沖縄あまはいくまはい

「あまはいくまはい」とは「彼方走い、此処走い」です。

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じゅり馬祭(那覇市)

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 廿日正月(はちかしょうぐゎち)えまたじゅり馬(んま)祭(まちい)ぬ日(ふぃい、ひい)ぬ別名(びちなあ)んやん。
 やしが今度(くんどぅ)ぬじゅり馬祭や昨日(ちぬう)やたん。
 肝要(かんぬう)なじゅり馬ぬ御揃(うすね)えいや2時間びけえぬ舞台(ばんく)んじぬ催(むゆ)し物(むん)ぬうちなちからやたん。
 じゅりぬ家(やあ)や戦後(いくさあとぅ)お無(ね)えらんなやあに、じゅりん居(をぅ)らんなとおしが、うぬ祭びけえ残とおせえふぃるましむん。
 じゅりぬ家とぅしちぬ辻村(ちいじ)ぬ由来(ゆれえ)や色数(いるかじ)伝(ちて)えらっとおしが、くりえあらんがらんでぃぬ思(うま)ありいる話(はなしい)や後(あとぅ)ぬ通(とぅう)い。
 かあま昔(んかし)、首里城(うぐしく)ぬ大内原(ううちばら)から城人(ぐしくんちゅ)三人(みっちゃい)ぬ馬(んま)んかい乗(ぬ)てぃ、くまんかい来(ち)ゃんでぃぬ伝(ちて)え話(ばなしい)から、馬んか乗ゆる祭ぬ由来(ゆれえ)なたんでぃぬ事(くとぅ)。
 女(ゐなぐ)三人(みっちゃい)し辻村(つじむら)創(つく)てぃ、城人(ぐしくんっちゅ)とぅしち、持(む)っちょおたる墨(しみ)、芸能(じいのう)、作法(さふう)んでえ使(ちか)やがなあ、男(ゐきが)、御取(うとぅ)い持(む)ちいするじゅりぬ村なてぃ行(ん)じゃん。
 客(ちゃく)ぬ他(ふか)あ男(ゐきが)ぬ居(をぅ)らん村。
 じゅりぬ補(うじね)えや女童(ゐなぐわらび)買(こう)てぃむとぅうさんでえならんたん…。

【語句】
廿日正月えまたじゅり馬祭ぬ日ぬ別名んやん=廿日正月(旧暦の一月廿日)はじゅり馬祭の別称でもある。
やしが今度ぬじゅり馬祭や昨日やたん=だが、今年のじゅり馬祭は昨日だった。
肝要なじゅり馬ぬ御揃えいや=肝心なじゅり馬の行列は
2時間びけえぬ舞台んじぬ催し物ぬうちなちからやたん=約2時間の舞台演舞が終わってからだった。
じゅりぬ家や戦後お無えらんなやあに=辻遊郭は戦後は消え
じゅりん居らんなとおしが=遊女もいなくなったのに、
うぬ祭びけえ残とおせえふぃるましむん=この祭だけが残っているものめずらしい。
じゅりぬ家とぅしちぬ辻村ぬ由来や色数伝えらっとおしが=遊郭としての辻村の由来は多くの伝承があるが、
くりえあらんがらんでぃぬ思ありいる話や=これはと思われる伝承は
後ぬ通い=次の通り
かあま昔、首里城ぬ大内原から城人三人ぬ=はるか昔、首里城の大奥(女官室)から女官三人が
馬んかい乗てぃ、くまんかい来ゃんでぃぬ伝え話から=馬にのってこの地にやってきたという伝説から
馬んか乗ゆる祭ぬ由来なたんでぃぬ事=(遊女が)馬に乗って行列する祭の由来になったとのこと
女三人し辻村創てぃ、城人とぅしち=女三人で辻村を興して、女官として、
持っちょおたる墨、芸能、作法んでえ使やがなあ=身につけていた学問(教養)、芸能、作法を駆使して、
男、御取い持ちいするじゅりぬ村なてぃ行じゃん=男を接待する遊郭村として成っていった。
客ぬ他あ男ぬ居らん村=客以外に男がいない村だけに
じゅりぬ補えや女童買てぃむとぅうさんでえならんたん…=遊女の補充は女児を買うことで維持しなければならなかった…。 女児は一人前になるまで「じゅりあんまあ」(女将)によって育てられた。

注:辻村の開祖は女3人だったしても、遊郭らしきものは12世紀頃から既にあったとの説もある。「じゅり」には「尾類」、「女郎」等が当てられるが、この祭り会場にある漢字は「侏●」であった。(●はパソコンが保有してない漢字なので表示不可。「擒」の「へん」を「にんべん」した漢字?「かまえ」も少し違うか?)。

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ナイス表記が見当たりませんので
ごめんなさいませ、できません

2019/4/1(月) 午後 5:16 1082001(紫音) 返信する

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