こっち見んなって言ったら負け

思ったことなどを書き留めるメモ帳のようなものです。

教育

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食に対する関心がいつになく高まっています。


食に対する議論で欠かせないのは、国産と海外産の問題です。
一般に、国産は高価格高品質という認識がもたれているかと思います。

さて、そんな国産の食料品ですが、
随分前から後継者不足が指摘されてきました。
後継者不足となる理由は当然農業従事者となりたがる子供が少ないため。
言い換えるなら、子供たちの多くが
「農業は将来性がない」「農業はかっこわるい、楽しくない」
といった認識を持っていることになります。

これには日本の戦後の歩みが無関係ではないでしょう。
日本の農業は他国に比べ、田畑の面積が狭く、労働集約的であり、
どうしても商品価格は高くならざるをえません。
また、日本は戦後、第二次産業を中心とした工業国の道を歩んだため、
相対的に第一次産業への関心や人材の流入が小さくなってしまいました。


それゆえ、子供たちの農業への関心が低くなるのも時代の流れといえる面があります。


しかし、同時にこの問題は教育が与えた影響も小さくないと考えています。

私個人の経験で恐縮ですが、
社会科の日本の農業に関する授業は工業などに比べ、
かなりネガティブな内容を含んでいました。
労働集約的で非効率、高価な機械に依存、兼業農家ばかり、農薬大量消費…。

このようなネガティブな内容に晒された子供たちはどう感じるでしょうか?

確かにこのような内容は事実に基づいてはいます。
しかし、日本の農の優れた部分の情報にあまり触れられておらず、
子供たちに「農業は将来性がない」と刷り込むような内容であったと思います。


授業の中でも、日本の農業の後継者不足は指摘されています。
しかし、義務教育の中で「農業は将来性なし」と教えたうえで、
後継者不足を嘆くのは随分おかしな話です。


本気で日本の農業を盛り上げるのであれば、
まずは子供たちの関心を高めるような工夫を、
民間だけでなく、政府の側からも行うべきであり、
教育のカリキュラムはそのために最も有効な手段の一つでしょう。

勿論、以前よりも子供たちが触れる情報量は大きくなっており、
教育の影響は相対的に小さくなっています。
だからこそ、新たな取り組みを行う必要性があります。


さて、このようなことを言うと、
「子供たちを洗脳している」などとおっしゃる方がいらっしゃいますが、
今の義務教育でも既に情報の取捨選択は行われていますし、
報道機関も同様のことを行っています。

そういった主張をされる方々が危惧しているのは、
「政府」が「純真無垢な子供たち」を偏った情報で操ろうとしている、
ということでしょうか。

このあたりについては、「教育」をどう捉えるかによるかと思います。

「教育」が何故義務となっているのか?
私はその理由の1つは、「国家を効率よく運営し、繁栄させるため」
であると考えています。


長くなるのでこの点はまた別に論じたいと思います。

教育とは洗脳である

などと言うと物凄い非難が寄せられそうですが、
そういった側面がある、ということに批判的な人は少ないかと思います。

例えば幼い頃から大人になるまで、
「某国はわが国から様々な文化などを教えてもらっておきながら、
 近代になってわが国に仇をなすことばかりしている恩知らず国家だ」
などといわれ続けて、その国に悪い印象を抱かない人がどれほどいるでしょうか?


さて、「洗脳」という物騒な言葉を用いましたが、
教育問題については2つの捉えかたがあるかと思います。

1つは教育の目的に関して。
例えば、特定の考え方を持つように仕向けるのであれば、それは洗脳と呼ばれても仕方ないでしょう。
先に挙げた例はその典型例です。


もう1つは教育における方法論に関することで、
今回はそちらについて触れます。


何かを教える際、ただその事実を暗記させるだけでなく、
「何故そうなるのか?」「何故そうすべきなのか?」を
教え、考えさせることが重要である、という主張が最近の主流かと思います。

対照的に、「暗記させるだけ」「有無を言わさずやらせる」と言ったことは不評です。
理由はそれらが「子供たちに考えさせないから」でしょう。
このあたりは悪名高き「詰め込み教育」の反省から来ているのだと思います。


子供たちに考えさせない、もしくは強制する、という方法は近年不人気で、
中にはそういった方法をスマートでないと考える方も多いようです。


しかし、「考えさせる」教育を子供に施すのであれば、
「説得する義務」もしくは「納得させる義務」が生じます。

これらの義務を果たせる大人がどれほどいるのか?


例えば
・何の為に勉強をするのか?算数や社会がなんのために役立つのか?
・なぜ0から1を引くと-1なのか?そもそもマイナスって何なのか?
・常識って何なのか?なぜそれに則らなければならないのか?

これらの問いに答え、
なおかつ相手を納得させることができますか?

相手が子供であっても。



子供相手に「納得させる」ことはかなり手を焼きます。
言い方は悪いかもしれませんが、知識も少なく、世界も狭いわけですから。


しかし、残念ながら日本は
「納得できなければ法律を守らなくてもいい」
という国ではありませんし、
「納得できない」といって常識からはずれた行動をすれば、
結果的に周囲から白い目で見られます。


子供たちに「押し付ける」教育は不評で、
これを避けることがよい教育であるような主張を時々みかけますが、
子供たちを相手に、全てを説明し、納得させる方法論とコストのことが
すっぽり頭から抜けているような気がします。

私は「考えさせる教育」が悪いとは言っていません。
ただ、コストなどを考えた時、それは常にベストとはいえないと言っているにすぎません。
そして、有無を言わさず押し付けること、
言葉は悪いですが、「洗脳的な方法」が適していることもあると思うのです。

勿論、状況を選ばなければなりません。
そして、その後のフォローも必要でしょう。



「大人になれば分かる」

言われた子供は不満かもしれませんが、
教育において実は重要な一言であると思います。

教育問題の足元

教育再生と題して義務教育の在り方が議論され、
高校も少子化のあおりから多くの学校が新たな道を模索し、
大学は研究機関、そして教育機関として改革が進んでいます。

ところで「3つ子の魂百まで」という諺が事実ならば、
未就学児童の教育こそが重要ということになるはずですが、
未就学だけあってかこれが国民的な議論になることは稀です。
親の方針や一部の雑誌、そして塾に投げられがちです。

このあたりの問題はどちらかというと少子化問題と結び付けられがちですが、
その後の子供たちの情緒面や
また単純な学力の面での議論は不要なのでしょうか?

特に、未就学児童の場合、「学力」といった面での議論はあまりなされません。
有名私立への入学のための「お受験」や「塾」も
純粋な学力の議論と結びついてはいません。


ところでサイエンス誌の2006年6月号に
シカゴ大学のヘックマン教授という方が書いた
アフリカでの未就学児童への教育の効果の統計的分析と
脳科学的な研究についての論文が掲載されています。

そこでは3〜4歳のアフリカ系アメリカ人の恵まれない子供たちについて、
教育を施した群とそうでない群を40歳になった時点で比較する、というものです。


その結果、高校卒業比率、所得、持ち家比率などに違いがあらわれ、
それ以上に「学習への意欲」に大きな違いがあり、
それが後の結果につながったのではないか、とのことでした。
恵まれない児童への教育的援助は
就学以前の段階と組み合わせることが重要、ということです。


いわれてみれば納得ですが、
就学以前のすごし方が学力や学習意欲に大きな影響を与える、という結果がでたわけですが、
学力低下を嘆くのであれば、小中学校だけでなく、
就学前まで掘り下げる必要性はないのでしょうか?
単純にアメリカの結果を日本に適用するわけにはいきませんが、
「就学前教育」と「その後の学力」といった議論が
一部の英才教育関係者を越えて、広く議論されてもいいはずです。



「受験競争」のトラウマか、
就学以前に「学力」などというと鬼のように思われる風潮はないでしょうか?
だから未就学児童の教育になると「情緒」などといった言葉が
やたらと重宝されるのではないでしょうか?


過ぎたるは及ばざるが如しといいますが、
過ぎたるを畏れて及ばざることに甘んじることが多いように思えます。

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