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本日の朝刊を開いたら、「私も、力になれるんだ 北方領土返還へ」という全面広告(政府公報)が!!
なんと、本日2月7日は、“北方領土の日”だそうで、いやはやびっくり。
なになに・・と目を通しましたが、なあ〜だ、ほとんど内容がないじゃないですか。
「解決するために、私たちに何ができるの?」という問いには、「私たち一人ひとりの、北方領土返還を求める強い意志と声が必要です」と、なんともあいまいな言い回しで、解決のための具体的道筋がまったく見えません。
さて、以下は1986年1月12日の朝日新聞からの転載です。
【北方領土で謝り犯した米】
〜日本に放棄を強いる〜講和条約のミスを正せ〜
グレゴリー・クラーク氏(上智大教授・当時)
「北方領土問題は日ソ間ではなく、日米ソ3カ国間の問題だという認識に立つことです」
「1951年、日本が署名したサンフランシスコ講和条約の第2条C項は、日本はクリル(千島)列島に対するすべての『権限および請求権』を放棄すると明確にのべています。私は、日ソ間でとり交わされた文書や条約を19世紀にさかのぼって調べてみましたが、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)はもちろん、最大の争点になっている南クリル(択捉、国後)も、歴史的には日本の要求に、より正当性がある領土です。それを日本は放棄した。なぜか?」
「当時の国会の議事録を調べてごらんなさい。吉田首相はサンフランシスコから戻ると、国会で質問された。『放棄したクリル列島というのは、択捉、国後を含むのか』と。吉田さんは遺憾ながらその通りだと答えている。西村条約局長も同様の質問を受け、これを認めている。が、講和条約署名のさい吉田首相は、国後、択捉を不当に放棄させられたという意味の演説をしている。つまり、日本は米国によって、この2島を強制的に放棄させられたのです」
「米国は第2次大戦末期、ソ連に強く対日参戦を迫り、その代償として日本が全面降伏したあかつきには、千島全島を与えると約束したのです」
・・・略・・・
「問題は、ソ連に対日参戦をうながす交渉で、米国は重大な誤りを犯したことです。つまり対日問題の処理を話し合った43年のカイロ会談で、英米は、日本が武力で奪取した領土だけをはく奪すると宣言したにもかかわらず、米国はヤルタ会談で、日本固有の領土を含む千島列島のすべてをソ連に与えると約束してしまった」
「ヤルタ会議に出席した米国代表たちは、千島列島の歴史について、まるで無知だった。もっとも、国務省の知日派の一部に、この誤りを指摘した人もいたが、反日的空気の強い中で、この忠告に耳を傾ける者はいなかった。間違ったのはソ連ではなく、米国だった」
「吉田首相は、講和条約の署名前、何度も米政府に、北方領土は日本固有の領土だと説明をして抵抗しているんです。が、きき入れられなかった。なぜか。当時、欧州、ことにオーストリアの安全は不安にさらされていました。米国が極東でヤルタの約束を守らなければ、ソ連は欧州でどう出るかわからなかった。欧州の安全を守るために、日本を犠牲にしたのです」
(このあと、ダレスの恫喝が・・)
つづく
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