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さっき届いたばかりの週刊金曜日をパラパラめくり、落合恵子さんの“風速計”を読んだ。
彼女の言いたいことは、以下のことだろう・・・
「小沢一郎だからではないのだ。小沢一郎であってさえ、こうなる、ということがおそろしいのだ」
以下、抜粋。
〜小沢一郎というひとが、どんな人物であるのか、わたしたちの多くが知ることができるのは、
メディアを通してだ。・・・(略)・・・「小沢さんは政治とカネの問題があるから」
この世論を導き出したのは、メディアの報道ではなかったか。
刑が確定するまでは、なんびとも「推定無罪」という約束に例外を作り、世論を作り、それ
を新たなる世論として、再び社会に戻す。
それがメディアの大いなる役割のひとつなのか。
その「限りなくグレーな人」が、記者クラブ制度という特権をなくすこと、独占利権を総務省
に握られた放送法の大改革にも乗り出したひとりであること。
そのことを、わたしたちは、正確な「政治とカネ」の問題同様に、知る権利があるはずだ。
が、それらを報じるメディアは少数であり、論じるのも少数の表現者だ。
小沢一郎だからではないのだ。
小沢一郎であってさえ、こうなる、ということがおそろしいのだ。 〜〜
先月だったか、ある6〜7人の集まりで、民主党代表選の小沢さんのことが話題になった。
「小沢さんは、自分が首相になれば起訴されないようにできるから立候補したんでしょ」
「そうそう、そうだよね」
そのとき、私は「そうなのかなぁ〜」と思いつつ、よくわからなくて異論を唱えられなかった。
でも憲法第75条にはこうあった!(どなたかのブログで発見!)
「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。
但し、これがため、訴追の権利は、害されない。」
そうなのだ。
総理大臣になったって、あとで訴追されてしまうのだ。
小沢さん自身も起訴されたら、応じると言っていたそうだし。
「小沢一郎であってさえ、こうなる」
・・・・ことのおそろしさをしみじみ考えたい。
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