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学名
Homo sapiens sapiens
Linnaeus, 1758
ヒトとは、動物界・脊索動物門・脊椎動物亜門・哺乳綱・サル目(霊長目)・真猿亜目・狭鼻下目・ヒト上科・ヒト科・ヒト属・ヒト種に属する、生物の一種であり、なおかつ動物の一種。「ヒト」はいわゆる「人間」の生物学上の標準和名である。その学名「Homo sapiens」(ホモ・サピエンス)は「知恵のある人」の意味である。
分類
界 : 動物界 Animalia
門 : 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
綱 : 哺乳綱 Mammalia
目 : 霊長目 Primate
亜目 : 真猿亜目 Haplorhini
下目 : 狭鼻下目 Catarrhini
上科 : ヒト上科 Hominoidea
科 : ヒト科 Hominidae
属 : ヒト属 Homo
種 : H. sapiens
亜種 : H. s. sapiens
上記の出典は フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。
「ヒト」は地球上の征服者のような顔をして地球上にのさばり、この蒼く美しい星の表面を闊歩している。
けれども、大きなバイオコンピュータ(脳)を格納した頭を持つこの生物は、非常に未熟な状態で産み落とされる。
原始的な反射のみを搭載した新生児は、経験と学習を繰り返して、知識や人間性を獲得し続け、
宇宙の成り立ちという神の領域まで踏み込むような素晴らしい自己学習型コンピュータを完成させていく。
逆に言えば、未熟な形で生まれる人間こそ、育ち方でどんな人間にも成り得るということだろう。
さて、小難しいことはこのくらいにして・・・。
こんな年齢になって、「たかいたかぁ〜い」をしてもらうことなど無いけれど、
子供が「たかいたかぁ〜い」をしてもらって「キャキャキャッ」と喜ぶ光景は、今日のような週末の午後にはアチラコチラの公園でよく見かけます。
実はこれ、不思議だと思いません?
自分が高いところに放り投げられ、落ちてくる感覚が楽しいことであるはずが無いのです、、本当は。
あんなに不安で恐怖に満ちた行為を、「もう一回やって〜!」って言うなんて、どこかおかしい。
ま、そうなんですゎ。
放り投げた人が「自分を愛してくれている人だ」という確信が無ければできません。
落ちてゆく自分を優しい目で受け止めてくれる人の所へダイブしてる自分を「幸せ」だと感じているんです。
実は、「たかいたかぁ〜い」をしてもらったことの無い子供は、空に放り投げられると、恐怖に歪んだ顔で身体を竦めます・・・。
同じようなことが「こちょこちょ」ごっこにも見られます。
皮膚には「くすぐったい」を感じるための感覚器はありません。
せいぜい、痛覚・圧覚くらいの認識しかないはずなんですけどね。
中途半端な刺激で、小脳が予測と覚悟の間で混乱するのだそうです。
この混乱と「くすぐり者」(?笑)の満面の笑顔が結びついた記憶を繰り返すことで、
「やめてぇ〜〜死ぬぅ〜〜〜」
・・・となる訳ですね^^;
以前、ブロ妹の ヨイヨイよいこちゃんの記事でコメントが沸騰したことがあるけど、
私はわきの下でも足の裏でも、くすぐったくて「死ぬぅ〜」となることはありません。
むしろ、私のP.S( パーソナル・スペース)はダダっ広く、秋田の畠山静香事件では「あるかも・・」と思った人ですから。
今にして考えてみると、私は母に手を引かれた記憶がなく、身体に触れられた記憶もありません。
そうそう、私が「女の子」になったことを報告した時も、お祝いどころかあからさまに冷たい態度でしたっけ。
結婚する時も、「私でも可愛いと思ったことが無いのに、もらってくれる人がいるなら行けば?」と。
もちろん、私は愛されていなかったとは思ってないけれど、とても愛情表現が下手だったんだろうと客観的に見られるようにはなりました。
私の子供時代、父親は仕事一辺倒で、男親は子育てに関わることも少なかった。
ただ、父との幼い頃の記憶は、日曜日に朝寝坊している父のおふとんにもぐりこんで、冷たい足を父の足にピトっとくっつけてみることくらい。
そんな中、やんちゃを言って駄々をこねたりしたこともない。
暴れてやればよかった・・・(爆
褒められたことも無い・・・お行儀良くして、結構頑張ったのにねぇ。
先日、母がポソっと「あんたは何も甘えんから、ちっとも可愛くなかった」って・・・そりゃないぜ(号泣、、、
考えてみれば、母も戦後、母の母と5人の子供で育った。
知り合いに預けられたりして甘える経験や、愛の表現の仕方がわからないままなのではないかと思う。
そして、私。
初めての赤ちゃんを目の前にした時、実に機械的にオムツを取替え、物理的にオッパイをあげていた。
だって・・・話しかけてもわかんないだろうし・・お返事返ってこないし。
毎日、私と娘の2人で暮らしていたので、私はず〜っとテレビをみてました(驚
これがまぁ、おとなしく泣かない サイレント ベビーにしていたとは気付かないで。
娘のストレスは泣くことで解消することはなく、アトピーと喘息という形で出てしまった。
当時、出会った小児科医は、子供のアレルギーと子育てに悩む親のカウンセリングを看板にしている先生で、
いち早く反応の悪い娘をみて、
「寝ていても可愛くて、ほっぺを突付いて起こしてしまうような子育てをしないとダメだ」と一喝!
私にしてみたら、おとなしく寝ているのに、「なんで?」って感じでしたけど。
赤ちゃんの脳の神経の繫がりは、外部の刺激から求心的にネットワークを作製する手助けになるんだそうです。
この場合の「刺激」とは、たとえば「裸足で芝生の上を歩く時のチクチク」とか「砂場のドロドロ」とか、「冷たい」とか、どちらかと言えば「不快」に属するような感覚。
親にしてみたら、排除したいような出来事。
そんなアドバイスから、私は心機一転、寒空の乾布摩擦とか、話しかけとかをやっと始めた訳でして・・・。
本来ならば、寝ている赤ちゃんにほお擦りして起こしちゃったり、「え〜もう寝ちゃうの? おかーさん寂しい〜」みたいなことは母性が普通に備わった人間なら、抵抗泣くできることなんですけどね。
返事の返ってこない赤ちゃんを前に、他にだれもいないところでひとり芝居みたいなことをするわけですから、「自然に」とはいきませんでしたけど。
でもまぁ、「このままじゃ殻に閉じこもったまま出てこない子供に育っちゃうぞ!」と言われたけど、手遅れにならなかったのは良かったです・・・。
そういう自然な母性が備わっていない母親が先進国で増えているという事実は、衝撃でした。(自分を含めて)
ぐにゃりとした赤ん坊をどう扱ってよいのやらさえ、分からなかった未熟な母・・・こんなことから、私の子育ては始まったという告白。
お腹の中では、へその緒で繋がっていた事実を知っている母親は、どこか赤ちゃんを自分の体の一部だと思い込んでいます。
けれども、出産というイベントを通して、赤ちゃんも自分とは別の個体だということを思い知りました。
私ともうひとりの人間のDNAから創造された一つの個体として、いくら小さくても尊重して、守ってやらなくちゃね。
今でも、突然娘に近くに来られると、身構えてしまう私がいますが、私が「接触拒否症」だということも娘達は知っています。
どこをどうくすぐっても、知らん顔の私を「つまらん奴・・」と吐き捨ててます。
でも、私の母と私の関係も、客観的にみた上で、「そのトラウマの母子連携は、私達で食い止める!」と言ってくれる娘達。
どうか幸せになっておくれよ。
でもね、「その「触られるの大嫌い病」をなんとか克服して、居心地のいい腕枕を探せ〜!少し慣れなさい!」といいながら、私にベタベタしてくるのだけはやめてください・・・。
ヨイヨイちゃんじゃないけれど、近くに寄ってもいい人、ちょっと腕くらい組んでもいい人は、すこし増えてますから。
私のP.Sを狭くしてくれるツールのお酒もあるしね^^v
ただし!、P.Sを狭くできるほど私を心地よく酔わせてくれる人が必要ですけど。
要するに!赤ちゃんだけではありません!
智紗もまだ、経験を重ねては、成長中なんですね〜。
いつか・・・
「たかいたかぁ〜い」に「キャキャキャッ〜❤」と嬉々とした声を上げ(? 誰が持ち上げるんだ・・・)、
「コチョコチョコチョ」に「死ぬぅ〜〜〜〜〜❤」と転げまわり、
高級宝石店の前で「これ買って〜〜〜」と駄々をこね、
居心地のいい懐にスポっと転げこんで「おやすみ〜」と言えるようになるかもしれません!
世も末? (爆
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年末年始、楽しいこと、嫌なことをとりあえず済ませ、
春から大学生になる娘をつれて、貧乏旅行をしてきました。
心でガチな話をしたり、現実に涙したり、歴史を再確認する旅です。
「母子でこんなまじめに人生を語れる関係って、幸せだと思う」と言われ、涙した智紗です。
今年も、早くも半月が始まっています。
仕事も始まりバタバタして、皆様へのブログ訪問も儘ならず、ご心配おかけしました。
マイペースですが、こんな調子で通常の智紗に戻りました。
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