こっち見んなって言ったら負け

思ったことなどを書き留めるメモ帳のようなものです。

環境

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歴史を紐解くと、よく「大義名分」という言葉が目に付きます。
現代社会でその「大義名分」を探すなら、
その1つに「環境問題」が挙げられるでしょう。

環境を保護するため、と声高に叫べば、
多少値段が高くても商品は売れるし、
面倒なゴミの分別回収にも皆協力してくれます。

これを利用しない手はない、と思うのですが、
日本では「大義名分」を利用したやり方は評価されないようです。
権謀術数に長けた者が「狸」と評されたりするところに
その傾向の一端が見えます。
よく言えば純粋な国民性を表しているのでしょうが、
これは様々なチャンスを不意にする面も多分にあります。


例えば少し前から、日本の製造業の将来を悲観する向きがあります。
これは中国などの新興国に取って代わられる、という危機感から来るものです。
そして、日本は高付加価値製品にその活路を見出すべき、という話が
あちこちで聞かれるようになってきていますが、
高付加価値製品の市場はそう広くありません。

ならば、市場を作ってしまえばいいじゃないか!

そういう発想で今動いているのが欧州です。


欧州は環境先進地域と言われる通り、
様々な環境規制を世界に先駆け導入していますが、
そこに欧州の産業、特に製造業を新興国から守る、
という意図があるのは明らかでしょう。

例えば、環境規制の強化により、
中国の大手家電メーカー、ギャランツは
欧州向けの電子レンジの部品を外部から調達せざるを得なくなりました。
それまでギャランツはマグネトロンと呼ばれる部品は自社で製造していましたが、
自社の技術では新規制をクリアすることができませんでした。
そのため、欧州製、日本製のマグネトロンを購入しなければ
欧州で電子レンジを売ることができなくなったのです。

ギャランツのマグネトロン製造の技術は
元は日本の三洋電機のものだったといわれています※。
彼らは製造の技術を身につけることはできましたが、
それらを新規制に適合するように高めることはできませんでした。


同様のことが他の製品にもいえるのではないでしょうか?


今、先進国は新興国の猛追を受けていると言いますが、
そのほとんどは「先進国が開発した技術やノウハウの移転」によるものです。

つまり、新たな技術の開発や既存の技術の発展が常に要求されるような環境であれば、
開発のノウハウを持った先進国がより強くなります。

そしてそういった環境を作り出すために
「環境問題」を前面に押し出しているのがEUなのです。


日本人は純粋なのか、
環境を守るために自分たちの利益は度外視すべき、
といった風潮が感じられることがあります。

しかし、優れた環境技術とその開発ノウハウを持つ日本が没落すれば、
それは最終的に地球にとって不幸なことである、ということを忘れてはいけないでしょう。


※元は三洋電機が韓国に技術支援を行ったものがギャランツに渡ったようです。
 企業の買収の活発化により、技術やノウハウの移転自体は起こりやすくなっています。

原油価格の高騰のためか、今年の暖房費用を心配する声が聞こえます。
また、自動車も販売台数がにぶり、小型車の人気が高まっています。

タバコはその世論の後押しもあってか税金が高くなり、
その結果販売量に影響がでています。


一方で、自動車の燃費向上やエアコンの消費電力低減など、
製品の使用エネルギーの低下が必ずしも消費エネルギーの減少に直結しない、
ということも分かっています。
つまり、燃費が向上することで、
以前よりも多く自動車を使うことになれば、
結果的に消費するガソリンの量が増えるかもしれない、ということです。


また、環境問題解決のための絶対的正義となっている節のあるリサイクルも、
逆に環境に負荷をかける場合が多々あることがわかっています。
そもそもリサイクル自体が環境に負荷をかけるケースがある上、
リサイクル活動が人々のエネルギー消費を促進することもありえます。
ペットボトルのリサイクル活動は、
人々に「自分はペットボトルの再利用をしている」と思わせる効果があります。
そして、人々は「だから自分はペットボトルを使ってもいい」と考え、
結果的にペットボトルの消費量が爆発的に増えてしまいました。
リサイクルが人々にとって、消費する時の罪悪感を打ち消す「免罪符」となってしまったのです。


自動車の燃費向上やリサイクルなど、
環境のために行われたはずの活動が逆に環境に負荷をかけることになる。
このような例は少なくないようです。


そこで、最初に書いた原油とタバコの例のことを思い出してください。


環境を守るための最もシンプルな方法。

それは、環境に悪い行動に税金を課すこと。
つまり環境税の導入です。


なお、私は環境によいことに補助金を出したりすることには懐疑的です。


例えば原油の消費を減らしたければ、税金をかけ原油の値段を上げればいいのです。
単純に原油の消費量は下がります。
そうすれば、相対的に原油以外のエネルギーの価格が下がりますから、
わざわざ補助金を出さずとも振替エネルギーの開発のインセンティブにもなるでしょう。


現実には、原油のように、
それが重要であればあるほどその価格の引き上げに抵抗が出ますし、
何より社会活動が円滑に行われなくなる可能性があります。
しかし、社会への影響を慎重に考慮したうえであれば、
課税は環境問題への強力な武器になるでしょう。



さて、もう1つ課税とよく似たもので有効と思われるものに「罰金」があります。

しかし一律的に課すことのできる税金とは異なり、
罰金は違反者を発見するための監視体制が不可欠です。
その監視費用が膨れ上がってしまうと、
逆に環境に負荷をかけてしまう怖れがあります。



そのため、環境への負荷を考えるなら、
環境税は主に資源の消費を減らすために広範に、
罰金は課税で対処できない部分に、狭く、そして厳格に科すべきでしょう※。


これらの方法の導入さえできれば非常に強力な武器になります。
しかし、おそらく現段階での導入は(特に課税は)困難でしょう。
世界的に、企業活動の環境への影響に対する監視の目が強まっていますが、
個人の消費者まではまだまだ及んでいません。
今のところ、個人の生活を犠牲にしてまで環境を守る、
というところまで危機感は高まっていません。

そのため、環境税の実現のためには
別の部分での減税や、納税者への目に見えるリターンが不可欠でしょう。


※課税は原油などの消費される前のものには有効ですが、
 産業廃棄物など消費された後のものには違反者の取り締まりと罰則が不可欠です。

テロ特措法の延長ができないとインド洋が不安定化し、
結果的に原油価格が上がる、という話が囁かれていましたが、
現実にガソリンの国内価格に反映されてしまいました。


…というのは冗談ですが、
今回の記事はこれと同程度の妄想です。


世界的な原油価格の上昇が起こっているといいますが、
「上がりすぎではないか?」と感じている方も多いかと思います。
実際、「将来の供給不安」をトリガーに
投機資金が原油先物に流れ込み、
原油価格を押し上げている、
実態と乖離しているという意味ではバブルと言ってもいいかもしれません。


バブルはいつはじけるのか?


論理的に考えるならば、それは「消費者」がバブルを支えきれなくなったとき、です。
バブルではその商品が生み出す価値以上の価格がものにつけられ、さらにそれが上がり続けます。
そのため、転売によって利益を得ることはできますが、
その商品を「消費」する消費者は常に損を被り続けます。


石油は世界中で必要不可欠な存在となっており、
バブルを下支えする「消費」を中々減らせない現状があります。
そのため消費がバブルを無理して支え続けている間に、
世界中で回復が困難なほどに経済が破壊されている可能性さえあります。

ものすごく極端な例を挙げれば、
原油価格が高騰しすぎたため、人々が原油を買えなくなり、
高緯度地域で凍死者が発生する、といった事態もあるかもしれません。
そこまでいかずとも、自動車産業の世界的な再編くらいは起こすかもしれません。



「これをきっかけに省エネ率が高まれば」などという意見もあるかもしれませんが、
省エネを進める技術革新には、優れた開発体勢と資金が必要です。
原油バブルに伴う経済の変動により、
そういった技術開発の素地や既に構築されたインフラが破壊されてしまえば、
逆に省エネ率の悪化を招くかもしれません。

そうなれば笑うのは投機筋と石油の元売のみです。


今回のバブルで石油の元売と投機筋は潤っているかもしれませんが、
世界的には負担を押し付けられている者が大多数でしょう。
そしてその数の多さと影響の大きさは
日本の東京の土地バブルの比ではありません。


今回の資源バブルが投機への規制の伏線となるのか、
それさえも瑣末な事象と映るくらいの経済の崩壊を招くのか、
現状では判断がつきません。

昨日の記事の続きです。

グリーンランドにヴァイキングたちが入植したのは980年頃といわれており、
彼らは約500年間この土地で生活をし、やがてこの地を去っていきました。

グリーンランドの地は、その名とは裏腹に
土地の大半が氷に閉ざされている上に、
冷たい気候、貧弱な植生、やせた土壌と人類が住むのに適した土地とはいえません。
事実、ヴァイキングの入植の前にも
幾つかの民族がこの地にやってきた形跡が見られるものの、
その全てが何らかの形で姿を消していますし、
現在でもグリーンランドの予算の60%がデンマーク政府に依存しています。

ヴァイキングはグリーンランドの自然環境と500年に渡り戦い続けましたが、
ついに敗北し、その地を去ることを余儀なくされました。
しかし、1200年頃入植したとされるイヌイットは
自然環境に振り回されながらもその地に定住し続けました。


グリーンランド・ヴァイキングとイヌイットの命運を分けたものはなんだったのか?


その理由は彼らがヨーロッパ人、そしてキリスト教徒でいようとしたためです。


文化を維持するためには心意気でなく様々な物が必要です。
その根源となるのが「食」であり、
彼らは小麦のパンを、牛肉を、そして葡萄酒を欲しがりました。
また、キリスト教徒であるために、様々な宗教具の輸入や教会の建築を望みました。

しかし、グリーンランドとヨーロッパは自然環境が大きく異なります。
牛や羊といった家畜や小麦などの農産物はグリーンランドには適していませんし、
葡萄酒などはグリーンランドで作ることはそもそも不可能でした。

ヨーロッパ流の生活を送るため、
彼らは土地に不向きな作物や家畜を育て、土壌の地力を奪い、
数少ない優良な土地に大きな教会を建造し、
また、宗教具や葡萄酒などの嗜好品の輸入の為に、
鉄や木材などの生活必需品の輸入量を少なくしていきました。


結果として、
土地はやせ、森林は消え、鉄が不足し、
彼らはグリーンランドで生きていくことができなくなりました。


対照的に、イヌイットは
家畜という食料やヨーロッパという交易相手がいなかったにも関わらず、
グリーンランドの地で生き続けました。




後世の私たちはヴァイキングの行動に様々な疑問を抱きます。

何故、ヨーロッパ流の生活を改めなかったのか?
何故、土地にあった生活様式に変えなかったのか?
何故、同じ土地に住むイヌイットの生活を参考にしなかったのか?


彼らを笑うことは非常に簡単ですが、
ヴァイキングの迎えたこの結末は示唆に富んでいます。


彼らは悪化していく自然環境を目の前にしながら、
それに負担をかける自分たちの生活を変えることができませんでした。
そしてその理由は「ヨーロッパ」という文化を守り続けるためだったのです。
彼らはイヌイットという異民族を真似、彼らと同類になることを拒否したのです※


既に様々なところで地球環境の悪化が叫ばれています。
そのための様々な対策の必要性も叫ばれています。
その結果、私たちの生活も変わっていくでしょう。


環境からの収奪によって成立している現在の生活を
どこまで「諦める」ことができるのか?
それが人類の運命を決めるカギとなるように思えます。

前回書いたように、
仮に優れた技術が生まれても、
それらを人々が受け入れなければ
その技術は消えていくだけなのですから。





※イヌイットがかつてエスキモーと呼ばれていたことからも想像できるでしょう。

稲、小麦、大豆など、
世界で生産されている穀物のほとんどが一年草です。


穀物は採集される場合でも、栽培される場合でも、
大きいものや殻のむきやすいものが選ばれるため、
人類による淘汰圧が加わることになります。
そしてその淘汰圧は当然1年で代替わりを繰り返す一年草の方に
より強く働きます。
人類の発展を支えた穀物の多くが
一年草なのはそういった理由があります。
事情は現在でも似ており、
品種改良は多年草より一年草の方が容易なようです。


ところが、最近米国で多年草の穀物を見直す動きが起きています。

多年草はその名の通り、寒い冬をも乗り越え、枯れずに1年を過ごします。
それゆえ、一年草よりも深く根を張ることになり、
その根が土壌に対して様々な恩恵をもたらすそうです。
深くまで伸びた根が土の保水力を上げ、
また、微生物の活動を促すため土壌を豊かにする上に、
雑草の育成を阻む、とのこと。
そのため、必要となる除草剤や肥料が一年草に比べ少ないうえ、
土壌にかける付加も小さい、という優れた利点を持っています。


そのため、一年草作物を多年草作物に植え替えることで、
土壌に優しい、今よりも持続性の高い農業が営めるのでは?と期待されています。


当然そのためには栽培と消費に耐える多年草作物の開発が不可欠です。
元々品種改良が難しい多年草作物ですが、
近縁種との交雑は勿論、一年草作物との遠縁交雑など
様々な方法により品種改良が進められています。


当然、品種改良が成功しても、
さらにそれを大規模生産するノウハウの蓄積も必要ですし、
流通ルートの確保など問題点は山積みです。
しかし、人口増加、土壌劣化が進む地球環境への
1つの解答となることを望んでいます。


しかし、私はこの多年草作物の最後にして最大の難関は「食文化」だと思っています。


新開発された作物や植物に限らず新しい食品というのは
必ずしも市場に受け入れられてきたわけではありません。
極端な例を挙げると、
ジャンボタニシは淡水サザエの名称で食品として輸入されましたが、
全く受け入れられず、河川などに放流された結果、田んぼを荒らす悪者と化しました。


土壌保全、温暖化防止などの環境対策として
多年草栽培が始まり、本格的に一年草作物との入れ替わりが起こったとき、
私たち消費者はそれを拒否することできるのでしょうか?
売れなければ作物は再び一年草作物に取って代わられるでしょう。
しかし、本当に環境のことを考えるのであれば、
そういった新たな作物を受け入れていく必要があります。
食べる方法がないのならば、考案しなければならないでしょう。
それは新しい食文化となるかもしれません。
同時に、一年草作物の収穫量の低下で消える食文化もあるでしょう。



環境を守るために覚悟すべきこと。
それは少し不便な生活を強いられるといった程度ではすまないでしょう。
食に限らず、私たちが慣れ親しんだ文化や習慣を変えていく覚悟が必要なのではないでしょうか。

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