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 間話休題《あだしごとはさておきつ》。然《され》ば現八は這《この》橋の、上《ほとり》まで退《しりぞ》き来ぬる時、権且《しばらく》馬を推駐《おしとゞ》めて、挟《わきばさ》みたる斉藤《さいとう》盛実《もりざね》を、士卒に逓与《わた》し※[#「糸+邦」、U+7D81]《しば》らせて、却《さて》隊《て》の小頭人《こものがしら》們《ら》を、馬の左右に召《よ》びていうよう、
「寄隊《よせて》の先陣|白石《しろいし》重勝《しげかつ》們《ら》は、鈍《おぞ》くも我に権《おど》されて、得《え》※[#「走にょう+干」、U+8D76]《お》わずしてありけれども、顕定《あきさだ》必ず怨《うらみ》怒《いか》りて、大軍を将《い》て、追蒐《おっかけ》来つべし。我が生拘《いけど》りたる其《そ》の壮俊《わかもの》を、知る者ありて、告ぐるを听《き》くに、他《かれ》は斉藤《さいとう》高実《たかざね》の※[#「冖/一/豕」、U+51A1]子《ういご》にて、斉藤《さいとう》兵衛太郎《ひょうえたろう》盛実《もりざね》、と喚做《よびな》す者|即《すなわ》ち是也。初め顕定《あきさだ》に扈従《こしょう》して、龍陽《なんしょく》の寵《いつくしみ》あり。今も其《そ》の余波《なごり》にて、重く用いらるゝといえり。然《さ》らば顕定《あきさだ》他《かれ》を惜しみて、とり復《かえ》さまく欲《ほり》するならん。非如《よしや》顕定《あきさだ》戦車をもて、去向《ゆくて》の路《みち》を断《た》たまくすとも、豈《あに》怕《おそ》るゝに足る者ならんや。我|猶《なお》一霎時《しばし》こゝに待ちて来ぬる敵を推退《おししりぞ》けん。然《され》ばとて多勢《たぜい》は要《よう》なし。汝達《なんたち》は、其《そ》の生口《いけどり》盛実《もりざね》を、隊《て》の兵毎《ものども》に、牽《ひ》かせて皆|共侶《もろとも》に、退《まか》りて是等の趣《おもむき》を、疾《と》く犬塚に報知《つげしら》せて、我が還るを待ちねかし。犬塚必ず城には入らで、戦車を防ぐ備《そなえ》を做《な》さん。この余《よ》の事は箇様々々《かよう/\》」
 と意衷《いちゅう》を示しつ究竟《くっきょう》なる、士卒三十|名《にん》を這里《こゝ》に在らせて、多兵《たぜい》の従うことを饒《ゆる》さず。寔《まこと》に現八が大胆なる、いかにするやと思うのみ、心許《こゝろもと》なき所行《わざ》なれども、否《いな》といわんはさすがにて、大家《みな/\》只得《ぜひなく》応《いらえ》をしつゝ、却《さて》盛実《もりざね》を牽立《ひきたて》て、五十四田《いよた》を投《さ》して退《しりぞ》き去るを、現八|一霎時《しばし》目送《みおく》りつ、則《すなわ》ち馬の左右に在《あ》らせし、雄兵《ゆうへい》三十|名《にん》に指示《さししめ》すらく、
「若們《なんじら》皆|先《ま》ず那里《あしこ》を見よ。這里《こゝ》を距《さ》ること一二|町《ちょう》なる、那里《あしこ》の路《みち》の左右には、処々《ところ/″\》に掛亘《かけわた》したる、敗《ふる》稲塚《いなづか》多くあり。繁《しげ》り立ちたる細竹《しのだけ》の、冬樹《ふゆき》の小森《こもり》に雑《まじ》れるあり。是我が兵《へい》を用うべき、究竟《くっきょう》の地方《ところ》也。若們《なんじら》は、手に/\銕砲《てっぽう》を携《たずさ》えて、稲塚《いなづか》小森《こもり》の裡《うち》に躱《かく》れて、敵の追蒐《おっかけ》来ぬるを俟《ま》ちね。寄隊《よせて》戦車を先にして、那里《あしこ》まで来て我を見ば、疑い惑《まよ》うて躊躇《たゆた》うべし。その折《おり》我|恁々《しか/″\》、と喚《よばわ》るを暗号《あいず》にして、左右|斉一《ひとしく》大銃《おおづつ》を、放ちて戦車を撃破《うちやぶ》りね。寄隊《よせて》必ず驚き慌《あわ》てゝ、一旦は退《しりぞ》くべし。敵|退《しりぞ》くとも※[#「走にょう+干」、U+8D76]《お》うべからず。若們《なんじら》その折《おり》早く引揚《ひきあげ》て、我に倶《ぐ》して五十四田《いよた》へ還りね。今我が方寸《ほうすん》に計《はか》る所、大かたは差《たが》うべからず。胆《きも》を肥やして怕《おそ》るゝことなく、皆よくせよ」
 と解諭《ときさと》せば、大家《みな/\》礙議《ぎぎ》せず其《そ》の意を得て、別れて件《くだん》の物蔭《ものかげ》に、躱《かく》れて敵を俟《ま》ちにけり。
 恁而《かくて》那《かの》身は只一騎、自若《じじゃく》として橋の辺《ほとり》に在り。現八この日の打扮《いでたち》は、草緑縅《もえぎおどし》の札《さね》よき鎧に、龍頭《たつがしら》ある五枚兜《ごまいかぶと》の緒《お》を締めて、豬頸《いくび》に戴《いたゞ》き、石青《こん》の故金襴《こきんらん》の戦袍套《じんばおり》に、黒金装《しゃくどうづくり》の大刀《たち》、戒刀柄《ひじりづか》の匕首《よろいどおし》を腰に跨《よこた》え、細目鋼※[#「金+條」]《ささめぐさり》の※[#「金+干」、第4水準2-90-49]《こて》、十王頭《じゅうおうがしら》の脛衣《すねあて》に、夏曳《なつびき》の上総麻《かずさあさ》の、重底《やえぞこ》なる戦鞋《むしゃわらじ》の※[#「糸+希」、第3水準1-90-5]《ち》高きを、※[#「糸+仞のつくり」、第4水準2-84-10]《ひも》短《みじか》に穿做《はきな》して、驪馬《くろきうま》の太く逞《たくま》しきに、深※[#「糸+峰のつくり」、U+7D98]《しんく》の厚総《あつぶさ》垂れて、貝錦《あおがい》の磨鞍《みがきぐら》に、白と紫を染め分けたる腰※[#「革+(勹<一)」、第3水準1-93-76]《こしたづな》して、寛《ゆたか》にうち乗り、左手《ゆんで》に三刃尖《じゅうもんじ》の鎗の、丈二柄《にけんえ》なるを挟《わきばさ》みて、前面《むかい》を※[#「にんべん+乞」、第3水準1-14-8]《きっ》と見亘《みわた》したる、馬上の居長《いたけ》最《いと》高く、其《そ》の武者態《むしゃぶり》凡庸《よのつね》ならず、臥蚕《がさん》の眉|丹朱《たんしゅ》の脣《くちびる》、眼《まなこ》は双《なら》べる星の如く、歯は瓠《ひさご》の実《たね》に似たる、面《おもて》の色浅黒く、髯《ひげ》の迹《あと》蒼《あお》かりける、這《これ》是《この》蓋世《がいせい》の大丈夫《だいじょうぶ》、南総《なんそう》八犬《はっけん》随一人《ずいいちにん》、里見氏|股肱《ここう》の俊傑と、いわでも知るき面魂《つらだましい》、坡堤《つゝみ》の芒花《おばな》霜に枯れて、招くともなき寒風《さむかぜ》は、馬の辺《あた》りを避《よぎ》て吹く、威風|正可《まさか》に凜然《りんぜん》たり。
 爾程《さるほど》に、寄隊《よせて》山内《やまのうち》滸我《こが》の両老党、白石《しろいし》城介《じょうのすけ》重勝《しげかつ》、塰戞圓茲海椶蝓媚法圓佞劼函婪濛次圓△蠅爐蕁佞蓮∪菲《さきて》三連車《さんれんしゃ》の頭人《とうにん》たる、錐布《きりふの》五六《ごろく》、鷹裂《たかさき》八九《はちく》、新織《にいおり》帆太夫《ほだゆう》が、幾千百なる兵《ひょう》を将《い》て、馬を※[#「走にょう+干」、U+8D76]《お》わせ車を※[#「車+隣のつくり」、第3水準1-92-48]《きし》らせ、那《かの》二犬士を捕籠《とりこめ》て、衂《みなごろし》にせんとていそぐ間《あわい》を離れず、倶《とも》に馬をぞ早めたる、二隊《ふたて》の軍兵《ぐんぴょう》二万|余騎《よき》、又是に加うるに、両大将一|副将《ふしょう》、顕定《あきさだ》成氏《なりうじ》憲房《のりふさ》も、各《おの/\》其《そ》の隊《て》の士卒を找《すゝ》むる、大兵《たいへい》都《すべ》て四万|余名《よにん》、長阪川《ながさかがわ》近く来ぬる程に、先鋒《さきて》の隊長《てのおさ》、重勝《しげかつ》在村《ありむら》は、こゝに至りて士卒と共に、と見れば、前面《むかい》なる橋の辺《ほとり》に、甲冑《よろう》たる武者一騎、馬を這方《こなた》に推向《おしむけ》て、端然《たんねん》として敢《あ》えて動かず。其《そ》の鎧の絨色《おどしげ》は、紛《まご》うべくもあらぬまでに、我も士卒も認得《みおぼえ》ある、現八なるべく思いしかば、
「他《あれ》は什※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57]《いかに》」
 とばかりに、御者《ぎょしゃ》と士卒を喚禁《よびとゞ》め、車を些《すこし》推戻《おしもど》させて、止々《しゝ》とばかりに警《いまし》むれば、錐布《きりふの》五六《ごろく》、鷹裂《たかさき》八九《はちく》、又|新織《にいおり》帆太夫《ほだゆう》も、衆兵《しゅうへい》都《すべ》て疑い惑《まよ》うて、眼《まなこ》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》り、息を籠《ころ》して、敢《あ》えて一歩も找《すゝ》む者なし。※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]《そ》が中に白石《しろいし》重勝《しげかつ》は、馬を塰戞圓茲海椶蝓婪濛次圓△蠅爐蕁佞凌畔奸圓曚箸蝓佞望茲蠅茲察△Δ糎かいて、
「和殿はいかに思い給える。那《あの》現八が只一騎、那里《あしこ》に我が大兵《たいへい》を、誘引《いざなわ》まく欲《ほり》するは、必ず是|計略《はかりごと》あらん。然《さ》るを漫《そゞろ》に推蒐《おしかけ》て、※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1-14-30]《もし》又|失《あやまち》あるならば、再犯《さいぼん》の罪を争何《いかゞ》はせん」
 といえば在村《ありむら》点頭《うなずき》て、
「然《され》ばとよ、その義なれ。那《あの》犬飼現八|奴《め》が、梟雄《きょうゆう》なる、本事《てなみ》は予《かね》て我よく知りぬ。一騎也とて侮《あなど》るべからず。卒《いざ》両大将の御旨《おんむね》を伺《うかゞ》わん」
 疾《と》く後陣《ごじん》へいそぐ程に、顕定《あきさだ》成氏《なりうじ》憲房《のりふさ》も、大兵《たいへい》を将《い》て来にければ、重勝《しげかつ》と在村《ありむら》は、馬より下立《おりたち》相《あい》迎えて、倶《とも》に後方《あとべ》を見かえりつゝ、遙かに現八を指《さ》し示して、其《そ》の進退《かけひき》を請い問えば、顕定《あきさだ》成氏《なりうじ》憲房《のりふさ》は、倶《とも》に馬上に頸《うなじ》を伸ばして、うち望むこと半※[#「日+向」、第3水準1-85-25]《はんとき》計《ばか》り、疑惑の眉を顰《ひそ》むるのみ。とばかりならで成氏《なりうじ》は、尋思《しあん》に憶《おも》わず傾けし、頭鎧《かぶと》に手をかけ緒《お》を締めて、顕定《あきさだ》に向かいていうよう、
「那奴《かやつ》は※[#「口+自」、U+54B1]等《われら》が旧臣なれば、心術《しんじゅつ》本事《てなみ》を知らざることなし。非如《よしや》今|少《ちと》許《ばか》りの、計略《はかりごと》ありとても、寡《か》は衆《しゅう》に敵すべからず。戦車を先に転《まろ》ばし蒐《かけ》て、撃たば勝たざることはあらじ」
 と惴《はや》るを顕定《あきさだ》推禁《おしとゞ》めて、
「※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]《そ》は勿論の事ながら、見給え那里《あしこ》に小川あり。現八橋をうち渡して、那方《かなた》の岸に退《しりぞ》かば、戦車を行《や》るに甲斐《かい》やはある」
 といえば憲房《のりふさ》も倶《とも》にいうよう、
「加以《それのみならず》那《あの》※[#「土へん+巳」、第3水準1-15-36]橋《つちはし》は、最小《さゝやか》にして危《あや》うげなるに、車を遣《や》らば中《なか》絶えん。那奴《かやつ》は其《そ》の地の利《り》に拠《よ》りて、我を侮《あなど》り遊べるならん。憎さも憎し」
 と敦圉《いきまく》のみ。三将《さんしょう》隊長《てのおさ》諸頭人《しょとうにん》、重勝《しげかつ》も在村《ありむら》も、錐布《きりふの》五六《ごろく》、鷹裂《たかさき》八九《はちく》、士卒も倶《とも》に思難《おもいかね》て、皆|計《はかりごと》の出る所を知らず、徒《たゞ》呆然《ぼうねん》と口を鉗《つぐ》みて、不覚《そゞろ》に時を移しけり。

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