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しばらくぶりの投稿です。
海外に出ていたりなんだりですっかりブログの管理が疎かになっていました。 出かけていた間に枯れてしまったものもあり、控えを作っておいたにもかかわらずそれも枯れて、この世から消えてしまったハイブリッドもいくつかありました。 どうしたわけか昨年はクレマチスだけでなく庭全体の花々の成長が悪く、掘り返してみると根がすっかり腐っているものがかなり見受けられました。バラも植えて二年になるにもかかわらずいっこうに鳴かず飛ばずといったものが多く見受けられます。何か土壌の中のバクテリアの環境が変化したのか、それともここ数年使うようになったボカシ肥に何か問題があったのか、皆目見当がつきません。 今年は少し目を向けなおしてみたいと思っています。 みなさん今年もよろしくお願い致します。m( __ __ )m ところで久しぶりに来てみたらブログのページが広告だらけになっていることにビックリ。 それも皆さんがあまり関心を持たれないような内容ばかりです。 はてどうにか出来ないものか。 少なくとも皆さんのご参考になるようなリンクが張られていればいいのですが |
たわいもないこと
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クリスマスローズが好きだという人が思いの外多いことに驚いた。
ぼくは、はっきりした色の花が好きなので、葉ボタンのようなくすんだ色が多いクリスマスローズを見ても、欲しいと思うものはいままで無かった。むしろ、同じキンポウゲの仲間なら色鮮やかなアネモネや、日本版ミニヘレボともいえるミスミソウ(俗に雪割草とよぶ)の方が好きだった。 たまたま、栃木県北部に放射線量の測定に行った帰りに、調査の時はいつも食料の買い出しをするマーケットに寄った。 そのとき、今までに無い美しいクリスマスローズを見つけた。 白地に糸のように細い紫色のピコットが入るステキな花だった。 自分が今までに見たクリスマスローズの中で、いちばん美しいと思った。 よく似たものは、ときどきどこかで見かけたような気がするけれど、値段が高かった上、この花は格別に美しかった。 抱えざきの優雅な姿、画像では黄色味があるように見えるけれども、純白の地に紫のピコットは本当に美しいと思えるものだった。値段を見ると1200円とあった。 まあコレくらいなら持って帰ってもいいかな〜。 そんな気持ちをヘレボに対して初めて持った。 |
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今年の夏も、出張に行っている間に、沢山の株が枯れてしまった。
自動給水器は設置していったけれども、やはり人間がこまめに見なければうまくはいかない。 春にせっかく咲いた世界で初めての花々も、ひっそりと誰にも知られずに消えていったものが沢山ある。 あらためてクレマチスも生き物なのだと思い知らされると同時に、自分が生き物を育てているのだと言うことに今更ながら気づかされる。 今生きている株たちが来年は元気に花を坂せられるように、準備をしてやらなければならないね。 |
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疲れきって困っている人に、自分はいつもどんな姿勢で接しているのだろうと思った。
自分だって疲れているんだから、そこまで見てられないよ。 と思ってしまったこともあったかもしれない。 あるいは、何かから疎外されうつむいている姿を見て、自分もなんだか憂鬱になるような気がして、なるべく近づかないという場面もあるかもしれない。 人は、いつも自分にとって有利な側にいようとする習性があるのだ。 だから、その人に関わることによって、もしかしたら自分が集団の中で不利な立場になるkとを恐れて近づかないのだ。 しかし、そのような気持ちのもち方が、この国に蔓延する多くの差別や、子供の世界ではいつまでたっても解決しない”いじめ”という形で多くの人を無実の罪で不当に苦しめる原因となっているのだ。 それだけではなく、その考えは戦争という形をとって、自分が所属する集団の利害のためには殺人をも正当化するまでに拡大することもあるのだ。 つまり、個人を受け入れている母集団の性質が変化しなければ、この行動は無くならないのかもしれないと思う。かつて、この列島に住む人々は、東西南北さまざまな方向から流れ着いた人々を受け入れながら形成されてきたのだと思う。その証拠に、最近出土されている縄文時代の遺跡からは、現在のインドネシアの人々によく似た人骨も出てきている。 そうやって、自分たちとは異質な文化や言語をもち、流れ着き、きっとボロ雑巾のように疲れはてていた人たちを自分たちの仲間として暖かく受け入れ、新たな文化を形成してきたのだ。 それが、八百万の神々という多神教的価値観を生み出してきたのだとぼくは思っている。 これは、おれは正しいがあんたは間違っているというキリスト教などの一神教敵価値観とは対極にあるもので、いわば多様性の世界観ともいうべきものだ。 いま、その多様性が問われている。 これは、異なるものが、それぞれに未知の価値を含んでいる重要な存在であるという理念に基づいたもので、生態学が熟してくるにつれて、森は最終的には最も優れたものが生き残るという極相説的価値観から、生物多様性の価値観へとパラダイムの転換が起こったことを意味している。そして、その見方は科学的にも理解されるようになってきたものだ。 かつて、われわれ日本人の祖先が持っていた、とてつもない寛容性をもう一度見直すとともに、時分の姿をもう一度見直してみたいと思う。 ユネスコ憲章の全文には次のような文がある。 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人々の心の中に平和の砦を築かなければならない」 自分たちだけではなく、あまねく地球人類全体が豊かさを享受し幸せに導かれるように、あるいはすべての絶滅に貧する者たちが絶滅を免れ進化の道を歩み続けられるように、ひとりの人間として研究しつづけたい思う。 |
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何年か前に左足に赤い痣のようなものができた。生物の調査では山でケガをすることが多いので、はじめは打撲による痣で、すぐ直るものだと思っていた。 |


