子羊の部屋

主は全ての国々の上に高くいまし、その栄光は天の上にある。詩篇113篇4節

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『慕いあえぐ』ー4.

この詩篇の作者が苦しみで一杯だった時、それでも天の神様だけは私
を救って下さる、救いの手を差し伸べて下さるという信仰を持って祈
っていたのでしょう。だけど祈ったその時、すぐに願いが叶えられな
かったのかも知れません。だからこそ、天の神様を知らない人々が「
お前の神はどこに居るのか」とののしったり、嘲ったり、からかった
りしたのかも知れません。作者は苦しくて苦しくて昼も夜も関係なし
に、泣き続けていたのでしょう。だからこそ「私の魂は飢え渇いてい
ます」と訴えているのでしょう。だからこそ「いつ、御前に出ましょ
う。今、御前に出ています。生ける神を求めて、渇いています」と告
白していたのです。泣きながら、苦痛と共に、あの時の事を思い出し
ている。「喜びと感謝の声を上げて、群衆と共に神の家へと歩いて言
った事などを」と。あの時はみんなで楽しく神の家へとゆっくり歩い
て行った。神が共におられる事を、神が生きて私達と共におられる事
を、信仰ある仲間と共に喜んでいた。
 
神様がここにおられる、ここに共に居て下さっている、私の中に生き
生きと息づいておられると信じきった人は何と幸いな事でしょう。神
様にあって心が満たされ、魂に安らぎを得た人達はみな、「喜びと感
謝の声をあげて、神の家へと」向かう、と書かれています。本当の救
い、本当の安らぎ、神様が共におられる故に味わう、本物の喜び、こ
れを作者は体験して知っていたからこそ、人にののしられ、バカにさ
れるような苦しみの中にあっても、神様の御前に出たのです。いえむ
しろ、苦しみの中だったからこそ、神様を慕いあえぎ、生ける神様を
求め、御前に出て訴えたのです。私の信じる神様は決して私を見離さ
ない、見捨てない、裏切らない。だからこそ、この飢え渇いた心を注
ぎ出し、この飢え渇いた魂に安らぎと慰めを与えて下さるはずだ、と
苦しみの只中で「今、神の御前に出」たのです。
 
私達も、この詩篇42篇の作者の宣言を通して、信仰を育て、天の神
様への信仰を強めていきたいと思います。「鹿が谷川の流れを慕いあ
えぐように」その様に私達の魂も「あなたを慕いあえぎます。生ける
神を求めて、渇いています」と今、この場で、告白し、宣言していき
たいと思います。鹿が水を求める姿は分かりやすいものです。水は見
る事も触る事も出来るのですから。では、私達は見えない神様をどの
様に見て、触れていけば良いのでしょうか。ヨハネ1章14節「言葉
は人となって、私達の間に住まわれた。私達はこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵み
とまことに満ちておられた」とあります。この人となった言葉が主イ
エス様です。この、神の言葉、御言葉によって私達は神様を知る事が
出来ます。御言葉は「聖書」に書かれています。この聖書には神様が
どんなお方であって、どんな事を思い、どんな約束を私達にして下さ
っているのかが書かれているのです。この言葉、主イエス様を飢え渇
いて求めていく。それがとても必要です。
 
「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように」私達も天の神様を、生ける神
様を慕い求めて行きましょう。天の神様は愛するひとり子、主イエス
様を私達に遣わす程に、私達の事を心配して下さっています。天の神
様は愛するひとり子、主イエス様の命を十字架につけて全ての罪汚れ
を除き去る程に、私達を愛して下さっています。私達の命を守りたい、
いつも心に平安を持って欲しい、魂に慰めを得て欲しい、と常に願っ
ておられるのです。だからこそ、私達も神様からの招きに応えて「今、
神の御前に出」、「心を注ぎ出して」行く事が必要なのです。どんな
時でも、癒しと慰めと全ての必要を満たす為に、「生ける神を求めて
渇いています」と祈れる皆さんとなられますように。この生ける神様
だからこそ、私の願い、訴えを聞いて下さるんだ、といつでも信じら
れる皆さんでありますように。主イエス・キリストの御名(の権威)
によってお祈りします。

『慕いあえぐ』ー3.

私達はどうでしょうか。問題がある時、心に悩みが持ち上がった時、生
活や健康の事で困った時に、どうしようと言って慌ててはいませんか。
誰かに聞いたり、誰かに代わりにやってもらったりと責任転嫁をしてい
ませんか。実は、神様が私達と最も近くにおられる時、それが問題のあ
る時なのです。問題のある「その時」、「私は神を慕いあえぎます」「
私は今、神の御前に出ます」と告白する時なのです。信仰とは、心の中
の問題、つまり、心の中に暗闇のある時に育ち成長するものなのです。
主イエス様はヨハネ8章12節で「私は世の光です」と言われました。
ユダヤの地方がローマの支配下にあって人権を失い、社会的に暗闇にな
ったその時に、主イエス様はユダヤのベツレヘムで「世の光」となって
人間の姿で産まれて下さったのです。
 
また、ヨハネ1章4〜5節「この方に命があった。この命は人の光であ
った。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」とあり
ます。心に、また生活や健康に何か問題が起こった時、まず天の神様の
名前を呼び、天の神様を慕い求め、そして祈ってみましょう。お祈りと
は天の神様と私との1対1の会話です。心にあるまま、自分の言葉づか
いで話しかけてみるのです。詩篇42篇4節に「御前に私の心を注ぎ出
しています」とあるのですから。そして主イエス様がおっしゃる様に、
暗闇は光に打ち勝たなかった、なのです。世の光である主イエス・キリ
ストが全ての勝利者なのです。このお方が私達と関わって下さっている
のです。
 
では、この作者は何故、神を慕いあえぎ、生ける神を求め、神の御前に
出て、自分の心を注ぎ出しているのでしょうか。詩篇42篇3〜4節「
私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が1日中『お前の神はどこ
にいるのか』と私に言う間。私はあの事などを思い起こし、御前に私の
心を注ぎ出しています。私があの群れと一緒に行き巡り、喜びと感謝の
声をあげて、祭りを祝う群衆と共に神の家へとゆっくり歩いて行った事
などを」

『慕いあえぐ』ー2.

さて、私達人間はどうでしょうか。この詩篇の作者は42篇1節にお
いて「神よ。私の魂はあなたを慕いあえぎます」と言っています。鹿
が潤いを求めて水を飲むように、人間の魂は安らぎを求めて神様を慕
い求めるものだと教えてくれています。しかも、2節「生ける神を求
めて」です。心に穴が開いたような空しさを覚える時はありませんか。
何もかも失ったようで何もやる気の出ない時はありませんか。何だか
裏切られたような思いがして、誰にも会いたくないという時はありま
せんでしたか。そんな人間の埋められない心の暗闇を、生ける神様は
埋めて下さるのです。しかもただ暗闇の穴を埋めるだけではなく、そ
こに光をもたらし、癒し、慰め、力づけて、元気を回復して下さる。
それが「生ける」神様の成さる業、力です。
 
この神様を「慕いあえぐ」のです。鹿は木の実や草を食べてお腹一杯
になります。だけど、のどが渇いてお水を飲みたくなります。だから、
川を求めて安らぎを求めて、まっすぐにそこに向かって歩くのです。
その様にして人間も、魂の安らぎを求めて、まっすぐに神様を求めて
人生の道を歩いていくのです。神様を慕い求めるように、初めから神
様は人間をそのように造られました。生きている人間には生きておら
れる神様が必要です。命のある人間には命の源である天の神様が必要
なのです。子供がどんなに頑張ったって親がいないと何も出来ない様
に、私達人間も、造り主である神様と一緒にいないと、何も出来ない
ように造られているのです。
 
この詩篇の作者は2節「いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか」
と言っています。自分の心が苦しみで一杯の時、心に悩みや苦しみのあ
る時、「いつにしようか」などと流暢な事は言っていられません。今す
ぐに解決しなければ、せめて今すぐに解決方法が見つからなければ人は
落ち着いてなどはいられません。この作者が言っている「いつ」とは明
日とか、また今度とかという意味合いではなくて、「いつ、行って、御
前に出ましょうか。いえ、今です。今、出ます。今でないと困るのです」
という切なる思いを持っての神様への投げ掛けではないかと思わされる
のです。だからこそ、「私の魂はあなたを慕いあえぎます。私の魂は、
生ける神を求めて渇いています」と言っているのです。

『慕いあえぐ』ー1.

詩篇42篇1〜4節 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。
私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を、
生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に
出ましょうか。私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が1日
中、「おまえの神はどこにいるのか」と私に言う間。私はあの事な
どを思い起こし、御前に私の心を注ぎ出しています。私があの群れ
といっしょに行き巡り、喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群衆
とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。
 
皆さんは疲れて家に帰って来て、「あぁのどが渇いた。お水、お水」
と台所へ急ぎ、お水を飲んだ事はありますか。どこか買物やみんなで
出かけて行った時、ああ何か飲みたいと、ジュースやお茶を買った事
があると思います。のどが渇く、飢え渇くという体験は誰にでもある
事であって当たり前の事とも言えるかも知れません。また、疲れてい
るととにかく体を癒す為に何か飲むという事もあるでしょう。人は飢
え渇くとそこに癒しと安らぎを求めます。
 
癒しを求めるのは人間だけに限られた事ではありません。動物たちも
飢え渇くのです。熱い国や砂漠の中にいる動物たち、ジャングルや草
原で暮らす動物たちにとっても、お水とは大変貴重な存在です。この
詩篇42篇を見てみますと、「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように」
とあります。ジャングルには大きな葉がたくさん茂っていて、太陽の
陽射しを避けて涼しいかも知れませんが、やはりのどが渇けばお水を
飲みたくなるのです。動物はどちらの方向に歩けばどこに川があるの
か知っているというのですから、驚きですね。鹿は水を求めて歩きま
す。
私達の心の中にはいつも何があるのでしょうか。主イエス様は「あ
なたがたの宝のあるところに、あなたの心もある」(マタ6:21、
ルカ12:34)と言われました。電車の中には長椅子がたくさん
あります。ファミレスでもテーブル席は幾つもあります。しかし私
達の心の中の椅子、王座は1つしかありません。誰に支配してもら
うかによって、私達の心の中が安心に包まれるか、恐怖で怯えるの
かが決まってしまいます。
 
主イエス様は十字架で命を捨てる程に私達を愛し、汚れた心や罪の
罰を変わりに受けて死に、その死に対しても勝利され、よみがえり
の命をもたらしたのです。この主イエス様が心の真ん中にある人は、
よみがえりの命、もう1度立ち上がる勇気が与えられます。どんな
問題や苦しみからも逃げないで、立ち向かっていく本物の勇気。そ
して戦い抜いていく知恵までも備えて下さっているのです。
 
ヤコブは多くの人を騙しました。だけどそれにも関わらず神様は祝
福を下さいました。だからヤコブは「主がここにおられる。こここ
そ神の家。ここは天の門」と告白出来たのです。皆さんも今、主が
私の中にいると言えますか。復活の主は今もなお生きてここにおら
れます。それを受け取って告白するなら、今、私達自身が、ここが、
天への入口となっているの
です。

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