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自分より、他人の事が大事だと思える時、そこに愛があると思います。
スウェーデン、ヴィクトリア王女のひと言より
先日、あるテレビで観た、バレンタイン特集。
そこに一般人のジムトレーナーと恋に落ちた王女の話が流れていました。
毎日の、マスコミや人々からの注目にプレッシャーを感じ、
「人からどのように見られているのかしら」
と意識し始めた彼女は、拒食症になり、遂にガリガリに痩せてしまいました。
そこで、彼女を身体共に力づけようと、ジム通いがすすめられました。
そのジムで出会ったトレーナーと互いに意識するようになり、恋におち、
やがて結婚したい、と王女は思ったそうです。
その後、国王である父親に反対され続けた王女たち。それでも2人は
決してあきらめませんでした。そして父親から出された1つの条件、
それは王室に相応しい、王子として相応しい姿を身につける事。
それはマナー、英会話、服装に至るまで大改善です。
王女は必死で拒食症と闘い、たくさん食べて元気になりました。
その姿をずっと見守って来た彼は、王女の支えと共に決してあきらめず、
「彼女がやって来れたのだから、僕だって必ずやってみせる…」
遂に、5年の歳月を得て、国王から結婚の許可を得たのでした。
「彼は、本当に素晴らしい人間です」
と公言されるほどに。
その結婚式の時(だったかな?)、マスコミの質問に王女は即答したとの事。
「”愛”をひと言で言うと、何ですか」
「自分より、他人の事が、大事だと思える時、そこに愛があると思います」
このひと言にとても感動しました。以上の記述がどこまであっているのか、
私の記憶違いで誤った文章となっていたらごめんなさい
(きっと、この記事をよく知る人もたくさんいるでしょうから…)
ただ、私は、これを聞いた時、そう明確に応えられる人になりたいな、と
ちょっぴり想ったから、です。
主イエス・キリストは「愛するため」人々を神様の「愛に導くため」に来られたのです。
その「愛」真実、深さ、豊かさ、憐れみの強さ、安らぎ、喜び
を知らない人は多くいます。心に残る柔らかく温かい神様の愛をみんなに知って
頂きたい、そして、それをまず私自身がもっと深く、しっかり体験していきたい。
イエス様は「他人を深く愛する」お方です。自分の近くに居る人、自分と触れる人を
「隣り人(となりびと)」
と呼んで、こう言われました。
「自分を愛するように、隣り人を愛しなさい」
と。誰もが自分の事で精一杯です。そして誰もがまず自分自身が可愛いのです。
本当の自分の弱さや惨めさ、足りなさ、愚かさを気付いて受け入れた者は、必ず、
身近な隣り人を「この人もこの弱さ足りなさのゆえに、神様に愛されているんだ」と
気付けるようになってくる、と私は思うのです。
その時、心からこう思えるでしょう……
自分より他人の事が大事だ、と思える時、
そこに 愛 がある、と思います。
自分自身を深く大切に思えるからこそ、他者をも受け入れられる思いやり、
無限なその思いを神様はイエス様を通して「愛」として語られているんだと私は
思います。自分の真実な姿「弱さ、もろさ」を受け取り、そして自分の等身大を
真実なる神様にお任せし、そして心にいつまでも変わらない「安き」を得て
日々の生活をしていきたい、そう改めて、想わされています。……
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