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職人は裸のZを目前にじっと佇み、物思いにふけっていた。 かつて泡と消えた好景気。 職人が修行時代を過ごした板金工場には、居並ぶ名車と多数の従業員がひしめいていた。 人々はこぞって高級車を買い求め、少しの傷も気にし、修繕に余念がない。 工場もまた、好景気に沸いていた。 オールドカーもまた例外にあらず。 経済力にものを言わせ、レストアの依頼が引きも切らずに来ていたあの頃。 一般作業は従業員に任せ、社長が1人楽しんでレストアを手がけていた。 職人達はそれを横目で盗み見つつ、自分の作業をしたものだった。 今にも抜け落ちそうな床 野に咲く可憐な野菊のように 易々と手折る事が出来そうな鉄のなれの果て それが、今の現実 それが、一事が万事 ノウハウは手に入れた。 技術も身に着けた。 作業は己1人きり。 生活の為の仕事も、レストアも。 小さな工場 大掛かりな工具はなく、全てが手作業 手を貸す者は誰もいない もはや後戻りも出来ない 「自分はこの仕事をやり遂げることができるのか?」 普段は過剰な程の自信をもつ職人が、久しく味わう感覚であった。
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プロジェクト ''Z''
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眠りについた彼女の時間は、ゆっくりと流れていった。 一つ、また一つと部品は取り去られ、その全貌が徐々に露わになってゆく。 男が当初気にしていたのは、この フロアーパネル。 長い年月男たちと人命の重みを支え続け、限界を迎えるのも時間の問題であったことだろう。 職人は一瞥し、全摘交換が必要だと判断した。 しかし、一体どこまで部品が入手できるのであろうか。 心臓と共に、その走りを支え続けた。 こうして眠る日が来るとは 思いもかけないことであった。 全てを取り去られてもなお、その輝きは失われない。 丸裸になりつつも、その車体からは怪しげなオーラがほとばしる。 名車の所以、造形美 とはこのことか。 走りたい 野山を、コンクリートジャングルを― 車として生まれた、その「命」が、今直息づいていた。 ボルトを緩め、部品を外す。 ここまでは、誰にでも出来る仕事。 そしてここからが、職人の仕事であった―
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男の想いを汲み、職人は時間外で仕事を受けた。 時間に追われた一時的なレストアは、もはや意味を成さない。 金に任せて全てを変えていくことも、無意味であった。 納期は、無制限。 男たちが選んだ道は、長い、長い道のりだった。 幾重にも重ねられた塗装は、彼女の歴史を物語る。 しかしながら彼女の胎内は、生まれたままの純白であった。 着飾ることでしか美しさを保つ事が出来なかった彼女は、疲れきっていた。 ―健康美― そんな言葉とはかけ離れ 老いと戦う彼女の肢体は、哀れであった。 彼女の心臓に与えられたその名前は L24 生き急ぎ、酷使してきたその肉体は 生まれ変わり そしてまた彼女を受け入れる― 彼女は、しばしの眠りにつくこととなった。
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職人は、塗膜を少し剥いでみた。 灰汁色にくすんだ白い塗装は、実に七層に亘る塗装の最終形態でしかないことが判った。 生まれたての彼女は、正に純真無垢の純白であった 気品と知性、力強さを併せ持ち、たちまち彼女は世の男たちを魅了した ある時は深紅のルージュをひき そしてまたある時は流行りの服を身に纏い 一夜限りの男達に次々と抱かれていく いつしか彼女も年老いて、男たちは若さを求め去っていった 人の手に在り走ることでしか身を立てることが出来ない彼女は、さらに煌びやかに飾り立てられ そしてまたその胸に男を抱き、生きる証を手に入れる― そう、まるで娼婦のように そんな彼女の半生を物語るかのような、七色であった。 ―美しさとは、外見に因らず― 幾人もの男達に抱かれながらも 彼女はその美しさを失うことはなかった。 「走る為に生まれた」 その誇りを失わなかったように。 「お前が最後の男になればいい」 職人はそう言った。 「俺が最後の・・・」 「そう、"Z"だ」 職人が提示した金額は、200万円を切っていた。
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時は遡ること2001年、ある板金塗装工場に1台の車が入庫した。 オーナーは、日産自動車にメカニックとして勤務する ショートホープと矢沢永吉、そして 「フェアレディ240ZG」 をこよなく愛する寡黙な男だ。 床が抜けたので直して欲しい、というオーダーだった。 車齢約30年、床のみならず各所が錆で朽ち果てている。 床を直したところで、次々に補修が必要になることは間違いなかった。 職人は言った。 「レストアする気はあるか」 車体の状態は良くない。 フルレストアをするとなると、 相応の時間と金額がかかることであろう。 通常の見積もりで300〜400万円 ・・・といったところか。 男は独身ではあるものの、そう易々と300万円という金額を支払えるほど裕福ではない。 しかしながら、Zにかける情熱だけは溢れるほど持っていた。 「お願いします」 男は、職人にそう告げた。
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