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 天正《てんしょう》五年|北条《ほうじょう》氏と和睦して、氏政《うじまさ》の女《むすめ》を妻《めあわ》せらる。其《そ》の後《のち》和議破れて、小俵兵《おだわらぜい》に攻めらる。十八年以後|始《はじめ》て安堵《あんど》す。この時|義頼《よしより》従四位《じゅうしい》侍従《じじゅう》たり。是より後《のち》三|世《せ》皆|侍従《じじゅう》に叙《じょ》せらる。因《よ》りて時の人、安房《あわ》の侍従《じじゅう》と唱《とな》う。義頼《よしより》卒《そっ》して、其《そ》の子|左馬頭《さまのかみ》義康《よしやす》嗣《つ》ぐ。安房《あわ》の館山《たてやま》を居城《きょじょう》とす。義康《よしやす》の子、安房守《あわのかみ》忠義《たゞよし》に至りて十|世《せ》也。独《ひとり》義豊《よしとよ》を除きて、九|世《せ》とすと云う、(這《この》家譜の一条《いちじょう》は、作り設《もう》けたるにあらず、事皆実録によりて略記しぬるのみ)しかれども除くべからず。識者是を論《ろう》じて曰《いわく》、義豊《よしとよ》は叔父《おじ》実堯《さねたか》を撃って是を殺して、自立《じりゅう》せる、其《そ》の罪|五逆《ごぎゃく》に当たれり。しかれども又|実堯《さねたか》も罪あり。兄《いろね》義通《よしみち》の託孤《たくこ》の遺命を受けながら、己《おの》が子に伝えまく欲《ほり》して、義豊《よしとよ》が人となるまで、久しく借りて房総《ぼうそう》を返さず。この故《ゆえ》に禍《わざわい》蕭牆《しょうしょう》の中《うち》より起こりて、竟《つい》に身を殺すに至れり。有恁《かゝれ》ば、里見の世代《せいだい》に、義豊《よしとよ》を除くときは、又|実堯《さねたか》をも除くべし。今|実堯《さねたか》を除かざるときは、義豊《よしとよ》も除くべからずといえり。本伝の作者案ずるに、里見軍記に義豊《よしとよ》を、義通《よしみち》の弟として、実堯《さねたか》と確執《かくしつ》の事なし。且《かつ》実堯《さねたか》を世代《せいだい》に載《の》せず、又|義弘《よしひろ》を義堯《よしたか》の弟とす、并《ならび》に訛舛《あやまり》甚《はなは》だし。同書に義実《よしざね》は、長享《ちょうきょう》三年|四月《うづき》七日に卒《そっ》す。法号|献珠院殿宝興公居士《けんじゅいんでんほうきょうこうこじ》、義成《よしなり》法号、庁月院殿大憧勝公居士《ちょうげついんでんだいどうしょうこうこじ》、とあれども、延命寺《えんめいじ》の過去帳に据《よ》るにあらざれば、真偽いまだ詳《つまびらか》ならず。又|按《あん》ずるに、里見|北条《ほうじょう》と、国府台《こふのだい》に戦う事、里見軍記には、義堯《よしたか》義弘《よしひろ》二|世《せ》、初中後《しょちゅうご》三戦とす。又普通の軍記には、永禄《えいろく》七年の一戦のみとして、義明《よしあきら》の陣沒《うちじに》も、この折《おり》の事となせるは謬《あやまり》也。蓋《けだ》し国府台《こふのだい》の闘戦《たゝかい》は、天文《てんぶん》十一年|義堯《よしたか》の時と、永禄《えいろく》七年|義弘《よしひろ》の時と、前後二度にて、義明《よしあきら》の陣沒《うちじに》は、天文《てんぶん》十一年の役《たゝかい》なれば、軍記に録《しる》す所|違《たが》えり。是等は要《よう》なき弁なれども、筆の次《ついで》に誌《しる》すのみ。
 復説《またとく》、初《はじめ》八犬士の、安房《あわ》に聚合《つどい》し時、義通《よしみち》将《しょう》として、水陸に兵馬《へいば》調練の、山路《やまじ》にて獲《え》たりという、霊芝《れいし》十|茎《きょう》に、凋栄《ちょうえい》ありしを、今里見十|世《せ》の、栄枯得失に相《あい》照らして、是を考うれば、正《まさ》に前兆《もとさが》たるに似たり。看官《みるひと》是を思うべし。葢《けだし》八犬士一|世《せ》の功名《こうめい》、貴介《たかき》を娶《めと》りて、大禄《たいろく》に飽けるも、覚《さ》むれば倶《とも》に南柯《なんか》の一|睡《すい》、長安飯店《ちょうあんはんてん》の、枕に異ならず。抑《そも/\》人世《ひとのよ》の果敢《はか》なき、慾を禁《とゞ》め情《じょう》を裂《さ》きて、善を蘊《つ》み、悪を做《な》さじと其《そ》の行いを慎まば、生きては天地恥ずることなく、死しては子孫の後栄《こうえい》ある、古《いにしえ》の人の跡を見て善を択《えら》みて、もて異世《いせい》の師と做《な》さば、人皆八犬士たらん事も、かたきに似て難《かた》かるべからず。約莫《およそ》人に君《きみ》たる者は、只良臣を択《えら》むに在《あ》り、庶人《しょじん》は良友を択《えら》むべし。良臣ありて、治まらざる国なく、良友ありて、不善の人なし。何ぞ兄弟《はらから》なきを憂《うれえ》んや。当時|落魄《らくはく》たる浮浪の身をもて、鶏《とり》が鳴く関《せき》の東にて、基《もとい》を開《ひら》き、地を啓《ひら》きて、竟《つい》に大諸侯に做《な》り登りしは、里見氏と北条《ほうじょう》氏のみ。北条《ほうじょう》は里見に倍《ま》して、多く国を獲《え》たれども、早雲《そううん》氏綱《うじつな》氏康《うじやす》氏政《うじまさ》氏直《うじなお》五|世《せ》にして後《のち》絶えたり。里見は房総《ぼうそう》二国なれども、子孫十|世《せ》に伝えしは、義実《よしざね》義成《よしなり》二|世《せ》の俊徳《しゅんとく》、仁義善政の余馨《よきょう》にて、民《たみ》の是を思うこと、深長《しんちょう》なりし所以《ゆえ》なるべし。誠に是美談ならずや。詩あり歌あり証《あかし》とす。
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里見名臣八犬伝《さとみめいしんはっけんつたう》。|精編百巻集[#レ]珠全《せいへんひゃっかんたまをあつめてまったし》。|誰云※[#「口+自」、U+54B1]悪[#二]他戯謔[#一]《たれかいうわれかれがぎげきをにくむと》。驚歎流行独傑然《おどろきたんずりゅうこうひとりけつぜん》。
ぬしをしる犬ちょう八《やつ》の氏人《うじびと》のこころ玉なす|やつ《八》の|おこない《行》
浮萍《うきぐさ》のうきしすさびもいましめの筆をよるべの根なし言《こと》の葉
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 詩は自負放言《じふほうげん》に似たれども、江湖《よのなか》億兆の指目《しもく》の、指さし見る所、実《じつ》にかくの如き而已《のみ》。然《され》ば浮萍《うきぐさ》のうきたる根なしごとも、好《よ》く看官《みるひと》は、是をもてみずから警《いまし》め人を警《いまし》め、然《さ》らぬも亦是に由《より》て、彼岸《かのきし》に到るべき、迷いの津《わたり》を啓《ひら》くもあらん歟《か》。左《と》にも右《かく》にも、病眼《びょうがん》衰瞥《すいべつ》筆硯《ひっけん》不自由に做《な》りしより、只得《ぜひなく》婦幼《ふよう》に字を教え、仮名を誨《おし》えつ、代写《だいしゃ》させて、稍《やゝ》全局を結び訖《おわ》んぬ。看官《みるひと》作者の勉《つと》めたるを知るべし。又
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あわれとは見る人おもえ八重《やえ》すだれかかるやみ目に|あみ《編》|はたす《果》書《ふみ》
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