子羊の部屋

主は全ての国々の上に高くいまし、その栄光は天の上にある。詩篇113篇4節

天は私の王座、地は私の足台

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

真実な「愛」

自分より、他人の事が大事だと思える時、そこに愛があると思います。
 
           スウェーデン、ヴィクトリア王女のひと言より
 
 
先日、あるテレビで観た、バレンタイン特集。
そこに一般人のジムトレーナーと恋に落ちた王女の話が流れていました。
 
毎日の、マスコミや人々からの注目にプレッシャーを感じ、
「人からどのように見られているのかしら」
と意識し始めた彼女は、拒食症になり、遂にガリガリに痩せてしまいました。
 
そこで、彼女を身体共に力づけようと、ジム通いがすすめられました。
そのジムで出会ったトレーナーと互いに意識するようになり、恋におち、
やがて結婚したい、と王女は思ったそうです。
 
その後、国王である父親に反対され続けた王女たち。それでも2人は
決してあきらめませんでした。そして父親から出された1つの条件、
それは王室に相応しい、王子として相応しい姿を身につける事。
それはマナー、英会話、服装に至るまで大改善です。
 
王女は必死で拒食症と闘い、たくさん食べて元気になりました。
その姿をずっと見守って来た彼は、王女の支えと共に決してあきらめず、
「彼女がやって来れたのだから、僕だって必ずやってみせる…」
遂に、5年の歳月を得て、国王から結婚の許可を得たのでした。
「彼は、本当に素晴らしい人間です」
と公言されるほどに。
 
その結婚式の時(だったかな?)、マスコミの質問に王女は即答したとの事。
「”愛”をひと言で言うと、何ですか」
「自分より、他人の事が、大事だと思える時、そこに愛があると思います」
 
 
このひと言にとても感動しました。以上の記述がどこまであっているのか、
私の記憶違いで誤った文章となっていたらごめんなさい
(きっと、この記事をよく知る人もたくさんいるでしょうから…)
ただ、私は、これを聞いた時、そう明確に応えられる人になりたいな、と
ちょっぴり想ったから、です。
 
主イエス・キリストは「愛するため」人々を神様の「愛に導くため」に来られたのです。
その「愛」真実、深さ、豊かさ、憐れみの強さ、安らぎ、喜び
を知らない人は多くいます。心に残る柔らかく温かい神様の愛をみんなに知って
頂きたい、そして、それをまず私自身がもっと深く、しっかり体験していきたい。
 
イエス様は「他人を深く愛する」お方です。自分の近くに居る人、自分と触れる人を
「隣り人(となりびと)」
と呼んで、こう言われました。
「自分を愛するように、隣り人を愛しなさい」
と。誰もが自分の事で精一杯です。そして誰もがまず自分自身が可愛いのです。
 
本当の自分の弱さや惨めさ、足りなさ、愚かさを気付いて受け入れた者は、必ず、
身近な隣り人を「この人もこの弱さ足りなさのゆえに、神様に愛されているんだ」と
気付けるようになってくる、と私は思うのです。
その時、心からこう思えるでしょう……
 
自分より他人の事が大事だ、と思える時、
そこに 愛 がある、と思います。
 
自分自身を深く大切に思えるからこそ、他者をも受け入れられる思いやり、
無限なその思いを神様はイエス様を通して「愛」として語られているんだと私は
思います。自分の真実な姿「弱さ、もろさ」を受け取り、そして自分の等身大を
真実なる神様にお任せし、そして心にいつまでも変わらない「安き」を得て
日々の生活をしていきたい、そう改めて、想わされています。……

chance to change.

chance to change!
 
神様は、いつでも、心の変わる時を与えて下さっている。
改心、とはそういう事ではないでしょうか。
 
キリストは、いつまでたっても、私たちを待っていて下さっている。
心の中心をキリストに据えた時、いつだって、癒しを与えて下さっている。
回心、真実の神様へと、心の中心を向きなおす時…。
 
今朝のディボ雑誌の中で、
 
神様は、懲らしめる代わりに、決して滅ばない方法を教えて下さいました。
イスラエルが死ぬとしたら、御言葉(みことば)がないからです。
生徒(せいと、クリスチャン)は、苦難や逆境に会っても死にません。
神様の御言葉を実践すれば、必ず生きる道が開かれます。
 
ーー という事を改めて知らされた。
 
それは、この数日、いえ、数週間、… いえいえ、きっともっと以前から、
私の抱えていた「問題」を見させて下さり、
内側から、自分の意志を持って、「解決」へと導いて下さったのだ、
と真実に確証出来る言葉として、心に残ったからです。
 
心の底から神様を信じきる。人には到底無理なように思えていても、
神様が与えて下さった「自由意志」によって、これを、神様への「信仰」を
掴み取る、のは自分自身の問題です。
何を心の中心に据えるのか。見えないものを慕っていくのだから、
生きている人間には到底無理な事、と思えるのは当然、自然、当たり前。
 
だからこそ、「見えないもの」を見えた、あった、受け取った、生きている、
と信じ込む事の大切さを教わった。
 
心の中心に何を持つのか、掴むのか、によって、自分の人生は大きく
変わってしまう。本の些細な事で心が揺らぐのが、人間かも知れない。
しかし、何で、本の些細な事で、返って、心が動揺してしまうのか…。
 
それは、心の中心に、いえ、私自身に「芯」がないから。
だから、ちょっとした事で、へこたれてくず折れて、倒れてしまう。
フラフラとさ迷い歩く私の心に、いつしか私自身がやられてしまう。…。
 
最初に出会った神様、「イエス様」をしっかり掴む事。これを握って、決して
手離さない、事。その大切さを学んだ。
もし、最初に出会った神様を偽りのない心で信じて受け取ったなら、それを
しっかりと持ち続けるならば、後の日のどんな困難にも耐えうる力を、
神様は心底持たせて下さいます。
「その日」が来る前に、今のこの生きている世界で、忍耐を養わなければ、
最期の日の戦いに、完全に負けてしまいます。
 
生きるのも主の為、死ぬ事もまた、私にとっては益です。
何故なら、私の内側から真実なる神様が今日も、今もなお、
深く強い愛のまなざしで、私を、私の心を見つめているからです。
 
私の持つ性質や悪い癖は一生治らないかも知れません、しかし、
内なる神様を「真実」なものとして握りしめるならば、それをし続けるならば、
決してそこには敗北はなく、ただ「勝利」だけが残るのだと思っています。
今のありのままの自分を「受け入れて」そして、闘い続けていく。…
 
今度は、しっかり闘えます。何故なら、芯を持ったから。
人それぞれ、出会ったイエス様との出会いは違うと思います。
しかし、この主キリストが私の心の支えとなるならば、いえ、心の支えとして
握り続けるならば、たとえ嵐のような困難が襲って来たとしても、もう決して
私の心は負けないのです。倒れても躓いても、立ち上がる事の出来る。
 
それが、「信仰」です。
 
信仰とは、見えない神様を信じ続けること。
「共に歩む」とは、この神様と一緒に生活し続けること。
 
改めて、私の心の目を開かせて下さった神様に、ここに、お礼を言います。
「天の神様、主イエス様、内なる力である聖霊(せいれい)様。
本当に、本当に、ありがとうございます。”感謝”します」
 
そして、その為に遣わされて下さった、アドバイザーに、心から
「ありがとう…」
感謝します。
(って、アドバイザーは「こっちに感謝はするな」って、ありがとうを言うなら、
ボスに言え、って言っていましたけれど、もね)
 
私たちのボス、天の神様。心のボス、救い主イエス様。人生を導くボス、
聖霊様に、いつでもどんな事でももっと打ち明けていく人生と、これからも
私を造り変え続けていて下さいますように…。アーメン。
 
 
天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたがたは、わたしのために
どのような家を建てようというのか。わたしの手が、これらのものをみな、
造ったのではないか……。
彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。
こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ」。創世記28章17節
 
ヤコブはある場所を飛び出し、ある場所へと着いた。石を1つ取り、枕として眠って
いると、天の使いたちを見た。神様からの祝福と約束の言葉を聞かされたのだった。
 
そして眠りから覚めたヤコブは、この場所は天の神様のおられる聖なる所だと、
気づかされ、この石に聖なるものの証拠として油を注ぎ、神様を礼拝しました。
 
神様はいつでもどこでも、共におられます。そして、私たちが弱った時、何かで迷い
行き詰まった時に、神様がおられる事と歩むべき道を示して下さるのです。
 
当時、旧約時代では神様を直接見ると、人間は汚れと不法でいっぱいのゆえに
死んでしまう、と考えられていましたので、神様と直接会う事も話す事もありません
でした。なので天使が遣わされたのです。まことの神様からの伝言であれば、
どんな内容であっても、そこには必ず平安と約束とが伴ないます。
 
何よりも心に慰めとなる約束の言葉が「神様が共に居る」ではないでしょうか。
ヤコブはその体験を通して、神様が共に居て下さる、という事を受け取り、信仰を
強く抱きました。そして、今まで嘘をついたり、人を騙して逃げたこんな弱い私をも
神様はかえりみて下さって、神様のご用の為に、用いて下さる事を知ったのです。
 
彼は恐れおののいて、また言った。
「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。
ここは天の門だ」。
 
窮地に立たされた時、力もなく弱り果てた時、人生のどん底の時、そここそ、
神様の大いなる力が現わされ、神様と密接に出会うビッグチャンス!! です。
「こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ」
今、置かれているその場所で、天の神様を崇め、そして、神様にあって生かされ、
必ず何かに用いられている自分に気づき、もう1度、信仰を強く抱いていく。
 
神様を日々、心から礼拝していく信仰者となれますように……。
天はわたしの王座、地はわたしの足台。使徒7章49節
 
天におられる王である神様は、その御座(みざ)に着いておられます。
この大いなる神様、天も地も造られた神様は、偉大なお方です。
 
この神様が、地上の中に、人間を造られ置かれました。神様が、今ある私たちを
この地に、この所に配置されたのです。つまり、「ここが」私のポジション。
 
天も地も全ての物を造られ、今もなお支配しておられる創造主が、この地にも
心を配っておられます。全ての空間は、主のもの。神様の所有物です。なので、
 
天はわたし(神様)の王座、地はわたし(神様)の足台
 
なのです。しかし、天から地までの遠い遠い距離を考えてみたら、…・・・、
神様、ってどれだけ背が高いお方なんだろう??、なんて想ったら、思わず、
笑いが出たっ。… おかしい。

温もり。

神様。
今までの私の人生を  豊かに祝福して下さい。
 
神様の御翼(みつばさ)の下に、私を休ませて下さい。
ありがとうございます。神様…
 
でも、こんな私を生かしておくなんて、バカ、
ですよね。  だって……
 
何も返してあげられる事も、出来ないのに…
 
 
神様、今日も1日、あなたの力を受けて、御前(みまえ)に
立つ事が、出来ますように…。 アーメン。
 
2011.11.23.朝6:55.

全1ページ

[1]


.
flowral9184
flowral9184
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
友だち(5)
  • ailandlife
  • 愛衣(あい)
  • yukinosuke
  • DaigaIsobe
  • らりるれろ
友だち一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事