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倒れそうで倒れない
倒れそうで倒れないのがクリスチャンだと私はよく言う。今でもそう思う。弱そうでいて実は強
いのがクリスチャンだと。何故そのような微妙で一見捕らえどころのない生き方が生まれてくる
のかと言うと、それはひとえに、その拠り所とするものが、自分自身の外側、すなわち自分以外
の何者かに置かれているからではないかと思う。
信仰者の強さはあくまで、自分自身の内側からではなく、その信頼の対象であるところの神ご自
身に由来するもの、そこから来るものと言える。
私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。それゆ
え、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。 詩篇16篇8〜9節
詩篇の作者の揺らぐ事のない強さの秘訣の一切が、彼自身の内にではなく、彼が全幅の信頼を置
いてその身を任せきっている神ご自身の内にこそあった事がよくわかる。
と同時に、内より生ずる彼自身の諸々の喜びの源泉もまた、神ご自身の内にあった事に気づく。
信仰の強さは、自分が強いのではなく、共におられる主が強い。
誰も、強く揺るぎない人生を送りたいと願わない人はいない。けれども、では一体何故強いのか、
何に起因しての揺るぎなさなのか。その強さの根本原因にまでさかのぼって、その点を改めて確
かめ、自問自答してみる人は少ない。
もしも、強さの原因が単なる自信であるとするならば、その強さはやがて自らの限界と共に崩壊
する可能性を秘めているのではないか。私たちは、一見強そうに見えて実はもろい、この世の人
人の生き方に惑わされないようにしよう。自分はダメでも自らが信じ、拠り頼む神はいつも真実
であるとの告白を、その生涯を通じて表明していく者でありたい。
『「苦しみ」から生まれるもの』佐藤彰著より抜粋
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すばらしい記事ですね。TBで紹介させていただきます。
2009/7/11(土) 午前 6:19 [ shiro ]