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人質(続き)
ペロピダスは、王宮に入ると、直ちにマケドニア王国の処分を諸将に問うた。
「もはや容赦する必要はありません。王国を解体し、我が国とボイオティア同盟諸国で領土を分割すべきでございます。このまま放置すれば、マケドニアはギリシアの北部で蠢動を繰り返し、世々ギリシア世界に災いをもたらすこと間違いありません」
イオライダスとイスメニアスが強硬に主張した。前回と違ってスキピオも黙ったままであった。
一方で、プトレマイオスの処断については、
「これを許せば、誓紙を軽んずる者が続出する。厳罰に処すべきである」との意見や、
「誓約違反の大罪はあるものの、潔い態度。罪一等免ずるべき」との意見が出された。
その間、ペロピダスは一言も口を挟まなかった。聞くだけ聞いておくという風情だ。
やがて、彼は座を立った。
「少し考えてみるとしよう。諸将は、城内の警備を怠らぬように」
ペロピダスは別室に入ると、椅子にどかっと座り、大きくため息をついた。
(判断一つ誤ればマケドニアの乱は続き、わがテバイは諸国の信を失い、天下統一の大業は挫折するやも知れん…)
彼がエパミノンダスと誓った道は半ばを過ぎた。
大敵スパルタの覇権は瓦解させた。アテネの野望も挫いた。テバイ以北の敵対勢力も平定した。あともう少しで天下統一の大業を成し遂げることができる。
(今、失敗することは許されない…)
その時、ドアを叩く音がした。
「誰だ?」
「スキピオです」
「おう、入れ」
意見を聴くため密かに呼んでおいたものであった。
「まあ、そこに座れ」
スキピオが座るや否や、ペロピダスは問うた。
「君の意見はどうだ?君は、先の遠征の折、敵を味方にせよといった。私も良策と思った。今回も温情を与えるべきか。それとも鉄血の処分を下すべきか」
鉄血の処分とは、言うまでもなくマケドニア王国を解体し、プトレマイオスを処刑する非情の処分である。
スキピオは微笑した。思うところがあるようだ。
「先にわが故郷ローマの話をしました。今回も、故郷の話をしてよろしいでしょうか」
「おう。話せ」
ペロピダスは許した。スキピオが無駄な話をしないことを知っていたからだ。
「わがローマは、敵の部族をローマ市民に迎え入れて強国となっていきました」
「ほう」
ローマは、紀元前509年、エトルリア人の王を追放して独立すると、近隣の諸部族と戦い、その部族民をローマ市民に編入して強国になっていった。しかし、同時に、より強大な敵の標的になった。今度は同族のラテン人の諸国と激しく争った。
「幸い、ラテン人諸国家を破ることができました。が、わが国はそれらの国を征服するのではなく同盟を結ぶことにしました。征服では、いずれその怨念から復讐が生まれます。メッセニア人のように」
「ふむふむ」
「とはいえ、同盟という約束だけでは心もとのうございます」
「確かに」
「そこで、敵国の子弟をわが国に留学させることにしました」
「留学?」
「はい。誰も、学んだ国を嫌いになることはないからでございます」
「どういう意味だ?」
「はい。敵対した国の有力者の子弟に、わがローマに留学してもらいます。留学生はローマの指導者の家々で少年期の数年を過ごすことになります。やがて、その少年は、ローマに対する親愛の情を抱いて祖国に帰ることになります。そして、大人になって祖国の指導者となります。つまり、その国は未来永劫ローマに敵対することはなくなるのです」
「ほほう、考えたな」
ペロピダスは感心した。
教育を通して親ローマ派の人々をせっせと育成し、ローマに心酔させた上で同盟国に戻すわけだ。巧妙な発想である。
「はい。このようにして、ローマ国家には、常に、確固たる信頼で結びついた同盟国が存在することになり、わが国と共に戦ってくれるのです」
そこまで聞くと、ペロピダスはにやっとした。
「そなたの言わんとすることは分かった」
ローマ国家が、教育を優秀な市民・国民の育成に止まらず、国の防衛に欠かせない重要な手段であることを認識していたことは驚異に値する。ペロピダスも聡明な男。すぐに理解し、そこから今回のマケドニア国家の処分を決定したようだ。
翌日、ペロピダスは、プトレマイオスと太后エウリュディケに出頭を命じた。
プトレマイオスは、落ち着かないのか、ずっとそわそわしていた。今回ばかりは死罪も十分にありえた。マケドニアの群臣は彼の助命をペロピダスに嘆願していたが、こればかりはペロピダスの胸先三寸。
やがて、諸将が立ち上がった。ペロピダスの出座である。
プトレマイオスとエウリュディケも立ち上がった。
ペロピダスは席に着くと、すぐに口を開いた。
「処分を申し渡す」
「ははっ!」「はい」
「マケドニア国王としてアレクサンドロスの弟ペルディッカスを即位させること。摂政プトレマイオスは、しばらくの間謹慎すべきこと」
太后エウリュディケは、目を丸くして驚き、次の瞬間、喜悦の表情をした。再びわが子が王位につくのだ。
が、それ以上に喜んでいるのがプトレマイオスであった。
「なんたる寛大なご処分、プトレマイオス、感謝の言葉も見つかりません」
彼は、声を震わせて、心の底から感謝した。
ペロピダスはじろりと一瞥した。
「まだ言い渡すべき処分がある」
「あ、これは失礼しました。何なりと承ります」
「マケドニア国家は、ギリシア世界を騒がせ、混乱に陥れた。その罪は大きい。そこで、我らの指定する王族・貴族の子弟をテバイに留学させること」
留学とあるが、体のいい人質に他ならなかった。が、これで済めばプトレマイオスにとって御の字。否やのあろう筈がなかった。
「承知か」
「ははっ!承りましてございます!」
「太后はどうじゃ」
「はい。かしこまりましてございます」
が、ペロピダスは、口の端を皮肉っぽくゆがめた。
「そうか。ペルディッカス殿の弟フィリッポス殿もテバイに差し出して貰うぞ」
「えっ!」
「マケドニア国家の存続自体について相当の反対があった。それらの者たちを納得させるためには、目に見える誓いを示してもらうことが必要。そこで、新王ペルディッカス殿の弟御にテバイに来てもらうことにした」
「人質でございますわね」
太后は、ペロピダスをきっと見た。それは、まさしく母の顔であった。
ペロピダスは苦笑した。
「人質ではない。テバイで教育を受けてもらうのだ」
「教育ですか?」
「太后よ」
ペロピダスの目は優しくなった。
「そなたは、今の王家のありようでよいと思うておるのか。王族が互いに相争い、殺戮しあうこの惨状を」
マケドニアは、その建国以来、常に権力争いの歴史でもあった。何人もの王が暗殺されたり、国を追われたりしてきた。
「いえ、それは…駄目だと思っております。わたくしも、そのために何度悲しい思いをしてきたか知れませぬ」
彼女の夫アミュンタス三世も、生前何度も暗殺の危険にさらされた。その度に彼女は生きた心地がしなかった。さらに、息子のアレクサンドロスに至っては、むごたらしく殺されてしまった。彼女こそが、王家の酷薄無残を最もよく知っているといえた。
太后の隣のプトレマイオスは赤面していた。彼もその惨状の当事者だ。
「そうであろう。そのためには王族にはひとかどの見識が必要不可欠。でないと、悪政が敷かれ民がいたく迷惑する。上に立つ者が愚かであるというのは大罪ぞ」
「はい」
「心配なされるな。フィリッポス殿を立派に教育してみせよう。そして、兄ペルディッカス殿の政治に役立つひとかどの大人にして、きっとマケドニアに戻そう」
ペロピダスは諄々と説いた。
その心情は、太后にも届いたのであろう。彼女は目に涙を湛えていた。
それからしばらくして、先王アレクサンドロス二世の弟ペルディッカスがマケドニア国王に即位した。ペルディッカス三世である。年少のため、太后エウリュディケが後見となった。
ペロピダスは、ペルディッカス三世・エウリュディケとの間で、マケドニアのボイオティア同盟加盟を取り決めた。そして、王族・貴族の子弟三十人と共に、凱旋の帰途に就いた。その王族の中には、あのフィリッポスがいた。
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