|
むかし、東方の王国に美しい園がありました。日も傾き、涼しい風の吹く頃になると、園の主人が日課の散歩に来ました。そこに宿るものの内で最も美しく、他の何よりも愛されていたのは、気品に満ちた竹でした。 竹は年を追う毎にますます美しさと優雅さとを増していきました。また、自分が愛され、主人の喜びとなっているのを意識していましたが、それでも謙虚さと穏やかさを失うことはありませんでした。また、園の中に風が吹いて皆をかきたてると、竹はしばしばその気高さを脱ぎ捨て、陽気に身をしならせて踊り、我を忘れて、体全体でその喜びを表現するのです。竹は園全体の踊りを導き、それがまた主人の至上の喜びでもありました。 ある日、主人がやって来て、竹をじっと観察しました。竹は、立派にそびえる頭を深々と下げ、何事だろうと期待のこもったまなざしで、暖かく挨拶しました。
すると、主人は言いました。「竹よ、竹よ、私はお前を使いたい。」
主人は重々しい声でこう言いました。「竹よ、私はお前を切り倒してしまわなければならない。」 あまりの戦慄に竹の体が震えました。
「き、切り倒す…こ、この私を? ご主人様、あなたが園の何よりも一番美しく育てて下さった、この私をですか? 切り倒すだなんて、それだけは、それだけは勘弁して下さい。ご主人様、あなたの喜びのために、私を使って下さい。でも切り倒すのだけは!」 主人の声はますます重々しくなりました。「愛しい竹よ、切り倒さなければ、お前を使うことはできないのだ。」 園はさっと静まり返りました。風も息をひそめています。竹はゆっくりとその威厳にあふれた堂々たる頭を下げ、消え入りそうな声で答えました。「ご主人様、切り倒さなければ私を使えないのであれば、どうぞ、御心のままになさって下さい。切り倒して下さい。」
「竹よ、愛しい竹よ、お前から葉も枝も切り落とさねばならない。」
「ご主人様、ご主人様、どうかそれだけは勘弁して下さい! 私を切って、地面に倒し、しかも枝や葉を取り去ってしまわれるのですか?」「竹よ、そうしなければ、お前を使うことはできないのだ。」 太陽は姿を隠してしまいました。じっと耳を傾けていた蝶も、恐ろしくなって飛び去っていきました。 竹は、自分の身に及ぼうとしていることを考え、震えていましたが、とうとう小声でささやきました。「ご主人様、切り落として下さい。」 「竹よ、竹よ、私はお前を二つに割り、芯(心)を取り出さねばならない。そうしないなら、お前を使えないのだから。」 「ご主人様、ご主人様、それならば、仕方ありません。」 そこで園の主人は竹を切り倒し、枝を切り落とし、葉をすべて取り去りました。そして竹を二つに割ると、芯(心)を取り除いてしまったのでした。そして優しく竹をかつぎ上げると、澄んだ輝く水のわき出る泉まで運んで行きました。主人の水田は、水の巡りが悪いために渇ききっていたのです。 主人は一方の端を泉の中に、もう片方の端を水路に入れて、愛しい竹を優しく横たえました。泉は高らかに歓迎の歌を歌いました。割られた竹の体を通って、光り輝く水が、待ち望む渇いた地へと踊るように流れ下っていったのです。 田植えが始まりました。やがて、苗は力強く成長し、とうとう収穫の時が来ました。その日、かつてあれほども栄光に満ち、堂々たる美を誇っていた竹が、その身を砕かれ、今ではその謙虚さによって、なおいっそう栄光を増し加えていました。 美しくそびえ立っていた時は、生命に満ちあふれていました。けれども、砕きの過程を経て、竹は今、主人の世界に豊かな生命をもたらす水路となったのです! 「それから(イエスは)群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、『だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。』」(マルコ8章34-36節) |
__主との関係、主への譲渡
[ リスト ]



今の自分が絶頂期であったとしても、主に仕えるためにはそれを捨てなければならない事があるのですね。 神様は全てを見回して、そのうちで一番最適だと思う者に使命を与えられます。与えられた本人にとっては試練でしかないかもしれませんが、長期的にまた神様の視点で物事を見たときに、本当に自分が神様の目的に役立っていることがわかるのかもしれませんね。結局生きているうちにわからなくても、天国では神様から直接教えていただけるのでしょうね。
2006/7/24(月) 午前 11:50 [ - ]
亮ちゃん、いつもコメントほんとーーーーーーーーに、ありがとうございます。 とーーーっても励みです。 心さえ、主に対して正しいなら・・・私たち自身にわかっていようが、いまいが・・・主は、なんらかの方法で、わたしたちの人生を主の栄光のために使ってくださっている・・・と、わたしは信じてます。 また、わたしの人生でも、「自分がなかなかよくやっている」とうぬぼれていた時って、後になると、結構空回りしていたことがわかることがあります。 逆に、試練と悩みでヒーヒー言いながら、かろうじて、主の恵みだけに頼って進んでいっていたときにこそ・・後から見ると、素晴らしい実を結んでいた・・という時期もありますよ。
2006/7/24(月) 午後 2:56
このお話を載せてくださって、ありがとうございます。心から感謝です。
2006/7/25(火) 午前 8:17
STARさん。 そう言っていただいて嬉しいです。 主に感謝です。 主が導かれる人生では、わたしたちに理解できないこともたくさん起こります。 自分で進んで行きたい方向へは行けずに、まったく違う方向に導かれることも。 あるいは、自分が一生懸命築き上げてきたものごとが、目の前で崩れ去っていくことも。 そんなとき、この「竹」の話は、わたしにとって何度も励ましになりました。 砕かれる経験を通して、主に使われる器となっていく。 だから、砕かれるとき、涙を流しながらでも、主に感謝することを学びました。
2006/7/25(火) 午後 0:12
はじめまして。もーちゃんと申します。一匹の小羊教会さんから来ました。 何だかジーンとくるお話ですね。転載させてください。
2006/7/25(火) 午後 0:36
いくら大成功してお金を沢山をもうけても、自分の命を損したら、大失敗ですよね。しかし神様のために、自分の命を失う者は、自分の命を救っていただけますぅ☆^^♪☆もち傑作!!!ポチっすぅ☆
2006/7/25(火) 午後 3:29 [ ipp*ki0*7 ]
もーちゃん。 はじめまして。 ご訪問、転載をありがとうございます。 ちょっと行かせてもらいました。 Yahooともうひとつのブログ(名前忘れました・・) 両方に転載していただきました。 ダブルドウモです。 今後ともお付き合いをお願いします。 ヨロシクです。
2006/7/25(火) 午後 7:45
Ippikiさん。ありがとうございます。 「命」って、ただ生物学的な生命だけでなく、たとえば、面子とか、自分の計画、やり方とか、世間体とか・・それがなんであれ・・自分にとって、とっても大切・・と感じているもののことじゃないかな・・って思います。 それに関連して、「砕かれること」という記事を書きました。 この「竹」の続編・・のつもりで・・。
2006/7/25(火) 午後 7:51
傑作ボタンも押させていただきました。
2006/7/26(水) 午前 9:06
もーちゃん、ありがとうございます。 他の記事「もー」・・おねがい!!
2006/7/26(水) 午前 11:58
ダニエルさん こんにちは^^素敵なお話ありがとうございました。。。☆ 感動しました!
2008/2/23(土) 午後 1:30
はじめまして。
ご覧になっていらっしゃるかな...?
今このお話しと御言葉に出会うのは私にとってとても不思議なことです。
感謝致します。
私はもうすぐ切り倒され園から除かれます。
御心が行われますように...!
2014/5/4(日) 午前 10:53 [ みんくす ]