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今日、卒業のリバイバルを見た。子供の頃、初めて見たときは、ピンと来なかったけど、あれって親子丼する話だったんで、改めて驚いている。
ストーリーは金持ちのミセスが旦那の商売上のパートナーの息子(ダスティ ホフマン)と肉体関係を持ち、その彼がなんと自分の娘と恋愛関係になってしまい家庭崩壊させてしまうというものだ。エレーナはUCバークレーに通っており、ベンジャミンは彼女を追いかけてその大学の町に住み着いてしまう。バークレーといえば昔サンタクルーズに住んでいたとき行ったことがあるが、大学は建物が大規模な上、古風で素晴らしく綺麗だったことを思い出す。、最初、拒否していたエレーナもベンジャミンから真実(母親がベンジャミンにレイプされたと嘘を付いていた)を聞き、心が彼のほうに傾いていく。もともと好きだから仕方ないよね。
そんな時、エレーナの父親がバークレーに来て妻と離婚することをベンジャミンに伝える。その後、なぜかエレーナと他の男性が結婚することになり、ベンジャミンは彼女がどこで結婚するか突き止めるために彼女と将来の旦那の友達たちを訪ねて聞き出そうとする。その時の「僕の友達なんだが、出席しようと思うので、そこで結婚するか教えてくれ」と苦し紛れの嘘を付くところが滑稽だったが、果たして自分がその立場になったら、そんなにうまい具合に嘘を付けるかなと考えさされてしまった。(笑・・・ 調子いいように思えても、俺は案外まじめだからな。
そして、ラストシーンである。ガソリンスタンドから公衆電話で教会の本部に電話してどこで結婚式をしているか聞きだしてしまう。しかし、ガソリンを入れ忘れていたので、自慢のオープンカーはガス欠で停車してしまい、この辺が憎いのだが、ダスティ ホフマンを必死に走らせてしまう。教会のガラスに張り付いて二階から「エレーナ」と叫ぶ形相。エレーナの「ベンジャミン」と返答するときの可愛い顔。親たちや新郎の文句を言っている顔。なんとも面白かったが、感動させられた。ほんとは、一番感動したのはミセスロビンソンが黒のストッキングを脱ぐシーンだっただけど、俺は脚、ストッキングフェチだからな(笑・・・
さて、映画の説明をしているだけなので、この辺で本題の「人生に於いての男女関係」について書くことにする。
この映画でのベンジャミンは女性を知らなかったようなので、日本人学生のように好きな女性ができてしまうと勉強が手に付かなくなってしまう。しかし、普通アメリカでは男女の交際が低年齢からオープンでお互い異性に対しての耐性が付いていて、異性が原因で勉強できなくなるということは、日本人と比較してないようだ。
日本の場合、「男女7歳にして席を同じにせず」という儒教の影響で、あまりに男女の関係を引き離してしまうので、異性に対する興味が異常に湧いてきて、逆に勉強できなくなってしまうのではないだろうか。中学や高校の頃、ラジオの「私鉄沿線素敵なあの子」という番組を聴いた日は「素敵な彼女ができたら・・・・」という具合で、妄想に駆られて勉強できなかった覚えがある(笑・・・
人間は死ぬまで異性から逃げて暮らすことはできないのだから、子供の頃から異性に対する興味と勉強を両立させる教育を実践すればいいと思う。公立学校だけでなく、最近では私学も男女共学の学校が増えてきているので、好ましい傾向にあると思うが、日本人の心のなかにある儒教の風景が、本当の意味での男女関係を阻害しているように思える。
それは男性より女性を見れば一目瞭然で、女性は性に興味があるにもかかわらず、周りの目を気にし過ぎて、素直に性の話ができないでいる。特に男性との関係ではその傾向が顕著になり、ついつい周りを気にして、心から楽しめないでいるのではないか。その点、アメリカ人やラテーノは女性といえども性のタブーから解放されている。現在の日本の若者は変わってきていると思うが、30歳以上の日本人は解放されていないように思える。
日本も、男女の関係を2500年以上前の孔子に任せ放しにしないで、人間本来の本能を組み入れた教育をするべきではないか。そうすることによって、勉強と異性への興味が両立できるようになり、異性で人生を誤る若者を減らせると思うが、どうだろう。私は、小指で人生を謝りました。(ワハハハハハ・・・
「卒業」を見てそんなことを考えてしまった私でした。
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