はんのき日記 PART2

多く読み、多く見聞きし、自分で考え、少し発信します・・

民主主義とは?

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以前から疑問に抱いていたこと・・・
「日本人はなぜ政治に無関心な人が多いのか?」
「日本は、民主主義の国なのか?そもそも民主主義の意味は?」
「私達は、納めた税金の使い道にもっと関心を持ってよいのでは?」
「死刑制度しかも絞首刑という酷い刑がいまだ日本に存在する理由」

私にとって、あらためて考えさせられる文章に出会いましたので、
以下に転載し紹介します。
週に一度送られてくる『山久瀬洋二の“英語学習なんでも情報”』
というメルマガからです。

     ★    ★    ★    ★
   海外のメディアで報じられたニュースを解説します。
   日本のマスコミではあまり報じられない切り口で、
   本当はどういう意味で報じられているのかを私見を
   交えてお伝えします。

今週のテーマ
“『市民』と『庶民』、オウム真理教幹部の死刑執行を振り返って”

    【海外ニュース】
   Japan has executed as many as eight people a year since
   an effective moratorium ended in 2010.
   Officials do not give advance public notice of executions,
   and those condemned usually learn they are scheduled
   to die just a few hours beforehand.
  (訳:日本では、2010年に一時停止したものの、その後年間約8名の
   死刑を執行してきている。当局は、処刑について事前に知らせる
   ことはなく、死刑囚本人にも、ほんの数時間前に執行を通知する)
                          (BBCより)


【ニュース解説】
死刑の是非を巡る論議に大きな影響を与えたオウム真理教事件に
一つの区切りがつきました。
この機会に、もう一度死刑制度について考えてみたく思います。

このときに、我々がまず考えたいのは、市民意識という概念です。
「市民」という言葉を翻訳すれば、citizenとなります。
市民の意味を厳密に規定すれば、選挙権のある人のことを指します。
つまり、市民とは基本的に政治意識がある人であるということが前提と
なります。

さて、ここで庶民という言葉について考えます。
庶民とは大衆にもつながり、英訳すればordinary people など、
いくつかの用語をあてはめます。

「市民」と「庶民」とでは、根本的にその意味するところが異なるのです。
実は、欧米での市民とは、革命や政治運動を通して、次第に増加して
いった人々のことを指しているのです。
一例をアメリカにみてみます。
アメリカは1776年にイギリスの植民地から独立を宣言します。
それまでアメリカに住む人々には選挙権は与えられていませんでした。

イギリスがそんな植民地へ課税をしようとしたことで独立戦争がおこった
のです。「代表なくして課税なし」 No taxation without representation
というのが、独立のスローガンでした。
そしてアメリカが独立するときに「全ての人は平等である」
all men are created equal と独立宣言でうたわれます。
ここでいう all men こそが「市民」なのです。

しかし、アメリカの場合、独立当時の市民とは資産を持った男性に
限られていました。その後、南北戦争を経て奴隷が解放され、20世紀
になり女性にも選挙権が付与されます。さらに、60年代に人種に関係
なく選挙権を含む公民権が全ての人に付与されたことで、アメリカ人
は全て市民となったのです。
これはアメリカだけではありません。
類似したことをイギリス人やフランス人も経験しているのです。

このことからもおわかりのように、もともと、市民とは、王族や貴族
などに対して、次第に経済力を蓄え自らの権利と自由を主張した
「ビジネスマン」が求めた地位だったのです。

では、日本ではこうした概念での市民はいつ発生したのでしょうか。
明治維新かというとそれは少し違います。
というのも、明治維新を推進したのは武士階級で、それは近代国家
のあり方に目覚めた武士階級による政治改革だったのです。
ですから、明治時代になって階級制度は廃止されても、政府が主導で
産業を育成し指導します。
市民自らが権利を獲得し、国家を運営したわけではないのです。
状況は戦後もさほど変わりませんでした。

戦後に選挙権は全ての人に与えられましたが、それは日本を占領した
アメリカの主導の下で、当時の政府によってなされた改革だったのです。
従って、日本には欧米型の市民は育ちませんでした。
日本では、「市民」は「庶民」と同義なのです。
もちろん、これは日本に限ったことではありません。
いち早く市民社会を築き上げて力を蓄えた欧米がアジアを植民地にした
ときに、市民という概念が輸入はされたものの、欧米から独立した国家
の多くは、日本の明治維新と似たような経緯をもって国づくりを試みた
のです。
シンガポールなどの東南アジアの国々、共産党や国民党の指導で国家を
造ろうとした中国などでも「市民」は育ちませんでした。

アメリカに住むと、市民という概念が明快にわかってきます。
それは、国民のほとんどが自らの税金がどのようい使われているかと
いうことについて、極めて敏感で雄弁だからです。
taxpayer’s money 「納税者による資金」という言葉は、政府がどのよう
に資金を使うかを監視するときに、アメリカ人の誰もが使う言葉です。

こうしてみると、日本では市民権を持った人々はいるものの、そうした
人々はただの人、つまり庶民であることがわかってきます。
欧米の人々が英語でcitizenという言葉を使うとき、それを日本人が市民
として翻訳したとしても、ここの違いがわかっていないと、彼らの意識
を誤解することになるのです。

さらに話を進めます。
「人権」という言葉があります。
これは英語では human rights となります。
文字通り、これは人が基本的に守られなければならない権利を意味します。

しかし、欧米の場合、市民という権利を獲得するときに、人々は常に
血を流してきました。従って、人権と市民権とは常に一体として捉えられます。
政府が自らの利益のために人を裁くのではなく、人は裁判を受ける権利を持ち、
法によって裁かれるべきだというのが、この長い闘争の歴史から人権という
考えを生み出したのです。

もちろん、日本人にも人権という意識はありますが、人権を自らの力で
獲得したという意識は希薄です。そのために、権利のあり方に対して
それを常に考えようという認識も旺盛ではないように思えます。
今回、オウム真理教の幹部が一斉に処刑されたとき、こうした立場から
死刑のあり方に光をあて、罪と罰のあり方を問いかけたメディアが少な
かったこともその表れでしょう。

すなわち欧米で常に行われている死刑が人権の侵害にあたるのかどうか
という議論がそれほど強く巻き起こらなかったことは、海外からみれば
驚きではなかったかと思われます。
もちろん、オウム真理教のなした犯罪の残忍性は決して許されるもの
ではありません。
課題は、死刑存置か否かという議論が放置されている日本の現状です。
先進国の中で死刑が存在するのは、アメリカと日本のみ。
それも絞首刑が実行されているのは日本だけという事実に、アムネスティ
など世界から批判が集まっている状況を注視したいのです。

庶民と市民との概念の違いをみるとき、注意しなければならないのは、
ポピュリズムへの傾斜の揚力です。
アメリカでトランプ政権が生まれ、ポピュリズムへの懸念を深刻に捉えた
ヨーロッパでは、ほとんど全ての選挙で、排外主義的な扇動を行い、
刑事事件にも厳しい対応を求めた指導者が敗退しました。
市民が人権と市民権とを同時に意識し、政権を選択したのです。

死刑存置か否かの課題も、庶民としてのポピュリズムではなく、市民と
人権の課題として議論されるべきというのが、主要国の立場なのです。

これから日本に「市民」が育ってゆくかどうか。
それとも、欧米流の市民ではなく、アジアではアジアならでは市民の
育て方があるのか。
この課題は未来の世界のあり方を考える上でも大切なことなのではない
でしょうか。

先日、オランダで暮らす息子からびっくりするエピソードを聞きました。
さすが“talk and talk and talk ”(熟議)の国、オランダです。
学生である息子は、オランダ北部の田舎町で4人定員の
格安シェアハウスに住んでいます。
大学から近く、光熱費とWi-Fi込みで、家賃は日本円にして約3万円。
その一部屋に空きができたそうで、オーナーによると、その部屋に60人
のネット申し込みがあったといいます。
大学の先生でもあるオーナーは、まずネット上で60人から10人に絞りました。
そしてここからが驚きなのですが、オーナーの提案により、その10人を
5人ずつ二晩かけてシェアハウスに招いたそうです。
息子達3人は、彼らと顔をつき合わせて話し合いました。
長時間の熟議(面談)の結果、息子達は1人を選出しオーナーに報告しました。
引っ越してきた新メンバーは、息子達とスムーズに暮らし始めているそうです。
ちなみに日本人は息子1人で、他の3人はオランダ人です。
息子がいるときは、皆が英語で話してくれるそうです。

さらについ最近、洗濯機が故障したそうで、それを修理に出すか、
新品または中古を買うか、その費用はオーナーも含めて割り勘に
するかどうかで熟議中だそうです。
「この間ずっと話し合いを続けているよ。実家が近い子は実家で洗濯してくる。
皆が納得するまで話し合うんだよ。多数決なんか取らないね。
でも手洗いするのが大変なのでそろそろ決めたいね」
と、息子が苦笑いしながらスカイプで話していました。

「多数決なんか取らない」・・これが象徴的です。
ひるがえって日本は、悲しいかな〜【民主主義=多数決】という間違った
思い込みに支配されています。
本来は、【民主主義=熟議=合意形成】のはずなのに。
日本の国会は、とくに安倍政権は、政府側が論議を軽視・無視して、数に
まかせて熟議に至らないまま、多数決で物事を決めています。
しかも強権的な意味合いの強い法案ほど、強行採決という熟議(=民主主義)
に反する手法を使って成立させています。

多数決とは、熟議の末どうしても決まらないとき、そのままでは物事が
前に進まないので、便宜上こうしようという“仮決め”でしかないのです。
多数決で決まったことが絶対に正しいということはありません。
つまり、100人のうち99人が賛成したことでも、反対した1人の意見
がじつは正しいこともありえるのです!!
だから多数派はとくに『謙虚さ』が大切なのです。
誰も完ぺきな人間はいません。相手の意見を聞いて、自らの考えの間違い
に気づき、考えが変容することもあるのです。
ですからこの一人ひとりの変容を認めない「党議拘束」は、もってのほかです。

長くなりそうなので、今日はここまでにします〜。

物事の決定過程が問題

小池都知事が、築地市場移転の延期を発表したとテレビでは大きく
報道されています。そもそも計画段階でなぜこんな杜撰な内容が
まかり通ってしまったのか??
これは築地市場問題だけのことではないでしょう。
一事が万事、こんな調子なのだと思います。
事実を根拠にしてオープンに議論を重ね、物事を決定していくということが
日本ではなされていないのでは?と疑わざるをえないのです。
民主主義なんて、日本には根づいていない。
形式だけの民主主義もどき・・・。

天木直人氏が、本日のメルマガで『よくもこんな豊洲移転が認められたものだ』
と題して、以下のように語っています。同感です。
↓転載します↓


 小池百合子新東京都知事が豊洲移転延期を正式表明した。
小池新知事と敵対する東京都連側も、小池候補に負けた野党共闘側
も、小池知事が格好良すぎて素直に喜べないに違いないが、誰が東京都
の新知事になっても延期せざるを得なかっただろう。
ここまで豊洲移転の不備が明らかにされたのだ。
移転を延期しなければ、それこそ袋叩きだ。

いま我々が問わなければいけないのは、よくもこのような問題だらけ
の豊洲移転が決定され、11月移転が当然視されてきたものだ、という
事だ。
歴代の都知事の誰一人として本気で移転に待ったをかけなかったとい
うことだ。
もしその元凶が、巷間伝えられているように、内田某に牛耳られてき
た東京都議会であるとしたら、吊し上げられるべきは彼らだ。
責められるべきは、それに屈した歴代の東京都知事である。

それにしても、よく内田某という一介の都議が、これほどまでに東京
都議会を牛耳って来れたものだ。
よくも歴代政権は、民主党政権も含め、そんな都議会を野放しにして
来たものだ。
東京都議会改革は、そっくりそのまま、この国の政治改革である。
小池百合子都知事一人の責任ではない。
都民の責任だ。
いや、メディアを含め、国民全体の責任である。

この際、徹底的に叩きのめさなければ、日本の政治は何も変わらない。
長きにわたり禍根を残す事になるだろう(了)

子どもの頃からの「政治に身近な暮らし」こそ、民主主義の大前提なのでしょうね。


http://www.mag2.com/p/news/121973?utm_medium=email&utm_source=
mag_news_9999&utm_campaign=mag_news_1105   より転載↓

【日本人も見習うべき…カナダの小学生が朝一番に「どの党が勝った?」】
カナダ在住のmikaさんが先日あった総選挙でのとある出来事にカルチャー
ショックを受けたエピソード・・・

       『カナダで総選挙』

さて、先日カナダで総選挙がありました。ハーパー氏率いる保守党が、
4選なるか? というのが焦点だったのですが、結局は、自由党が圧倒的
多数で勝利を収めました。
この選挙で、驚いたのは、若者の政治・選挙への関心の高さです。
日本で生まれ育った私には、選挙期間中の応援カーの音がウルサいくら
いで、学生時代、いや、大学を卒業してからも、各政治家・政党の政策
はおろか、政治に参加しようという気もまったくありませんでした。

それが、今回の総選挙、まずは、小1の息子が、「お友達のVちゃんは、
ハーパーが嫌いなんだって」というところからはじまり、選挙が近づい
てくるにしたがって、息子のコメントが段々と詳細に渡り始め、「やっ
ぱり自由党が次を取らないと、カナダは変われないんだよ」などと言い
出す始末。友人の小5になる息子さんも、各政党の公約を熟知しており、
その公約から自分の生活などを考えて、「保守党の考え方もわかるとこ
ろはあるけれど、経済面ばかり追わずに、やはり環境面なども考えてい
かないと」なんてコメントを。
さらには、選挙当日、私がテニスのレッスンを受けていると、20代の
コーチ達が、いつもは持っていないスマートフォンを片手に、逐一、
開票結果をチェックして、みんなにニュース速報として伝える始末。
そして、テニス仲間の皆さんも興味津々で聞いている感じ。

私の知っている日本では、まったく見られない、この光景に、本当に
びっくりしてしまいました。投票率は68.5%!すごいなぁ、と思って、
同僚に言うと、「え〜でも、70%に満たないのはやっぱり少ないと思う」
とのコメント。
ついつい、学校で選挙の話を先生達がしているから子供達もよく知って
るんだと思い、息子に聞いたところ、学校で先生はまったく選挙や政治
の話をしない、とのこと。ただ、子供達が親や親戚から聞いて関心を持
ったという感じなのです。

いやぁ、その政治への関心の高さにビックリしました。選挙翌日、朝起
きた息子の第一声は「どの党が勝った?」というもの。そしてその日の
帰りに迎えに行くと、「ジャスティン(トルドー)が勝ったから、これ
からカナダは変わるよ」って。
いやはや、海外に移り住んで20年。
一番カルチャーショックを感じたひとときでした。
では!
ノースバンよりmikaでした。

   イギリスのEU離脱国民投票は、歴史的な大事件です。
  というのは、この動きは、世界の民主主義の再構築のはじまりになる
  だろうということです。こんどのイギリスの政治地図でも、労働党(左派)
   は 残留、保守党(右派)は完全に分裂、そして、スコットランドは、ねじれ
   ていますが、中央と地方の対立などなど、日本のマスコミが報道するお決ま
   りの「左右対立」の議会制度の枠ぐみは完全に壊れています。
   あえて、いえば、グローバルVSローカルの構造です。
  これは、アメリカでもフランスでも、実は日本でもそうなのです。
  そして、もうひとつ、『経済が主導する民主主義』ではなくて、
   『民主主義が主導する経済』に転換するかの分岐点です。
   モンテスキューやルソーは「民主主義は小国においてのみなりたつ」と
   述べています。この古典的思想家たちの民主主義の定義が今回、あて
   はまったということです。本来、民主主義は「ローカルなもの」。
   日本のポンコツ政治家は、こんななかで はるかに化石化した欲ボケ集団..


↑は、天木直人氏のメルマガ6月28日からの一部転載です。
メルマガ読者からの言葉だそうです。

国境を越えて金儲けに邁進するグローバル大企業に、世界は振り回されている。
左か右か、というイデオロギーで区別するのは、もはや時代遅れなのでは。
上(1%の超富裕層)か下(99%の市民)か・・。
TPPにより日本をグローバル企業に売り渡そうとする安倍晋三は、
1%の超富裕層の小間使いのようなものだ。

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