☆ southern country miyazaki ☆

「挑戦と成長無しに人生は退屈過ぎる」

全体表示

[ リスト ]

村上春樹 カタルーニャ国際賞スピーチ

「非現実的な夢想家として」(1)

僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、
驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけても
サインしきれないくらいでした。

どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを
求めたからです。それで手間取ってしまった。

僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、
女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。
それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。
この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、
とても幸福に思います。

でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、
もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な
地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短く
なるほどの規模の地震でした。

地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい
爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。
39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。
海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの
九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、
未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に
沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、
胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、
コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。
生きる希望そのものをむしり取られた人々も多くおられたはずです。

日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを
意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道に
なっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。
各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。
日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、
危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を
営んでいるようなものです。

台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。
ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、
間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、
東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、
多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の
午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、
それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の
生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで
働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、
それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしく
なってしまわないのか、と。

日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態は
ひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、
すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅の
ものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、
宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティー
として、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。
人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人は
そのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。
それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、
熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば
混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

どうしてか?

桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。
我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。
そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、
鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、
消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、
僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、
ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで
生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも
影響を及ぼしたかもしれません。

今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、
普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、
今なおたじろいでいます。

無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。でも結局のところ、
我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。
それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を
生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。
壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。
どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、
文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。
好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できない
ものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。
それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、
簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えば
すぐに拵えられる、というものではないからです。

僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、
少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。
メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を
含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。
畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた
人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、
まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。
原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかった
ためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、
安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを
真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、
大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進める
ために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。
その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを
余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けている
けれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、
バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。
でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、
あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、
我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。
1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下
され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の
一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の
多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていった
ということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、
人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の
上に学んだのです。

戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、
もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使する
ことはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本
という国家の新しい指針となりました。広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような
言葉が刻まれています。

                 (2)へつづく     *転載、拡散お願いします

閉じる コメント(4)

転載させてね ポチ凸

2011/6/20(月) 午後 5:56 なめらかぷりん

今晩は初めまして彼のスピーチ聞き感動しました↑様から来ました『転載させて頂きます(*´Д`)ノ』(^人^)感謝♪(*- -)(*_ _)ペコリ(✿◕ ‿◕ฺ)ノ))凸ポチッ♪

2011/6/20(月) 午後 8:20 kazu

ぷりんちゃん♪

原発を推進する人の脳みそが見てみたい今日この頃です。

2011/6/25(土) 午後 8:16 ケ〇ジ

kazuさん♪

初めまして。いらっしゃいませ^^

限定記事99%ですが良かったらまた来てください。

2011/6/25(土) 午後 8:18 ケ〇ジ


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事