新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

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解放-メッセニアの章33

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 解放
 イトメ山の要塞では、いよいよ兵糧に困窮していった。木の実や食べられる草は全て食べ尽くし、小動物も姿を消した。全て、兵の胃袋の中に入ってしまったのだ。昨日今日は、木の皮を煮込んだものを食し空腹をしのいでいる有様だった。
 スキピオは悩んだ。
 ヘレネが敵中を突破し、テバイ軍の進撃開始を知らせてくれてから、はや一ヶ月が経とうとしていた。 が、未だに、包囲するスパルタ軍の士気は旺盛。退却の兆しすら見えない。それどころか、連日猛攻を繰り返していた。
 そう。パウサニアスは、離間の計の失敗を悟ると、兵糧攻めをやめ、総攻撃を連日かけてきたのだ。
 離間の計が失敗したためではない。本国から危急を知らせる使者が駆け込んできたからだであった。
「なにっ!都をのぞき、ラケダイモン全土がテバイ軍に平定されてしまっただとっ!」
(もう悠長なことはしてられん。遮二無二攻め潰すのみ)
 もっとも、彼には充分勝算があった。間者を通じて、敵の兵糧が、もはや尽きたことを彼は知っていた。いかに強兵でも、兵糧なくば戦い続けることは不可能。
「敵にはもはや戦う力は残っていない!一気に攻め取るのだ!」
 スパルタ兵は喚きかかった。猛然と山を攻め上り、砦に取り付いた。
 スキピオたちは、柵に取り付くスパルタ兵と斬り結び、必死に撃退した。
 が、日増しにスパルタ兵の雄叫びが近づいてくる。それに比例して、味方の犠牲は大きくなっていった。
(まだか…援軍はまだか…)
 スキピオは焦った。毎日、岩山に上がって、北の大地を眺めた。
 今日も、ようやく敵の猛攻を撃退し、一息ついていた。勇猛を誇る彼も、石の上に腰を下ろし、肩で大きく息をついていた。なにせ、満足にものを食べていないのだ。
(これは…ここでおしまいかな…)

「スキピオ殿」
 アリストデモス、アリストメネス兄弟がやってきた。彼らも、見るかげなく、やせ細っていた。
「お。どうした」
「もはや、これまで。最後に突撃して、スパルタに思い知らせてやりましょう」
 スキピオも、何度、その誘惑に駆られたことか。が、その結果は分かりすぎている。全滅してしまうに違いなかった。
「駄目だ」
「なにゆえですか!このまま、ここで死ねと!」
 アリストデモスは憤慨した。
「援軍は必ず来る」
「援軍などあてになりませぬ。ヘレネ殿が、ここに来て、はや一月。一兵たりとも姿を見せぬではありませんか!」
 スキピオは、くわっと目を怒らせた。そして、すっくと立ち上がり、
「これが籠城戦だ!」
 と叫ぶように言い放つと、ずいと兄弟に迫った。
「最後の最後まで味方を信じぬくこと。それが勝利する唯一の道だ!エパミノンダス殿は国士無双!遅れているには必ず理由がある!味方を見捨てる人では、断じてない!」
「…しかし、エパミノンダス殿も神ではありませぬ。なにか手違いがあったのでしょう。これだけ待って、やって来ないというのは、やはり無駄ではないかと…」
 アリストメネスは冷静を失っていない。が、疲労困憊の果てに、彼も名誉ある死を望むようになっていた。
「今、打って出れば、これまでの辛苦が全て水の泡。絶対許さぬ。どうしても、というのならば、この俺を斬れ!この俺の死体を乗り越えてゆけ!が、ただでは死なんぞ」
 疲れ果てた体のどこにその気迫が隠されているのかと思うほどの、スキピオの迫力だ。二人は、たじたじとなった。
「とにかく、あと数日待てっ!」
 兄弟は、渋々下がっていった。
 が、スキピオも、半ば覚悟を決めていた。
(もう数日待って援軍が現れなければ、潔く打って出よう)
 
 翌日も、早朝からスパルタ軍の総攻撃が始まった。
「来たぞ!」
 度重なる猛攻を受け、矢はとっくに尽きていた。落とす石もない。柵もところどころ破れている。従って、死力を尽くした肉弾戦あるのみであった。
「うおおお」「わあああ」
 あちこちで絶叫が轟く。
 スパルタ兵も必死だった。彼らの家族はスパルタにある。そのスパルタの都は、敵軍の包囲の中に明日の運命も分からぬ危地にあるのだ。
 攻める者、守る者、当然の如く死闘となった。
「おのれ」
 群がる敵に、スキピオは奮戦した。
 彼は格好の標的となっていた。
 スパルタを裏切った国賊。当然、一身に憎しみを集め、猛者どもが、彼の首を狙って襲い掛かってきた。
「裏切り者スキピオ!覚悟しろ!」
 雄叫びを上げて迫るスパルタの猛者どもに、ふんとスキピオは鼻で笑った。
「貴様ら如きにやる首は持ち合わせておらぬわ!」
 スキピオは、『星天の剣』を閃かせ、スパルタの猛兵を斬り、ときには突き飛ばし、ときには崖の下に蹴り落とした。
 しばらくして、ようやく敵の猛攻が止んだ。食事を与えるためであろう。が、こちらには、食べるものがもうなかった。
 
 スキピオは、視界が朦朧としてきた。
(こいつぁ、いかんな)
 苦笑いしたつもりが、口の端がかすかに動いたに過ぎなかった。それでも、彼は、本能に導かれるように、岩山によじ上って北の大地を眺めた。
(今日も何も見えぬなあ…。これは、いよいよ覚悟を決める時かな)
 彼は、天空でかんかん照り付ける太陽を、恨めしそうに見上げた。
(雨でも降れば、空腹も多少紛れるものを…)
 そして、再び視線を北に戻した。
(…うん)
 スキピオは目をごしごしこすった。遥か彼方に砂埃が見えたような気がした。
(錯覚か…)
 が、その砂埃はだんだん大きくなる。そして、小さな無数の旗が見えてきた。
 ギリシア諸国の旗だ。中央には棍棒の絵が描かれた旗が威風堂々とひらめいている。それはテバイ国家の旗。
(み、味方だ!)
「援軍だ!援軍が来たぞ!エパミノンダス殿がやってきたぞ!」
 スキピオは叫んだ。しかし、声がつぶれていたため、言葉にならない。
 彼は、もどかしくなって駆け出した。そして、味方の中に、援軍だ、援軍が来たぞと、しわがれた声で叫んだ。小躍りしながら叫んだ。

 テバイ軍の先頭にいるのは、神聖隊隊長ペロピダスと、騎兵隊隊長ゴルギアス、そしてダイファントスだ。
 ペロピダスは、イトメの山が、スパルタの大軍に包囲されている有様を見て苦笑した。
「これは…見事に包囲されておるなあ」
「ははは。スキピオは、さぞかし首を長くして待っておるであろうな」
 ダイファントスは、ゴルギアスと一緒になって、からから笑った。
 ペロピダスもふふっと笑った。僅か一ヶ月離れていただけだったが、懐かしいやつ、会いたい奴に会える、そういう思いになっていた。
「よし!一気に包囲するスパルタの陣を突き崩すぞ!」
「おう!」
 テバイ軍は総攻撃を開始した。
 スパルタの将軍パウサニアスも、敵の援軍が到着したことを知った。
「ちっ。とうとう現れたか」
「将軍。このままでは挟撃されてしまいます。無念ではございますが、ここは一旦退却いたしましょう」
 副官エウテュクレスは進言した。
 が、パウサニアスは頷かなかった。
「ならん!ここで退却すれば、メッセニアは永遠にラケダイモンの手から離れてしまう。ラケダイモンの威望が地に落ちしてしまう」
 スパルタの覇権は、メッセニアの豊かな収穫があってこそ。これを失えば、スパルタはもはや、二度と覇を打ち立てることはできまい。
「しかし、このまま戦うことはあまりにも不利」
 が、パウサニアス、頑として聴かなかった。
「見たところ援軍は一万ほど。我らも一万余。まず、援軍を撃破し、返す刀でイトメを攻略するのだ」
 彼は、全軍に出撃を命じ、自ら馬上、テバイ軍の大部隊に向かって突進した。
 
 両軍はイトメ山の北麓で激突した。
 テバイ軍は神聖隊を含む精鋭部隊。スパルタ軍も国家の存亡を賭けての戦いに必死となった。互角の戦いがしばらく続いた。
 が、そのとき突如、スパルタ軍の背後、イトメ山がどよめいた。それまで、決して砦の外に出ることのなかったメッセニア義勇軍が、奔流のようになって出撃してきたのだ。
 スキピオを先頭に駆けてくる。皆、疲労困憊の体であった。鎧は所々綻び、つけていない兵も多かった。が、皆、目をらんらんと輝かせていた。
「それ、今こそスパルタを討つ時!三百年の屈辱を晴らすときは今ぞ!」
 メッセニア兵は猛然と突進した。二ヶ月以上に及ぶ籠城で弱り果てていた彼ら。
 しかし、今こそ祖国解放の時と思うと、その興奮と感動で、不思議と力がみなぎってくる。
 アリストデモス、アリストメネス兄弟も、猛然と突進した。
「今こそスパルタに目にもの見せるのだ!」
 三百年の復讐に燃える彼ら、ついにその鉄槌を下ろす時がきたのだ。
「ええい、ひくな!戦えっ!ひくな!」
 前後から挟撃されては、いかに名将パウサニアスといえどもどうしようもない。
 スパルタ軍は総崩れとなった。ついに撃破されて、パウサニアス以下僅かの兵は、血路を開いて、南東の方角に退却していった。


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おはようございます。
「遥か彼方に砂埃」の部分には感動しました。待ちに待った援軍の到着を喜ぶ様子が素晴らしく、ドラマティックに書かれていますね。流石です。

2008/1/6(日) 午前 3:08 川又まこと


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