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キンクス The Kinks - グッド・タイムス・ゴーン Where Have All The Good Times Gone ? (Pye, Album"The Kink Kontroversy", 1965) : https://youtu.be/EqrwsGrfv7M
サンハウス - おいら今まで (テイチク, アルバム『仁輪加』, 1976) : https://youtu.be/RevNCymN_IE |

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キンクス The Kinks - グッド・タイムス・ゴーン Where Have All The Good Times Gone ? (Pye, Album"The Kink Kontroversy", 1965) : https://youtu.be/EqrwsGrfv7M
サンハウス - おいら今まで (テイチク, アルバム『仁輪加』, 1976) : https://youtu.be/RevNCymN_IE |
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本日でヤフーブログの新規更新は終了しますが、親切な方から懇切なアドバイスいただき、とりあえず「移行」ではなく、今週初めまでの過去記事を、F2ブログに預けておくことにしました。ブログタイトルは新タイトルも考えましたが、まぎらわしいので「人生は野菜スープ」のままにしました。 https://fifthofjuly1964.fc2.net/ がF2ブログでのアドレスです。8月26日・月曜までの過去記事はすべて(いただいたコメントともども)そちらにコピーしてあります。9月以降にはF2ブログで続きを始めるか、F2ブログからのコピーでヤフーブログ記事がまるごと引っ越ししてはいないので改めてヤフーブログ提供の移行ツール(どうもバグが発生する場合もあるみたいですが)を使って別のブログに移行・開始するかはわかりませんが、一応過去記事保存先として上記F2ブログを設けたのをお知らせしておきます。新しいブログの開始先はF2ブログの方にリンクを貼りますので、ご参観ください。F2ブログへのコピーについてアドバイス、ご教示いただいたk......さま、ありがとうございました。 (画像は本文とはあまり関係ありません。) |
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テリー・ライリー Terry Riley - ア・レインボウ・イン・カーヴド・エア A Rainbow in Curved Air (CBS Columbia, 1969) Full Album : https://youtu.be/hy3W-3HPMWg
Released by CBS Columbia Records Columbia Masterworks MS 7315, 1969 All Composed and Performed by Terry Riley Produced by David Behrman (Side 1) A1. A Rainbow in Curved Air - 18:39 (Side 2) B1. Poppy Nogood and the Phantom Band - 21:38 [ Personnel ] Terry Riley - electric organ, electric harpsichord, keyboards (Rocksichord), goblet drum (Dumbec), tambourine on Side 1, soprano saxophone, electric organ on Side 2, Liner Note Glen Kolotkin, Roy Segal - engendering Virginia Team - Back Cover Illustration David Behrman - production * (Original CBS Columbia "A Rainbow in Curved Air" LP Liner Cover & Side 1 Label) (Original Liner Note by Terry Riley Himself) |
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詩集『豊饒の女神』思潮社・昭和37年8月1日刊
* 最 終 講 義 西 脇 順 三 郎 けやきの木がまたかれている 先生の窓に梨色のカーテンがかかつている死の床の上で なければタバコを すわないと叫んでみても やはりあの古いネツケがすいたい まだこの坂をのぼらなければならない とつぜん夏が背中をすきとうした 石垣の間からとかげが 赤い舌をペロペロと出している とりかぶとと葡萄の汁がにじみ出る 舌はかわいて煉瓦のように かたくなつて言葉が出されない この恐怖の午後 でも何ごとか自分のことを 言わなければならないのだ 何ごとか感謝すべきだ いつしよに酒をのんだ人達の前で 別れの絃琴をひかねばならない 別れの花瓶に 追放人のエジプト人の頭がうつる この長頭形の白雲の悲しみ この黄色い菊のにおいをかぐと 長安の都をおもうばかり この去る影は枯れた菫の茎に劣る えど川のかれすすきの原のほとりで こいこくとこいのあらいで わかれの酒をすすつた 白秋も荷風もまだささやいている ママでは紅梅の梅が蕾を出しているだろう 昨夜はシバマタからアルビヨンへ 車を走らせてわかれのビールを飲んだ 灰色の古いステッツスンの帽子は 夕陽にそまつて茄子の色になり シャツもウルトラマリーンにそまつた エロスもミソサザイも去つた キシボジンの雀もたべられない 王子の狐もいなくなつた 地獄篇をさまようイサラゴの 絶望の三人の男は ドジョウのように灰色になつた アカバネの崖から ダムプカーといつしよにほこりをのんで 土手の下をぐねぐね永遠にまがつて 江戸川へわかれの言葉を探しにきた ガスタンクと煙突の幽霊と ワイルドの牢獄とつみ草の土手は われわれの神学の初めとなる 土手を行くものは自転車にのる 少年と赤毛の犬だけだ つれの浅草人はヘラヘラの こいの皮を食べてシャラクを思つていた シャラクのめとマラルメのめ つり人もいない 「土手がたかくてあがれません」 「しきいでしよう」 かつしかの娘たちよ わかれの言葉を教えておくれ ああ言葉のわかれ 三人の男は無限にむせんだ わかれはすべての存在を語る 「わかれの言葉に論語をやつたら」 「最高の人生は政府につとめることであるとはどうかと思う」 地獄への旅だ この江戸川の酒のトックリに写る けやきの木 白魚の雲 今宵はだんなの 豆まきか かつしかの芸者がけずねを出して 水仙のもすそをまくる日だ もうかつしかには春が来た 冬のわかれの言葉は一つや 二つ出そうなものだ あら川のアポロンよ えど川のニムフよラムネよ れんげいぬのふぐり さんがいぐさつくしを つみにいくよ ねざめが悪い わかれても まだこの坂をあがらなければならない この坂の上で死神と将棋をうつのだ 夕べはシバマタから シンクレア・ルイスの伝記を買いに ギンザへ車を走らせた 苦しんだ人間はセザンヌの壺のように 美しい でもわたしはわたしのことを 何かいわねばならない 雀が鳴く朝までおきていて 何か考えなければならない オリオン座が女のように 傾いているだろう 梅の蕾が心配だ 霜の下りた芝生の上に フランスからもらつた白ペンキを塗つた 椅子とテーブルがマラルメのように 曲がつているだろう わたしはわかれたくないのだ 何もいうことはない 誰かあいそづかしをいつてくれないか わたしはギリシャ語もラテン語も やつたが何も覚えていないな ドイツ語もやつたが株式会社と金と いう言葉しか覚えていない フランス語は猿ということしかしらない ヴェルテルのピストルの女神しかしらない 射的場の土手でシモンズを読んでいた 自分をかすかにおぼえている あのフランシス・ジャムの帽子のつぶれ ペーターの林檎色のネックタイのくずれ 藤島先生が小豆色の菊をわたしに 書いてくれたあけぼの町や 大森の麦畑と白いペンキのホテル せんぞくの肥舟とサンマと染物屋と ためいけのストーヴとモデル女と 青山の墓地と百日紅とカンヴァス タンス町の夕暮とチンドンヤ 六丁目の金魚やとガラスや イングラムの経済学史とマルクスのカピタル 上田敏のとなりのお湯屋 小泉信三と共産党宣言 幽霊坂とアレンのラテン文法 イェイツと図書館のバルコンと 白鳥の歌と目黒のイチゴと おけしよう地蔵とマクベス アンナ・カレニーナと財政学と 人糞を運ぶ牡牛とアイヴァンホー 易経とアンドロメーダ 記憶はタラコのようにオジュッセイアの ように切つてのら犬に与えよ 男の座は土手のむこうにある ヒスイのえど川よ静かに流れ給え このかつしかの水鳥よ シギの声をまねる男よ だがしを売るガラス坂よ 汝等の歌が終るまで えど川はこんぺきに流れる イチフォリークのランボは去る ミチファリークのジョイスは去る えど川にボラを釣る人の 水晶の夢も去る 白秋の行く道はまだ 向うがわに残つている きちがいの女たちがうつ法蓮華草の たいこはイモを作る人々や 水あびをする少年にきこえる わかれの言葉はきこえないが いぼたに白い花が咲くころ またミミナグサの坂をのぼる ベーオウルフをささやいてみる 「ホワット ウェー……」 また追放の人はかえるだろう また夜があけた 梨色の…… なんにもない野原はかすむ ホー (昭和37年3月「詩学」、第7詩集『豊饒の女神』昭和37年8月・思潮社に収録) |
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イギリスのSF作家キース・ロバーツのパラレルワールド長編『パヴァーヌ』'68は産業革命を経たものの蒸気機関(内燃機関)も電化製品も開発されず手工業技術の高度化した発展のみによって発達した20世紀イギリスという、SFの科学主義へのアイロニーを含んだ作品でしたが、コーンブルースの『シンディック』はもっと辛辣です。ロバーツの『パヴァーヌ』は科学技術ではなく手工業技術による民主主義ユートピア社会を描いているのですが、『シンディック』はギャング(マフィア)が統治する現代アメリカを描き、それが議会政治と本質的には変わりがなく、しかも議会政治よりも融通の利き公平な民主主義の実現した理想的(と少なくとも作中人物たちすべてが信じている)なユートピアとしてドラマを描いています。『パヴァーヌ』のイギリスには王室の存在する余地がありますが、『シンディック』のアメリカは現実にそうであるように王室・皇室といったものはないし、大統領に相当するのはギャングのボス(マフィアのドン)です。 では『シンディック』を日本に置き換えて政府ではなくヤクザが統治するとすると、『シンディック』のようになるかというとやはり皇室が問題になってきます。昭和天皇は前半生を現人神、後半生を極力皇室を政治に関わらせないように生きた天皇でした。もちろん内閣による大東亜戦争〜太平洋戦争の大失敗がその前半生と後半生を分けるきっかけなのですが、昭和天皇自身は戦前から政治に対して醒めていたと思われる。現上皇である平成天皇が勤めて政治に距離を置きマイホーム主義イメージを貫いたのも先考である昭和天皇から学んだことでしょう。今は上皇・上皇后が健在なので、皇室は上皇夫妻と現陛下・皇后の二世帯皇室の観があり、上皇夫妻の家庭主義が継承されていると思えます。家庭主義・家族主義とは要するにファミリーを重んじるということですから、もし『シンディック』日本版で任侠組織を政府に代わるものとしても家族主義の面で皇室の存在は許容・推奨され存続する、と考えられる。家族主義に対立するものこそが議会制政府という組織的発想ですから。 現在立憲制国家に生きている人類は、どのような制度であれ自国の憲法・司法が一定の理想に基づいており、生活の満足度に比例してそのまま自国の憲法・司法に肯定的であり、常に法は自分を守ってくれるものと盲信しようとしていると思われます。個人として国家に対立する、という身にしみる体験はめったに遭遇することがないので、国家というのはどこの国であれ国籍を有する人間にとって最大のブラック企業である、という基本認識は稀薄でしょう。日本の場合明治以来常に国民は政府にとって使役と搾取と投機の対象にされてきた。それが150年あまり続いてきただけに、例えば日露戦争後〜昭和5年前後までのような、まだ自治地方藩の記憶のある日本人の世代による国家独占資本主義の抜本的革命が可能性としてだけでも考えられることがない。無数の小ブラック企業がひしめき国家規模の癌細胞を形成する、誰もが恭順に使役され搾取されるユートピアならぬディストピアです。しかしブラック企業とは一方では私益の分配にも利している上に、新たな制度はかなりの面で現行制度を踏襲せざるを得ない。古典SF『シンディック』や『パヴァーヌ』のような想像力で21世紀の日本の国家構造をパラレルワールド化するのも困難なのは、現実の方がはるかにブラックだからかもしれません。 (画像は本文とは関係ありません。) |
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