災害予防

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災害記録

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2004.10.20の災害復旧活動を中心の活動記録です。著者の記憶違いや思い違いがあるかもしれません。分かり次第訂正していきたいと思っています。
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電話の件はその後も長く心に残った。
何故なのだろうか?
現在、携帯電話など多くのモバイル電話が普及して居るのは,
既にみなさんもご存知の通りである。

しかし、高齢者の間では必ずしも十分に普及しているのではないこと
災害で各家の電話が正常に機能しているかどうかの状況を正確には把握していないこと
復旧に夢中になっていたら、携帯電話を落としたのも気付かずに居るかもしれないこと
近くに公衆電話が無いこと
人には電話を貸してほしいといえない人が居るかもしれないこと
電話が通じず、何処へ連絡をしたらいいか分からない人が居るかも知れないこと
工事に来た人や他所からたずねてきた人が電話を探すかもしれないこと
電話が付くことで町内に情報拠点が出来たと感じてくれる人が居るかもしれないこと
などなど

固定電話の価値はイベント会場に設置されている電話とは
一味違う多くの効果を想定できること
そんなことが漠然と浮かんでいたからかもしれない。

電話の設置の交渉をしながらも
町内をつぶさに見て廻った。

大きな木の根がもみくちゃになって細合を塞いでいた。
こんな木の根と一緒になって流された中村さん夫妻の恐怖は如何ばかりであろうか!

家の塀は土石流で壊され、庭も家の中も家の床下も多くの土砂で占領されていた。
家の中にもガラスが、丁度、頭の高さの位置に横から突き刺でていて、
うかつに歩こうものなら、そのガラスで大怪我をするだろう。

いったいどのくらいの土砂が流れ込んでいるのだろうか?
まずはこの膨大な土砂を何とか撤去しなければならない

また、多くの廃棄物が出るに違いない。
何処へ集めるのか?
しかもどうやって!

最初に浮かんだのはベルトコンベアであった。
市に電話して調べてもらった。
最近はベルトコンベアなど使わないし、そんなものを持っている業者もいないとのこと。

宅地の土砂は、近くの道まで運び出せば、市が運んでくれるという情報が流れて来た。
まもなく多くの人が救援に大挙して来るであろうし、
多数の報道陣なども引き続きいるであろう。
その駐車場を確保しなければと思った。
町内で被害に遭っていない空間を駐車場に使わせてもらえないか探さねばならない。
隣の5丁目も調査範囲に入れなければと思った。
駐車場の管理もしなければいろいろ大混乱に陥るかもしれない。

災害対策本部(と呼ぶのを躊躇しながら)の設置を皆に知らせなければ

今後いろいろの情報を伝達するために臨時の掲示板を設置しなければ。

炊き出しは既に婦人場が動いてくれている。

今後発生するかもしれない避難勧告をどのように伝えればいいのか!

設置する電話番号を町内の人だけでなく、
訪れて来る人も含めて全員に知らせなければ

ボランティア活動総合窓口としての吉田さんに協力してもらうことを要望しなければ

町内の人は今何処でどんな状態にあるのだろうか、
その安否も確認しなければ

また、被害の情報はどうであろうか

水道の止水工事も速く進めてもらわなければ

復旧にくる大勢の人をどのように識別すればいいのか

それぞれのボランティアのリーダーは誰なのか

各家に何人のボランティアがいけばいいのか

必要な土嚢袋は一体いくら準備すればいいのか

請願書は出すべきだろうか

通夜や葬儀が平行して進行している

土砂の撤去に重機は使えそうも無い
老婆が更に自分の母親を抱えて恐怖でパニ食っている
一回の電気がつかない
スイッチを入れてもいいかなど
中国電気に電話して原因を調査してもらうことにした

天理教の人が来て市道の工事に立ち合わせてほしいとのこと
町内には天理教の支部があって、その建物が土砂で押しつぶされて傾いている。
彼らの話によるとご神体にも相当するものが地中に埋まっていて、なんとしても探し出したい。
家などは壊しても捨ててもどうでもいいとのこと。
工事現場監督にその旨を伝え、彼らの立入りと、慎重な作業とをお願いする。

皆の健康状態はどんな様子なのだろうか
保健師の派遣は可能なのだろうかと頭をよぎる

社会福祉協議会や天理教の災救隊などが、
明日から大挙して応援に来てくれるのと情報が入ってきた。

会長の林さんに掲示板用としてベニヤ板を用意してもらう。

いろいろの作業用の一輪車などもあちこちに見える。

漸く大勢の人が復旧に向けて立ち上がりつつある。

でも、整然としたカッコいい復旧活動など出来そうにもない

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朝は自宅で目を覚ました(−らしい)。
どっから取り掛かろうか?
通常の生活では今何をしなければならないかはすぐに答えを見つかることが大半である。
しかし、今日は答えが無い。
したらいいと思われる項目もすぐには思い浮かばない。

それでも、まず、昨日、市から話のあった市道開発の工事現場に出かけることにした。
開通したい市道は、搬入口から西に伸び、しかも、下り坂になっている。
その市道に重機を搬入するにはいたって狭い。
土砂で埋もれる前でも2m程の道幅だ。
その市道の南側の最初のところは、人は住んでいない空き地である。
井戸や物置小屋や木々が繁茂している。
今も一部は畑に使っているようだ。
ここは土砂災害の被害は受けていないところである。

そこは利用させてもらおうということでは了解を貰っているものの、
厳密な利用範囲や利用方法などの了解を貰っていない。
その了解を貰う作業と平行して、重機設置用場所確保のための土砂の搬入作業が始まっている。

今は人が住んでいない土地に長靴で入り、個々の状況を確かめることから始まった。
この辺に井戸や水道があったとか、
ここに水道があるとか、
ここに物置小屋塚があるとか、それも撤去していいかどうかとか、
土地に生えている樹木をここまでは気にせずに使ってくれていいとか。

その間にも、11トンダンプで、市の公園であり、
約6kmぐらい離れている深山公園からだろうか、
掘ったばかりの真新しい土砂が重機の居場所確保用に運び込まれる。

ダンプカーの荷台から土砂を降ろす。
その度に、電線が邪魔になる。
電線は垂れ下がった部分を上にある電線と一緒に束ねて、
かろうじて作業に必要な高さを確保している。
搬入口の取りつけのところにある、鉄製の手すりも一部壊されている。
迫り来る台風24号との競争のように!

次第に運び込む土砂の量が増すにしたがって、
まるで安心を運ぶ黄金のように土砂が暖かく見える。
その土砂を平に整地するために、
大型シャベルが傾きながら土砂をならしている。

ある程度、それが出来たところで、
重機搬入口に立ちはだかる市道の多量の土砂の撤去から始まる。
大体、整地が終わったところで、
市道になだれ込んだ多量の土砂の撤去が本格化した。

次々に土砂を採っていくものの、上流から土砂が流れ込む。
また、それと同時に、雨上がりのせいか、まだ上流からの水のせいか、
重機搬入予定通路はずぼずぼの状態だ。
掘り過ぎるわけにも行かない。

ある程度土砂を撤去したところで、厚手の鋼板が運び込まれてきた。
重機搬入道路に何枚も重ねて鋼板をひく。

一方、市道に隣接している住宅はかなりの高さまで土砂が押し寄せている。
空き地のすぐ西側の家がそれである。
丁度市道は、住宅の北側にあり、その家の台所の出口が市道に面している
その出口は1m以上もある土砂で潰されつつある。
土砂を重機で不用意に取ると、その圧力で住宅そのものを壊してしまう。
丁寧な操作が望まれる。

この辺まで作業が進んだときに、
老人クラブのほうに向かいながら、
ボランティアの窓口をする人を選任してほしいと田中和さんに言う。

吉田さんの名が上がってきた。
彼は老人クラブのすぐ横の家で、
ボランティアのガイドをしてもらうのに絶好の位置に住んでいる。
会うと、彼は快く引き受けてくれたが、
腰痛のためか足を引きずりながら歩いている。
何故か、大変に申し訳ないような気がした。

次に、老人クラブを貸してもらう交渉をしようと
老人会の会長である坪井さんに、電話したがなかなかに捕まらない。
よく出入りしている市の文化センターの事務所に電話して、
坪井さんが何処にいるかを探し出してもらうことにした。
やがて、職員の協力で、やっと坪井会長が捕まった。
現場の災害対策に老人クラブを災害復旧用に借切りたいと申し出た。
急だったにもかかわらず、快く了解してもらうことが出来た。

次に行ったことは、災害復旧用に電話を老人クラブに設置することであった。
災害復旧には、携帯電話と共に固定の電話が必須であると考えたからである。
しかし、この電話の設置が意外と難航した。
まず、老人クラブに電話を設置することの許可を口頭で坪井会長から貰う。
用が済んだら必ず撤去するという条件で了解を取り付けることが出来た。

次に日ごろ付き合いのあるNTTWの子会社の課長に大至急電話を設置してくれるように依頼した。
頼んだのは、22日だから金曜日である。
最初に帰ってきた回答は早くして来週の火曜日であるとのこと。
火曜日だと26日で台風24号が来ているかもしれない。
そんな中での設置作業などとんでもない話である。
老人クラブの横には電話線がすぐ傍まで来ている。
もっと急いでくれと頼んだら、月曜日だという。
災害現場の緊急性を丸で分かっていない感じだ。

「徹夜してでもつけてくれ!」と怒鳴り返したら、
NTTW内の災害担当の方に廻すとのこと。
一般加入電話の受付窓口で処理していたみたいだった。
それからしばらくして、
玉野市の災害対策本部から電話がかかってきた。

災害用の電話敷設は市からNTTWに要望しなければならないとのこと。
至急手配してもらうよう依頼した。
その時、使用料は町内会で負担せよとのことである
災害用の電話を市から依頼すると、電話債権代などは不要になるとのこと。
町内会の会議にかけて皆の了解を貰うなどの通常の手順など踏む時間的余力も無い。
サッサとつけてもらいたいから議論するまもなく、
すぐに、決断し、電話を付けてもらうことにした。
まもなく、新しい電話番号と電話設置工事予定の連絡があった。
結果的には、あくる日23日(土曜日)の午前中に電話がついた。

この忙しい時期になんでこんなことで時間を費やすのかやりきれなかった。

その当時、津山のほうの災害が、NTTWの大勢の人が出払っていたとの
情報をそれとなく伝え聞いた。
以前は玉野市にNTTの職員が多数いたし、工事をする人も多数いた。
民営化になってからは職員を大幅に減らし、玉野市の支店も閉鎖している。
NTTには以前大変にお世話になったり、また、
今回も駐車場を貸していただいたりもした。
本当に、大変感謝している。

また、町内では、その時点で、電話の故障でトラぶっていた。
外から電話すると呼び出し音が鳴っているにもかかわらず、
家の人は誰も出てこない。
その為、家には人がいないか何か災害に巻込まれたのではないかと心配していたらしい。

一方、家の中には人がいたにもかかわらず。
電話のベルはならなかったとのこと。
携帯電話で通じていたのだろうか
この人は何度もNTTWに修理を頼んだが、なかなか直してもらえなかった。
この人の電話が復旧するにはその後、1週間以上も日数を要した。

いったい災害時のNTTWの対応の仕組みはどうなっているのだろうか?

担当者を寄こして災害時の電話利用について説明をしてほしいと要望を出したが、
誰一人責任ある人は最後まで現地には現れなかった。
県知事や国会議員や、参議院の超党派で構成する災害対策特別委員会など、
次々に訪れたというのに。

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既に流した本項の情報はどうも、10月25日に再度、避難した時の情報であるようです。
詳細は現在調査中 別途報告します

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後で聞いたことだが、五名全員ともたすからなかったとのこと。
自衛隊が、昨日、もう少し早く来ていても多分だめだったろうというような情報も流れてきた。
ご冥福を祈りながら、町内の復旧に全力で尽くすことを誓う。

市からの要望で町内の関係者を集めてほしいとのことだった。
明日から突貫で市道復旧開通工事を行いたいこと
市道は畑第3町内の中心部をグルっと周回するようについている。
その北側と西側が今回の土砂災害で埋もれてしまっている。
市道の北側を(山側)を1トン土嚢袋で堤を作り、山からの土砂の流入を防ぎたいとのこと。

急ぐ理由はもう1つ在った。
南洋上に台風24号があった。
その台風が最悪の場合、日本に24日〜25日頃上陸するかも分からないという。
そのときまでは、後3日ほどしかない。
それまでに何とか土嚢で防砂堤を構築したい。
ぜひ、住民や地権者の協力を得たいとのことであった。

町内はあらゆるものがズタズタだった。
5人の犠牲者、
7件の倒壊、道路や家は土砂が流入し、家の出入りもままなら無い状態である。
町内の組長の死による連絡網の崩壊
関係者の他所への避難
水道が出ない
電気がつかない
外灯や防犯灯が流失している
などなど

とにかく集まれるひとだけでも集まってもらって
市の話を聞くことにした。
早速老人クラブの使用の許可を貰うことにした
昨年から老人クラブの使用に関しては大変世話になっている倉本さんに連絡して、使用できるように取り計らってもらう。

また、町内の人には午後7時に集まってもらうよう連絡してもらった。
7時少し前、葬儀予定を畑第3町内会の田中さんが黒板に書き始めた。

上溝美智子様、上溝謙二様 深山公園内の「深山斎場」で
通夜10月21日18:00〜
葬儀10月22日12:00〜
松田正敏様 田井の「野々浜集会場」で
通夜10月22日19:00〜
葬儀10月23日14:00〜
青井義一様、青井竹尾様 秀天橋の「やすらぎホール玉野」で
通夜10月22日18:00〜
葬儀10月23日12:00〜
が書き出される。

7時からの集会には、市から建設部長の吉田さんと他に2名の人が見えた。
そのときの説明は次の通りだった。
現在、台風24号がこの3〜4日中にも接近する恐れがあること
その為、24日頃までには土留めを完成させて、雨による土砂災害を防止したいこと
市道を開通させ、その北側(=山手側)に土嚢を並べて土留めとしたいこと。

市道の開通には、その上にかぶさっていて市道開通の邪魔になるもの、例えば、土砂や倒壊した住宅などは撤去したいこと。
撤去には重機を使用すること。
重機を投入するには、搬入口として仮説道を作る必要があること。
仮説道を作るためには、入り口が狭いので、土砂を盛って整地し、その上に鉄板を引いて重機が通れるようにすること。
その為、土地の一部を一時的に借用したいこと。

市道(直線部は100mぐらいか?)と民地との境界に土嚢を土留めとして敷設したいこと
その土嚢敷設にあたっては市として、皆さんの土地の一部使用を認めてもらいたいこと。
などが説明や要望・協力要請事項の主要な骨子であった。

既に吉田部長の頭の中には山の崩落の状態やその下流の倒壊した住宅域の土砂の盛具合などから、1トン土嚢を並べることで、当面の降雨には耐えられるとの判断が出来上がっていたらしい。また、この時点では搬出用の通路としては1本在れば11トンダンプをやりくりすれば、何とか搬出できると考えられていたようである。

町内からは何々撤去してもらえるのか、費用はどうなのか、などいろいろの質問も出た。
市道開通に障害になるものはついでに撤去するとのことでした。

(その後の工事の推移を見ていると、結局、搬出路は1本では間に合わなく、もう一本必要になった。)
参加者全員が市道開通工事に協力していくことになった。

また、町内では婦人部が炊き出しを始めたこと。
炊き出しの人数を速めに知らせてほしいことなどの要望も出てきた。
田中さんは葬儀や畑第3町内の連絡などで忙しいので、石井さんが災害の復旧を取りまとめてほしいと要望された。

また、多数のボランティアの人がやってくるとの情報も流れた。
老人クラブを閉めて避難先の小学校に向かった。

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救出活動が始まった。
障害物が手渡しで除けられていく。
1つ、また、1つと。
20分ぐらい経った頃だろうか?
最初の人が見つかったようだとの情報が流れてきた。
でもまだ、正確なことはわからない。
やがて1つの担架で人が運ばれてきた。
誰かよくは分からない。
誰かが青井義一(88歳)さんだろうといった。

倉本さん宅の庭先に急ごしらえの仮収容所が作られた。
大勢のカメラマンが近づいてきた。
警官がそれを防ぐようにガードした。
青いビニールシートで囲いが作られた。
日赤の救護班のメンバーがその囲いの中に入っていった。
中でどんなことが行われているのかわからなかった。
でも、「見つけてもらえてよかったね」と思った。

やがて、担架が覆いをかけられたまま、囲みから出てきた。
待機していた救急車に乗せられて、直ちに、病院へと運ばれていった。
その様子からは厳しい状況にあることが予想された。
何処の病院かは分からなかった
何となく、市民病院へ運ばれていったのだろうと思った。

やがて次の人が見つかったという情報が入ってきた。
そして、午前中に4人の人が見つかった。
でもまだ一人残っている。
早く、早く、早く見つけ出してほしい。
そんな思いも、また必死の作業も、地中深く沈みこんだ最後の一人である、上溝謙二さんを見つけ出すのに難航していた。

そんな思いに駆られているとき、「土嚢の袋が要る」と誰かが言った。
まるで、急に現実の別の世界に引き戻される衝撃が走った。
救助活動で手伝えることは何も無いので、町内の現状脱却に注力することにした。

ところで、土嚢袋などは何処で手に入るのだろうか。
「消防署に行けばもらえる」という声がした。
1軒当たり30袋だとのこと。
取り敢えず、何人かで消防署に行ってみることにした。
行くと、すぐに土嚢袋を貰うことができた。
しかし町内に持って帰るとその土嚢袋はあっという間に無くなった。
まだまだ土嚢袋が要るとのこと。

被災現場に戻ると、人命救助活動は難航しているようだった。
大きな根の浮き出たすぐ北側のあたりを、県警と自衛隊がそれぞれ別の場所を深く掘っているように見えた。
別に縄張り争いをしているわけではないと思うが。
大変に掘りにくいのだろう。

その内「市の土木へ町内会として行けば100袋単位でもらえる」との話も出た。
早速土木へ出かけた。
土嚢袋はすぐに貰えた。約200袋程度だったろうか。
普段貰ったことがなかったので、何故か申し訳ない気がした。
でも、現実はそんな数では何の役にも立たなかった。
その後、本格的に土砂撤去作業が始まったら、土嚢袋の必要数は飛躍的に増えていった。
最終的に正確な枚数は掴んでいないが、20,000袋を優に越えてしまった。

( 余談ではあるが、土嚢袋にもいろいろの大きさがある。
今回使用したのは、20kg前後入る小さな土嚢袋と、後で上流よりの土砂の流入を防ぐための防砂堤として使用した1トン用の土嚢袋との2種類がある。
どちらも既にこのブログの写真で登場していますが! )

この頃から現地対策本部が要ることを感じ始めた。
でも、まだ自信を持って要求するほど頭の中が整理できていたわけでも、被災の状況を正確に把握できていたわけでもなかった。
それとなくあたって見たが、市会議員の人も、市役所の人も、現地対策本部の設置には消極的だった。
かれらの判断基準は、市民への公平なサービスの提供とか、今まで前例が無いとか、そこまでする必要が無いとか、そんな余裕が無いとかそんないろいろの思いだったのだろうか?
彼らの判断は正しかったのだろうか?

今考えると、その最大の大敵は「市民全員が隅から隅まで安全に慣れきった市である」ということであろう。
「心の中に、安全に対する十分な準備や共通に意識ができていない」ということであろうと思った。
人は、それぞれに、いろいろの講習会や模擬訓練を受けてはいるのだろうが、実体験がないと、訓練だけではなかなか自分のものにならないのかもしれない。

これも余談であるが、昨日(3月24日)も東京都知事の石原さん自身が花粉症になったとのこと。今時ではありふれた話である。そこで、「今後は、花粉症対策にも力を入れていく」といっているとテレビが報じている。知識としては花粉症を知っているだろうし、小説家として人の心の苦しみなども分かる立場の人であると思われる彼ほどの人でさえもそうなのだから。

取り敢えず
破損した水道の水を止めてもらうこと
ガスの臭いが漂っているとの情報が飛び込んできた
この地域はプロパンガスを使用している。
一家全員が行方不明の家もある。
地中に埋もれているガスボンベは何処にあるのか
取り敢えずどうすればいいのか
・・・・
など
現実的な課題が次々と浮かんでくる

まず災害復旧に何が要るのだろうか?
こんなことを一から考えねばならないとは!
災害2日目にして、まだ、この程度である。

午後3時過ぎ、最後の一人上溝謙二さん(52歳)が発見され、収容された。
全員見つかって本当に良かった。自衛隊、県警機動隊、消防署や消防団の人及び日赤の救護班の人本当にありがとう。
彼らが撤収の準備をし、やがて、退場始めた。
一人ひとりに頭を下げて感謝するしかなかった。
本当に、本当に、ありがとうございました。
また、ご苦労様でした。

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