子羊の部屋

主は全ての国々の上に高くいまし、その栄光は天の上にある。詩篇113篇4節

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「神様の…」

神様の契約は大切にしなければなりません。
聖なる契約を大切にしてこそ、契約の光の中に立つ事が出来ます。
神様は彼ら(イスラエルの民)を赦されたから。
聖なるものを大切に思う心は、知恵深い態度です。……
 
神様の赦しは、ただ神様の憐れみによるものです。
神様の赦しは、罪の問題と深く関係している事を記しています。
神様は、裁き(義)ではなく、憐れみ(愛)を望んでおられるのです。……
 
 
確かに、罪の問題あるところに「赦し」の心が求められている。
確かに、いさかいのあったところに「平和」が求められている。
悲しみのあったところに「慰め」
恐れ、騒ぎのあったところに「安らぎ」
痛みのあるところに「癒し」
かき乱されたところに「平ら、和らぎ」
 
つまり、神様の成さりたいところには、まず、必ずしも「問題」というものが
発生しているようだ。
「医者を必要とするのは、病人です」
まさに、「自分が病気だ」と気づかなければ、確信を得なければ、誰も、
病気を治そうと、医者のもとへはやって来ない。
 
「自覚症状」これも大切かと思う。それを知らせる為、悟らせる為に、
問題と思える事や、中傷などと言った刺激が心の内に刺さるのかも知れない。
 
「痛い目に会わなければ、分からない」と人は言う。しかし、
「痛い目に会いたくない」これもまた、人間の本音かとも思う。
医者のありがたさ、医療の素晴らしさ、健康のありがたさは、
怪我をして、病気をして、倒れて、死に損なって、何かが壊れて、失って、
初めて、「分かる」ものかも知れない。
 
いさかい自体が悪いのではない。そのいさかいを通して、何を学ぶのか、
不具合を通して、どのように修正、改正していくのか。
人は全てを失ってみて、初めて「大切さ」という、人の温もりを体験出来るのでは
ないだろうか。
 
主イエス様を失ったあと、人々はイエス様の大切さ、救い主のありがたさを
痛感したんだと想う。だから、復活したあとのイエス様とお会いした時の感動は、
なおいっそう深かった、心に残った、泉のようにわきあがる、自然の喜びに
満たされたのだろうと想う……。
 
痛みを知った人は、もう痛まないようにと努めるし、痛みを和らげようとする。
本当の痛みを知らない人は、いつまでも人、自分、環境、人の言動をつついて騒ぐ。
自分が何者か分かっていたのなら、他人に何者かなどとは質問しない。
 
「問題」あるところに、救い主の影は深くあられる。暗闇に光り。
闇の中に、光をもたらされた、救い主イエス・キリストに心と思いと、全ての悩みを
打ち明けたなら、その現場が、憩い、安らぎ、平和、慰め、感謝、喜び、温もりの
場所へと変えられていく、のだと想う……。
 
神様の赦しは、罪の問題と深く関係しているのです。
 
心の目が、心の中心が、神様に向いていない時、人は罪を犯す。
いえ、心の守り主から目を離すから、人は罪を犯す、失敗をおかす。
自分が今、何をすべきなのかをはっきり知るのなら、心が常にすべき事を見て
行なっているのなら、他人の失敗や欠点や、愚かさを探り続けて、それを指摘する、
そのような過ちを犯す事はなくなるのだろう、と想わされている。
 
神様は失敗を決して責めない。何故なら、人は初めから悪い行ないをしてしまう
弱い存在だと知っているから。だけど、罪を償う事は教えて下さる。
何故なら、神様の願いは「命」を生かす事。決して、滅びる事を望まない。
だから、「悔い改めて、生きよ」なのだと。
 
多くの失敗や過ちで、他人を傷つけてしまう。どうしようもない「自分」
その「自分」を神様ご自身が助け、救い、つくろい、力を注ぎ、もう1度、
その現場にて立ち上がれるようにして下さっている。
 
私たちは「問題」に目を向けるのではなく、「神様」に目を向けるべき。
命と息と細胞と心臓と体と、思いと心とたましいとを与えて下さった、
生きた神様に、全てをお任せしていく事。そうすれば、助け主が助けて下さる。
「私」のような、ただの人間が、全てを成していく事など、あり得ない。
人の一生は、短いもの。誰にも命は扱えない。
 
この見えない「命」という存在を、見えない神様に預け続けていく。
この神様が、私を救うんだ。守って下さるんだ。どんな現状をも乗り越えられるよう、
内なる力を分け与えて下さるんだ。と、信じて、受け取って、……
 
「信仰」を持って、またもう1歩、新しい1歩、今日からもまた、歩んでいきたい。
 
「主イエス様と共に……」。
私たちは、神様の愛と十字架によって義と認められなかったなら、
死ぬしかない罪びとでした。
神様の恵みによって生きる人々は、いつもへりくだり、感謝すべきです。
 
イスラエルの民は、非常に重い罪を犯したにも関わらず、
神様に赦されました。
 
罪は私たちを神様から遠ざけますが、
神様の愛は私たちを神様の近くに引き寄せます。
 
イスラエルが罪によって神様と疎遠な関係にある時でも、
実際は最も近い間柄である事を示して下さいました。
それはただ神様の愛によって可能なのです。
 
…… 神様が与えて下さった悟りと喜びに満たされ、もう1度
(そこに)戻る力を得たのです。
 
 
人はどんなに回心しても、心の態度を改めたとしても、
他人の目はいつまでもその人の過去にとどまり続けている。
神様は赦し愛し、受け入れて下さっても、
実に、人の方が赦さず、愛さず、受け入れもしない。
その人の過去にこだわり、いつまでたっても裁き続けてくる……。
 
誰でも失敗はある。心が開かれた同士だからこそ、言い合える、
言い過ぎてしまう事もある。それはオープンだからこそ、分かり合える
部分と、かえって、お互いに心に傷を残すような事もある。
 
誤解。判断ミス。被害妄想。
それは人間、生きている限り、誰にでもあるものだと思う。
 
しかし、今現在、神様の前に悔い改め、今では全く新しい思いと
心の決意で、神様に仕えている人がいる。
何か問題があれば、神様の前にただ黙って、祈っている人がいる。
 
一方で、自分の感情がおさまり切らないからと、あちこちの教会や
兄弟姉妹に、言いふらしている人もいる。
 
たとえ、誤解されるような会話があったとしても、それは過去の事。
今では、心を神様に向け、思いを改めた人。今では、そんな悪い感情を
持たず、神さまの前にとりなしの祈りをしている人がいる。
 
その人の事を、あたかも今も悪い感情を噴き出させ、言い続けている、
と他の教会の牧師や教職者に耳打ちして回っている人がいる…。
 
人や教会を悪く言うのは幼い。だが、その過去の傷や悪い言動を、
今他人が掘り下げて、人々に吹聴していく人はそれ同等かそれ以上に
幼い。自分の感情がおさまりきらないからと、気分が悪いからと、
わざわざよその教会へ行って、あの人がああ言った、こう言った、と
本人が言わなかった事までも、言いふらしている、との事。
 
神様、人は罪びとでしかありません。だけど、心底、神様に向かって
心と態度を改めた人を、どうして、その人は自分の感情の赴くままに、
動き回っているのでしょう。
 
神様、あなたはそんな罪びとでさえ、赦して下さいました。神様は全ての
人の「命」を生かす事に関心があられ、神様と人、人と人とを結び付けて
下さいました。
今、そのま逆な事をしている人がいます。どうか、その人を憐れんで下さい。
その人の感情をその人自身で治められるよう、神様が働いて助けで下さい。
主よ。どうか、その人を憐れんで下さい。
そして、その人の言葉によって、抱かなくても良い感情を抱かされた、
愛する兄姉たちの心を今、慰めて下さい。
 
今、再び、神様の思いに立って、歩む事が出来ますように。
私にこの事を知らせてくれた方に、神様の慰めが豊かにありますように。
神様、私はこれを聞かされて、心が恐れでいっぱいです。
しかし、この恐れをも神様が取り去って下さる事を信じて、待ちます。
 
もう1度、神様に全身全霊を持って、すがる事を教えて下さった、
この一事に、感謝しています。
どうか、主よ、全ての足りない者をお赦し下さい。
 
ただ、神様の愛と義によってのみ、この一事が収まりますように……。
全ての人に、神様からの平和と慰めとが豊かにありますように。
 

「ちいさな」こと?

最も偉大な事は、小さな働きから始まる。
神様は、小さな働きも、愛を持ってする事を尊ばれる。
 
 
ちいさな、こと…?
 
それは、協力関係がなければ、成り立たない。
 
親が親となりうるのは、子供の協力があるからだ。
子供が子供となりうるのは、大人の助けがあるからだ。
互いに、支えがある時に、「親子」関係は成立していく。
 
医者がどんなに技術と医療を持ってしても、
患者が治す気がなければ、それは「治療」を成り立たせない。
医者が持てるもの全てを注ぎ出す、患者が心から治りたいと
任せる心を明け渡す。そのような協力体制がなければ、
治療も、癒しも成り立たない。
 
家庭も家族も、治るのも治らないのも、うまくいくのも、いかないのも、
全て、両者の「協力」関係から、だと思う。
 
教会でも「ちいさな」と言われる働きや作業はたくさんある。
しかし、そのどれを取ってみても、決しておろそかにしてはならない。
そこにいる1人1人が、何かを担ってみて、はじめて成立するものだから。
 
決して、「ひとり」の人が、すぐれているわけではない。
決して、「ひとり」の人が、全ての作業をしていればいい、わけでもない。
もっと、多くの人が、自らすすんで、ちいさな事をし始めて欲しい、と思う。
 
「こと」を始めるのには、まず、問題意識が生まれなければ、良くなりたいとも、
何かをしよう、とも、改善策さえも生まれてはこない。
まず、出来る事から始めよう。
何が出来るかは、やってみなければ分からない、始まらない。
 
「1人、1人」が、どんなささいな事でも、やり始めて欲しい、と想う…。
今、それらを担って行なっている人は、決して、1人で全て出来るから行なっている、
のではないから…。
 
「からだ」は、各器官で出来ている。そのどれをとっても、不要なものはない。
「教会」も、家庭も人間関係も、社会や職場でさえも、そこにいる全ての人が、
何かの働きを担って、協力関係の中で育ち、出来上がり、完成されていくのだ、と
私は想う。
 
「小さな」事。
それを見い出し、動き始める人は、幸いだと思う。
 
その小さな働きを、他の誰でもない、「天の神様」は見ていてくれるし、
労苦も必要も全て分かって下さっているんだから。
どんな時も「協力者」を与えて下さる、働く人の「心」を支えて下さる、
そんな神様が、人間には、与えられているのだから……。

神様と日々、語る。

目を覚まして、感謝を持って、たゆみなく祈る。
 
「祈り」=「神様と語る」
 
これを毎日、日々、瞬間、し続けていく。
 
目を覚ます … よーく目を見開いて、注意深くして。
感謝を持って … ありがたや、の心をいつも保って。
たゆみなく … いかなる時も油断せず、しっかりつながって。
 
祈る …・・・ 神様と会話する。
 
どうやって? 神様と「会話」する???
 
聖書は神様の書物です。神様の事が書かれています。
神様とは、どんなお方なのか紹介されています。
この書物を小説でも読むかのように、愉しんで、
どれどれと興味を持って、まずは探ってみて。
 
 
「楽しもう」と思えば「楽し」めるし、「楽しみたくない」と思えば「楽しく」なくなる。
すべては「あなた次第」。心の持ちようで、同じ「時」をどのようにでも出来るよ。
 
…… って、誰かに言われたっけ??? 。^ ^ 

わたしの「決断」

神様に選ばれることも重要ですが、選ばれた者として聖い生き方を
続けることも重要です。
聖い生き方は、意志の伴なった決断を行なっていくことで、
徐々に完成されていきます。
 
神様への決断が、いつも祈りの内にあってこそ、苦しみの中でも、
変わらない献身を維持する事が出来るのです。
 
う〜〜〜む。
握った、信仰を、日々手離さないように握り続けること。
その為に、忍耐が必要なのかも知れません。
毎日、神様と触れ合い、神様の想いをかみしめていく。
 
その中で、自分のどん底をいやというほど知らされ、
逆に、神様の大らかさ、豊かさ、情け深さをこれほどまでと知らされていく。
 
握った「恵み、幸せ、安らぎ」をいかに、日々保っていくのか。
握ったものを、もう2度と手離さないためにも、どんなものにも揺らがない、
固い「決意、意志」が必要なのかも知れません。
 
今日も1日、心揺るがすものに騙されず、流されず、奪われず、
神様とその言葉とを、心の真ん中にしっかりと握り締めて、そして
大切に、過ごしていきたいと思います。

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