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ここんところ、全然更新できない… その最大の原因は、おばば。 93歳のおばば(ひとり暮らし)のところには、普段は母がちょくちょく顔を出してる。 行けばご飯の支度から片付け、掃除、洗濯、いろんな片付けものやら、 人づきあいの各種手配などなど… 本当に頑張ってる。 行けないときも、毎朝ファックスを送ったり、電話をしたり… 本当に細やかに、気にしてあげてる。 その母が、日曜日からしばらく旅行で不在となった。 普段頼りにしてる(というか、頼り切ってる)母がいないということで、 おばばはかなーり不安な状態になっているんだと思う。 うちの電話が、ひっきりなしに鳴るわけです。 いろんな不安やら、不満やら、用事やら、頼みごとやらを、 次々と投げかけてくるわけですね。 そして、わたしもおばばのこと、大好きだから、 できる限りのことをしてあげたいと思うんだけど… まずは月曜日、おばばの要望に応えて、病院に一緒に行きました。 おばばの家まで迎えに行き、病院(これがわたしの家からすぐの場所)に行き、 そしておばばの家まで送って行って、自分の家に帰りました… 要は、同じ道を一日2往復したワケで… それくらいは何でもないんだけど… 命にかかわるような重大な病気ではないにしろ、本人にとってみれば、 すごく不快で不安な状態が続いていて、だけどそれが重大でないばかりに、 家族をはじめ、お医者さまにまで軽んじられてるような気がしちゃうらしい。 それで、お医者さまへの不信感が募って、病院ジプシーと化している… 今回行った病院は、名医と名高い先生のいるところで、実際お話をしてみて、 本当に話がわかるし、理にかなった治療や処方を提案してくれる先生だった。 今回の先生の結論は、 「症状について問診してるだけでは、身体の中の状況がわからないし、 治療方針も決められないので、内視鏡ではっきりさせましょうね」 という、至極ごもっともなご意見。わたしも賛成だった。 だって、おばばの症状の本当の原因が何か、実際誰にもわかってないんだから。 おばばは、その場ではイイ子にしていて、先生が言うことに 「はあ、そうですか… ではそういたしましょうか、よろしくお願いいたします」 なーんて言ってたのに。 帰り道のクルマの中で、もう気が変わった。 「前の病院でもらった薬が悪くて、今も症状が続いてるんだから、 その薬をやめて、もっとよく効く薬を出してくれさえすればいいのに、 どうしてあの先生、そういうこと、ひとことも言わなかったのかしらねえ?」 要は、自分の望む治療・処方をしてくれなかったことに不満を抱いてるの… いったん、そういう風に考えてしまうと、自分の考えがベストだ! と思い込んで しまうみたいで、わたしがいくら、 「ちゃんと検査してみなければ、どんな薬が一番いいかもわからないじゃない」 と言っても、聞く耳を持たない… でもどうにか、その日は先生の言う通り、検査に行くことにしましょうね、ということで、 納得したようだったのに… さっそく翌日、 「やっぱり、あの先生が別の薬を出してくれないのがいけない」 っていう電話が… 母からいつも聞かされていた、 「いったん決めたことを、コロコロと平気で変えて、 こっちのことを平気で振り回す」 という、おばば攻撃が、わたしにも刃を向け始めた… おばば一人でやることなら、コロコロ変えたって何の問題もないけど、 わたしも一緒に行かなきゃいけないことを、「行きたい」「やっぱりやめたい」みたいに コロコロ変えられるのは、やっぱりたまったものじゃないもん。 ひとり暮らし歴が長いおばばだから、そうなっちゃってるのかも… そんなこんなで、あっという間に、金曜日… でも、母が帰国するまで、まだまだ日がある。 どうやったら、もっとおばばと上手につきあえるのかなあ。 おばばが考える、自分なりのベストの方法をすべて試してみるのに、つきあってあげられれば、 おばばもいろんな方法を試したうえで、やっぱり先生が言ってたのが正しかった、と 納得できるんだろうけど… それだけの時間と根気が、ないんだな。ふわりには… そういうネガティブなおばばと、電話で話す元気もないし… (むしろ、元気は全部吸い取られちゃうカンジ…) 何にでも興味を持って、好奇心旺盛で、美しいものが大好きな、
みんなの憧れの「ポジティブおばば」な気分に、 どうにかして、なってもらえる方法はないか? 模索中です。 |
ゆるりと母娘三代
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家族でやっている内輪の月例句会「haikuchild」。 7月の入選作はこんなカンジでした… ずいぶん遅くなりましたが… ●季題「暑さ、汗」 天 暑き夜 畳のへりに 涼を知り 美凛 天 蒸し暑き 夜寝返りて 壁を抱く ふわり 人 汗淋漓(りんり) 少年黙して 球を蹴る 一蹴 人 帯締めて 正座せし頃の 暑かりし 茜 人 孫と居て 真珠の歯ならび 暑気忘る 美凛 ●季題「七夕、紫陽花」 天 七夕の 祈りを載せて 笹の舟 雪ん子 地 紫陽花の 青や未練に 暮れ残る 一蹴 地 もろ花の とぎれて咲くや 紫陽花の 茜 ●自由題(夏の季語で) 天 はたと止み 再び始まる 蝉時雨 十寿香 天 涼しさや 釣瓶落ち行く 井戸の闇 一蹴 天 茄子(なす)三夜 焼き、揚げ、蒸して まだ飽きず ふわり こんな感じでした… 何か心に残る句、ありましたか? 8月の発表ももうすぐです… どんな結果になってるかな〜
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それは、戦時中のことだった。おばあちゃんは地元の婦人会のメンバーで、名古屋から疎開してきた小学生たちの世話をしていた。そのころ、名古屋で立て続けに空襲があった。西の空は真っ赤になって、みんなでそれを眺めて、きれいだねって見ていたそうだ。(かなり、不謹慎な話だが、田舎の方ではそれほど切羽詰ってなかったのである。)
3月になって、6年生の子達が卒業式を迎えた。担任の先生は卒業生を親元に送り届けるために、電車に乗って名古屋へと向かった。途中、すっかり焼け野原になっている街を目の当たりにして、各自がショックを受けていた。そして、名古屋駅に到着すると、すでに迎えの親たちも何人か来ている。うれしそうに引き取られていく生徒たち。次々と人数は減っていく。ところが、夜になっても、数人の子供達が残ってしまった。誰も迎えに来ないのだ。先生と生徒達の間に、不安が広がった。それでも、先生は残ったみんなを励ましながら、最終列車が来るまで一緒に待つことにした。実は先生は、卒業生達を連れて帰ってはいけない、と言いつけられていたのだ。そして、ついに最終列車がやってくる時間になった。子供達はすがるような目で先生を見た。その追いすがるような視線を振り切って、先生は走って最終列車に乗り込んだ。列車は走り出したが、それを子供達は一生懸命追いかけてきた。 「先生、僕たちも連れてって下さい。」 「先生、置いていかないで下さい。」 「先生、お願いします。」 そう叫ぶ生徒の声が聞こえる。先生は耳をふさいで下を向いたまま、終点へとたどり着いた。 おばあちゃんたち婦人会のメンバーは、先生からその話を聞いて、 「先生、今すぐ、その子たちを迎えに行ってあげて下さい。食料は私たちで何とかしますから。」 と頼んだそうだ。でも、先生は首を振って、ただ涙をぽろぽろこぼしていたそうだ。 その後、その子達の親が迎えに来たかどうかは、誰もわからなかった。
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せっかく、戦時中を大人として生き抜いた祖母がそばにいるのに、 悲惨だった戦争の話を、あまり聞いたことがない。 「惨めな思いをした」という話は何度か聞いた気がするけれど、 「命の危険を感じた」ような話はあまり聞かなかったように思う。 それは、祖母が幸運にも、そうした危機から遠く離れていたからなのか、 それとも、悲惨な話をするのは気が進まなかったからか… を読んで。 やっぱり、ちゃんと聞かせてもらわなければいけない! と思った。 そのくらい、このお話は、ほんとうに悲しい。 そして、最後には、 「それでもなぜ、人間はいつまでも戦争をやめないんだろう? 戦争なんて、絶対にすべきではないって、みんなわかってるはずなのに…!」 という、大きな大きな疑問を投げかけてくれる。 これも、ホワイトバンドの「貧困をなくそう」と同じくらい、 簡単には片づけられない問題だと思う。 でも、やはりそれと同じように、 難しいからと考えるのをやめてしまわずに、 いつも忘れず心の中で考え続ける必要のある問題なんだと思う… …では、転載させていただきますね。ぜひ一度読んでみてください。 これが、わたしたちの国で、わずか60年前に起こってた事実なのかと思うと、 あまりにも平和ボケした自分の安穏さ加減がおそろしくなる、ふわりでした… 最後になりましたが、メイさん そして紹介者の おたまさん 本当にありがとうございました(-_-)ぺこり。 PS よかったら、ぜひ感想をコメントに残してくださいね。
そして、転載や傑作ぽちっなどは、ぜひ記事の作者のメイさんのところでどうぞ! |
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家族でやっている内輪の月例句会「haikuchild」。 6月の入選作はこんなカンジでした。 ●季題「緑陰、夕立、夏至」 天 夏至の宵 沈むをためらふ 夕陽かな 雪ん子 地 夕立に 髪ぬらすきみ おさな顔 ふわり 地 緑陰の 間(はざま)ゆ細き 木もれ日の 茜 ●季題「鯵、蟹、鮎」 天 砂浜に 蟹と並びて 甲羅干す 十寿香 地 蟹を追ひて 波に追はれて 子等の海 一蹴 地 叩かれて 旨みひとしお 旬の鯵 雪ん子 地 ほろ苦き わた分けおうて 鮎の宿 美凛 ●自由題(夏の季語で) 天 雹(ひょう)やみて ひんやりのつぶ 蹴りあるく ふわり 地 ああ悲し 顔色伺う クールビズ 翠雲 人 雨上がり 朝陽に光る くもの糸 雪ん子 こんな感じでした… 何か心に残る句、ありましたか? ふわりの句はほとんど全部、実体験からきておりまして(^-^;) 雹(ひょう)には実際に降られて、降った直後に氷のつぶを蹴って遊んだし、 天地人には選ばれませんでしたが、 「きみと見る 二重(ふたえ)の虹の かなたの地」 の句は、先日東京各地で目撃された二重の虹を、偶然ある人と一緒に見た ことから生まれました… (…どんな未来が待ってるのかな…?) 7月もがんばろう〜
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