お気楽な詩人の真似事と日常

失敗ばっかりですが、気楽によんで下さい

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批評の難しい詩?

昨日は春分の日だった。なにもありません。先日の詩の勉強会での作品をもう一編紹介します。

 冬の花火   若山 紀子

黒い木々のはざまに
白く泡立つ波のいろが透けている
近寄ると
樹は黙して立ったままだ
固い樹皮は わたしを拒むように
頑なにはりついている
地平線は遙か
何もない海
とにかく北へ
と あなたは言った
北の地に何があったのだろうか

振り返ると
こんなに遠くへ来てしまった
辿ってきた距離よりも
辿ってきた時間(とき)の遠さが
いま しみじみとよくわかる

旅のつづきはいつも白紙
立ち止って また歩く
寄り掛りたい樹はいつも
黒く硬い
湿っているかもしれない
花火をとり出して
火を点ける
細かい火花が散ると
夜が すこうし溶けてゆく

黒い夜空に どぉーんと
打ち上げたつもりの
音のない花火の
雫が 降ってくる
昏い冬の浜辺の わたしのうえに

樹はみじろぎもせず
立ったまま

上手い詩です。第二連以降の柔らかい表現は 素晴らしいといってよい。抒情が漂ってきます。
もちろん、細かい点には欠点が見え隠れします。

詩が 青春の文学だったのは 昔のことだったのかもしれない と 思うようになってきます。こんな作品を読むとそう感じます。人生経験を得て その立場から 物事を見て 言葉に繫ぐのは 中年以降なのかもしれません。トップレベルや最前線でなくてもいいと。
ただ 人生経験を元に書いているので 作品を批評する時 一部でも指摘をすると それが 自分の人生全てを否定されたように 感じてしまうので 批評が難しいのも事実です。
まして このような作品は 作者も自信を持って出してきているので。
このレベルの作品が常に書ければ いいのですが できません。わたくしには 無理です。

淋しい詩の勉強会

昨日の詩の勉強会は 出席者が4人と淋しかった。
もっとも25人というのは多い方で 10人前後というのが 一番話しをしやすい。
その中から 一編を紹介します。

 秋刀魚   椎野 満代

あの男のネクタイは活きがいい
頭から尾ヒレまで
ぴしりと糊のきいた
サンマ

都会の潮の流れは速い
大きな
時代のうねりにのって
タイミングよく回遊し
商談は
やはり
相手のネクタイのサンマの
捕獲にかかっている

首をしめられたまま
くたびれた男の多いなか
あの男だけは
なにやら
サンマと交渉しながら
気運の高まりの絶好調のとき
めでたく
成立の判を押す
人のきもちの潮の満干も心得ている

ながく
回遊をつづけていると
洋服タンスのなかには
何百本ものネクタイがぶらさがっている
男は
そろそろサンマを
海に帰してやるつもりでいる

黄昏の日々にネクタイはいらない

ネクタイをサンマに例え それをサラリーマンの生活にうつしている よく判りやすく ちょっと皮肉も利いた よい作品だと思います。人数が多いと よい作品ですね と いう感想が出て それで終りになることが多い(一人当たりの発言機会がすくない)。
ところが 人数が少ないと 徹底して読み込みをするので 小さな欠点が見つかってしまう。
うーん、人数の少ないのも問題である。

賞を いただきました

小さな賞ですが 賞をいただきました。
一ヶ月ほど前に 最終選考に残っているのは 知らせていただいたので 知ってはいたのですが。
詩の賞は大きいものから 小さなものまで含めると2000を越すらしい。その多くが 詩集で 作品だけの賞は 伊東静雄賞(賞金100万円)、白鳥正吾賞(賞金10万円と秋田こまち10キロ)、金子みすず童謡賞など少ない。もちろん、市民文化祭、県民文化祭などの詩の部門の賞は 応募が少ないので 貰える確率が高い。

作品を 載せておきます。

  花火の日に

ここまで やってきて
これくらいだろうと ふりかえれば
まつりの灯が 点々と
遠くなっていた
過去(むかし)を てらすように

ぼくの器は やっぱり ぼくので
ぼくは ぼくの酒を 飲みながら
山を下るしかないのだ

スターマインが 打ち上げられている

 短詩賞なので 行数の制約がある ため 作品としては 不十分な感じもします。
けれど 少しうれしい。

詩の勉強会

3月は詩の勉強会が毎週のようにあります。
忙しいといえば 忙しい。昨日の勉強会は 25名あまり。
研究作品の中から一つ紹介をします。

孤独    林 冨美子

あした 引っ越そう
この無風のほら穴から
高すぎる家賃の
つり銭はいらない

ほこりだらけの気負いを背に
走り続けた往年とやらを
唐草模様の風呂敷包みにして
台所から大根のしっぽを拾い
ひしゃげた帽子をかぶり
ふりだした雨に送られて

明るく温かい南に行こう

第一連の小気味良い語り口がいい。それに乗せられて 第二連もリズムに乗っていてよい。
と ここまでは 誉めておきます。
第二連を読まれて気が付くのは リズムが五七調と 前の音を拾って 繋げていることでしょう。
このリズム感は ややもすると 平板になって 中味のない 表現になってしまうことです。この作品もそうなって います。
第三連というか 一行だけの文章は 平板以前ですね。明るく温かい という形容は 南という方向に対して 多くの日本人が持っているイメージです。ここでワザワザ書く必要はない。
もう一つ 題の 孤独が この作品の内容と一致しません。一人暮らしを念頭においたのかもしれませんが。勉強かいでは 一つの作品について 20分程度の討議がされます。途中 コーヒータイムはありますけど かなり 疲れます。作品を提出するほうも 20行以内という制約で難しい。

おふくろさん の 問題

森進一の歌うところの「おふくろさん」の問題である。
どうも 昨年の紅白で 彼が前振りを付け加えて 歌ったことが 作詞者の川内康範氏の お気にさわったようである。ワイドショーなどでは 川内氏の肩を持つ発言が多く見受けられた。

私は歌謡曲の作詞は 作者の手を離れた瞬間から 作者のものではない と 考えるので 川内氏の著作権侵害というのは おかしいと思う。
歌謡曲は 作詞 作曲 編曲 歌手の手を経ている。単独の作業ではないはずである。作曲者は 詩が先にできていれば それを自分なりに解釈して 曲をつける。歌手にしても 自分なりに解釈して 歌う。
その自分なりの解釈が 前振りになったのだろう。
ここで 作詞者が 自分の意図と違うといっても 解釈はそれぞれなのだから 絶対の解釈は成立しないはずである。

私自身 オープンマイクで 自作を朗読することがある。
私の作品は 朗読用の作品は少ない。
朗読する場合 耳で聞くことを前提にしているので 柔らかい言葉(聞いて 意味が分かる言葉)や 同じ内容のことを 言葉を変えながら 繰り返す(前に言ったことを 覚えていないか 流されてしまう可能性があるので)。ほぼ5分という持ち時間では 同じ言葉を繰り返したり、リズムを整えるために 対比の技法もつかう。
朗読用の作品は どうしても テキストによる作品より 凝縮度がゆるい。

歌謡曲の詞が 緊密度が低いから 程度が低いといっているわけではありません。朗読の時もそうだが、バックに音楽が流れていると 音楽に引きずられ 詞の内容が伝わらない ことが ある。もちろん、そこで内容を伝えるための技法(発声や声の高低)を使う。
テキストタイプでは 読み返すことが可能である。100人規模で伝える時は それなりの演出が必要であろう。

森氏の場合 その演出の部分が問題なのだろうが それは 著作権とは別の問題だろう。敢えて言えば、編集権(コンサートなどの曲の配列 選択 演出などがこれに当たるのかな)だと考える。そこには 作詞者が介在する余地はない。感情は別なのだろうが。

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