新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

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 メッセニアへ
 アクロポリス攻略に失敗したエパミノンダスは、各国の将軍を集めた。
「諸君。我らはスパルタの力を少し甘く見すぎたようだ」
 眼前でその勇猛振りを見せ付けられたためか、各国の将たちも黙っている。
「そこで、矛先を変えようと思う」
「矛先を…でございますか?このスパルタを捨ててですか」
 マンティネイアの指導者リュコメデスが、不満そうな声を上げた。
 彼は、アルカディアの反スパルタ派の急先鋒。この際、スパルタを滅ぼしてしまいたいと念願していたからだ。
「いや、そうではない」
 エパミノンダスは苦笑した。
 様々な思惑で集まった同盟軍の将の心を、掴んで離さないのも一苦労であった。
「アゲシラオスが頼みとしているのは、ラコニア地方全土に展開しているスパルタ軍の存在。ならば、それを討てば、兵の士気も落ち、抗戦できなくなるであろう」
「なるほど」
 リュコメデスは納得した。そして、内心舌を巻いていた。
(ただの策士と思うていたが、これは想像以上の人物よ)
 そう。日々接するうちに、エパミノンダスが類稀なる戦略家であることを思い知らされつつあったのだ。
「そこで、リュコメデス殿には、ゴルギアスと共に、アルカディアの軍を率いて南に兵を進め、ギュテイオンを攻略してもらいたい」
「わかりました」
「ティモファネス殿には、メロンと共に、コリントスの軍を率いて南方の主要都市ゲロントライを攻略してもらいたい」
「おう!」
 翌日、アルカディア軍とコリントス軍が南方に出撃した。
 ゲロントライは、ティモファネス、ティモレオン率いるコリントス軍の猛攻を受け、たちまち陥落した。
 また、港湾都市ギュテイオンも、突如現れた大軍に仰天し、スパルタ軍はたちまち潰走し、城を捨て逃げ出した。ここはスパルタ海軍司令本部のある街。テバイ軍に火を放たれ、スパルタ艦隊は炎に包まれた。スパルタ海軍は陸上からの攻撃により全滅した。
 こうして、都を除いて、スパルタのほとんど全土が制圧されてしまったのであった。スパルタは、まさに滅亡寸前に追い込まれた。

「ゲロントライ陥落!」
「ギュテイオン陥落!全ての軍船が破壊された模様」
 悲報が相次ぎ、スパルタの宮廷は重苦しい空気に包まれた。
 アゲシラオスは虚空を睨みつけていた。何ものにも動揺しないことを固く決意していた彼、感情の変化はその顔から読み取れなかった。
 彼は、今から三十年前、紀元前399年にスパルタ王に即位した。
 時は、宿敵アテネを降伏させた直後で、スパルタの国威は絶頂にあった。ペロポネソスはいうに及ばず、テバイや北部ギリシアも悉くスパルタの威に服していた。さらに、アゲシラオスはギリシア全軍を率いて、帝国ペルシアの軍を大いに打ち破り、オリエント世界全土に威名を轟かせたのだ。
 それが今や、首都に敵の大軍を迎えて、亡国の危機に瀕している。
(このままでは、ラケダイモンの隆盛を築いた歴代の王に顔向けできぬ)
 その想いだけが、七十五歳の老王の体を支えていた。
「父上、いかがいたしましょう」
 奮戦に奮戦を重ねてきた王子アルキダモスも、今や、顔を土気色にしていた。まさに進退窮まったとはこのことだ。
 群臣からは声一つ上がらない。
 アゲシラオスは、尋常でない決断をした。
「こうなれば、敵の総大将エパミノンダスの度肝を抜いてくれようぞ」
「いかがなさるおつもりですか」
 王はそれに答えず、
「ポロス!ニコロコス!」と傍らの武将を呼んだ。
「はっ!」
「そなたたちは、ひそかにアクロポリスの外に出て、エウロータス川に小船を用意せよ」
「父上、まさか…」
 王は、それに応えず、諸将に命令を出していたが、やがて王子の方を振り向いて、
「お前は、キッシダス殿と共にここを守ってくれ」と命じた。
「父上、危険すぎます!」
 アゲシラオスの意図は聞くまでもない。決死の覚悟をもって、テバイ軍と決戦しようというのであろう。
「このまま、ここで座して滅亡を待つことなどできるか!」
 王は、群臣が止めるのも聞かず、自ら総勢三千の軍勢を率いて、夜陰に乗じてアクロポリスを打って出た。そして、北に向かってエウロータス川に出ると、小船や筏に乗り込んで、一気に下っていった。

 エパミノンダスは、各戦線の報告を聞き終わると、満足そうに頷いた。
「よし、味方の帰還あり次第、アクロポリスへ総攻撃を開始する」
「おおお」
 諸将は歓声をあげた。
「もう、敵は抗戦する気も起きぬであろうよ」
 ペロピダスもエパミノンダスの隣で笑っていた。
 しかし、その夜。
 テバイの将たちが、総攻撃の手筈を打ち合わせていたところ、本陣の後方、東の方角から異様な叫び声が上がった。
 兵の叫ぶ声、馬のいななきが聞こえてくる。
「何事だ」
 エパミノンダスは、兵たちがまた喧嘩していると思った。なにぶん、諸国の軍勢の寄り合い所帯であることから、普段からいさかいが絶えなかったからだ。
「ペロピダスよ。取り静めてまいれ。陣中の秩序を乱す者は厳罰に処すと伝えよ」
「おう」
 しかし、ペロピダスは、幕舎を出ると、目を大きく見開いた。東のエウロータス川の上空が赤々と輝いていたからだ。
「これは…」
 やがて異様な気配に気付いたのか、エパミノンダスも幕舎から出てきた。
「ペロピダスよ、これは何事だ」
 二人には河岸の方から人馬の叫ぶ声が聞こえるだけであった。
 しかし、すぐに二人にも事態は明らかとなった。河の方から、算を乱して逃げてくる兵が口々騒ぎながら、その事実を伝えたからだ。
「スパルタ軍の夜襲ですぞ!」「方々、急ぎ戦闘態勢を!」
 エパミノンダスの周囲は騒然となった。
「なにっ!敵襲だと!」
 そこに、アルゴスの将軍ペイシアスが息せき切って駆けつけてきた。彼の剣には血糊がべっとりついていた。
「エパミノンダス殿、スパルタ軍が船で川から下り攻めてきました!不意を衝かれて味方は混乱しています!」
「なんと」
 もう猶予はなかった。本陣のすぐ外では、激しい戦闘が始まっていた。ニコロコスとポロス率いるスパルタ軍が本陣に殺到してきたのだ。
 決死の彼ら、悪鬼の形相となっていた。
「エパミノンダス、どこだ!勝負しろ!」
「木っ端!邪魔だ!道を開けろ!」
 道を妨げる兵は、彼らの槍に突き伏せられた。
 本陣のテバイ兵は、混乱して右往左往した。
「ちっ」
 ペロピダスは舌打ちした。
 彼は馬上の人になると、周辺に屯していた神聖隊の兵を呼び集めた。
「エパミノンダス、ここは俺に任せて退却しろ。お前に万が一あれば、それこそ一大事」
 そういい残すや、彼は駆け出した。
「我こそは、テバイの神聖隊隊長ペロピダスだ!スパルタの者ども、かかってこい!」
「なに、ペロピダスだと!」
「ペロピダスといえば、エパミノンダスと並ぶテバイの将!」
 突き進むスパルタ兵は、ペロピダスの名前を聞くと足が止まった。そして、ペロピダスにおめきかかった。
 が、ペロピダスの周囲を固める兵は、今や天下無敵の神聖隊。対するは決死のスパルタ軍。当然、激闘となった。あちこちで絶叫が轟いた。
 スパルタにとって、ペロピダスはエパミノンダスに匹敵する怨敵。ポロスとニコロコスは、その姿を捜し求めた。ポロスは、その姿を認めると、肩を怒らした。
「おおお、ペロピダス、そこにいたか!覚悟せよ!」
 猛然と突進し、槍を鋭く繰り出した。その鋭さに、ペロピダスはよけきれず肩から鮮血を噴出した。
「ち、こしゃくな」
 ペロピダスは、剣を振るって懸命に槍先をあしらった。が、彼は鎧も満足に着けていない。体のあちこちにポロスの槍を浴びた。
 また、神聖隊も苦戦を強いられた。不意を衝かれた上、敵は半ば死を覚悟した盲兵。
 しかし、そこに、ようやく態勢を立て直したテバイの重装歩兵部隊とアルゴス軍が殺到してきた。こうなると多勢に無勢。スパルタ軍は押し戻され始めた。
 それを見たアゲシラオスは
「よし、これで十分だ。退却だ!」と命じた。
 スパルタ軍は、敵軍が十分に隊列を整えていないことをいいことに、速やかに、またもとの河に戻り、船に乗って鮮やかに退却していった。
 こうして、何とかスパルタ軍を撃退することができた。しかし、この夜襲で、テバイ軍は甚大な被害を被ったのであった。

 エパミノンダスは、翌朝、ペロピダスと共に陣内を巡視した。
 その被害の大きさに、彼は、小さくため息をついた。
 彼は、傷ついた兵士を励まし、亡くなった兵には祈りの言葉を捧げながら歩いた。
「敵ながら天晴れだな、アゲシラオスは」
 付き従うペロピダスも上半身に包帯を巻いていた。あちこちから血が滲み痛々しい。
「これからどうする」
 ペロピダスが訊いた。
「うむ…」
「遮二無二アクロポリスを攻め潰すか?」
「いや。それはまずい。味方の被害が大きくなりすぎる」
「では、どうするのだ」
「兵糧攻めが、味方にとって最も損失の少ない安全な作戦であるのだが…」
 エパミノンダスは語尾を濁した。
 味方は大軍。四方から包囲して、じわじわ攻めれば、スパルタ軍の兵糧が尽きアクロポリスが自然と陥落するのは自明であった。が、エパミノンダスがそれをしなかったのは、味方の兵糧が十分でなかったからだ。アクロポリスを呑気に包囲していれば、敵を倒す前に自軍が飢餓に陥ってしまう。ために、速戦即決を目指して、作戦を立ててきたのだ。
 そこに、また、エパミノンダスを悩ます知らせが届いた。
 密偵ディオゲネスがやって来て報告した。
「パウサニアス率いる軍勢の猛攻で、イトメ山は陥落寸前。急ぎ援軍を送らねば、間もなく落ちてしまいましょう」
 エパミノンダスは悩んだ。
 スパルタ本国を攻略すれば、パウサニアス率いる軍は孤軍となって降伏せざるを得ない。そう思い、あえてメッセニアには援軍を差し向けなかった。
(このままではイトメ山は陥落してしまう。すると、意気上がるパウサニアス軍が反転してこよう。そうなれば、アクロポリスの攻略など思いもよらぬ)
 ペロピダスは、心配そうに、
「イトメのスキピオたちが心配だ。俺が一軍を率いて、メッセニアに進みパウサニアスの包囲陣を破ろう」といった。
「いや、私が行こう」
「えっ!」 
 ペロピダスは驚いた。
「ここはどうするのだ。奇襲で被害を受けたとはいえ、スパルタの都は陥落寸前なのだぞ」
「ここの陣は、エウロータスの東岸に後退させて守備を固める。メロンに任せよう。その間に、メッセニアを制圧し、その上で再び反転してスパルタを攻略する」
「イトメの救援ならば、一軍で十分であろう」
 エパミノンダスは首を振った。
「ここでの大軍の長滞陣は敵の思う壺。兵糧不足に陥るのが目に見えておる。メッセニアは肥沃な土地。彼の地で十分に兵糧を確保して反転するのがよい」
 こうして、スパルタには、メロンの一隊とアルゴスの軍併せて一万余を残し、エパミノンダスは二万五千の大軍を率いて、メッセニアに向かったのであった。


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