導権を握れる参審制にしました。

あの映画の感動に惹かれて、裁判員になってもいいと考えるとしたら、それは無知による無責任です。
「裁判員になるのを逃げてはいけない」「尻込みせず前向きに引き受けよう」
そういうことではないのです。
たとえばアメリカの陪審制では、検察が持っている証拠は全面開示されますが、日本は全面開示ではないので、検察が隠せばそれまでです。
この一点だけでも、公正な判断ができるはずもないので、私だったら絶対に引き受けません。
というか、引き受けてはいけないのです。
また陪審制では認められていない調書裁判も、日本では認められています。

「裁判員になって、がんばろう〜」などと言っている人は、見せかけの市民参加に惑わされています。
真面目で正義感の強い人ほど、結局は『えん罪作り』に加担してしまう可能性が大なのに・・。


しかも、死刑制度のある国では、初の「司法への市民参加」となります!!
世界広しと言えど、日本だけです、こんな制度。
たしかに欧米のほとんどの国では陪審制や参審制があります。
でもアメリカ以外はすべて死刑は廃止しています。
そのアメリカは陪審制で、原則的に量刑〈刑罰の軽重)判断はしません。
ですから死刑判決を陪審員が出すという場面はありません。

さらに陪審制は、プロの裁判官は加わらず、市民12人による陪審員だけで有罪か無罪かを審議します。
12人の意見が全員一致になるまで、時間の制限をつけずに、とことん論議するのです〈映画のように)。
それにひきかえ、プロ3人と裁判員6人の裁判員制度では、過半数による多数決です。
(ただし、被告人に不利な決定になるときは両者が混じってなければならない)
有罪か無罪かを決めるのも量刑(死刑か無期かなど)を決めるのも、多数決なのです。
過半数多数決で、死刑判決が下る!!
こんな異常な国、日本だけです。


5月から本当に裁判員制度をスタートさせてしまってよいのでしょうか?

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