沖縄あまはいくまはい

「あまはいくまはい」とは「彼方走い、此処走い」です。

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浦添城跡(浦添市)

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 写真(しゃしん)からあ新物(みいむん)ねえそおしが、造(つく)い直(のお)ちぇえるむぬどぅやる。
 浦添城(うらしいぐしく)や為朝(たみとぅむぬ)伝説(ちてえばなし)、引提(ふぃっさ)ぎとおる舜天世(ゆう)からぬむんでぃ伝(ちて)えらっとおしが、伝え話くるが切(ち)り端(ふぁ)ん無(ね)えんむんやくとぅ、実(じゅん)にがやら分からん。
 あまみちゅうぬ子孫(しすん)なやあに王統(おうとう)ぬ初(はじ)まいんでぃ言らっとおる天孫子んまあんかいが居(をぅ)たらあしかっとお分(わ)かてえ居らん。
 やしが、くまんかい英祖(いいす)王が居たんでぃぬ話や色(いる)んな系図(ちいじ)そうなむんから、実にやいぎさい、琉球(るうちゅう)ぬ国(くに)とぅしちぬ創(はじ)まいやくまからがやたら。
 地名(ぢいなあ)ぬ「うらしい」ん「うらうすい」、言(い)いどぅんせえ、「うら」あ「国」、「うすい」や「覆い」ぬ積合(っちむええ)やん。
 「国うすゆん」んでえ、「国覆いたっくゎあち、かきゆん」でぃぬ積合んかいなゆん。
 実に「うららしい」んでえ国ぬ中心(なかじん)又(また)王都(ゑえぐに)んかい相応(ふさ)とおる名(なあ)やあらに。

【語句】
写真からあ新物ねえそおしが、造い直ちぇえるむぬどぅやる=写真からはきれいに見えるが復元したものである。
浦添城や為朝伝説、引提ぎとおる舜天世からぬ=浦添城は為朝伝説を伴う舜天時代からの
むんでぃ伝えらっとおしが、伝え話くるが=ものだと伝えられているが、伝説自体が
切り端ん無えんむんやくとぅ、実にがやら分からん=あいまいなので事実からどうか知らない。
あまみちゅうぬ子孫なやあに王統ぬ初まいんでぃ=アマミキヨの子孫とされ、王統の初まりと
言らっとおる天孫子んまあんかいが居たらあ=言われている天孫子(王統)もどこにいたのか、
しかっとお分かてえ居らん=ちゃんとしたことは分かっていない。
やしが、くまんかい英祖王が居たんでぃぬ話や=だが、ここに英祖王がいたという話は、
色んな系図そうなむんから、実にやいぎさい=さまざまな系図の類からして、事実っぽいし、
琉球ぬ国とぅしちぬ創まいやくまからがやたら=琉球が(組織だった)国としての創まりはここだったろうか。
地名ぬ「うらしい」ん「うらうすい」=地名の「うらしい」も「うらうすい」
言いどぅんせえ、「うら」あ「国」=つまり、「うら」は「国」、
「うすい」や「覆い」ぬ積合やん=「うすい」は「覆い」の意味である。
「国うすゆん」んでえ=「国を覆う」ということは、
「国覆いたっくゎあち、かきゆん」=「全土を覆い尽く(カバー)して支配する」
でぃぬ積合んかいなゆん=との意味になる。
実に「うららしい」んでぃぬ地名や国ぬ中心=実に「うらしい」という地名は国の中心、
又王都んかい相応とおる名やあらに=そして、王都に相応しい地名ではないのか。

注:「浦添」の「しい」は「襲う」の名詞形とする説や「しい」は「しゅい」で「按司しゅい」=「按司様」のように敬称を表す語とする説などの説があります。

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 長(なげ)げえさ行(ん)じぇえんだんたる勝連城(かっちんぐしく)んかい、ぬばがたれえ、古南道(ふるふぇえみち)ぬ堀(ふ)い返(けえ)らさっとおたん。
 勝連城んかいや童(わらび)ぬばすかふら幾(いく)けんが行(ん)じゃらあ計算(さんみん)ならんあたい、行(ん)じゃしが、古南道見(ぬ)うしえ初(はじ)みてぃやたん。
 うぬ道ぬ下(しちゃ)まんぐらんかい古南南風原村(ふるふぇえばるむら)ぬあたる筈(はじ)やい、またくぬ道え、与那原(ゆなばる)から船軍(ふないくさ)押(う)し寄(ゆ)してぃ来(ち)ゃる首里軍(しゅいいくさ)ぬ押し登(ぬぶ)てぃ来ゃる道んやら筈(はじ)。
 やぐとぅ、今(なま)、写真(しゃしん)から見(ん)じいねえ、ギンネムんでえぬ山丈(やまだき)、巻(ま)ち喰(くゎ)あち、只(ただ)ぬ畑道小(はるみちぐゎあ)ぬ如(ぐと)どぅあしが、歴史(りちし)からしいねえ、あたらさんあい、肝要(かんぬう)な道跡(みちいあとぅ)やん。
 うんな道ぬある事(くと)お前々(めえめえ)から分(わ)かとおたしが、他(ふか)にんする事(くとぅ)ぬまんでぃがやたら、今(なま)どぅ掘い返しぬ手組(ていぐみ)んなたるばすやら筈。
 勝連城ぬ丸回(まんま)るうや、なあふぃん、堀い返えち拵(くしれ)えいねえ、昔(んかし)ぬ姿(しがた)んかい似(に)いがすらん分(わ)からん。


【語句】
長げえさ行じぇえんだんたる勝連城んかい=久しぶりに勝連城に
ぬばがたれえ、古南道ぬ堀い返らさっとおたん=足を伸ばしてみたら、旧南道が発掘されていた。
勝連城んかいや童ぬばすかふら幾けんが行じゃらあ=勝連城には子供の頃から何回行ったか、
計算ならんあたい、行じゃしが=計算できないほど、行ったが、
古南道見うしえ初みてぃやたん=旧南道を見るのは初めてだった。
うぬ道ぬ下まんぐらんかい古南南風原村ぬあたる筈やい=その道の下あたりには旧南風原村があった筈であり、
またくぬ道え、与那原から船軍押し寄してぃ来ゃる=またこの道は与那原から海路、戦船で攻めてきた
首里軍ぬ押し登てぃ来ゃる道んやら筈=首里軍が馳せ登った道でもあるかもしれない。
やぐとぅ、今、写真から見じいねえ=だから、今写真から見ただけでは、
ギンネムんでえぬ山丈、巻ち喰あち、只ぬ畑道小ぬ=ギンネム等が身体を覆いつくすほど生い茂り、只の畑道の
如どぅあしが、歴史からしいねえ、あたらさんあい、肝要な道跡やん=のようなのであるが、歴史的には貴重かつ重要な遺跡である。
うんな道ぬある事お前々から分かとおたしが=こんな道が存在することは以前から知られていたが
他にんする事ぬまんでぃがやたら、今どぅ掘い返しぬ=(関係機関・団体は)他にもやることが多く、最近になって発掘の
手組んなたるばすやら筈=手配でいたのかもしれない。
勝連城ぬ丸回るうや、なあふぃん、堀い返えち=勝連城の周囲はもっと、発掘して、
拵えいねえ、昔ぬ姿んかい似いがすらん分からん=整備すれば、嘗ての姿に似るかもしれない。

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魚小堀(那覇市首里)

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 首里城(うぐしく)ぬ直(し)ぐ北(にし)むてぃいんかいあん。
 龍潭(りゅうたん)んでぅぬ名(なあ)し音高(うとぅだか)さしが、人(ちゅ)ん達(ちゃあ)や「いゆぐむい(魚小堀)」んでぃ言(い)ちょおん。
 復帰前頃迄(ふっちめえぐるまで)え田舎(いなか)ん人(ちゅ)ぬとぅてえ、無(ね)えらん風儀(ふうじい)ぬあいゆかぬゐいりき所(どぅくる)やたん。
 琉球国世(るうちゅうくく)んじ、唐(とう、とぅう)ぬ石造(いしづく)い技取(じいとぅい)やたる懐機ぬ造(つく)たんでぃ言(い)らっとおん。
 小堀(くむい)ぬ北(にし)むてぃいんかいや、昔(んかし)、尚温王ぬ建(た)てぃたる国学(くくがく)ぬあたん。
 南(ふぇえ)むてぃいぬ森(むい)や園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき)、ハンタン山(やま)んでえなとおん。
 復帰前、首里城跡(しゅいぐしくあとぅ)んかい琉球大学ぬあたるばすお、直ぐ側(すば)んかい男子寮ぬあたくとぅ、南むてぃいぬ森んかいや、夜(ゆる)お恋語(くい)れえする男女(くいじんどうさあ)ぬまんどおたん。
 首里城公園けえなてぃからあ、夜お大簫々(ううそうぞう)とぅけえし、恋語れえする男女ぬ声ん(くぃい)ん音(うとぅ)ん聞(ち)からんなとおん。
 トゥルバヤアぬ棲(す)み処(どぅくる)が、けえなとおらあ…。

【語句】
首里城ぬ直ぐ北むてぃいんかいあん=首里城の直ぐ北側にある。
龍潭んでぃぬ名し音高さしが、人ん達)や=龍潭の名で知られているが、
「いゆぐむい(魚小堀)」んでぃ言ちょおん=「いゆぐむい」と通称する。
復帰前頃迄え田舎ん人ぬとぅてえ、無えらん風儀ぬ=復帰前頃までは地方人には、非日常の
あいゆかぬゐいりき所やたん=とてもわくわくする場所だった。
琉球国世んじ、唐ぬ石造い技取やたる懐機ぬ=琉球国時代に唐人の土木技術者だった懐機の
造たんでぃ言らっとおん=作品だと言われている。
小堀ぬ北むてぃいんかいや、昔=池の北側には、昔、
尚温王ぬ建てぃたる国学ぬあたん=尚温王が建てた国学(今の大学?)があった。
南むてぃいぬ森や園比屋武御嶽、ハンタン山んでえなとおん=南側の森は園比屋武御嶽、ハンタン山等になっている。
復帰前、首里城跡んかい琉球大学ぬあたるばすお=復帰前、首里城跡に琉大があったころ、
直ぐ側んかい男子寮ぬあたくとぅ=(池の)すぐそばに男子寮があったこともあって、
南むてぃいぬ森んかいや、夜お恋語れえする男女ぬまんどおたん=南側の森には夜にはデートをする男女が多かった。
首里城公園けえなてぃからあ、夜お大簫々とぅけえし=首里城公園なってしまってからは、夜はひっそりと静まり返り、
恋語れえする男女ぬ声んん音ん聞からんなとおん=デートする男女の声も音も聞こえなくなった。
トゥルバヤアぬ棲み処が、けえなとおらあ…=ハブの棲み処になってしまったのだろうか。註:「トゥルバヤア」は「寡黙な者」という意味であるがハブの別称でもある。

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じゅり馬祭(那覇市)

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 廿日正月(はちかしょうぐゎち)えまたじゅり馬(んま)祭(まちい)ぬ日(ふぃい、ひい)ぬ別名(びちなあ)んやん。
 やしが今度(くんどぅ)ぬじゅり馬祭や昨日(ちぬう)やたん。
 肝要(かんぬう)なじゅり馬ぬ御揃(うすね)えいや2時間びけえぬ舞台(ばんく)んじぬ催(むゆ)し物(むん)ぬうちなちからやたん。
 じゅりぬ家(やあ)や戦後(いくさあとぅ)お無(ね)えらんなやあに、じゅりん居(をぅ)らんなとおしが、うぬ祭びけえ残とおせえふぃるましむん。
 じゅりぬ家とぅしちぬ辻村(ちいじ)ぬ由来(ゆれえ)や色数(いるかじ)伝(ちて)えらっとおしが、くりえあらんがらんでぃぬ思(うま)ありいる話(はなしい)や後(あとぅ)ぬ通(とぅう)い。
 かあま昔(んかし)、首里城(うぐしく)ぬ大内原(ううちばら)から城人(ぐしくんちゅ)三人(みっちゃい)ぬ馬(んま)んかい乗(ぬ)てぃ、くまんかい来(ち)ゃんでぃぬ伝(ちて)え話(ばなしい)から、馬んか乗ゆる祭ぬ由来(ゆれえ)なたんでぃぬ事(くとぅ)。
 女(ゐなぐ)三人(みっちゃい)し辻村(つじむら)創(つく)てぃ、城人(ぐしくんっちゅ)とぅしち、持(む)っちょおたる墨(しみ)、芸能(じいのう)、作法(さふう)んでえ使(ちか)やがなあ、男(ゐきが)、御取(うとぅ)い持(む)ちいするじゅりぬ村なてぃ行(ん)じゃん。
 客(ちゃく)ぬ他(ふか)あ男(ゐきが)ぬ居(をぅ)らん村。
 じゅりぬ補(うじね)えや女童(ゐなぐわらび)買(こう)てぃむとぅうさんでえならんたん…。

【語句】
廿日正月えまたじゅり馬祭ぬ日ぬ別名んやん=廿日正月(旧暦の一月廿日)はじゅり馬祭の別称でもある。
やしが今度ぬじゅり馬祭や昨日やたん=だが、今年のじゅり馬祭は昨日だった。
肝要なじゅり馬ぬ御揃えいや=肝心なじゅり馬の行列は
2時間びけえぬ舞台んじぬ催し物ぬうちなちからやたん=約2時間の舞台演舞が終わってからだった。
じゅりぬ家や戦後お無えらんなやあに=辻遊郭は戦後は消え
じゅりん居らんなとおしが=遊女もいなくなったのに、
うぬ祭びけえ残とおせえふぃるましむん=この祭だけが残っているものめずらしい。
じゅりぬ家とぅしちぬ辻村ぬ由来や色数伝えらっとおしが=遊郭としての辻村の由来は多くの伝承があるが、
くりえあらんがらんでぃぬ思ありいる話や=これはと思われる伝承は
後ぬ通い=次の通り
かあま昔、首里城ぬ大内原から城人三人ぬ=はるか昔、首里城の大奥(女官室)から女官三人が
馬んかい乗てぃ、くまんかい来ゃんでぃぬ伝え話から=馬にのってこの地にやってきたという伝説から
馬んか乗ゆる祭ぬ由来なたんでぃぬ事=(遊女が)馬に乗って行列する祭の由来になったとのこと
女三人し辻村創てぃ、城人とぅしち=女三人で辻村を興して、女官として、
持っちょおたる墨、芸能、作法んでえ使やがなあ=身につけていた学問(教養)、芸能、作法を駆使して、
男、御取い持ちいするじゅりぬ村なてぃ行じゃん=男を接待する遊郭村として成っていった。
客ぬ他あ男ぬ居らん村=客以外に男がいない村だけに
じゅりぬ補えや女童買てぃむとぅうさんでえならんたん…=遊女の補充は女児を買うことで維持しなければならなかった…。 女児は一人前になるまで「じゅりあんまあ」(女将)によって育てられた。

注:辻村の開祖は女3人だったしても、遊郭らしきものは12世紀頃から既にあったとの説もある。「じゅり」には「尾類」、「女郎」等が当てられるが、この祭り会場にある漢字は「侏●」であった。(●はパソコンが保有してない漢字なので表示不可。「擒」の「へん」を「にんべん」した漢字?「かまえ」も少し違うか?)。

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 金武(ちん)やまぎ米軍基地(びいぐんちち)んあしが、田(たあ)ぶっくゎんまんでぃ、作(つく)いむづくりん自然(しじん)ぬん豊(ゆた)かやる所(とぅくる)なとおん。
井戸(かあ)んだってぃい、しこうらっとおい、又(また)大寺(うふてぃら)んあん。
実(じゅん)に、山原(やんばる)らあさる所とぅ豊かな文化(ぶんくゎ)ぬ備(すな)わとおる所なとおん。
くまぬひるぎぬ群(ぶり)や金武ダムからぬ流(なが)りてぃ来(ち)ゅうる川良端(かあらばた)なありい生(み)いとおん。
あがたあ東(あがり)ぬ海(うみ)。
山原ぬ東(あがり)むてぃいんかいある川良(かあら)ぬ出口(じいぐちい)んかいや、かわてぃ、まぎさるひるぎぬ群ぬあしが、くまあ大概(てえげえ)、うぬ始(はじ)まいやる風儀(ふうじ)やん。
中南部まんぐぬ人(ちゅ)ん達(ちゃあ)があ、ゐいりきさる景色(ちしち)やしが、地(じい)ん人(ちゅ)にとぅてえ見(ん)じい慣(な)りとおる眺(なが)みがやらあ、姿(しがた)あ見(み)いらん。
今ぬ公儀(くうじ)え、沖縄(うちなあ)ぬ景色、壊(くう)うち、歩(あ)っちゅしが、何時迄(いっちまでぃ)ん、くぬ景色ぬ残(ぬく)てぃ行(い)ちゅる事(くとぅ)願(にが)ゆん。

【語句】
金武やまぎ米軍基地んあしが、田ぶっくゎんまんでぃ=金武は大きな米軍基地もあるが、田んぼの多く、
作いむづくりん自然ぬん豊かやる所なとおん=農作物も自然も豊かなところである
井戸んだってぃい、しこうらっとおい=生活用井戸もちゃんと造られ
又大寺んあん=また、おおきなお寺もある
実に、山原らあさる所とぅ=実に、やんばるらしいところと、
豊かな文化ぬ備わとおる所なとおん=豊かな文化を兼ね備えたところである。
くまぬひるぎぬ群や金武ダムからぬ流りてぃ来ゅうる=ここのマングローブ群は金ダムから流れてくる
川良端なありい生いとおん=川沿いに生えている
あがたあ東ぬ海=向うは太平洋。
山原ぬ東むてぃいんかいある川良ぬ出口んかいや=北部の東側にある河口には
かわてぃ、まぎさるひるぎぬ群ぬあしが=とりわけ大きなマングローブ群があるが
くまあ大概、うぬ始まいやる風儀やん=ここは、概ねその始まりのようである。
中南部まんぐぬ人ん達があ、ゐいりきさる景色やしが=中南部人にとっては観光地的な景色だが
地ん人にとぅてえ見じい慣りとおる眺みがやらあ=地元人にとっては見慣れた風景なのか
姿あ見いらん=その姿は見えない
今ぬ公儀え、沖縄ぬ景色、壊うち、歩っちゅしが=今の政府は沖縄の風景を壊しているが
何時迄ん、くぬ景色ぬ残てぃ行ちゅる事願ゆん=永久にこの風景が残っていくことを願う

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