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その後の男の話からも、結局冴子が逮捕された真相はわからなかった。 正直冴子の逮捕の件など、彼の話には腑に落ちない点は多い。 彼女がハッカーだと仮定しても、どうやって彼の写真を姿を見せずに写すことができたのかも謎のままだ。 しかし、彼の視線恐怖症の根源だと思われる彼女がいなくなったということで、治療は幾分かやりやすくなることは確かだ。 大崎は好奇心を擽られながらも、その点では少し胸をなでおろした。 「葛城さん。あなたを監視していた冴子さんは、もうあなたを監視することはできません。 安心していいんですよ。」 大崎は柔らかい口調で彼に語りかけた。 「そうでしょうか…。」 男は不安そうな声を上げた。そしてまた視線を落として続けた。 「確かに彼女は逮捕され、その日から彼女の視線から開放されました。 でも、今はまた違った視線に監視されているような気がするんですが…」 「大丈夫ですよ。今は彼女に監視されていたトラウマからそう感じているだけです。 すぐに克服するのは難しいかもしれませんが、少しずつ前向きに考えて行きましょう。」 「そうですね。私も少し神経質になりすぎていたのかもしれません。」 そういって男は葛城の方を見た。 大崎は彼の表情が、ここへ来たときよりも和らいでいるのを感じ安堵した。 「では、今日はこのくらいにしましょう。 薬を出しておきますので、後で受付でもらってください。薬の説明は受付のものから直接ありますので。」 そういって大崎は立ち上がった。 男もそれに促されるように立ち上がり、軽く会釈すると、部屋を出ようとドアノブに手をかけた。 そのとき大崎は、胸のところで震えるものを感じた。 それを胸からとりだし開くと、画面は妻からの着信を告げていた。 大崎は、数日前に彼女から一方的に離婚を言い渡されていた。 再三の浮気がばれての結果だ。 そして彼女は家を出てそのまま連絡がとれなくなっていた。 慌てて大崎は電話に出た。 今まで何度も電話したが、いつも留守電だった。 この機会を逃したら、またいつ連絡できるかわからない。 「もしもし…」 扉から出かけていた葛城は、慌てて電話に出る大崎の声を聞いて、ふとそちらを振り返った。 そのとき葛城は不快な何かを感じた。 そして葛城はその正体を探ろうとあたりを見回し、大崎の手元で視線を止めた。 あの視線だ。 いつも自分に向けられているあの視線が、今また自分を静かに見つめている。 葛城は取り乱して大崎のほうに迫った。 大崎は、自分にむかってくる男に気付き驚いた。 「見るな。見るな。」 男はそう叫びながら迫ってくる。 思わず大崎は男を突き飛ばした。 どれくらいたったのだろう。 大崎は鳴り響くサイレンの音で我に返った。 傍らには頭から血を流した男が横たわっている。 運悪く、突き飛ばされた拍子にテーブルで頭を打ったのだ。 (なぜこんなことになったのだろう。) 呆然としゃがみこみながら大崎は考えた。 葛城は急に取り乱して暴れだした。 では、その原因はなんだったのだろうか? ふと、傍らに転がる携帯電話が視線に入った。 それを見ていると葛城が襲い掛かってきたときの視線がよみがえってきた。 それは自分をとらえてはいなかった。 その視線は、その時に手に握られていたものに向かっていたのではないだろうか。 “まさか” 大崎の中で一つの考えが浮かび、それが今組みあがろうとしていた。 朦朧としていた頭がはっきりしてくる。 するともう一つ疑問が浮かんだ。 (誰が通報したのだろう?) 大崎が時計に目をやると、あれからまだ十分足らずしかたっていない。 治療中は部屋に入らないように言ってあるので、その間この部屋に入った人間はいない。 外の人間が異変に気づいたとしても、部屋も覗かずに通報することはないはずだ。 その答えは、まさに今大崎が組み上げようとしている仮説を裏付けるものだった。 “まさかそんな大掛かりな監視システムが…” そんなことを考えていると二人組の男が入ってきた。 「大崎博文だな。葛城良介殺害容疑で逮捕する。」 大崎はそれに反応することなく力なくうなだれていた。葛城を殺してしまったことよりも、今自分が辿り着いた真実のほうが大きな衝撃だった。 そしてあとから入ってきた他の刑事に抱えられ、そのまま連れていかれた。 「早かったですね。」 制服警官が二人の刑事に尋ねた。 「ああ、被害者のほうを別件で張ってたからね。」 宮内はそう答えた。丹羽は余計なことを言うなとでもいうようにそれを睨みつけた。 制服警官が去ってから宮内が口を開いた。 「これでまた堂島冴子が盗んだデータのありかがわからなくなりましたね。」 「ああそうだな。」 丹羽はしかめ面をしている。 「私は彼を見守っていただけです。」 頑なに堂島はそういった。 逮捕されてからずっとこの調子で取調べはいっこうに進んでいない。 「だから、そのことはもういいいと言っているだろう。 ただその見守るときに使った手段が問題だ。 君がハッキングしたあのシステムは警察の中でも重要機密でね。外部に情報を漏らすわけにはいかんのだよ。そろそろ君が奪ったデータをどうしたか教えてくれないかね。」 彼女はそれにまったく答えようとはせず、一点をみつめたまま動こうとしない。 丹羽は経験から、この女に自供させることは難しいだろうと思った。 冴子は焦っていた。 こんなことをしている場合ではない。私はここを出て良介のことを守らなければならないのだ。 どうにかしてここから出られないものか。 冴子はずっと考えていた。 そしてふと思いついた。ここから出られない間は他の人に監視してもらえばいいのだ。 冴子は重い口を開いた。 「あのシステムについてのデータはある場所に保管してあります。」 丹羽の顔色が変わった。 「それはどこなんだ?」 冴子は表情を変えずに答えた。 「良介?葛城良介のことか。」 冴子はそれに答えることなくたんたんと続ける。 「ただし、彼はそのデータのことは何も知りません。ただいつか彼が見つけてくれるように、彼が生活している中でいつかたどり着く場所に隠しておきました。 だから彼を問い詰めても無駄です。」 「それはどこなんだ。」 丹羽は怒鳴ったが、それ以上彼女が口を開くことはなかった。 それから葛城の周辺を探したが、例のデータは出てこなかった。 そして仕方なく葛城を監視していた矢先にこの事件が起きた。 これでまた手がかりがなくなる。 上司に怒鳴られることを思うと丹羽は頭が痛かった。 「とにかく、あの情報は絶対外部に漏らしちゃならん。 せっかく民間企業とともに何年もかけて作り上げた監視システムが水の泡になるからな。」 丹羽は険しい顔をした。 このままだと企業のほうにも事態を説明せねばならないかもしれない。 そう考えると憂鬱だった。 今や100%に迫る普及率のあの製品が、国の監視システムに組み込まれていることが世間に知れたらどんな影響があるか計り知れない。 「それにしても怖い時代になりましたね。」 そういうと、宮内は床に転がった大崎の携帯を拾い上げ、それをまじまじと見つめた。 大崎が警官に連れられて表へでると、警察に交じって野次馬が集まっていた。 彼が顔を上げると、パシャパシャという音とフラッシュの光が容赦なく彼に襲い掛かってくる。 大崎はその野次馬の集団を見た。 その集団は誰一人大崎の方を見ていない。ただ、手に持った物体の画面を凝視している。 そして、その物体から放たれる冷たい視線だけが、静かにこちらをとらえていた。 <了> |
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良介と初めて会ったのは、一年半前のことだった。 駅前の広場のベンチに腰掛けていると、不意に声をかけられた。 「君たち今暇?時間あったら俺と遊ばない?」 “君たち”と言われたことに違和感を覚えたが、彼の視線から、隣の女と私が友達同士だと勘違いしているのだとすぐにわかった。 その女は、彼の言葉に反応することなく不機嫌そうに立ち上がるとその場を去っていった。 彼はそれを目で追った後、私を見て、 「てっきり友達だと思ったんだけどそうじゃなかったんだ。じゃあ… 君だけでもどう?」 少し考えながら、そう声をかけてきた。 私がそれに答えることができず戸惑っていると、 「じゃあ、また機会があったら。」 そう言ってばつが悪そうに去って行った。私はその背中をずっと目で追っていた。 彼こそが私の待ち望んだ運命の人に違いないと。 その日から私は毎日彼の姿に視線を送るようになった。 しかし彼が再び私に気づくことはなかった。 このままでは運命を逃してしまう。そう思い私は焦った。 そしてある日、私は思い切って彼のことを追いかけた。 すると彼は漫画喫茶に入っていった。どうやらそこが彼の職場らしい。 私は家に帰るとその店に早速アクセスした。 慎重にその店のことを調べてみて、彼の名前、年齢、住所、電話番号、出身校など詳しい情報がわかった。 「良介。」 私は初めて知った運命の男性の名を口にしてみた。 そこで私はすぐに彼に会いに行くようなことはしなかった。 この前はことを急いで失敗した。今度は同じ轍を踏むわけにはいかない。 まず私は彼の趣向を探ることにした。 幸いにも彼はパソコンを利用している。 私は迷わずそれにアクセスした。 まず彼のインターネットの利用履歴を見た。 彼がどんなHPを覗いているかは彼の趣向を知る上で参考になる。 そこで彼が特定のバンドのファンであることがわかった。 そのバンドのHPを何度も見ているし、音楽の再生履歴を見てもそのことは明らかだった。 私は“コールドアイズ”というそのバンドの曲の中でも、彼が一番多く再生している“真夜中の行進”という曲を早速ダウンロードして聴いてみた。 正直その曲は私の趣味には合わなかった。 ただ轟音を上げて叫んでいるだけにしか思えない。 しかし、それも彼のためだと思えば我慢できた。 それから彼の女性の趣味を探ってみた。 彼がよく見ているアイドルのHPや女優のHPなどを一つ一つ調べていくと、彼が興味を持っている女性には一定の傾向があることがわかった。 彼はかわいいタイプの女性より理知的な雰囲気を持つ大人の女性を好むようだ。 それに髪はショートよりも黒髪のロングを好む傾向にある。 幸いにも私の髪も腰くらいまであるロングだ。 この分なら服装とメイクを少し変えるだけで、彼好みに変われるだろう。 そこでも私はまた運命を感じた。やはり私と彼は出逢うべくして出逢ったのだ。 彼のよく行くレンタルビデオ店にアクセスして得たデータも役に立った。 彼が借りた、いわゆるアダルトビデオの履歴を見ても彼の傾向は顕著に出ている。 もちろんその店のデータから、彼の映画の趣向などもうかがい知ることができた。 それから私は知りえる限りの彼のデータを集め、彼のどんな情報にも対応できるように準備した。 容姿も彼が好むであろうものになったつもりだ。 そして私は初めて彼の働く店に行ってみた。 最初彼と目が合ったときには緊張した。 彼は今、自分のことをどんな目で見ているのだろうかと思うと心臓が飛び出しそうだった。 受付で彼は、どこを利用するか尋ねてきた。 私は彼から差し出された店の見取り図をみて、迷わず突き当たりの個室を選択した。 そこからなら受付を常に見ることができると思ったからだ。 そしてその個室に入ると一息ついて考えた。 (彼は私にどんな印象を抱いただろうか。) いい印象を抱いたはずだと自分に言い聞かせた。 ここまでやったのだ。失敗するはずがない。 それから部屋を確認した。 人一人が寝転がれるくらいのスペースにパソコンが一台置いてある。 このパソコンは自由に使っていいらしいが、決して私が満足できる性能のものではなかった。 受付のほうを覗けないかと部屋の壁も調べてみた。 しかしそんな都合のいい場所はない。 私は次に来たときに、穴をあける工具を持ってこようと思った。 小さな穴ならシールか何かで隠せば気づかれないはずだ。 それからしばらく、彼の店に通う日々が続いた。 次第にこの状況にもなれ、彼と目が合えば会釈したり、受付のときに会話をしたりするようになったが、もう一つ距離を近づけられないでいた。 そんなときに、彼があのバンドのライブチケットを必死で探していることを知った。 私はあらゆる手を尽くしてそのチケットを手に入れた。 あとはこれを手に彼を誘えばいい。 しかしどうやって誘ったものかと考えた。 急にこのチケットを見せて誘っても怪しまれるかもしれない。 私はふと、彼が“コールドアイズ”のTシャツを着て店に出ていたことがあったのを思い出した。 そのTシャツを見て彼が“コールドアイズ”のファンだと知り、思い切って誘ってみたことにしよう、そう考えた。 本当は彼がもう一度そのTシャツを着てきたときに、それに気づき誘うというのが筋書きだったが、思惑通り彼がまたそのTシャツを着てくることはなかった。 そうしているうちにライブの日が近づき、仕方なくあの日に誘ったというのが実際のところだ。 しかし彼は怪しむことなく私の申し入れを快諾してくれた。 ライブの当日、やはり慣れないその音楽には正直辟易としたが、彼のとなりにいれるだけで十分だった。 そしてその日、とうとう彼と結ばれることができた。 それから彼との交際は順調に進んだ。 普段無防備に見える彼が携帯にロックをかけていたのは意外だったが、私の前でそんなものは意味をなさない。 彼が風呂に入っているときに、持ってきたノートパソコンに携帯をつなぎ、難なくデータを吸い出した。 一応ロック解除のパスワードもそのときに調べておいたが、それは彼の誕生日だった。 私は安易な人だと少し笑い、同時にこんな無防備な彼を私が守ってあげなくてはと思った。 そうして順調に交際が進んでいたある日、彼から急に別れを切り出された。 正直私は驚いた。なぜ彼がそんなことを言い出すのか見当もつかない。 店に入ったあの小娘のせいかとも思ったが、私が見ていた限りそれはないはずだ。 結局、彼は私の束縛に耐えられないと言って去っていった。 ただ私は彼のことを守りたかっただけなのに。 それから私は彼に何度も連絡をした。 話せばわかってもらえるはずだ。 しかし彼は電話番号を替え、家まで引っ越してしまった。 私は怒りを覚えた。 ここまで彼のことを考えて尽くしている私を、彼は一方的に切り捨てたのだ。 そんな彼を許せないと思った。 しかし、日が経つにつれその怒りはおさまり、逆に不安になってきた。 彼は私が見守っていなくても大丈夫だろうか。 そう思うと心配でならなかった。 彼は今、反抗期の子供のようなものなのだ。 今は私のことを煩わしいと思うことがあっても、必ず私の元に帰ってくるはずだ。 そのときまで彼のことを私が見守ってあげなくては。 そう考え直し、私は彼の所在を調べた。 彼は2駅ほど離れたところに移っただけで、そう遠くへは行っていなかった。 私は会いに行きたいとはやる気持ちを抑えた。 彼が自分で私の存在の大切さに気づくまで待とうと決めたからだ。 しかし、私が彼をちゃんと見守っていることだけは伝えておきたかった。 そこで電話をとり、一言だけ彼に告げた。 「私はいつでもあなたを見ているから。」 それから私は、彼を見守っている証拠に彼を写した画像を毎日送った。 彼の画像を集めるには、先日アクセスしたある機関のシステムが役に立った。 これを使えばパソコンの前にいながらいつでも彼のことを見守ることができる。 便利なシステムを開発してくれたものだと思った。 私は、そのシステムを使って彼を写した数々の画像を開き、次はどれを送ろうかと思案した。 “ピンポン” そのときドアフォンを鳴らす音が響いた。 ドアを開けるとスーツを着た二人の男が立っていた。 「どなたですか?」 尋ねると、男は懐から手帳のようなものを取り出して掲げた後、神妙そうに言った。 「堂島冴子さんですね…」 |
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「角度から考えても、あの写真は彼女にしか写せないはずでした。 しかし彼女が冴子に協力して隠し撮りしていたという形跡を見つけることはできませんでした。 それに、彼女の携帯を見た後に撮られた画像は、彼女には撮ることができなかったはずです。そう考えると街中にいるすべての人を疑いの目で見るようになりました。 それから私は外へ出るのも恐ろしくなり、仕事もやめて部屋にこもるようになりました。」 大崎はどうしたものかと思った。 どういう手段を用いて彼を撮っているのかはわからないが、彼を回復に向かわせるためには冴子の影を彼から遠ざけることは必須だ。 しかしそれは自分の領分ではない。やはり警察の力を借りるのが早道だろう。 今の状況を話し、自分からも意見書を出せば警察も動いてくれるかもしれない。 「葛城さん、私にも警察の友人がいます。もう一度警察に頼んでみてはいかがでしょうか? もちろん、私からも協力してくれるように進言しておきますから。」 とりあえず、警察の出方を見てからこれからの治療方針を決めよう。 大崎はそう考えていた。 「ありがとうございます。」 男は大崎に少し頭を下げた。そして、 「でも。もう大丈夫ですから。」 そう続けた。 「え?どういうことですか。」 意外な答えに驚く大崎に男は言った。 「彼女ならもう逮捕されましたから。」 ある日、葛城の部屋の扉が叩かれた。 葛城はそのとき嫌な予感がした。 (まさか冴子では。) 最近では携帯の電源もパソコンの電源も入れることがなかった。 外出も必要最低限しかしていない。 彼女が篭城を決め込んだ葛城に業を煮やし、とうとう部屋にまで押しかけて来たのかもしれない。 葛城は恐る恐るドアの覗き穴から外を覗いた。 そこには冴子ではなく男が二人立っていた。スーツに身を包んだ二人は怪しい人物には見えない。 葛城は胸をなでおろし、ゆっくり扉を開けた。 二人の男は丹羽と宮内と名乗った。 丹羽のほうが上司なのだろう、もう一人よりも堂々としている。年齢は40代といったところだろうか、頭髪に少し白髪が見えた。 一方の宮内は、20代後半から30代くらいに見える。なかなか精悍な顔立ちをした好青年といった感じだ。 二人は刑事だった。 警察手帳を掲げた後に、丹羽は懐から一枚の写真を出し葛城に見せた。 「この女性をご存知ですか?」 それは冴子の写真だった。 「はい。」 そう答えながら少し希望が湧いてきた。 やっと警察が動いてくれたのだ。 「どういうご関係でしたか。」 「以前付き合っていた時期がありました。 別れたあと、ストーカーされて困っていたんです。」 刑事は顔を見合わせた。 「ストーカー行為のことは聞いています。 それで、証拠を保全したいのであなたのパソコンと携帯電話、それから彼女から送られてきたものがあれば全てこちらに提出していただきたいのですが。」 葛城は郵送されてきた、写真などを提出した。 驚いたのはパソコンと携帯もまるごと持っていかれたことだ。 そこに保存されている画像などを解析して証拠を掴むらしい。 それにしても大事だと思った。 「携帯電話は、新しいものを用意しましたのでしばらくこちらをお使いください。 パソコンに関しても必要なデータを取りましたらすぐにお返しします。 郵送された写真は…どうしますか?」 「そんなものいりません。そちらで処分していただいて結構です。」 葛城は、そう言い捨てた。 「それで、冴子はどうなるんでしょうか?」 葛城は今後の処遇が気になった、もしかしたら注意するだけでお咎めなしという可能性もある。 「ご心配なく、堂島冴子はすでに逮捕しましたから。」 そういって刑事は去っていった。 逮捕と聞いて少し罪悪感はあった。 自分のせいで誰かが逮捕されるというのは気分がいいものではない。 しかしやっと冴子の視線から逃れられるという開放感のほうが勝っていた。 葛城はその日久しぶりに街に繰り出した。 その話を聞いて大崎は違和感を覚えた。 確かに冴子の行動は常軌を逸している。脅迫とも取れなくはない。 しかし、逮捕するほどのものなのだろうか? そもそも男の話では、メールを送っていたのが冴子であるという確かな証拠は無かったはずだ。 それに、毎日嫌がらせメールをしていただけで、被害者のパソコンや携帯を持ち出したりするものなのだろうか? 大崎は逮捕されたことが事実なら、彼女はストーカー以外のもっと重要な犯罪に手を染めたのではないかだろかと考え始めていた。 大崎にはここまでの話を聞いて、一つ想像することがあった。 その想像が正しければ、彼女が彼の隠れた趣向を知ることができた理由や、葛城のパソコンが持っていかれたことにある程度説明がつく。 それは彼女はハッカーだったのではないだろうかという考えだ。 |
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「結局その後も彼女の所在を知ることはできませんでした。」 大崎は話を聞きながら、冴子がなぜ葛城好みの女に変貌することができたのか考えていた。 出会う以前から彼女は葛城のことを知っていて、誰にも話していないはずの彼の趣向までも知ることができたのだろうか? そもそもこの男が、自分の隠れた趣味を周りに話していないだけで、それを誰も知りえなかったこととイコールにはならない。 人は自分でも知らないうちに、細かな行動で多くの情報を周りに漏洩しているものだ。 この男が気づいていないだけで、周りには彼の趣向がばれていることも十分に考えられる。 大崎は医者としての立場だけでなく興味を抱き始めていた。 「それで、そのあとあなたはどうしたんですか?」 「やはり、彼女が隠し撮りをしているところを抑えるしかないと思い、行動に出ることにしました。」 彼女が隠し撮りをしているところを抑えるというのは、想像以上に難しかった。 もちろんあのメールが送られるようになってから、普段以上に周囲を警戒しながら行動している。 それでも、冴子の姿を確認できたことは一度もない。 (誰か他の人間に隠し撮りさせているのかもしれない…) 葛城はそう考えた。 葛城はまず、最近では送られてきてもほとんど正視することのない画像を、一つ一つ丹念に確認してみた。 駅周辺の写真が一番多い。 よく調べてみると、駅の周辺の写真以外もほとんどが、人通りの多い場所の写真だった。 おそらく人ごみに紛れて撮影しているに違いないと思い、葛城は人ごみの中に自分にカメラを向ける怪しい人物がいなかったか思い返してみた。 カメラを持っているような人間なら多少目立ちそうな気がするが、そんな人物を見た記憶はよみがえってこなかった。 そもそも隠し撮りするような相手なら、うまくカメラをカモフラージュしているに違いない。 いくら考えても答えが出ないまま、とりあえず葛城は駅前の広場へ行くことにした。 現場でどこから撮影された画像かを確認するためだ。 駅前につくと葛城はあたりを見回した。もしかしたらこの中に自分を狙っている人間がいるかもしれないと思うと、なんとも言えない不快感がする。 葛城は送られてきた画像の一つを見た。 一番最近送られてきた画像だ。 そしてその画像の自分と同じ位置を探し、大体このくらいの位置だろうとあたりをつけてその場に立つと、振り返って一つのビルを見上げた。 いくつかの会社が入ったそのビルの側面には看板が掲げられていて、画像にもその看板が写りこんでいる。 葛城は、画像のように看板が写りこむためにはどこから撮影すればよいのかを知ろうと、その看板と自分とを結んだ延長線上に目をやった。 そこには円形の花壇のようなものがある。 それは、ちょうど人が腰掛けられるくらいの高さになっており、その淵はベンチ代わりになっていた。 今も数人がそこに腰を下ろしジュースを飲んだり、なにやら携帯を覗き込んでいるのが見える。 葛城はその花壇に近づき、隠しカメラがないか調べてみた。 しかしそんなものは見つからない。 そもそもこんなところにカメラが仕掛けてあることは期待してはいなかった。 送られてくる画像が、さまざまな場所でさまざまな角度から撮られていたからだ。 それらの写真を隠しカメラで撮ろうと思ったら、街中にいくつものカメラを仕掛けなくてはならない。そんなことは不可能だ。 やはり、誰か冴子に協力している人物がいると考えるのが妥当だろう。 そんなことを考えながら花壇を探る葛城を、すぐそばで携帯をいじっている女性は訝しげに見ていた。 それに構わず葛城は振り向いてもう一度あのビルを見た。 その光景と画像を見比べてみるとその二つは見事に合致する。 葛城はこの画像はここから撮ったに違いないと確信した。 では誰が撮ったのだろう。 葛城はもう一度画像の自分と同じ位置に戻って花壇のほうを見た。 そして昨日そこに不審な人物がいなかったか思い出そうとした。 じっと花壇のほうを睨みながら記憶を辿っていると、先ほど自分を訝しげに見ていた女性が、携帯を覗きながら時々こちらをちらちら見ている。 しかし今はそんな目を気にしている場合ではない。 しばらく考えて葛城はふと思い出した。 昨日あそこには一人の女性が座っていた。 そしてその女性に男性が近づいていったはずだ。どうやらナンパらしいが、彼女は男に目もくれず黙々と携帯を見たままだった。 そしてまったく相手にされない男はすぐに退散して行った。 それを見て葛城は昔の自分のようだと思ったのだ。 そのときの女性こそ、今花壇に腰を下ろして携帯を見つめている女性だった。 間違いない。昨日と同じ女性が今また同じ場所に座っている。 では彼女が隠し撮りの犯人なのだろうか? しかし、昨日彼女は手元を見つめるばかりで、そんなことをしているようには見えなかった。 やはりただの偶然なのだろうか。 (いや、待てよ。) 葛城は考えた。 隠し撮りだと思ったときに葛城は普通のカメラのことばかり考えていて、もっと身近で誰でも手にしているカメラの存在を忘れていた。 それは今彼女も手にしている携帯電話だ。 最近の携帯電話には必ずといっていいほどカメラ機能が搭載されている。 それを使えば、電話をしているふりをしながら、メールを送るふりをしながらでも撮影が可能なはずだ。 葛城は、花壇に座る女性に歩み寄った。 彼女は、昨日と同じように携帯を見つめたまま葛城に見向きもしない。 葛城が彼女の前に立つと、その異様な雰囲気を察してか彼女は顔を上げた。 「なんですか?ナンパなら…」 そう言い掛けたところで葛城は彼女の携帯を取り上げた。 彼女がこの携帯で自分を写していたはずなのだ。 「ちょっとなにすんのよ。」 女が叫ぶのを無視して葛城は携帯を見た。 その画面には彼女が打つ途中のメールが残っていた。 “なんかさっきからこっち見てくる男がいるんだけど、またナンパかも(笑)” (そんなばかな…彼女以外に犯人は考えられない。) 葛城はそう思い、彼女の携帯に保存された画像を見た。 そこには、猫の写真や彼女が友人と写った写真が入っていた。 「そんなはずはない。」 そういいながら、葛城は次々に画像を切り替えた。 しかし、自分が写った写真はそこにはなかった。 「ほんと何なのよ。」 涙目になっている女性は、呆然とする葛城から携帯を奪い取ると走り去っていった。 周りの人たちは、奇異なものを見る目で葛城のことを見ている。 すると葛城の携帯が鳴った。 葛城がそれを見ると、また画像だけが載せられたメールだった。 そこには、嘲笑うかのようについ今しがたの葛城の姿が写っていた。 葛城はあたりを見回した。 無数の瞳がこちらを捕らえている。 葛城はその一つ一つを次々に睨み返すと、 「見るな。」 しぼり出すような声で叫んだ。 |
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「それきり彼女から電話がかかってくることはありませんでした。 そのかわりに…」 そこまで言って男は口籠った。 「そのかわりに、どうしたんですか?」 大崎はあくまで穏やかな口調で促した。 男はなにかに踏ん切りをつけたように目線を上げて続きを話し出した。 「そのかわりに、メールが届くようになりました。」 「メール…ですか?」 大崎は心の中で首を捻った。やりようによっては電話よりもメールのほうが無視することは容易いはずだ。 しかし男の話しぶりを見るとこのメールの方が厄介なように聞こえる。 そんな大崎の反応を尻目に男は話を続けた。 葛城は冴子から電話があってからは、不振な電話にはもう出るまいと思っていた。 しかし予想に反して、その後彼女から電話がかかってくることはなかった。 何も動きがないことで、逆に不気味さを感じていたころ、見知らぬアドレスから携帯にメールが入ってきた。 そこには文面はなく、画像だけが載せられている。葛城は恐る恐る携帯の画面をスクロールさせた。 すると、そこには葛城の姿が大きく映っていた。 服装からすると、昨日撮られたものらしい。 背景に写り込む建物をみると場所は駅前だろう。 つまり、昨日あの場所に冴子もいたのだ。 人ごみに紛れて葛城に近づき監視していたに違いない。 葛城は恐ろしくなった。 “いつでも私は監視している” 冴子の無言のメッセージを感じた。 それから、葛城の姿を写しただけのメールが毎日届いた。 もちろん葛城は受信拒否をしたりしたが効果はなかった。 携帯だけでなくパソコンのメールにも次々に違ったアドレスからメールは送られてくる。 時には写真だけを入れられた封筒が郵送されていることもあった。 葛城はとうとう警察に相談することにした。 しかし警察の反応は葛城が満足できるものではなかった。 「わかりました。一応あなたの家の周辺の見回りを増やすようには言っておきます。」 事情を聞いた警察官から、事務的な口調でそう言われた。 「これだけ毎日被害を受けているんですよ。彼女を逮捕とかできないんですか?」 葛城は担当の警察官に食って掛かった。 「そう言われてもね。写真が送ってくるだけでしょ?それだけで犯罪に結びつけるのは難しいんですよね。 それにそのメールだって、その彼女が送ってきているという証拠はないんでしょ? それとも、彼女があなたを撮影したところを目撃されたんですか?」 葛城は言い返す言葉がなかった。 間違いなくあのメールを送ってきているのは冴子だろう。 しかし、あれだけ毎日自分を写したメールが送られてくるのに、それを写す彼女の姿を見たことは一度もなかった。 警察が役に立たないとなると自分で何とかするしかない。 そう思い葛城は行動に出ることにした。 今の彼女と接触することは多少危険が伴うかもしれない。 思い余った彼女が何をしでかすかはわからないが、もし襲われるようなことになっても、男である自分が後れをとるようなことはないだろうという自信はあった。 それに、何かあったときに多少手傷でも負って実害が出れば警察も動かざるをえないだろう。 そう思い葛城は彼女のマンションを訪れた。 そして、オートロックの前に立ち彼女の部屋の番号を押すと呼び出しボタンを押した。 しかしそれに応答はない。 もう一度呼び出してみる。 やはり応答はない。 入り口からは、コンビニの袋をぶら下げたこのマンションの住人であろう男が入ってきた。 葛城のことを物珍しげに見るその男は、早く退けとでも言うように葛城の後ろをうろちょろしている。 葛城はもう一度彼女の部屋番号を押し呼び出してみた。 やはり応答はない。 「その部屋の人ならこないだ引っ越したよ。」 振り返ると、さっきの男が覗き込んでいた。 「え?」 葛城が驚いた表情を見せると、面倒くさそうに男は続けた。 「だから、504に住んでた人だろ? こないだ引越してったよ。俺はその隣に住んでるからさ。 間違いないよ。」 そして早く退いてくれとでも言いたそうな表情を見せた。 「あの、それはいつごろですか?」 「一ヶ月くらい前だったと思うけど。 半年もしないうちに引っ越すなんてなんか訳ありなんじゃない?」 引っ越した時期とメールが届きだした時期はちょうど一致する。 もしかしたら、近場に引っ越して監視しているのかもしれないと葛城は思った。 「彼女がどこに行ったか心当たりはない?」 「あるわけないだろ?ただの隣人だし、まともに挨拶したこともないよ。」 「ありがとう。」 葛城がそういうと、男はオートロックを開けマンションへ入ろうとした。 「あ、ちょっと待って。」 葛城は男を呼び止めた。 「さっき君、彼女は半年もしないうちに引っ越したっていったよね?」 「ああ、そうだけど。」 「それって間違いない?彼女は2年くらい前からここに住んでるはずなんだけど。」 「間違いないと思うけど。いつもスーツ姿で、綺麗な人だったから覚えてるんだよ。 確かその前はもっとダサい格好の暗そうな女の人だったと思うから。」 「ありがとう。」 もう一度礼を言うと、葛城はマンションを後にしようとした。 「あれ、ちょっと待てよ。」 そう呟いた男の言葉に葛城は足を止めた。 「そう言えば、前に住んでたダサい奴と、あのスーツの人は背格好とか良く似てたな。 全然気づかなかったけど、もしかしたら、あの二人は同じ人だったのかも知んないな。」 葛城は帰り道、男の言葉を思い返していた。 男が言うように、二人は同一人物で半年くらい前に突然イメージを変えたとする。 その時期はちょうど葛城と冴子が出会ったころだ。 つまり、冴子は葛城と会う前に、急に葛城好みの女性に変貌したことになる。 ということは、冴子は葛城の好みを知った上で、計画的に葛城に近づいてきたということだろうか? しかし、彼女が演じた理想像は葛城の頭の中だけにあった理想像だ。 それは冴子はおろか、他の誰にも知ることはできなかったはずである。 それを出会う前から冴子がしっていたとは考えにくい。 葛城の心の中に言い知れない不気味さが渦巻いた。 |




