人生は野菜スープ(または毎晩午前0時更新の男)

引退した元フリーライター。病気療養中(精神疾患、障碍等級2級)。世捨人にて説教無用。毎晩午前0時書き下ろし記事を更新しています。

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 安西冬衛(1898-1965・奈良県生れ)は第一詩集かつ日本のモダニズム文学を代表する傑作「軍艦茉莉」1929で特異な短詩・散文詩を確立したカルト的詩人で北川冬彦の盟友。真髄はすべて第一詩集にある、といえるだろう。

『軍艦茉莉』 安西 冬衛

(一)

「茉莉」と呼ばれた軍艦が北支那の月の出の波止場に今夜も碇を投れている。岩塩のようにひっそりと白く。

私は艦長で大尉だった。娉嫖(すらり)とした白皙な麒麟のような姿態が、われながら麗しく婦人のように思われた。私は艦長公室のモロッコ革のディヴンに、夜となく昼となくうつうつと阿片に憑かれてただ崩れていた。そういう私の裾には一匹の雪白なコリー種の犬が、私を見張りして駐っていた。私は監禁されていた。

(二)

日の出がかすかに、私に妹のことを憶わせた。私はたったひとりの妹が、その後どうなっているかということをうすうす知っていた。妹はノルマンディ産れの質のよくないこの艦の機関長に夙うから犯されていた。しかしそれをどうすることも今の私には出来なかった。(…)

(三)

夜半、私はいやな滑車の音を耳にして醒めた。ああ又誰かが酷らしく、今夜も水に葬られる−私は陰気な水面に下りて行く残忍な木函を幻覚した。一瞬、私は屍体となって横たわる妹を、刃よりもはっきりと象(み)た。私はにわかに起とうとした。けれど私の裾には私を張番するコリー種の雪白な犬が、釦のように冷酷に私をディヴンに留めている。−「ああ!」私はどうすることも出来ない身体を、空しく悶えさせながら、そして次第にそれから昏睡していった。

(四)

月はずるずる巴旦杏のように堕ちた。夜蔭がきた。そして「茉莉」がまた錨地を変えるときがきた。「茉莉」は疫病のような夜色に、その艦首角(ラム)を廻しはじめた−

『春』 安西 冬衛

ちょうちょうが一匹韃靼海峡を渡って行った。

『河口』 安西 冬衛

歪な太陽が屋根屋根の向うへまた堕ちた。
乾いた屋根裏の床の上に、マニラ・ロープに縛られて、少女が監禁されていた。夜毎に支那人が来て、土足ながらに少女を犯していった。そういう蹂躙の下で彼女は、汪洋とした河を屋根屋根の向うに想像して、黒い慰の中に、僅にかぼそい胸を堪えていた−

河は実際、そういう屋根屋根の向うを汪洋と流れていた。
 (以上詩集「軍艦茉莉」より)

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