〜ふくみの滞留〜

チラ裏晒すのが恥ずかしくなってきたのは・・・

考え事

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不意に考えてしまって、深みにはまったハナシ(笑
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考考










我々は戦争というものを知りません。

公害というものを知りません。

民族差別というものを知りません。

身分格差を知りません。

教科書で見るものはどれも落書きの対象であります。


しかし、天災というものは知りました。

経済恐慌を知りました。

政権交代を知りました。

どれも教科書で見たような出来事です。

しかし、忘れてゆくでしょう。


この現状は何なのでしょう。


日々怠惰で自堕落に生きることのなんと楽なことでしょう。

日々忙殺される生き易さとは何なのでしょう。



プラカードを掲げ、声高に叫ぶことの後ろめたさと

浴びせられる冷ややかな視線に何の意味がありましょう。



鹿児島から大阪まで自転車ひとつで仕事を探しに行く老人にたいして

なぜ心痛める事がありましょう。


私は、もう少し、楽に生きたい。

今まで楽に生きてきたことのつけを払う必要も無いのに

なぜ、払おうとする生き方をするのか。

私には学がありません。

それは、人より楽に生きてきたからです。

しかし、楽を求めて来た先は、多くの不幸でありました。

その不幸は私のものではありませんでした。

私は他人の不幸で飯が食えるほどの道楽者ではなかったのです。


これは、私の業とも呼べることとなります

学が無くてはならないのです。

志というものが駐車場の忘れられたサンダル程度のものでしかないのです。



しかし、自らの非力を嘆く暇など無いことは

すでに承知済み。

走り、立ち止まり、また走る。

このことが「歩み」であることを願うわけであります。




明滅

 
 
 

 
  
  
 
 
 
  
    ヒカリが一つ流れた。
 
 

    信号の赤いライトが明滅する。
 
    頬をなでる風は少し冷たい。

    すれ違った車のライトが反射する。
 


    ふと見上げた空を走るその一筋が
  
    何であったのか今はもうわからない
  

    あの時みていたヒカリは 
    
    強く願ったヒカリは

    果敢無く消えたそのヒカリは


    今はもうわからない。
 

    虚空へヒカリは流れ去り

    
    今はもうなんであったのかわからない。  
     
         
 
    別のヒカリへ願いを込めて
 
    消えてゆく。瞬き、消えるそのヒカリ。


 
 
    いったい何を望むのか
 
    いったい何に望むのか

 
    



    
    キエたノはオれカ...
   

 
 
 
    
  

4月1日

 


 
  
 
 
  
 
   世界中からウソが消えた。



   人々は話す言葉が少なくなった。

   ウソが言えない。ウソが消えた日。

   なんでウソが消えたのか。報道するマスコミも居ない。

   コメンテーターも喋れない。評論家も喋れない。憶測は流れない。

   そして誰も何故かわからなかった。

   何がホントで何がウソなのか、それがハッキリした日。

   僕らは一緒に居た。交わす言葉は少ない。
 
   けれど、とても居心地の良い僕らの部屋。

   一緒にいたいという事。

   遠い空を思ったり、愛してるとか嫌いだとか囁いたり、

   そんな事ホントはどうだって良かった。

   ただ、キミの隣でキミと並んで居たかった。

   キミの声を聴いていたかった。
   
   ウソが消えて、それがホントだってわかった。

   交わす言葉は少なく、けれどどれもホントの言葉。

   何がホントで何がウソなのか、曖昧だった世界が「ホントの世界」に変わった。

   テレビでは七色の画面が当分の番組休止を告げていた。

   ウソとホントで固められた世界が崩れてしまった。
  
   金の亡者は発狂し、政治家は耳と目を閉じ口をつぐんだ。

   悪人は真実の悪を貫いた。街頭の叫ぶ右翼の声も消えた。

   

   世界からウソが消えた日。

   

   冤罪は消え、汚職も消えた。

   至るところで、人が話しあっている。

   少ない言葉で、けれどホントの言葉で晴れ晴れとした顔で皆が話し合っている。

   子供は世界を駆け抜けた、ホントの世界を駆け抜けた。

   僕らは一緒に居た。

   何も怯える事はない。彼女の気持ちはそこにある。僕の気持ちはココにある。

   すべてが真実の心地いい空間。
 
   もう直ぐ今日が終わる。

   明日もこんな世界が続くのか。

   今日が終わってみんな元通りになったら

   僕はキミの気持ちを信じられるかな。僕の気持ちを信じられるかな。

   昨日まで晴れ晴れとしていた人々は今日と同じ顔で生きていけるのかな。

   こんなに心地よくて、居心地のいい世界はホントの世界じゃない。金の亡者が世界を牛耳り、

   政治家がのさばり、真実の悪は裁かれる。街頭の叫ぶ右翼の声、街宣車の叫ぶ議員の声。

   この平和な掃き溜めで、僕の気持ちがわからなくって、君の気持ちがわからなくても、

   僕らはホントとウソの世界に生きる。

   キミの気持ちが信じられなくて、僕の気持ちがわからなくても、苦しむ心が心地良い。

   それが僕らのホントの世界。ウソがホントでホントがウソのこの平和な掃き溜めで。

   僕らは一緒に居る。



   日付が変わった。



   部屋の窓からキミと僕の眺めた夜が輝いた。

   金の亡者がボタンを押した。

   世界は光に包まれた。

   キミの手を・・・





   
                               
 
                  

殴り書き。

こっから人が読む文章じゃありません。最後のが結論です。


世界とか今とか未来とか、心とか人とか愛とか夢とかなんだっていつまでも人間は同じところでぐるぐる回って先に進んでるかどうかなんて一つもわかんなくて、そもそも先とかなんとかそんなもんがあるのかないのかあるものとないものとか考えていつまでたっても答えがでないなかで、だれかの思想がとんでもないもんを生み出してそれがなんとなくわかった時にどうしようもない感覚にとらわれたら、たぶんそれは認めたくないもんであると思う。それを認めたときにいったいどれだけの意味が消えて楽になって死ぬとか生きるとかどうでも良くなるんだったら、俺はそんなもんに蹴りを入れてやりたくなる。でも、いったいどれだけの蹴りをいれたところで、ひとっつも関係ないような奴らには何とも出来ないわけだ。正直いまの自分にはっていうか、俺の世界には限界がある。このクソちっぽけで出来損ないの脳みそがどんだけ必死に頑張ったところでそのうち煙上げるか脳みそ自体が参っちまって、結局通行止めになってるわけだ。じゃあ、どうやって通行止めを解除するかってそんなもん知るわけがないし、どっかのだれかが世界に今以上が訪れるなんてな事を言ったって何一つ信じられるわけがないし、認めるわけにはいかない。理解なんてもんはおおよそ願望に基づくか、いくつかの誤解を生んで捉えるんだ、限界のある脳みそと限界のある言語でいったいどれだけの理解があるかってんなもの10のうち2〜3でも捉えたら良いほうだろう。それ以上なんてもんを脳みそが求めたら7割でパンクしちまう。生活には必要な身体を使うのに脳みそが必要で、脳みそ本体からはたぶん不必要だ。だったとしても、どっかのクソ宗教じゃあ肉体と精神の分離が崇高なもんだなんてな事を言い腐りやがって、輪廻がどうのこうの言ったところで、いったいどこまで絵空事じゃねぇっていえるんだ。何かが怖くて救いを求めても何かを信じるって事はそれに救いを求めてるんだろうに。脳みそが限界に来てるんだろ。人の意識の不可分を憂うのであればみんなの脳みそまとめてコミューンでも作れば良い。死ぬのが怖けりゃ死ねば良い。死ぬのが怖くて人は死なねぇ輪廻だ何だと抜かしたところで、それが救いになってんのかよ、人間様が人間様同士でやって神様作ってこれはどうしょうもない存在です。って認めさせれば、驚くほど楽になれるだろう。極楽浄土なんていったところでいったい何が極楽なんだと、全てに裏表がある状態から考えたって、そんな直線的なものの考え方は簡単には受け入れられない。東洋人と西洋人で考え方もものの見方も全く違うんだ。そんな奴らの作った概念にいったいどれほどの信頼があるんだって、ここで俺がどれだけ書いてみたところで、人間は脳みそ限界まで使わないし、楽したい脳みそは極楽浄土だ、魂の開放だと楽なほうへ考えちまう。それにしても俺の脳みそはどこにある?自分で自分の脳みそ見たヤツはいるのか?痛覚も感覚神経も殆どない脳みそに電極刺して記憶が再現されたとか。あ、医者に任せよう。おれは、他人の脳みそも、テメェの心臓もなにも見ていない。俺が俺の身体を解体したい。腎臓肝臓胆嚢胃小腸大腸脊髄脳髄眼球頭蓋鎖骨肋骨肩甲骨骨盤腰椎全てバラバラにして脳みそもバラバラにして眺めてやろうぜ。おれ自身が、テメェの中身をよ。そしたらいくらか神様だろうと何だろうとどうしょうも出来ない事に対して誰かを悪人にしてそいつのせいにするって結局魔女裁判みたいなことがいつまでたっても終わらない。どっかの誰かが俺みたいにクソ訳のわからねぇ、文字の羅列を並べ立てて誰かに共感を求め始めたらクソ吐き気のする宗教の始まりだ。神のお告げだ臨死体験でどうのこうのだと、共感並べ立てるのは勝手だが徒党を組んで俺の世界を広げるなてぇめのちっぽけな日記帳に大事に書いてしまっとけば良いんだ。それを大っぴらにしたらどうしようもなく疲れた脳みそどもがタカって楽しようとしだすじゃねぇか。んなものにはなんら興味はねぇんだ、テメェを痛めつけて生きてる気がするとか人助けをして世界平和を望もうが人間ごときのクソ出来損ないの脳みそじゃあ限界があるってんだから大人しく飯食ってクソして寝ちまえば良いんだ。誰かがそこにいるかどうか心配になるのもアホらしい、一緒にいられるヤツと酒飲んで笑ってたら良いじゃねぇか、大儀だの何だの何てのは結局数限りない中の一握りのつめの赤程度の奴らで十分だ。


 

 
 
 
 
 
 
      
 
      遊べ。騒げ。食べろ。汗を流せ。涙を流せ。笑え。
 
      眠れ。風呂に入れ。元気でいればいい。

   
          

 
 
 
  

 
 

 
      宗教ってもんが定義のあやふやなもんの一つで
 
      それが崇高だかなんだか知らないクソ食らえな
   
      思考がその個によって個を総体としてまとめ上げて
 
      沢山の世界を動かすってことが
 
      反吐が出るくらいくだらねぇもんだって
 


      今の吐き気のする嫌な臭いの世界がそうであったら
        
      結局ホールデンと同じようになったって
 
      俺はハッパ吸ってラリって世界平和を訴えるほど
 
      聖書みたいにあの本を抱えて
 
      ミュージシャンを撃ち殺そうとも思わない。
 
      でも、だからどうするんだと言われれば

      耳と目を閉じ口をつぐんだ――

 
      そんな存在になる気はない
 
      水のように底を流れれば
 
      どれほど楽であったかしらねえが
 
      クソ中途半端な脳みそのせいで
      
      どうにもならない事に対していつまでも

      挑んでかなきゃなんなくなっちまって

      だからっていつか勝てるなんて
 
      んな馬鹿げた事をいえる様なとこでもない。
 
       
      死んだら思う壺だ、ラリってみても同じだ
 
      結局最期の最期まで目霞んで見えないくならないように
 
      雑音にまぎれて聴こえなくならないように

      クソバカまじめに挑んでかなきゃなんねぇって事だ。
    
      そんで、目の前になんかの救いが来ようもんなら
 
      思いっきりつば吐きかけて
 
      挑んでってやろうじゃねぇか。

      
 
      
         
  
   
 
  

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