こっち見んなって言ったら負け

思ったことなどを書き留めるメモ帳のようなものです。

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さて、何の為に教育を子供に施すことが義務となっているのでしょうか?

その最大の理由は
「国家を効率的に運営するため」
であると思います。


それは教育の基本とされる、
「読み・書き・そろばん」に立ち戻ればおのずから明らかになります。

国民全てが「読み・書き・そろばん」ができる、ということは
国家を運営する上で非常に重要なインフラとなっています。
例えば、危険な場所に「危険」「立ち入り禁止」といった看板が立てられていますが、
文字の読めない人が多い場合、それらの効果はその分目減りし、
場合によっては看板の代わりに人を置かなければならなくなります。
その他にも、何らかの申し込みや契約の際も、当事者が読み・書きができない場合、
いちいち説明人や代理人が介在する必要になります。

「読み・書き・そろばん」の例で明らかなように、
教育を施すことの意味の最大の理由は国家運営の効率化にあるといえます。


その原則を鑑みれば、
教育カリキュラムの変更によって国の抱える問題に対処できるのであれば、
積極的にカリキュラム変更は行うべきであるという結論に至ります。



ここで問題となるのは、
「読み・書き・そろばん」といった基礎的な教育と
「就業観」や「歴史観」といった思想的な教育との違いです。

特に、「歴史観」への教育による過剰な干渉は
所謂「洗脳」や「思想弾圧」へとつながりかねず、慎重に取り扱うべきです。


ところで人の考え方を操る上で最も有効な手段とはなんでしょうか?


私は与える情報を操作することだと思っています。
例えば、実際はA国には90%の親日派と10%の反日派がいるのに、
反日派のデモを取り上げた報道ばかりを見せていれば、
ほとんどの人はA国は反日国だと思うでしょう。

そして、別の記事で書いた農業の問題や、その他の歴史解釈の問題に関して、
日本の社会科教育は明らかに偏った情報を子供たちに与えています。
私はこれはある程度仕方のないことだと思っています。
結局「完全に公平な視点」というものは存在しないのですから。

であるならば、
ある程度「戦略的に」情報を取捨選択することも認められていいのではないでしょうか?
特に最近はインターネットなどの発達により
子供たちであっても容易に様々な情報に触れることが可能になりました。
つまり、以前に比べて「政府による洗脳」の起こりにくい状態になっています。


最後に私が考える「情報の取捨選択」を述べます。
これは極めて単純です。
農業など今後重要と思われる分野の情報、特にポジティブな情報を増やした上で、
それに関連する様々な情報にアクセスする手段を教えること。
重要なことは、最初からネガティブな印象を植え付け、
問題の関心を低くしてしまうことがないようにすることです。


さて、最後に、このような「戦略的な情報の選択」を前面に押し出して教育を行うと宣言した時、
どのような人々が反対するでしょうか?

私はマスコミと現場の教師だと思っています。

「情報の取捨選択」が「思想を操る」上で有効と書きましたが、
それを最も行いやすいのはマスコミであり、事実そのようなことを行っている節があります。
また、実際に子供に教えるのは現場の教師であり、
極端なことを言えば、彼らは子供たちを如何様にも「洗脳」できる立場にあります。
事実、私も自分の政治的な信念を授業に反映させた教師に当たったことがあります。

彼らからすれば、政府による上記のような行動は
自分たちの既得権益が脅かされる問題です。
おそらく彼らはこのように言うでしょう。

「戦前戦中の思想弾圧を繰り返すのか?」

しかし、彼ら自身がそれと同等のことを行える立場にあり、
事実中には行っている者がいる、ということを忘れてはいけません。

食に対する関心がいつになく高まっています。


食に対する議論で欠かせないのは、国産と海外産の問題です。
一般に、国産は高価格高品質という認識がもたれているかと思います。

さて、そんな国産の食料品ですが、
随分前から後継者不足が指摘されてきました。
後継者不足となる理由は当然農業従事者となりたがる子供が少ないため。
言い換えるなら、子供たちの多くが
「農業は将来性がない」「農業はかっこわるい、楽しくない」
といった認識を持っていることになります。

これには日本の戦後の歩みが無関係ではないでしょう。
日本の農業は他国に比べ、田畑の面積が狭く、労働集約的であり、
どうしても商品価格は高くならざるをえません。
また、日本は戦後、第二次産業を中心とした工業国の道を歩んだため、
相対的に第一次産業への関心や人材の流入が小さくなってしまいました。


それゆえ、子供たちの農業への関心が低くなるのも時代の流れといえる面があります。


しかし、同時にこの問題は教育が与えた影響も小さくないと考えています。

私個人の経験で恐縮ですが、
社会科の日本の農業に関する授業は工業などに比べ、
かなりネガティブな内容を含んでいました。
労働集約的で非効率、高価な機械に依存、兼業農家ばかり、農薬大量消費…。

このようなネガティブな内容に晒された子供たちはどう感じるでしょうか?

確かにこのような内容は事実に基づいてはいます。
しかし、日本の農の優れた部分の情報にあまり触れられておらず、
子供たちに「農業は将来性がない」と刷り込むような内容であったと思います。


授業の中でも、日本の農業の後継者不足は指摘されています。
しかし、義務教育の中で「農業は将来性なし」と教えたうえで、
後継者不足を嘆くのは随分おかしな話です。


本気で日本の農業を盛り上げるのであれば、
まずは子供たちの関心を高めるような工夫を、
民間だけでなく、政府の側からも行うべきであり、
教育のカリキュラムはそのために最も有効な手段の一つでしょう。

勿論、以前よりも子供たちが触れる情報量は大きくなっており、
教育の影響は相対的に小さくなっています。
だからこそ、新たな取り組みを行う必要性があります。


さて、このようなことを言うと、
「子供たちを洗脳している」などとおっしゃる方がいらっしゃいますが、
今の義務教育でも既に情報の取捨選択は行われていますし、
報道機関も同様のことを行っています。

そういった主張をされる方々が危惧しているのは、
「政府」が「純真無垢な子供たち」を偏った情報で操ろうとしている、
ということでしょうか。

このあたりについては、「教育」をどう捉えるかによるかと思います。

「教育」が何故義務となっているのか?
私はその理由の1つは、「国家を効率よく運営し、繁栄させるため」
であると考えています。


長くなるのでこの点はまた別に論じたいと思います。



中国産食品に関してとうとう目に見えた変化が起こり始めたようです。


日本(輸入側)の残留農薬の規制があがったため、
中国側も追従せざるを得ない状況に追い込まれています。
日本政府には、残留農薬に限らず様々な汚染物質に対する規制強化を望みます。


今回の動きは、
消費者側が低価格食品よりも安全な食品を選んだことの結果です。

現実には消費者はわがままですから
「低価格且つ高品質」なものを望みます。
中国産野菜やミートホープ事件の本質は、
「高品質」の部分の嘘が露見したことだと思っています。


今後、食品においても
「高価格」な製品の持つ価値が強まっていくと考えています。

高品質・高価格といえば国産品が代表的ですが、
例えば稲は減反政策によって休閑地が増えていますし、
高原野菜などが豊作になったときは
値崩れを防ぐために意図的に廃棄したりしていました。



日本の食料自給率は価格でもカロリーベースでも非常に低い水準に留まっています。
その直接的な原因の1つに、
海外の安価な食料品との競争力が乏しいという点がありました。


この中国産野菜の騒動をきっかけに国産野菜の需要があがり、
まずは野菜の破棄などが少なくなることを望みます。

その後どうなっていくかは、
結果どの程度食料品の価格が上昇するかに依存するでしょう。
しかし、今少しずつ国産品に追い風が吹き始めています。
この風に乗れるかは、各農家や農協の努力次第でしょう。

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スウェーデン人の夫を持ち、
欧州と日本とを行ったり来たりしながら生活する著者の
外国人(特にヨーロッパ人)との会話をまとめた本です。

欧州の人が日本人をどう見ているのか?
といったことが具体的なエピソードを通して見て取れます。

1つ1つのエピソードは1〜2ページ程度にまとめてあるので
通勤の間などのちょっとした空き時間に気軽に読めると思います。



個人的には、
島国で育った日本人と、
大陸で隣国と国境を接して育ったヨーロッパ人との
外国に対する考え方の違いを強く意識しました。

外交音痴で外国に無関心とされる日本人。
本書では外国人が他国にどのような点にどのように関心をもっているのか、
といったことが具体的に描かれています。
それらを認識することは、
今後ニュースなどを読み解く上で重要になってくると思います。


特に私が印象に残ったのは、
「ヨーロッパはドイツを許さない」という項での
オランダ人が語ったとされる以下の言葉です。


「でも、戦争中私たちを苦しめたドイツを、オランダ人は百パーセント許してないわよ!」


歴史的にイギリスとフランス、フランスとドイツは仲が悪いとよく言われています。
それは両国の王族の血縁関係や
領土をめぐって戦争を繰り返してきた過去が関係していると言われていますが、
その感覚は日本人には中々理解しにくいものがあります。

勿論、相手が許してくれないからといって
相手のいうことを全て飲むべきだなどとは思いません。


しかし、他国との関係を考える上で、
「そういった感情が存在する」といったことを認識することは重要だと思います。

戦後半世紀以上が経過し、
EUとして1つになろうとしている欧州にさえ、
そういった感情は未だに存在しているのですから。




普段から国産の割り箸を愛用しているという
割り箸をこよなく愛する著者による割り箸に関する本です。

割り箸はよく環境問題、森林保護の観点から槍玉に挙げられることが多く、
実際に割り箸がどのていど森林破壊に影響を与えているのか?
という疑問からこの本を手に取りました。


しかし、環境問題にも確かに触れていますが、
それよりも割り箸の歴史や日本文化との関係、世界中での生産状況など、
割り箸に関する様々な情報がメインになっています。
個人的には、
「割り箸雑学の書」
と表現するのが正しいかと思います。


飲食店やコンビニで、お金を払うことなく手に入れることができる割り箸。

日本で生活していると、割り箸はタダであるかのような印象を受けますが、
実際は他の製品同様、原料を調達し、加工し、流通させ、といった過程を経て
我々の元に届きます。


我々の生活を取り巻く様々な製品が
どのようにして我々の元まで送られてくるのか?
そういったことを考え直すきっかけになる本だと思います。


また、詳細は記述しませんが、
一口に割り箸といっても、
原料や生産国によって様々なカテゴライズができ、
それらの環境や経済への影響は大きく異なることがこの本からわかります。

例えば、
建築材などのあまりを使う国もあれば、
丸太を全て割り箸にしてしまう国もある、
といった具合です。

「割り箸は一度使ったら捨てられてしまうから環境に悪い」という判断が、
如何に合理性に欠ける情緒的な考えであるか、ということを強く感じました。


何事も直感に頼るのではなく、
情報を集め、総合的に判断しなければならない。
そういったことが、割り箸の事例を通して感じられる書であるように思います。




なお、本書では
割り箸や塗り箸を善悪で切り捨てるようなことはしていません。
そのため、環境問題などに関する
善悪二元論を求めるような方は物足りないと感じるかもしれません。

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