☆ southern country miyazaki ☆

「挑戦と成長無しに人生は退屈過ぎる」

全体表示

[ リスト ]

村上春樹 カタルーニャ国際賞スピーチ

「非現実的な夢想家として」(2)



「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。
そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、
我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされている
という点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点に
おいては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者
でもあります。

そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能
をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして
止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、
二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。
我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、
我々自身の生活を破壊しているのです。

何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、
いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、
何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

理由は簡単です。「効率」です。

原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。
つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、
原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。
電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも
安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によって
まかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の
日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。
原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」
という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」
という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、
ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」
というレッテルが貼られていきます。

そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を
開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、
実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。
それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、
そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。
我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。
しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、
加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。
そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが
彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。
そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、
言いました。「これで拭きたまえ」
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、
この世界のどこを探してもありません。

我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に
代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。
たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない
日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、
核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。
核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべき
だったのです。

それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の
取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的
メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会と
なったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、
その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を
乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、
深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。
しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。
我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を
無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で
黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の
人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を
進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで
関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させ
なくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げて
なくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き
歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさに
そのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、
我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に
生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。
大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、
日本文化の基本的イデアのひとつになっています。
しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界に
ありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの
精神性も我々には具わっているはずです。

僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、
誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。
依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を
背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、
日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られ
ることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを
嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、
人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、
小説家であることはできません。

カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には
苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は
知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になる
ことができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を
形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。
それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた
我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを
恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の
犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく
「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。
しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、
その力を信じるものでなくてはなりません。

後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった
人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えて
くださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに
深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、
深い哀悼の意を表したいと思います。



NO MORE GENPATSU !!!

皆さんで反原発の声を上げましょう !!!

原発推進派の政治家に投票しない  !!!

原発による利権が大きい企業の品物は買わない!!!(とうし〇・ひた〇・みつび〇)!!!

原発が不利益だと認知させない限り無くなる事は無い仕組みになっています。

皆さん一人一人の力が集まれば変わるはずです。!!!

大切な家族、友人、故郷・・・失ってからでは遅いのです。

今すぐ声を上げましょう!!!            *転載、拡散お願いします。

閉じる コメント(12)

こんにちは♪
その後お元気ですか?

その通りですね(;o;)
早速転載させていただきました^^v

2011/6/20(月) 午後 4:43 Marie

私もこのスピーチ テレビで見て 聞き入ってしまいました。
もっともっと テレビで繰り返し放送してほしい!って思います。

2011/6/20(月) 午後 5:25 [ milimili ミィミィ ]

顔アイコン

これも、転載させてね 長文頭に入っていかないの m(_ _*)mね
でも、必要なことが書いてあることはわかるから

ポチ凸

2011/6/20(月) 午後 6:03 なめらかぷりん

僕の低レベルの言葉では表されなかった言葉がありました!
気持ち的に全くの同感です!

数十年前に一度被曝し多くの人命を失った民族が、原子力に頼ってはならないと思います。
代替えエネルギーは、この技術大国ニッポンなら、どうとでも出来るはず!

2011/6/20(月) 午後 6:13 ☆GLIDE☆

こちらも『転載させて頂きます(*´Д`)ノ』(^人^)感謝♪(*- -)(*_ _)ペコリ(✿◕ ‿◕ฺ)ノ))凸ポチッ♪

2011/6/20(月) 午後 8:22 kazu

効率で貯めてきた今までの豊かさが、一気に負債になってしまいましたよね。

買わせようという側の人間に惑わされない、おだやかな心が必要ですよね。

2011/6/20(月) 午後 8:31 イリイリ

marieさん♪

先日千葉におじゃましました。

marieさんが居たらいいな〜〜って思ってきょろきょろしましたよw

世の中悪いものでも必要なものはたくさんありますが、原発だけはダメです。

絶対にいりませんよね!

2011/6/25(土) 午後 8:21 ケ〇ジ

milimiliさん♪

原発プロパガンダが世に蔓延る限り平和は訪れませんね。

みんなの力で原発をなくしましょう!

2011/6/25(土) 午後 8:22 ケ〇ジ

ぷりんちゃん♪

とっくにぷりんちゃんが記事にしてたんだねw

さすがぷりんちゃん!!!ヽ(=´▽`=)ノ

2011/6/25(土) 午後 8:23 ケ〇ジ

GLIDEさん♪

原発推進派は自分の家族が犠牲になっても推進するんでしょうかね?

どんな真っ当な意見で原発を守ろうとしても真理から外れた物事ってうすっぺらいですよね。

原発が必要ないことは明確。 みんなの力でなくしましょう!

2011/6/25(土) 午後 8:27 ケ〇ジ

kazuさん♪

どんどんやっちゃってくださいw

2011/6/25(土) 午後 8:27 ケ〇ジ

イリ君♪

東電の社長が水車のマスターみたいなヤツならよかったのにねwwwww

2011/6/25(土) 午後 8:29 ケ〇ジ


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事