粒焼次郎の落書夜話

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政府紙幣

景気対策の飛び道具として、また国の債務をこれ以上増やさないための方策として、政府紙幣の発行を唱える意見が出てきている。発端は10年ほども前の経済学者の提唱らしいが、昨年には金融相経験者でもある渡辺喜美氏(後に自民離党)が提言した。最近も一部の与党幹部がテレビ番組で前向きに反応し、ここのところ話題になっている。現時点では、首相や官房長官、財務相、自民幹事長らが軒並み消極的で、実現性は低いが、面白い案ではあると思う。国債の発行と違って利息が発生せず、財政上も債務としてカウントされない金を遣うことができるし、多少ならインフレを起こすことが景気浮揚に繋がるので、メリットが大きいという考え方があるからだ。

一般的に、紙幣は中央銀行が発行するもので、日本で現在有効な紙幣は、全て「日本銀行券」である。しかし、政府が自ら貨幣を発行できないわけではなく、現に日本も、補助貨幣という位置付けながら硬貨は政府が発行している。これを紙で発行するだけのことなので、法令上もすぐに実行可能だ。かつての金(銀)本位制に基づく兌換紙幣は、金貨(銀貨)と等価交換できることが条件だったから、政府や日銀にそれだけの金(銀)の備蓄がないと発行できなかった。けれど、今の紙幣は不換紙幣といい、政府の信用を根拠にして発行されている。国民が「この紙幣は紙クズになる恐れがない」と信じているからこそ、貨幣として流通するのである。

当然のことながら、政府が恣意的に不換貨幣(硬貨・紙幣を問わず)を発行すれば、経済は混乱する。統治者の権威を背景にした不換紙幣という意味では、戦時中に国外の占領地で濫発された軍用手票(軍票)も、一種の政府紙幣みたいなものとして有名だ。通貨の流通量が増えるわけだから現地のインフレを招き、しかも日本の敗戦で貨幣価値が一気にゼロになったため、多くの取引が途中で破綻した。江戸時代に流行った藩札もほとんどが不換紙幣で、藩内の経済を乱すことが多かった。

ただ、きちんと管理された政府紙幣なら、別に日銀券と変わらないので、問題はない。まだ日銀のなかった1871(明治4)年末にも、明治通宝という政府紙幣が発行されている。既に同年5月、「円・銭・厘」という新通貨が登場していたが、この頃は藩札の延長線上にある太政官札民部省札、府県札、さらには民間為替会社の発行する札まで、官民の種々雑多な紙幣が入り乱れており、偽札も大量にあったと言われる。こうした混乱を収拾するため、統一紙幣を政府が発行することにしたのである。当初はドイツの印刷会社に発注し、後には技術移転を受けて、十銭・二十銭・半円(五十銭)・一円・二円・五円・十円・五十円・百円の9種類が印刷された。

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この写真は十円札の表(左)と裏(右)。今と違ってタテ型で、日本領時代の台湾銀行券や昭和初期までの軍票など、後々にもこの様式を踏襲した例は意外と多い。江戸期の大判小判がタテ型だったことに由来するのだろうか。現在の二千円札は不評だが、この時代にも2の単位の紙幣がいくつか発行されているのは、興味深い(ちなみに、日銀券の時代になってからも、二十円札二百円札が発行されたことがあるが、今は全て無効になっている)。明治通宝は種類を問わず同じデザインの上に、十銭と二十銭、五円と十円、五十円と百円がそれぞれ同サイズであったため、額面を変造する例が横行したり、偽造防止技術の未熟さから、偽札が多く出回ったりした。それでも、西南戦争の際には、莫大な軍事費を賄うために大量発行され、政府の財政を支えたそうである。なお、これより後にも、複数の国立銀行(紛らわしい名称だが、純粋な民間企業)が紙幣発行を認められていた時期もあった。

1882(明治15)年に日本銀行が設立されると、その3年後には日銀券が登場、日本の紙幣は原則として日銀券に移行していく。最初期の日銀券である一円札は、現在でも通用する最古の紙幣だ(一円玉と等価だから、むしろ使わないで持っておく方が価値があるが)。下の写真はその初代で、大黒天像が印刷されていることから「大黒札」と通称されて、親しまれた。かなり読みにくいが、表の上部には「日本銀行兌換銀券」と書かれており、下部には文章で、銀貨と等価交換できる旨が説明されている。但し、現在では不換紙幣としてのみ有効で、銀貨には換えてくれない。戦前及び終戦直後までの紙幣は大半が無効になった中で、一円札だけが効力を残しているのは、日本の通貨の基本が一円だからであるという説がある。この札は、強度を増そうとしてコンニャクを使用したため、虫やネズミに喰われるという問題がしばしば発生したので、4年後には武内宿禰の肖像を使った新紙幣に変更された(こちらも現在有効)。新紙幣の裏には、英語でも兌換の説明が記載されている。なお、明治通宝は1899(明治32)年末を以て法的に無効となり、廃止された。

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日銀設立後も、政府紙幣が全くなくなったわけではない。第一次・第二次大戦期には、銀の高騰や金属物資の欠乏などが理由で硬貨の発行が難しくなり、銭単位の低額紙幣が政府から発行されている。

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上は、五十銭銀貨の代用として1938(昭和13)年に発行された五十銭札。当時の政治的雰囲気を反映して、昭和元号以外に「紀元2598年」と皇紀の表示もあるのが分かる(赤丸と矢印の部分)。当然ながら左下の朱印は(ちょっと見にくいが)、通常の日銀券にある「日本銀行総裁」ではなく「大蔵大臣」と印字される。この紙幣は、戦後の1948(昭和23)年に廃止された。

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五十銭札は戦時中にも、靖国神社の描かれたものが発行された。戦後、GHQは軍国主義(国家主義)色のあるものや旧領土がデザインに含まれる紙幣や切手の使用を禁止したが、物資不足で硬貨の流通が間に合わず、一時的にこの「靖国神社札」も復活する(新デザインを考える余裕がなかったため)。彩色が簡素になったのを除けば基本デザインは一緒だが、菊の御紋の下に波打って書かれている文字が「日本帝国政府紙幣」となっているのが分かるだろうか(赤い矢印)。戦前の「大日本帝国」から「大」を取ったのである。こんな小さなところに、敗戦の現実が見えているようだ。この紙幣も、上の五十銭札と同じ1948年に無効となった。それにしても、大黒札から以降、この頃までの紙幣は、裏面が現在よりずっとシンプルだったことに気付く。

戦後の混乱期を乗り切ってからは、政府紙幣が発行されたことはない。政府紙幣は何もないところからお金が湧き出してくることになるので、冒頭にも書いた通り、増刷数量を誤ると破壊的なインフレを引き起こす危険性を持つ。また、政府当局者が「打ち出の小槌」と錯覚して、財政感覚が麻痺する恐れもあるわけで、禁断の麻薬でもある。それよりはデノミネーション(通貨単位の切り下げ)をやる方が、通貨供給量を増やさずに消費喚起に繋がるから、良策なのではないかと思うのだけど、きっと素人考えなのだろうな(ちなみに、先日ジンバブエでデノミをやったばかりだが、あちらは逆にインフレ対策としての実行だった)。

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