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グリーンコープの通販で、「フィンランドに学ぶべきは『学力』なのか!」という都留文化大学に勤められている佐藤 隆さんが書かれ、「熊本子育て教育文化運動交流会』というところが編集され、かもかわ出版という所が出されている600円の本を買いました。
フィンランドの本もだいぶん出てきましたが、だいぶん精選され、日本の課題に応じて「自分たちがどうしていけばよいのか」というのが具体的に示されるようになってきたのはうれしいことです。
まずが、
「『学力』という言葉は、同じ言葉ながらも、人によってまるで異なるものをイメージしている。」「『学力』それ自体を問い直さないと行けないのに、それを不問にしたまま『学力低下を何とかしなければ行けない』」
という雰囲気になってきていることから述べられます。次には、「ここ10年ですすんだ『子どもバッシング』」について、『子どもは昔に比べてダメになっているのオンパレードで、それが次には「子どもがダメになっているが、教師もダメになっている」というややヒステリックな視線が強まってきていることから、「学力を上げるためには・・・」ということで、「基礎学力強化プログラム」を作るという話になっていることが出ていました。その内容としては「授業時数を10%増やす」「薄すぎる教科書を厚くする」という単純なことが述べられるのですが、それを作るにあたっての調査や検討が行われていないんじゃないか・・と。結局は現場の子どもたちの実態や将来への指針がないままに作られているということです。
そして、子どもたちが「学びの意味を感じていないこと」。わかりやすくいえば「なんで勉強をしないと行けないのか」というのが、あまりにも覚える内容のが多いために受け身になってしまい、やる気を出せていないのではないかということです。
今までは、「できるけれども、わかっていない」そして、「苦役としての学び」であることが当たり前とされてきたのですが、本来学ぶことというのは死ぬまで行われていくものなのです。これまでの「日本のやり方の学び」はいい成績を上げることに重視を置かれてしまい、それを達成したときに学びをやめてしまう人を多く作っているのではないでしょうかと述べられます。本来は、生涯教育のように大人になっても学び続ける人間を作るための教育を作らないと行けないのに・・。
私たちは、「『学ぶということはどういうことか』をもっと自分たちのあり方を問わないといけない」と思います。
「競争としての学力って何か?」「自分で学び続ける学力って何か?」を考えるには、まず、他者の言葉を聞く、それもしっかりと聞く、そして、自分の意見を述べる。
立派な人は他の人の意見を聞き、取り入れた上で上手に自分の考えにしていくものです。そういう人を今の教育制度で作られているのか。自分たちで何ができるかを考え、自分たちが考える子どもたちにとって必要な「学力」を問い、目の前の子どもたちにとって必要な「学力」を身につけるために大人がどうあるべきかを問わないといけないんだなと思いました。
フィンランドも最近、新自由主義の考えが出て、理想の条件も揺らいできていますが、
「学び方を学ぶということ」
「教育は何のため、それに誰のためのもの」
「多様性を尊重することの意味」
「その子どもの学びを身につけるためには『決して急いではならない』ということ」
「生涯にわたる発達と学習機会の提供」
「人生をプロデュースする学びの創造」
「教育が、競争するためではなく、自分自身の人生にとって『役立つべきもの』だと認識され、そのための機会が誰にでも必要に応じて用意されていること」
「目の前の子どもに合わせて、子どもにとって何が必要かを教師が自由に判断できることが、子どもにとって最善の利益を守ることにつながるという認識が共有されている」
ということが600円の薄い本ですが詰め込んでありました。本をまとめるなんて著者に失礼な気もしますが、すごく共感したので載せさせていただきました。といっても、ちゃんとまとめることなんてできていませんが自分なりのフィルターを通して表現させていただきました。
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