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魚心毛鉤

魚心毛鉤

鈴木魚心
本名:鈴木寅五郎(1908 1989
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へら鮒釣りをする方は聞いたことのある名前かもしれない。
戦前から戦後において日本の釣り界に大きな影響を与えた人物である。
それまでごく一部の人しか知らなかった和式毛バリ釣りを学んだ後に、まだ黎明期であったフライフィッシングに戦前から着目し、洋書だけを手がかりに独学でキャスティングやタイイングを習得したという。
(当時はまだテンカラという呼び名は一般的ではなかった。詳しくは私の過去ブログより)
鈴木魚心は和洋の毛バリ釣りのどちらも苦労して学んだ上で、双方のよい所を正しく後世に伝えた功績は高く評価されている。
下記は昭和29年「つり人6月号」への寄稿である。
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そこには、ドライフライフィッシングを「鱒族の毛鈎釣の中で最高技術」であると書いている。
また氏らしく、用語を下記のように日本語と英語の読み(カタカナ)と両方で説明している。
乾毛鈎(ドライフライ)
湿毛(ウエットフライ)
幼虫(ニムフフライ)
先細道糸(テーパーライン)
先糸(リーダー)
糸通鐶(ガイドリング
先鐶(チップ)・・・トップガイドのことか?
握り(ハンドグラアスプ)・・・グリップのことか?
このあたりの言葉からも、、洋書からフライフィッシングを手探りで学んだ苦労をうかがい知ることができる。
また、フライロッドは英国のハーディー兄弟商会の六角竿が最高で、国産の輸出用やスーヴニールショップに並ぶ米兵土産品のようなマヤカシ物では駄目であるとも書いている。
この頃の釣り雑誌をどれだけ探っても、これほど正確に、また詳しくフライフィッシングを説明できている人物は他に見当たらない。

今回の主人公は、そんな鈴木魚心の名前を冠した「魚心毛鉤」である。
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昭和40年代ぐらいに作られたものであろうか。
中には6種類2本づつの合計12本が入っている。
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中身を見ると、鈴木魚心らしい和洋折衷のような毛バリセットである。
例えば、これはゼンマイ胴の伝統毛バリで有名な日光ゴロッチョ毛バリである。
ゴロッチョ(ゴロ蝶)トビゲラの成虫
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他の5種類
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台紙の裏には「魚心毛鈎研究所」
山梨縣西八代郡精進湖と判が押されている。
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これらは、鈴木魚心が自ら巻いたものではないが、氏が監修して売り出されたものであろう。
釣りだけでなく商売の方も上手だったという。
また、氏は様々な釣りに精通し、晩年は山梨にある精進湖の畔に住み、へら鮒釣りを世に広げることに精力を注いだ。
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余談ではあるが・・・長い間、この鈴木魚心は漫画「釣りキチ三平」出てくる「魚紳さん」こと鮎川魚紳のモデルだという噂があった。
私と同世代の方なら詳しいと思うが、隻眼の「魚紳さん」はいつもサングラスを掛け、ルアーやフライフィッシングからイシダイ釣りまで、どんな釣りにも詳しく頼もしい三平の兄貴分(時には父親代わり)だった。
「魚紳と魚心」で名前の読みが一緒であり、どちらも細面の長身でフライやルアーなどの新しい釣りに明るかったことから、そう思った人が多かったのも無理はないだろう。
しかし、どうやら鈴木魚心がモデルではないらしい。
このマンガの作者「矢口高雄氏」が近年に語ったところによると、作者が銀行マン時代に電車の中で会ったへら釣り師「加藤魚紳」という方がモデルとのことだった。
まぁ、読者が勝手に想像した他人の空似だったということだろう...

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飛騨のカラス毛バリ⑤<乗鞍岳を越えた毛バリ>

どれだけ調べても「カラス毛バリ」の名称では過去の文献にも出て来ない。
そうなると毛バリのシルエットから探るしかなかった・・・
すると、そっくりな毛バリが飛騨から一山隔てた信州側にもあったことが判明した。
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それは、乗鞍岳(3,026m)の中腹にある奈川温泉の宿にイワナをおさめていた職漁師の毛バリであった。
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奈川温泉は鎌倉時代に開湯したと伝わるほど歴史は古く、飛騨と信州を結ぶ「鎌倉街道」と「野麦街道」の中継地として重要な拠点だった。
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現在では上高地に向う国道158号線が梓川の左岸に走っているが、昔の鎌倉街道は、右岸の奈川温泉と白骨温泉を経由して安房峠を結んでいた。
その道は、牛馬が通るのも厳しい断崖の桟道であった。
「戦前の絵葉書」
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この「鎌倉街道」は、七百年程前には使われていた記録があり、越中(富山)から飛騨を通り安房峠(古安房峠)を越え、更には信州を抜けて遠く鎌倉に至る街道であった。
今回の飛騨で見つけたカラス毛バリは、そんな奈川温泉の「富貴の湯」に、親子二代に渡り乗鞍の渓で釣ったイワナをおさめていた「奥原真喜男」という職漁師の毛バリと瓜二つであった。
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それは昭和の中頃まで、信州松本で「三平毛針」という名前で売られていたという。
(この毛バリを巻いた職漁師については、戸門秀雄著の「職漁師伝」に詳しく書かれている)
それが、ただ真っ黒いだけの毛バリなら「似ている」だけの話だが、張りのある漆黒のミノ毛と、黒い木綿糸で異様な程に太く巻いた特徴的な胴は、同じ流れを汲む毛バリとしか考えられない。
しかも、飛騨高山と奈川温泉は、乗鞍を越える峠でつながっていたから何ら不思議でもない。


飛騨高山と奈川温泉の麓である信州松本は、乗鞍岳(3026m)を挟んで共に栄えた城下町である。
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それらを結ぶ街道は、古くから能登から塩鰤などの海産物が運ばれ、戦前には飛騨の女工が諏訪の製糸工場で働くために往復した道でもあった。
そして、多くの人と文化が行き来した。
この黒い毛バリもその一つであろう。
しかし、今となっては、この毛バリの発祥が飛騨と信州のどちらで、だれが伝えたのかを調べる術は無い

余談であるが・・・
実は、私はその信州側の生まれである。
故郷に居た頃、親父と一緒に乗鞍周辺の谷に何度もイワナ釣りに行ったことがある。
(今から30年以上も前のことで、当時は餌釣りばかりだったが)
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来シーズンの夏、同じような漆黒の毛バリを沢山巻いて、懐かしい乗鞍の奥渓に出かけてみたい。

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飛騨のカラス毛バリ④<漆黒のイワナ毛バリ>

あらためて、偏屈爺が巻いたバリを詳しく見てみたい。
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まず先に「キジ毛針」310円。
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こちらは「カラス毛バリ」の倍もする。
この完成度でこの価格・・・さぞかし釣れるにちがいない(笑)
蓑毛(ハックル)は雌キジの胸の羽根で、胴は孔雀(ピーコックハール)を太く巻いてある。
逆さ毛バリとは巻き方も違うが、この雑なボサボサ感が意外に虫らしくも見える。

次は本題の「カラス毛針」160円。
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黒の蓑毛に木綿糸で太く巻いた胴である。
張りの強いハックルは、黒く染めたチャイニーズ(インド)コックハックルか?
胴色違いの「白黒」も、「銀ラメ胴巻き」もある。
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環付き針に巻いたものと他の糸で乳をつけたものがある。
上記の銀ラメ胴巻きの毛バリの針は、特大極太の鯉針であり、サイズは10号ほどもあろうか。
やはり、このゴツイ針は、山岳渓流で大きなイワナを有無も言わせず抜きあげるための毛バリであろう。
確かに黒い毛バリは、夏のイワナに効く。
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山国である飛騨では、昔からイワナは重要なタンパク源であった。
やはり、山奥の温泉宿などにイワナを納めた職漁師が使っていたものだろうか?
漆黒のイワナ用毛バリ・・・
飛騨の「カラス毛バリ」
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あの偏屈爺によると、飛騨に古くから伝わる毛バリだと言っていたが、過去の文献等を探しても出て来ない。
口からデマカセだったのだろうか?
うーん・・・
しかし、実はそれを知るヒントが飛騨の山向こうの信州側にあった。

次回(最終話)につづく

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飛騨のカラス毛バリ③<偏屈オヤジの手製毛バリ>

これが、その引き出しの中身である。
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私がこの毛バリについて、もう少し詳しく聞きたいと尋ねると・・・
店主はこちらをジロリと睨み、
「いろいろ余分なことを聞くヤツだな、お前に教える必要はない」
と低い声で一言だけ発し、すぐテレビに目を戻した。
私は耳を疑った・・・
どうやら何も話したくないらしい(笑)
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(ちゃんと撮影許可はいただいてます)
しかし、そんなことで怯む私ではない。
私は無理やり作った笑顔で、数本欲しいと言って教えを請うと、(仕方ないヤツだ)といった感じで、私の質問に必要最低限の数言だけを返した。
それによると・・・
・この毛バリは店主自身が巻いていること。
・この飛騨の地にずっと古くから伝わる毛バリであること。
・店主自身もずっと昔に地元の名人から教わったこと。
・飛騨の奥谷でイワナを釣るための毛バリであること。
その他の質問はことごとく無視され、店主の年齢を訊いた質問にすら「教える必要はない」と一蹴された。
正直、かなり手強い「偏屈オヤジ」であり、今まで数々の頑固爺様等とも仲良くなってきた私でもこれ以上は聞き出すのは無理だった。
(私の中では・・・偏屈>頑固)
失礼ながら、この店の商品が一昔前の売れ残りばかりである理由が分かった気がした。
毛バリの代金を払った後、重い空気を引きずったまま礼を言って一歩外へ出ると、そこには賑やかな別世界があった。
の鄙びた飛騨高山を知る私にとって、観光客に迎合した店ばかりになってしまった町並みには違和感があった。
しろ、今では珍しいガンコ親父と、ずっと変わらない黒一色の毛バリが清々しく感じられた。
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代に取り残された釣具屋と飛騨に伝わる毛バリ(と偏屈オヤジ)
は意地でも、この毛バリのことを調べたくなった。
た!ドMの性分)
相は次回につづく。

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飛騨のカラス毛バリ②<時間の止まった釣具店>

庄川で見た漆黒の毛バリがずっと気になっていた。
そして、今年の秋に飛騨高山行く機会があり、その釣具店に寄ることにした。
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その某釣具店は、市内を貫く目抜き通りにあり、周囲は国内外の観光客目当ての土産屋に囲まれている。
高山見物には毎年のように行っているが、私は天邪鬼なので、あえて観光客が少ない繁華街から外れた骨董品店などを覗くことが多く、この釣具店にも以前にもふらりと寄ったことがあった。
その時は、お婆さんが一人店番をしながら鮎用の刺し網を編んでいた記憶がある。
今回店に入るのは数年ぶりであった。
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引き戸を開けると、店内はまったく変わっていなかった。
そこは、20年程前の子供用の玩具が半分を占めており、残り半分にも同じ時期のものと思われる昔の釣道具が並んでいた。
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まるで、この店の時間は20年ぐらい前で止まってしまっているかのようだった。
失礼ながら言うと、ガラス越しに覗いたとしても、私のような物好きでなければまず店に入ることはないであろう。
店に入ると主人らしき老人が一人、テレビのスポーツ中継を見つめていた。
もちろん客は私一人だけであり、その店主は私を横目で一瞥しただけで無言であった。
私は、軽く挨拶して店のあちこちを物色したが、どこにも毛バリは見当たらない。
そこで、思い切って庄川の雑貨屋で見た毛バリの話をした。
すると店主は、無言でレジの後ろの引き出しを顎(アゴ)で指した。
許可を得てその引き出しを開けると、そこにあったのは例の毛バリであった。
毛バリが入った引き出しは二段あった。
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ひとつには「特製毛針 カラス大」
もうひとつには「きじ毛針」
とラベルが貼ってあった。
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(撮影の許可は得ている)
この毛バリに興味がある私は、早速、店主に由来を尋ねてみた。
だが、返ってきた返事は予想外の言葉だった・・・
回につづく

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