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メキシコ旅行記(世界道中膝栗毛)

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メキシコ旅行記XXI

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イメージがあまりにもぴったりなので、画像を借用させていただきます。ありがとうございます



情報の少ない旅行書を見ているとエルタヒンに壁龕(壁が箱形になっているという意味だと思う)ピラミッドがあるというので、行くことにする。

ベラクルスからエルタヒンへ行く前進基地であるパパントラまでバスで約4時間。二等バスに乗る。バスはボンネットが突き出た骨董ものだ。車内は、野菜やニワトリまで乗客になっていて立錐の余地すらなく、座ることができない。立っていると視線が窓の上にあるので風景が見え難い。残念だ。しかし、腰をかがめてみると椰子の木が等間隔に植えられていて、根元の方が白いペンキで塗られている。虫除けなのだろうか、自然が破壊されているように思えて悲しい気持ちになる。なんと表現したらいいのだろう。香港や台湾で極彩色の観音様を見たような感じだ。

湿気の多い貧困地域へ行けばよくあることなのだが、乗客の服から水カビの臭いが漂ってくる。洗った服を何日も半乾きのまま放置しておくからそうなるのだろう。乾燥機が普及しているアメリカや乾燥しているメキシコ中央高原では、まず嗅げない臭いだ。

パパントラに着くと、ピラミッド行きのバスは出てしまっていた。次のバスは何時間も待たなければならないし、ここから12キロほどあるので歩くわけにもいかず、3万ペソ(10ドル)を払ってタクシーを取った。タクシーにはメーターが付いていないし、スペイン語の話せない私にはその運賃が高いのか安いのか知りようもない。バス代と比べると20倍以上だ。大阪出身者として6000ペソ(2ドル)は値切ったがメキシコ人はそれ以上にしたたかだから、相場の倍ぐらいは取られているかもしれない。もう少し、修行が必要だ。

ここのメインは、365個の窓のような窪みがあるピラミッドだ。この窪みは数でもわかるように一年を表しているらしい。インディオ文化らしく、ピラミッドも天文学に従ってできているのだ。各階層の仕切りが少し屋根のように出っ張っているので、見ようによってはパゴダ(五重塔)を太くしたようにも見える。旅行書を見るとピラミッドは6世紀〜10世紀に栄えたトトナック文化の遺跡だということだ。

観光客は私一人しかいなく、寂しいような、嬉しいような。博物館を一人で借り切ったらこんな感じになるのだろうか。まわりには、草が生えていて牛が食んでいた。雨上がりで草が濡れていて、緑が鮮やかなほど濃い。やはり、ここが北回帰線と赤道の間に位置するからだろうか。

この町は、人間飛行機みたいな儀式(ボラドードーレス)でも有名で、30メーターほどの木柱のてっぺんにあるプラットホームに笛を持った人が立ち、彼が奏でる音楽に合わせて、小さな太鼓を持った4人がロープを体に巻き付けて旋回しながら降りてくる。もともと、雨乞いのための儀式だったらしい。この時、儀式は見れなかったが、メキシコシティのアラメダ公園でやっていたのを見た。彼らは現金を稼ぐためにメキシコ各地に出稼ぎに行っているそうだ。大掛かりな大道芸といえるだろう。

つづく・・・

メキシコ旅行記XX

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写真の所有者様、あまりにもすばらしく、イメージが一致しましたので、拝借させていただきます。ありがとうございます。


ベラクルスはアステカ帝国を征服したヘルナン コルテスが上陸した場所として有名であると共に、内陸部で採掘された銀などの富をスペイン本国に運び出した港として知られている。スペイン人によるアステカ征服以来、メキシコシティの外港であり続ける重要な町である。

気候は北回帰線の南に位置しメキシコシティのような高地でないので、過ごしやすく、世界中から旅行者が集まってくる観光地になっている。エドワルドの泊まった安宿にはリタイアしたアメリカ人が多く、彼らは国からわずかなペンション(年金)を貰って暖かく、物価の安いメキシコで残り少ない人生を楽しんでいる。ちょうど大統領の変わり目で経済が破綻状態、アメリカでは「メキシコを最後の楽園」として宣伝しているのである。日本人がリタイア後、外国に住んだら、年金を現地まで送ってくれるだろうかと思わず考えてしまった。

ホテルのロビーで話したアメリカ人はちょうど65才ぐらいで、「メキシコは何でも安いしアメリカ人にとって天国だ」ととうとうと説明したあと、10代の彼女とデートだといって元気に出て行った。いつもながら、アメリカ人のパワフルさに驚かされる。

街は新しいものと古いものが混在していて、伝統的な白い壁の家が多く残っている。町の中心はソカロ(広場)で、白い石で舗装されて、鉄でできた電気灯やベンチが配置されている。この町が観光に力を入れていることがわかる。まわりはカテドラル(大聖堂)、州政府宮殿、コロニアル調のホテルが並んでいて典型的なメキシコの町だといえるだろう。


夜になると人々が溢れかえり話し声や音楽で賑やかだ。さすがメキシコという感じだ。メキシコでも寒い高原地帯になると夜のソカロに人影は少ないのだが、ここは暑いので観光客や地元の人間が入り混じって涼んでいる。

海沿いの町なのでシーフードが充実しており、市場のある通りにエビを山のように積んでいる店舗群を見つけた。その中の一軒に入って注文すると5センチほどもあるエビ30匹以上で1ドルと馬鹿安だった。もちろん日本人にとってであるが。

エビにチリソース(辛口のソース)をぶっ掛けて、冷え切ったテカテ(メキシコのビール)にライムを入れて飲んだ。なんと美味しい事か、まさに楽園である。

この町のカーニバルは有名で、リオデジャネーロ、ニュー オリンズ、トリニダードと並び称されている。パンフレットに綺麗なお嬢さんが載っていたのでカーニバルが開催される2月にぜひ来たいものだ。(笑・・・

メキシコ湾に面していてカリブに近いので、ハラーチョというギターとハープで演奏される民謡に黒人音楽の影響があるらしい。メキシコではサパテヤード(フラメンコと関係があるらしい)という床をバシバシ踏むダンスが各地にあるが、ここのは力強く、早いらしい。

イギリスの工夫たちが踊っていたダンスがニューヨークに伝えられ黒人文化と融合してできたのがタップダンスになったと言われているが、案外フラメンコがスペイン、メキシコ経由でニューヨークへ伝えられ、それがアメリカの黒人文化と触れ合いタップダンスになったかもしれない。ニューヨークで出来上がったとされるサルサも、キューバ、コロンビアなど諸説あるように起源説は地元贔屓が入るので、特定しにくいものである。

つづく・・・  

メキシコ旅行記XIX

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写真の所有者様、あまりにもイメージが一致したので、拝借します。ありがとうございます。



年も押し迫り、年の瀬を海沿いの町で過ごすのもいいな〜と思ってベラクルスへ行くことにする。昨日、グアダルーペ寺院へ行った日本人と同じ部屋で寝たので寝不足だ。日本人といえども外国では信用することはできない。お尻の貞操を奪われるかもしれないし、パスポートや全財産を取られる可能性だってある。

やはり、知らない人間と部屋をシェアしなければよかったと思いながら、東バスステーション(メキシコシティには長距離バスステーションが3つある)へ着いた。寝不足でボーとした頭をかきながら切符を買うための列に並ぶと、いきなりメキシコ女性が話しかけてきた。

「どこの国出身なの?」
「日本ですけど」
この頃になると旅行書に載っているスペイン語ぐらいは理解できるようになっていた。
「これからどこへ行くの?」
「ベラクルスだけど」
「じゃ、メキシコシティにまた戻ってくる」
「戻ってくるけど」
「じゃ、戻ってきたら、電話してね」といいながら彼女が紙の切れ端に自分の電話番号を書いて手渡してきた。
メキシコの女性は本能のまま生きている。街で好みの男性を見つけると躊躇なく話しかけてきて、友達になろうとする。日本人と比べ、すべてにおいて自由に生きているといえるかもしれない。スペイン語を流暢に話せたらベラクルス行きを中止して彼女に付いていくのだが、どう言っていいかわからないので断念するしかなかった。残念。

バスは、子供の頃見たアメリカのテレビ番組「逃亡者」に出てくるような感じで、ボディが丸みを帯びている。なんともいえない懐かしいさが漂う。アメリカでもトレールウエィ(アメリの長距離バス会社グレイハンドの対抗馬)のバスは大体旧式のこのタイプだが、メキシコではほとんどのバスがこれである。

バスに乗り込むと前の席に若いアベックが座っていたので、嫌な予感が走った。案の定、目の前はキスの嵐だ。女性の方が私の好みだったから、もうたまらない。静かなキスだったらいいのだが、壊れかけの椅子の背もたれがギッコンバッタンと前後左右に動くほど激しいものだったから堪らない。私は、思わず英語で「Silence」と叫んだ。

アベックは「チ〜ノが」という目でこちらを凝視したが、とりあえず静かになった。メキシコではほとんどの東洋人が空手か、カンフーをやっていると思っているようで、こんな時に喧嘩にならないのである。改めて、ブルース リーやジャッキー チェンの恩恵を受けていることを再認識する。私が彼らに感謝したのはいうまでもない。

ベラクルスに夜12時ごろ着いた。正月前といえども北回帰線の南に位置し、高度0mにあるベラクルスは暖かい。今さらホテルに泊るのも勿体無いので、海岸沿いで寝ることにする。せこ〜い。(笑・・・

海は真っ暗である。初めてのメキシコ湾。この向こうは海賊が跋扈したカリブ海だなと思うと、無性に行きたくなった。今いるベラクルスも、ドミニカのボカチカ海岸もあまり変わりないだろうが、人間の感情とはそんなものだろう。

バックパックを枕にして浜に横になった。潮騒の音が聞こえてくる。昔の彼女の笑顔に包まれて記憶が遠のいていった。【打ち寄せる波、素足えと、永遠の愛・・・・(山下達郎の歌、潮騒が聴こえているよ)】

つづく・・・

メキシコ旅行記XVIII

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写真の所有者様、イメージがあまりにも一致したので、借用させていただきます。ありがとうございます。

メキシコシティに到着したらまだPM4時頃だった。アウトブス デ ノルテ(北バスステーション)の構内で東洋人を見かけ声を掛ける。やはり、日本人だ。

彼は独身の公務員で、まとまった休みとるといつも海外旅行にでるそうだ。サンミゲル デ アジェンデから私と一緒だったメキシコ人の子供に紙風船を挙げていた。現地の人と友達になるために、「そういう方法があるんだ」と改めて気付かされる。といってもアメリカに住む身では紙風船など買い求めようもないが。

バスステーション近くのホテルに、その日本人と泊まることにした。6ドルほどと安いが、部屋は広いし申し分ない。

まだ、時間が早いのでメキシコの守り神ビルヘン デ グラダルーペ(聖母グアダルーペ)を祀るグアダルーペ寺院へ行くことにする。地下鉄でパンティトラン行に乗り、次のラ ロサで乗り換え、インディオ ベルデス行きの2駅目がグアダルーペ寺院のあるバシリカ(特に重用な教会の尊称)である。

駅を降りると大通りがあり歩道に屋台がどこまでも続いている。その通りに沿って北東に行くとグアダルーペ寺院がある。参道にはたくさんのレストランや商店があり、歩道は歩くスペースを残して屋台が道路側に並んでいる。日本風にいうと門前町で、東京でいうと浅草、大阪だと四天王寺のような感じだ。というより、闇市といった方が正解か。

寺院に繋がる道は傾斜の付いた高架になっている。門(日本のようでない)を潜り、真っ直ぐ行くと正面にフェンスで囲まれた古い建物がある。1988年のメキシコ地震まで200年以上も使われていたということだ。現在はその左手に2万人の信者を収容できるモダン建築が建っている。まるで巨大テントのようだ。やはり、昔の建物の方が、趣がある。

この寺院は、1531年に インディオの王女の格好をしたグアダルーペ(おそらく霊のようなもの)が現れ、ホアン ディエゴという名前のインディオの外套に彼女の肖像を浮かび上げらせた(カトリック三大奇跡に数えられる)ことに由来する。その外套は地下の壁に取り付けられた巨大な額縁(金と27トンの銀でできている)の中に飾られている。動く歩道に乗って見学するのだが、メキシコ人は信心深いらしく、歩道に乗りながら懸命に祈っている。

ビルヘン デ グアダルーペの肌は褐色である。どんな宗教でも広域化する過程において、その土地の神様と融合してその民族の顔になる。ブッダにしてもインド人であるから日本人の顔とは180度違うはずなのに、日本の仏像は日本人の顔をしている。そんな仏像を子供の頃から見ているから違和感はないが、マリアさまが白人だと思っている日本人が褐色のマリアさまを見ると違和感を味わう。改めて神仏習合のようなことがどこにでもあったことを痛感させられる。実際に、ラテーノが「神様は一人で、南米ではカトリックの神として現われ、アジアではアラーや仏教の神として現れるのだ」と本地垂迹ばりの意見を説いているのを聴いたことがある。

新館内部はちょうど夜のお祈りの時間だったのか多くの人が司祭の話に聞き入っていた。メキシコに来て以来、無数の教会を見たが、このグアダルーペほど活気がある教会はなかった。生駒山の石切神社(疣の神様で、がん患者の親族がお百度参りをしている)より活気がある。まさに生きた宗教だ。

グアダルーペ寺院は丘の麓にあり、背後にある丘を登っていくと頂上付近に小さな教会(エルミタ)があった。こんな夕方にと思ったが、結婚式が行なわれていた。女性のはちきれんばかりの褐色の肌が純白のドレスによく似合って、まるでグアダルーペの再来のようだ。ラテーナの笑顔は気取りがなく自然だ。

辺りは薄暗く、石造りの柵に寄りかかりながら黄昏のメキシコシティに見とれる。空は夕焼けに染まり、崖下に街の灯が見える。メキシコで会った日本人と一期一会のひと時を共有していることが不思議だった。

つづく・・・

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写真のオーナーの方へ。あまりにもイメージが一致したので拝借させていただきます。ありがとうございます。

グアナファトからの帰りは、まず2等バスでサンミゲル デ アジエンデまで行った。2等バスというとアメリカの中古のスクールバス(ボンネットバス)のような感じで、足をヒモで括られたニワトリや籠に入れた野菜などを通路に置いている。椅子はベンチシートで一席に4人も5人も座っている。横に座っている農夫の臭いが「プ〜ン」と臭うが、嫌な気はせず、むしろ新鮮だ。


サンミゲル デ アジェンデは、標高が1850mあり、小さいがメキシコ本来の雰囲気を残している町だ。18世紀に銀鉱山で栄えたので、青や黄色の丸屋根をもつ教会が20以上もあるが、グアナファトに比べると素朴だ。その中でも特異なのは、バルセロナのサグラダファミリアに似たラ パロキア教会だ。19世紀にヨーロッパの絵葉書をモデルにインディオが建築したらしい。


コロニアル調の低い家並みが乾燥した丘の斜面に並んおり、通りには石が敷き詰められている。日本人の感覚で石畳というと50cm四方の大きな石が敷き詰められているのだが、ここには20cmほどの小さな石が敷き詰められている。

素朴な中に、美しい教会が宝石のようにちりばめられているのが白人に受けるのか、1000人を超えるアメリカ人が住んでいたり、観光で滞在している。芸術家も世界中から集って来るらしい。だから、街中に彼らが好みそうなレストランやらお土産屋がたくさんある。

町外れに小川が流れていて、ブタが河畔でゴミをあさっている。何を食べているのかなと観察していると、民族衣装の幅の広いロングスカートを穿いたインディオのおばあちゃんがいきなり道端に座り込んだ。彼女が立ち上がり向へ行った後、そこを見ると、なんとウンコチャンがトグロを巻いているではないか。面白いので、しばらくそこに居ると、何人ものインディオのおばさんが来てウンコをしていく。

そこら中がウンコだらけになるじゃないかと思うが、ブタが片っ端からウンコチャンを片付けていく。汚ね〜。レストランでブタ肉を食べたところなので吐きそうになる。メキシコの田舎町に行くとそこら中にウンコが転がっているので、吐き気をもよおすが、段々慣れてくる。(笑・・・

広場には、ロバが数頭いて子供たちが乗って棒で尻を叩いている。面白そうなので乗せてもらうと、背中が山の尾根のようになっているので、股が痛くなる。

小さな町だし、グアナファトほど見る場所もないので、メキシコシティ行きの夜行バスに乗るためにバスステーションへ行く。バスステーションと言っても普通の家で、バスがその前に止まるだけの小さなものだ。

あらかじめ買っていたバスチケットを取り出そうと、財布を見るとチケットが見当たらない。バス会社の従業員に「切符をなくしんだけど」と英語で言うが、向こうはチンプンカンプンだ。たまたま、傍にアメリカ人が居たので通訳してもらうと、再発行はできないから、またチケットを買わなければならないということだった。

「あんたから切符を買ったんだから、憶えているだろう」
「しかし、切符をなくしたら、再発行できないんだ」
「メキシコでは、運転手や従業員が闇でお金を受け取って客を乗せるじゃないか」
「そんなこと知らないよ」
「く〜そ」
メキシコシティまでのバス代なんて5ドルほどなのに、旅行していると現地の感覚になって、それだけあると5回分の食事が出来るとか考えてしまうのだ。バス会社の従業員は5ドルを儲けたことになったが、チケットをなくしたのは自分のミスなので諦めるしかなかった。

世の中面白いもので、棄てる神ありゃ、拾う神があるとはこのことだろう。アメリカ人の友達(メキシコ人の親子)がメキシコシティまで帰るので、同伴してくれる事になった。

1週間以上も一人旅をしているので、大歓迎だ。おまけにおかあさんが綺麗だから、嬉しくなってしまった。どこまでいっても、すけべ〜なエドワルドなのだ。

つづく

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