想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事はアップ後の一日程度は逐次改訂します←)

全体表示

[ リスト ]

 
聖母マリア像の変遷にみる絵画史-西方初期中世美術編-

 
第3章、西方初期中世美術
 西ローマ帝国滅亡後、西方の美術は各地方がその中核を担うことになります。この時代は、古代ローマの遺産と、ビザンティン美術の影響、さらに各地方本来の美術とが融合していく時代でした。この章では、ケルト美術*1とカロリング朝美術*2を中心に見ていきましょう。
 529年にユスティニアヌス1世がアテネのアカデメイア*3を閉鎖して以降、学者たちは非キリスト教圏のペルシアへと移住していき、キリスト教圏での学問の発達は著しく鈍化しました。これと呼応するように、美術も自然に対する精緻な研究を放棄して、思弁的なアレゴリー(偶意)へと転化していきました。この時代には文化的にも美術的にも目覚ましい発展はみられませんでしたが、5世紀の長きに渡って続いた初期中世時代は、古典的な形式を吸収し、さらに変化させ、次のロマネスク時代へと繋げていく重要な役割を持っていました。


《聖母子》
ケルズの書、800年頃
トリニティ・カレッジ、ダブリン
イメージ 1


第3章1:ケルト美術 
 この時代を特徴づける絵画は、写本の装飾画でした。この装飾画は、地方ごとに異なる方法で発展していきました。アイルランドを中心としたケルト美術もまた、その一角を担っていました。中世ヨーロッパの最も僻地に存在していたアイルランドが初期中世美術に与えた影響は、計り知れぬ程に大きいものがありました。ケルト写本の特徴は華麗な文様装飾で、挿絵は僅かに掲載される程度でした。ここに掲載した聖母子像は、非常に様式化されて描かれています。極度に装飾性が高く呪術的とすら感じさせる様式は、正直に云って美しいとは思えませんが、これはこれで、なかなか興味深いものです。


シャルルマーニュ宮廷派
《ルカ伝の冒頭》上部分
サン・メダール・ド・ソワッソンの福音書本、800年頃
国立図書館、パリ
イメージ 2


第3章2:カロリング朝美術
 ビザンティン帝国で聖像破壊運動が行われていたころ、西方に一人の帝王が現れました。シャルルマーニュ*4です。彼は古典的文化の再興に尽力し、ビザンティンの聖像破壊運動に関心を持ちました。彼のもとでなされた文化的復興をカロリング朝ルネサンス(レノヴァティオ*5)と云います。彼は首都アーヘンに宮廷学校を作り、そこに付属していた写本所から多くの写本が生み出されました。ここに掲載したのは、その代表作のひとつです。画面右下に聖母のエリザベト訪問*6の場面が描かれています。平面的な図法ですが建築的な枠取りが描かれており、また同時に新しい色彩感覚の息吹きも感じられます。


脚注
*1ケルト人:ローマ期にはガリア人と呼ばれた人種で、古代には西ヨーロッパの全域に住んでいましたが、ローマとゲルマン人によって征服され、今日では僅かにブリテン島のスコットランド、ウェールズ、そしてアイルランドなどにその文化が残っています。
*2カロリング朝:ゲルマン人のフランク族が建てたメロヴィング朝(481-751)の宮宰であったピピンが751年に開いた王朝で、843年に王国が3分割されるまで続きました。このメロヴィング朝とカロリング朝を合わせてフランク王国と呼びます。3分割された内、西フランク王国はフランス王国へと繋がり、東フランク王国は神聖ローマ帝国へと繋がりました。
*3アカデメイア:紀元前387年にプラトンによってアテネの郊外に建てられた学校。哲学を中心に様々な学問や芸術を重視していましたが、異教の温床になるとして、529年に東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世によって閉鎖されました。
*4シャルルマーニュ(742-814):カルル1世(大帝)、またはカール1世(大帝)とも呼ばれます。カロリング朝を開いたピピンの息子で、カロリング朝フランク王国の第2代国王です。行政組織を整え、教会改革にも尽力し、学芸の復興にも意を砕いた明君でした。また、軍人としても非常に有能で、相次ぐ遠征により王国の領土を拡大し、イスラム教徒に対してもピレネーに辺境防塞を設けて防いだことから、800年にローマ教皇レオ3世によって、西ローマ皇帝の冠を授けられました。ちなみに、この当時は、東ローマ帝国の正教会と、カトリック教会の対立が深まっていた時期であり(東ローマ帝国の聖像破壊運動などの理由で)、シュルルマーニュの戴冠は、カトリック教会側による正教会への明白な独立表明でした。
*5レノヴァティオ:更新するという意味で、シャルルマーニュの宮廷の合言葉でした。ローマ帝国の後継者としての自覚のもと、アーヘンの宮廷に人材を集め、古典を研究や、ラテン語の教育を行い、ひいては古代ローマ文化および、聖像破壊運動によって失われたビザンティン美術を復興させようとしました。
*6.2013/5/27修正


参考文献
・ジャン・ユベール/ジャン・ポルシェ/ヴォルフガング・フリッツ・フォルバッハ 著、吉川逸治/前川誠郎/森洋 訳『人類の美術 カロリング朝美術』新潮社、1970
・ジャン・ユベール/ジャン・ポルシェ/ヴォルフガング・フリッツ・フォルバッハ 著、富永良子 訳『人類の美術 民族大移動期のヨーロッパ美術』新潮社、1970
・ハンス・ホレンダー 著、前川誠郎 訳『西洋美術全史5 初期中世美術』東京グラフィック社、1979
・『オックスフォード西洋美術事典』講談社、1989
・『ブリタニカ国際大百科事典』 Britannica Japan、2007


聖母マリア像の変遷にみる絵画史
 ←前章:ビザンティン美術編
  →次章:ロマネスク美術編

この記事に

閉じる コメント(1)

顔アイコン

内緒さん
コメントありがとうございます。

あれ?ホントだ…どう見てもそうですよね。
何でこんなこと書いたんだろ…ご指摘ありがとうございます。修正しておきます。

2013/5/27(月) 午後 7:19 flowinvain 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事