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この詩篇の作者が苦しみで一杯だった時、それでも天の神様だけは私
を救って下さる、救いの手を差し伸べて下さるという信仰を持って祈
っていたのでしょう。だけど祈ったその時、すぐに願いが叶えられな
かったのかも知れません。だからこそ、天の神様を知らない人々が「
お前の神はどこに居るのか」とののしったり、嘲ったり、からかった
りしたのかも知れません。作者は苦しくて苦しくて昼も夜も関係なし
に、泣き続けていたのでしょう。だからこそ「私の魂は飢え渇いてい
ます」と訴えているのでしょう。だからこそ「いつ、御前に出ましょ
う。今、御前に出ています。生ける神を求めて、渇いています」と告
白していたのです。泣きながら、苦痛と共に、あの時の事を思い出し
ている。「喜びと感謝の声を上げて、群衆と共に神の家へと歩いて言
った事などを」と。あの時はみんなで楽しく神の家へとゆっくり歩い
て行った。神が共におられる事を、神が生きて私達と共におられる事
を、信仰ある仲間と共に喜んでいた。
神様がここにおられる、ここに共に居て下さっている、私の中に生き
生きと息づいておられると信じきった人は何と幸いな事でしょう。神
様にあって心が満たされ、魂に安らぎを得た人達はみな、「喜びと感
謝の声をあげて、神の家へと」向かう、と書かれています。本当の救
い、本当の安らぎ、神様が共におられる故に味わう、本物の喜び、こ
れを作者は体験して知っていたからこそ、人にののしられ、バカにさ
れるような苦しみの中にあっても、神様の御前に出たのです。いえむ
しろ、苦しみの中だったからこそ、神様を慕いあえぎ、生ける神様を
求め、御前に出て訴えたのです。私の信じる神様は決して私を見離さ
ない、見捨てない、裏切らない。だからこそ、この飢え渇いた心を注
ぎ出し、この飢え渇いた魂に安らぎと慰めを与えて下さるはずだ、と
苦しみの只中で「今、神の御前に出」たのです。
私達も、この詩篇42篇の作者の宣言を通して、信仰を育て、天の神
様への信仰を強めていきたいと思います。「鹿が谷川の流れを慕いあ
えぐように」その様に私達の魂も「あなたを慕いあえぎます。生ける
神を求めて、渇いています」と今、この場で、告白し、宣言していき
たいと思います。鹿が水を求める姿は分かりやすいものです。水は見
る事も触る事も出来るのですから。では、私達は見えない神様をどの
様に見て、触れていけば良いのでしょうか。ヨハネ1章14節「言葉
は人となって、私達の間に住まわれた。私達はこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵み
とまことに満ちておられた」とあります。この人となった言葉が主イ
エス様です。この、神の言葉、御言葉によって私達は神様を知る事が
出来ます。御言葉は「聖書」に書かれています。この聖書には神様が
どんなお方であって、どんな事を思い、どんな約束を私達にして下さ
っているのかが書かれているのです。この言葉、主イエス様を飢え渇
いて求めていく。それがとても必要です。
「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように」私達も天の神様を、生ける神
様を慕い求めて行きましょう。天の神様は愛するひとり子、主イエス
様を私達に遣わす程に、私達の事を心配して下さっています。天の神
様は愛するひとり子、主イエス様の命を十字架につけて全ての罪汚れ
を除き去る程に、私達を愛して下さっています。私達の命を守りたい、
いつも心に平安を持って欲しい、魂に慰めを得て欲しい、と常に願っ
ておられるのです。だからこそ、私達も神様からの招きに応えて「今、
神の御前に出」、「心を注ぎ出して」行く事が必要なのです。どんな
時でも、癒しと慰めと全ての必要を満たす為に、「生ける神を求めて
渇いています」と祈れる皆さんとなられますように。この生ける神様
だからこそ、私の願い、訴えを聞いて下さるんだ、といつでも信じら
れる皆さんでありますように。主イエス・キリストの御名(の権威)
によってお祈りします。
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