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南米旅行記(世界道中膝栗毛)

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メキシコ旅行記XXII

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遺跡からパパントランに帰ってきて意味もなくポサリカに行くことにする。パパントランのほうが人口も多くメキシコシティへも直接バスが出ているのだが、いい旅行書を持たない弊害がこういうところで出てくる。

ポサリカは石油産業の中心であるが、観光客にはあまり縁のない町のようだ。何もすることがないので町をぶらぶら歩いてみたが、特徴のない典型的なメキシコの地方都市だ。

こんなところにいても仕方がないと思い、直ぐバスステーションに行く。クリスマス休暇が終わるからか、構内には長い列が出来ている。列に並ぶが何時間たっても自分の番がこない。いよいよチケットが買えそうなのに後ろから押してくるので横の方へ押し出されてしまう。押し出された人々がまた戻ろうとして窓口の前は大変な事になっている。下手したら圧殺死する事故が起こるかもしれないほどだ。

私も押し出され窓口の前に戻ろうと格闘して分度器形になっている窓口のガラスを掴んだとき、ガラスが「ばり〜」と割れてしまった。右手を見ると血が流れている。バス会社の職員が大きな声でまくし立てているので、やばいガラス代を弁償させられたらどうしようと思った瞬間、逃げていた。手の怪我はたいしたことないようだ。

物価の安いメキシコでガラス一枚ぐらい弁償させられてもたいした出費にはならないだろう。しかし、私はスペイン語が話せない外人なのでいくら吹っかけられるかわからない。そのことが脳裏をかすめたのだ。

バスステーションの外に出て、隣にもバスステーションがあることに気が付く。よく見てみるとプリメラクラッセ(一等乗り場)と書いてあり、中を見みると人があまりいない。いままで居たところは、二等バスの売り場だったのだ。

窓口で聞いてみると、次の日のメキシコシティ行きのチケットがすんなり買えてしまった。それも料金が2ドル(300円)ほどしか変わらないのだ。何だこんなわずかな料金差で一等に乗れるのかと苦笑したが、一般のメキシコ人にとって2ドルは大金なのだ。

出発日が次の日になったので、バスステーションの裏にあるホテルにチェックインした。安ホテルらしく1階は洗濯や炊事ができるようになっていて、若いメキシコ人たちが洗濯や料理をしていた。彼らは大変フレンドリーで、その中のある女性がいろいろ質問して来た。こちらはスペイン語が話せないし、向こうは英語が話せないので、絵に描いた餅状態だ。しかし、孤独な一人旅ではどういう形にしろ、人とコミュニケーションをとれることは嬉しいものだ。

翌朝、バスステーションのチケットカウンターで、拙いスペイン語を使いバス会社の社員と話していると、横にいた可愛い女性に声を掛けられた。目がクリクリとして典型的なメスティーソの顔だ。旅行書に載っている基本的なスペイン語では会話が5分と持たない。しかし、こちらに好意を持っているのは伺えた。このチャンスを逃してはいけないと、持っていた英西辞書(英語とスペイン語)を必死に引きながら会話をした。

しばらくすると、父親が向こうにいるから紹介するというので、分けのわからないまま付いて行くと、その父親が困惑の表情を作っている。こちらも、それ以上に困惑しているのだが、彼女は「我関せず」という感じで、いろいろ話しかけてくる。

よ〜く話を聞いて見る、彼女は16歳で看護学校に通っているとのことだった。16才なので、父親が困惑していたのも理解できた。私も16才と聞いて思わず笑ってしまったが、少し残念な気持ちがするのは仕方がないだろう。凄く可愛い女の子なのだから・・・。

とりあえず、彼女が住所と電話番号をくれたのだが、電話してもどういう風に会話していいのか悩んでしまうだろうなと思いながら、バスに乗った。

人生とはこんなもんだろう。時期が熟していなければ、好意をもった男女といえども付き合うことができないし、地域的な問題、言葉の問題、年齢的な問題が弊害で、成るものも成らないのである。

つづく・・・

南米旅行記XXI

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食堂に下りていくと、新しい旅行者がテーブルの前に坐っていた。
「君、今着いたのかい」
「そうですよ。ぼく杉山といいます。よろしく」
彼は真っ白で弱々しく、貧乏旅行者として似ても似つかないような風貌をしていた。
「こちらこそよろしくな。どこからきたんだい。エクアドルかその上の方から旅をしてきたのかい」
「千葉からです」
「直接、日本からか」
「エドワルドさん、彼を見れば日本からダイレクトに来たのが分かるでしょう」と管理人が言った。
「そうだな。それで海外旅行は始めてかい」
「はい」
「ご両親が心配しているんじゃないの。ペルーは治安が悪いからね」
「父親は僕の小さな時にタイへ帰っちゃたんですよ」
「タイへ?」
「僕の父親はタイ人なんですよ」
「それにしては、君は色が白いな」
「中国系のタイ人です。父親が日本に住んでいた時に母親と知り合って結婚したらしいんですけど、僕が五才の時にタイへ帰っちゃたらしいんです。母親も僕が15才の時に死にました。それで兄と僕は別々に親戚に預けられたんです。母方の一族は、肝臓が弱く、早死にする人が多いんですよ。だから、僕も直ぐに体が疲れてよく寝るんです」
「一日に、何時間ぐらい寝るの」と女性が聞いた。(今まで、男ばかりしか泊まりに来ないような感じで書いてきたが、少ないが、勇気有る女性もたまに泊りにくるのだ。ペンション西海を見くびらないように(笑・・・・)
「そうですね。15時間くらい寝ますかね」
「15時間とは子供よりも寝るんだね」と篠原さんが言う。
「寝る子は成長する。彼の場合は成長しないですかね」
みんながそれを聞いていて、どっと笑った。
「眠たい、ぼく、もう寝ます」
「ちょっと待てよ。折角、ペルーに来たんだから、カヤオに連れて行ってやるよ」と私が引きとめたるように言った。
「しかし、・・・・・」
「まあいいじゃないか。俺が奢ってやるから」
「エドワルド太っ腹」と篠塚さんが掛け声をいれる。
さあ、また七人いや今度は八人の侍が、カヤオに向かって突撃だ。

カヤオのバーはどこも、大体15坪〜20坪ぐらいで、中に入ると右か左サイドがカウンターになっている。その反対がテーブル席で、赤や黄色のセロハンテープが電球を覆ってあって、何とも助平な雰囲気を醸し出している。お酒を飲んでいると、女性が寄ってきてビールなどの飲み物をせがむシステムで、一本ごとにパーセンテージでマネーバックがあるので気を許していると、女性に何杯も飲まれることになってしまう。基本的に女性はフリーで、別にバーに行きたくなければいつでも休めるのである。
杉山君は、普段は白い顔を真っ赤にさせてバー中を見回していた。
「ぼくこんなところにくるのは初めてなんです」
「そうか。思う存分楽しめよ」
「セニョリータ(結婚前の女性)。このムチャチョ(若者)はビルヘン(童貞)だよ。筆下ろしをしてやってくれ」というと、女性二人が杉山君を中に挟んで坐り、彼の手を握ったり、頬にキスをしたりしている。杉山君が嬉しいのやら苦しいのやら分からないような表情でオロオロしているのを見るのは、吉0新喜劇を見ているようだった。
つづく・・・・

南米旅行記XX

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写真の所有者様、あまりにも写真のイメージが一致したので、拝借させていただきます。ありがとうございます。


ペンションの宿泊者は、夕方になるとセントロにあるダルマ食堂に行く。日本人が5〜6人(観光しなくいつもペンションにいる連中)、カエ プーノを歩くのだから、そこら中から「チーノ」という声がかかる。
「何だ、あいつらいつもチーノと呼びやがって」
「そう、頭にくるな。チーノと呼ばれるごとに、いちいち怒っていちゃ、体がいくつあっても足りないよ」
「しかし、頭にくるんですよね」
「確かに、チーノという言葉の中には東洋人蔑視が入っているが、この場合、彼らは珍しい連中が歩いてきたから思わず声を掛けただけだよ」
「そうですかね。あれは、軽蔑している目だと思いますけどね」
「仮に、俺たちを軽蔑していたとしても、俺たちにはどうしようもないよ。彼らが東洋人をチーノと呼ぶのは、150年前中国人がここに移民してきたときからの伝統だからね。君一人が彼らを殴ったり、怒鳴ったりしても、何も変わらない。それより、涼しい顔をしてやり過ごす方が、カッコいいんじゃないのかな」
「でも、俺は日本人ですから」
「君の心の中に中国人蔑視があるから、腹が立つんじゃないのか」
「それも、少し有るんだけど、俺は日本人だしな」
「君も世界をもっと周ってみる必要があるな。日本人は自分達を白人だと、いや白人になりたいと思っている。その反動で、他のアジア人を差別するんだよな。それは中国人も韓国人もそうなんだけど。白人に異常に媚を売り、アジア人を無視する。その行動自体、アジア人である自分達を自己不定していることになると俺には思えるんだけど」
「そんなの関係ないですよ」
チーノと後ろから声がして振り向くと、小学校らしい少年が数人笑っている。ひとりの日本人が彼らの方に歩いていって、子供達の頭を叩いた。子供達は蜘蛛の子を散らすように散らばって「チーノ」と言いながら逃げていった。
「いくら鉄拳制裁してもあんなもんだよ。連中は絶対に『チーノ』と呼ぶのは止めないよ。そんなことしたら、かえって逆効果だ」
「あんなアホ連中には、鉄拳制裁しかありませんよ。俺はナイフやピストルが出てきたって止めませんよ。無礼な行為に対して断固、立ち向かうしかないです」
「まあ、君のことだから、好きにやるといいよ」
習慣も考え方も違う外国に行くと、日本人の常識からして耐えることの出来ないことが多い。汚い服をきたインディオやメステーソが、チーノを見て、俺らより劣っている人間が来たぞと「チーノ」と呼ぶ行動は、世界第二の経済を誇る国の住民として、耐え難いものがあるだろう。しかし、中国人が南米大陸に来た時、インディオより下の最下層に位置づけられた時代があった問題と政権担当者が自分達の地位を奪われないために国民の教育程度を向上させてこなかった問題がクロスオーバーする相乗効果で「チーノは貧乏な自分達より劣っている」という誤解を生んでいるのではないか。何れにしてもチーノ問題は日本人旅行者にとって厄介だ。一番いい対策法は、涼しい顔をしてやり過ごすのがいいと、私は思う。世界を変えるより自分を変えれば、それに同化でき楽になるのだから・・・。

つづく・・・

南米旅行記XIX

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所有者様、イメージがあまりにも一致しましたので、借用します。ありがとうございます。

リマには、レストランをやっている日系人が多い。レストランを覗くと、アジア系の人間が中で働いているので直ぐに「ああ 日系人の経営だな」と分かる。中国人かもしれないという人がいるかもしれないが、中国人は中華料理屋をだし、韓国人はまだレストランを経営する実力がないから、ペルー料理屋をしている東洋人は、ほとんど日系人だ。

 そんな中で、西海の近くに日本人の家族がやっているレストランがある。レストランというより食堂という言葉がピッタリで、メニューは大体ペルー料理なのだが、一品だけ日本食がある。それは蕎麦で、器はどんぶりでなくサラダを入れるような皿が使われており、関西風の御つゆが零れそうなぐらいナミナミと注がれている。日本でこの蕎麦を食べたらそんなに美味しいとは思わないだろうけど、日本の裏側のペルーで何ヶ月ぶりかに食べると、何ともいえないほど美味しいのだ。

カエ プーノ(プーノ通り)をこのレストランとは反対にセントロの方向へいくと中華街があり、漢字で書かれた看板が目についてくる。入り口には横浜や神戸の南京町にあるような、だが、それより小振りの中華門がちゃんとあるのだ。このとき、日本人に人気があったのは、飲茶ができるレストランだった。味は香港やマカオに比べると落ちるが、許容範囲で、種類のほうも、海老、サメ、豚肉などのシュウマイや粽と豊富でなかなかだ。

ペルー料理は、主食(なぜかレストランではジャガイモがあまり出てこなく、パンが出てくる)がパンで、肉、魚介類と何でもあり、種類が豊富であるが、メキシコ料理とちがって辛くない。特に私の一押しは、セェビーチェである。生の魚、海老、蛸などをレモンの汁であえたもので、酸っぱくて絶品だ。ビールを飲みながら食べるとたまらない。我々、貧乏旅行者は、高級レストランなどめったに行けるものではないから、いつも行くのは街の食堂である。そこで食べるペルーの肉料理は、顎が痛くなるほど固い。お金を出して、こんなものをペルー人はよく食べるなという代物だが、地元の人間とってはご馳走なのだろう。一度、セントロにあるプラサ デ サンマルティン近くのホテルでバーベキューのようなものを食べたのだが、やはり硬くて、あまり美味しくなかった。料理では、メキシコがラテンアメリカNo.1の地位は不動であろう。

ペルー人の紹介で、ホテルの最上階にあるレストランへ篠原さんと入った。窓側の席からはサン マルティン広場が見下ろせて眺めがいい。広場には人々が溢れ、幸せそうなカップルが抱きついていたり、待ち合わせをして相手が来ないのか時計を真剣な顔して見ている人がいる。(何で顔まで見えるんだ。まあ、ええやんけ)
「篠塚さん、肉でも食べましょうか」
「このペルー風バーべキューにしようか」
「美味しそうですね」
そのバーベキューを注文するとしばらくして、ウエーターが洗面器の真ん中に、錐形の糸巻きのような形のものが付いている鍋と厚切りにした真っ黒な肉を持ってきた。その鍋に真っ黒い肉(おそらく古い)を入れてしばらく焼いてから、篠原さんが一口、肉片を口に入れた。
「なんだ、これは、物凄く硬いよ」
「本当ですか」と肉片を口に放り込むと「硬い」と思わず叫んでいた。何十回と噛み砕くのだがなかなか柔らかくならない。顎が痛くなるので、ある程度のところで丸ごと飲み込む。味はいいのだが、この肉は日本人には硬すぎる。日本人は食に柔らかさを求めてきたので、日本人の顎は世界標準と比べて、相当柔なものになっているのではないか。兎に角、篠原さんとやっとの思いで肉を平らげる。久しぶりの高級レストラン(一人15ドルぐらいだったので、一般のペルー人や私にとって)だったのに、顎が疲れるためにお金をだしたようなものだった。

総合的に考えて、ペルー料理のラテンアメリカでのランクは下から数えたほうが早い。当時は経済的に破産状態なので、料理の味に構っていられなかったといえばそれまでだが、食べ物はあまり洗練されてないというのが、私の感想である。私は貧乏旅行者だから、比べる対象はいつも大衆食堂レベルなのだが、食通の国では大衆食堂でもなかなかいけるのである。高級レストランに関しては「我知らず」であるので悪しからず。
つづく・・・・

南米旅行記XVIII

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ペンション西海は、ビクトリア地区というリマでも相当治安の悪い場所にある。
ペンションの前を歩いていて強盗にあった話は珍しくない。だいたい、狙われるの
は、体の線の細いオドオドしたタイプの男性か、女性である。

ある日、日本人がバックパックを背負わず、体ひとつでペンションに入ってきた。
「バックパックを持っていかれたんですよ」
「どこで」と誰かが訊くと。
「ここから少し向こうへ行ったところです」
「もう戻らないな」
「それで、パスポートとお金は」
「それは、腰巻ベルトに入れてあるから、大丈夫です」
「そりゃ良かった。それで、盗難保険には入っているのかい」
「はい、日本でA0U保険に入ってきました」
「それじゃ、盗難証明書を警察でもらって、保険会社に電話するんだな。運が良け
れば、2〜3週間で申請した分の8割ぐらいは戻ってくるよ」
「本当ですか。助かった」
「でも、押しが強くなければいけない。向こうは、君が日本に帰ってから払うよう
に話を持っていくだろうから、お金も、トラベラーズチェックも盗られてどうしよ
うもないと泣きつくんだよ。そうしたら、すぐドルチェックを送ってくるよ」
しかし、バックパックだけ取られたとうことなので、彼はラッキーだった。

メキシコで知り合った日本人なんか、グアテマラで全財産の入ったショルダー
バックを肩に掛けて歩いているとき、地元の人間に
「肩にアイスクリームが付いているよ」と声を掛けられ、バックを降ろして、肩
を見ようとした瞬間、路上に置いたバックを盗られてしまったのだ。

バックの中には、US2万ドルのトラベラーズチェックが入っていた。すぐにアメ
リ0カン エキス0レスに電話したが、なかなか掛からない。ようやく通じて、盗
難のことを伝えたが、時すでに遅し、換金された後でトラベラーチェックの再発行
はできないということだった。それでは気がすまない彼は何回も会社に電話した
が、会社側の返答は同じだった。最後は、名前を伝えた瞬間に電話を切られると
いう有様だったらしい。やはり、お金はバックに入れないで、腹巻と靴下の
中に分けて入れるのが賢明だ。

ペンションの食堂にある大テーブルで貧乏旅行者が彼を囲んで座り、相談に乗っている。
「どうせ申請するなら、金額を膨らまして限度額いっぱいにしろよ」
「そんなことして、平気なんですか」
「かまわないよ。保険会社だってあこぎな事をしてるんだからな」
「そうだよ。保険に入りに行ってみな。バラで買えば安くすむのに、こちらから指定
しなければ、必ずセットの高いのを勧めるんだからな。それに契約内容も小さな字で
かかれているし、現代人では読めない古臭い法律用語を使ってやがる」
「そうだよ、読まないから、実際に適用される事件に遭遇しても申請する人間が
少ないんだよ。保険会社丸儲けだ」
「おい、カメラにレンズ数本、直ぐ限度額に達するぞ」
「でも、一品につき10万円までですから、あまり高いのを入れても。それに値
段がわかるんですか」
「俺はニコンのカタログを持っているぞ」
「なんで、お前が持ってるんだ。保険金詐欺をするとつもりで持ってきたな」
「へへへ」
まるで、共同でプラモデルを作るように、みんなが一致団結して激論を闘い合
わせている、微笑ましい光景が、そこにはあった。
つづく・・・・

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